魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第二十二章 鬼の義肢と襲いくる災難

代わりに傷付く為のもの

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額に命中した石片は呆気なく砕け、偽物の額からは真っ赤な血が流れ出した。

『痛……い、よ。やめてよ、謝るから…………痛いことしないで、お願い、ごめんなさい』

僕は新しい石片を拾い、もう一度偽物の額を殴った。躊躇は無かった。むしろ、彼を傷付ける快感に酔っていた。
一方的に相手を痛めつけるのがこんなに楽しいなんて!
暴力で支配するのがこんなにも気持ちが昂ることだったなんて!
謝る相手を責め続けるのがこんな大きな悦びになるなんて!

『…………君は、知ってるはずだ』

「……何を?  こんな楽しいことがあったってことは知らなかったけど」

僕は気分を良くして、額の傷を石片で抉りながら顔を近づける。偽物は黒いだけの醜い左眼を僕に向け、僕にだけ聞こえるように呟いた。

『こんなふうに痛いことされるのが、どんなに嫌なことなのか』

「…………え?」

『謝っても、泣いても、叫んでも、ちっともやめてくれなくて。どうすればやめてくれるのか分からなくて、怖くて怖くて仕方なくて。
でもそのうち気付くんだ、僕は何も悪くなくて、ただ楽しいからやってるだけなんだって。何やったってやめてくれないんだって』

「……ぁ」

幼い頃の痛みの思い出が鮮烈に蘇る。謝れば謝るほど、泣けば泣くほど、兄は楽しそうに笑った。
声を出さずに耐えれば早く終わるかと試せば、兄は反応を求めて更に過激な方法で僕を嬲った。

『ごめんなさい』

「……違う」

だから結局、謝るしかない。

『やめてください』

「僕は……」

無駄な懇願を続けるしかない。

『痛いの……もう、嫌だ』

「……楽しいなんて思ってない!」

泣くことしか出来ない。

『……嘘吐き』

「嘘じゃない!  僕は……っ!」

『楽しかった?  僕を殴るの。楽しいよね?  楽しんでくれたなら良かった。そうじゃなきゃ殴られた意味ないもんね』

「違う違う違うっ!  僕はにいさまとは違う!」

『…………唯一の存在意義なんだ。唯一愛される方法なんだ。そうだよね?』

「違う……」

『君が何を感じたのか、何を考えたのか、全て手に取るように分かる。僕は君の複製だから』

僕は石片を手放す。立ち上がって、偽物が怖くて後ずさる。真っ赤に濡れた両手で顔を覆う。
座り込んだ僕の肩に誰かの手が触れる。

『大丈夫だよ。その役目は僕が引き受けるから。僕がその愛され方をするから、君は甘やかされて』

「…………僕、は」

『にいさまは、ちゃーんと弟を愛してくれてるよ』

「……本当?」

僕はもう痛い思いをしなくていいの?
普通に愛してもらえるの?

『本当だよ。だから……全部僕に押し付けて』

手を下ろして、目を開けた。
見上げた空には無数の鳥が──いや、天使が飛んでいた。鳶のように旋回して、ゆっくりと降りてくる。そのほとんどはあの陶器製の天使達だった。

『ヘルシャフト様!  天使共が来ましたよ、迎え撃ち…………ヘルシャフト様?  何処に行ったんです?』

僕の前を通り過ぎ、僕を探す。そんなベルゼブブの触覚を掴んだのはサタンだった。

『……魔力だけで見るな、光を捉えろ。魔物使いはここだ』

『…………あぁ!  そのローブ、断絶の術がかかってるんですか?  全然分かりませんでした!』

ベルゼブブはフードに隠れた僕の顔を覗き込み、じっくりと観察した後そう言った。アルも同じように僕の顔を覗いたが、特に反応は見られなかった。

『鬼共も此方に向かってます。さ、迎え撃ちますよ』

『……魔物使いは僕だ』

『…………はぁ?  何言ってんですかスライムが』

偽物は瓦礫の山の上によじ登り、腕を大きく広げ、叫んだ。

『ヘルシャフト・ルーラーはここだ!  魔物使いはここだ!  さぁ……僕を殺してみろ!』

『……ふむ、あの魔力なら少しは誤魔化せるか。だが、此方を集団で護れば鈍い天使共も此方が本物だと気が付く。よし、人の造りし同胞よ。貴様だけは本物の護りに専念しろ』

『承知致しました』

アルは僕をすくい上げ、背中に尾で縛ると翼で包み隠した。

『そこから指示を飛ばせ。魔物使い』

僕は未だに状況が把握出来ていなかった。
天使が来て迎え撃たなければならないのは分かる。けれど、偽物が僕のフリをする理由が分からない。
押し付けて、というのはまさか本当に……全てを押し付けて構わないのだろうか。

『……ヘル、愛している』

「…………何、急に」

『私を信じてくれ』

「………………ごめんなさい」

陶器製の天使達が降り立つ。ベルゼブブは真の姿を解放し、サタンは見物を決め込んで、積み重なって屋根まで作られている瓦礫に背を預ける。
アルは戦いの中心地から離れ、物陰に身を潜めた。

『ヘル、力は使えるか?  使えるなら工場の時と同じようにやってくれ。私の魔力は無限だ、鬼共やベルゼブブ様に配れば戦いが格段に楽になる』

「……分かった」

『貴方は私が守る、絶対にだ。髪の毛程の傷も付けさせん』

「…………ありがと」

『……ヘル、私は貴方だけを愛している。信じてくれ』

「………………ごめんなさい」

真っ白い陶器の破片と羽根が降り注ぐ。ベルゼブブは目にも止まらぬ速さで空を舞い、天使達を片っ端から落としていった。茨木はその打ち漏らしを狙って光弾を撃つ。

『魔物使い。驟雨が来たぞ、雪を連れてな』

空に黒い影が見えた。ザフィだ。その隣には小柄な天使が飛んでいる。
ザフィが傘を開くと同時に雨が降り出す……いや、これは雨ではない。無数の氷柱だ。

『茨木、戻れ!  隔離空間構築……臨兵闘者皆陣烈在前、急急如律令!』

茨木は銃を収め、酒呑の隣に跳ぶ。ベルゼブブは少女の姿へと戻り、酒呑の隣に降りる。
酒呑が作り出した結界は氷柱を弾き、四人を護った。

「……アル?  なんで行かないの?」

アルは動こうとしない。尖った氷柱が脚を穿いても、眼を傷付けても、決して動かない。

『身代わりが居ると言っても、天使がいつまでも勘違いしているとは思えん。貴方は見つかってはいけない』

「でも……」

『そのローブを着ていれば寒くも痛くも無いのだろう?』

「アルは……寒いし痛いよ?  アルは、怪我してるよ」

『私の傷は直ぐに癒える、気にするな』

僕よりも偽物の方が気に入っていたくせに、どうしてそんな事が言えるの。
どうして気に入ったモノを身代わりなんて呼べるの。
どうして捨てたはずの僕を傷付いてまで守ろうとするの。
アルの考えは僕には理解出来ない。

『……おい、魔物使い!  こんな大技いつまでも保たんぞ!』

僕はハッとして前髪をかき上げた。今考えるべきなのはアルの心情ではなく、戦況だ。

『アルギュロスの魔力を酒呑童子に!』
「アルギュロスの魔力を酒呑童子に!」

全く同じ声で、全く同じ抑揚で、偽物は僕と同じ言葉を叫ぶ。異なっているのは偽物の言葉には何の効力もないという事だけだ。

『全く……危なっかしい子供だ』

『私にもください、お腹が空いて倒れそうです』

先程と同じように、偽物も僕に合わせて叫ぶ。ベルゼブブに魔力を移すついでに茨木にも移すと、アルがふらっと倒れ込んだ。

「アル?  アル、大丈夫?」

『…………平気だ』

「魔力……本当に無限なの?」

『ああ、無限生成だ。最大出力は決まっているし、生成速度にも限界はある。だから……一度に移されて、目眩がしただけだ』

アルはもう大丈夫だと言って立ち上がり、眼孔に突き刺さった氷柱を頭を振って抜いた。その傷もすぐに再生するが、すぐに再び傷を負う。

「…………アルギュロスの痛覚を麻痺させろ」

『……ヘル?』

「痛くない?  怪我させないようには出来ないから、せめて痛くないようにって……ごめんなさい、これくらいしか出来なくて。ごめんなさい……ごめんなさい、戦えなくて、幸せに出来なくて、足手まといで……」

『いいや、助かったよヘル。有難う』

アルの優しさが何よりも苦しい。どんな刃物よりも鋭く、僕の心を引き裂いてしまう。
僕はアルの首に腕を回し、戦場に視線を戻した。
サタンは偽物に助言をする演技をして、 僕に指示を求める。

『毒蠍もやって来たな。それと、神の腕に沈黙、恐怖。一番厄介なのは恐怖だろう。さぁ、どれに誰をぶつける?』

カマエルが剣を結界に突き立てる。ヒビが広がり、ところどころに穴が空く。その穴に氷柱が刺さり、結界は崩れ始める。
僕は出来損ないの頭を必死に回して、勝機を探した。
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