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第十五章 惨劇の舞台は獣人の国

早く開ケて

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時々に鳴り止む鈴のような音に、その度に聞こえる断末魔。その二つの関連性を見出さないほど、僕もハートも馬鹿ではない。

「結界構築……カセギの角」

ハートは震える声でそう呟いた。壁中に描かれた模様が淡い光を持ち、空気が浄化された感覚が訪れた。湿気が飛んだような、空気が軽くなったような、そんな不思議な気分だった。

「……あの、ハートさん。この結界って本当に大丈夫なんですか?」

何かがいるとも分かっていないのに、何かがいると決めつけている。

「この結界は神術の一種、魔性のモノなら必ず弾く……はずだよ、完璧ならね」

それはハートも同じで、外に化け物がいる前提で会話は進む。

「完璧ならって、これは完璧じゃないんですか?」

「分かんないんだよそんなこと!  でも、完成したかどうかも分からないようなの、完璧な訳ないよな。でも……ほら、お前が連れてた化物。アレは閉め出せただろ?  あんな上級魔獣弾けるんだから、多分大丈夫だろ」

多分大丈夫、その言葉ほど不安を煽られる言葉はないだろう。アルだって本気で開けようとしたかどうか分からない。
僕の心に差した影が大きくなり始めた瞬間、ガリガリと扉を引っ掻く音が聞こえてきた。心臓が口から飛び出るかと思うほどに驚いたが、次に聞こえてきた声は僕を安心させた。

『ヘル!  ヘル、居るか!  居るなら開けてくれ!』

ハートの制止を振り切り扉に走る。外に居るのはアルだ、間違いない。
外開きの扉を開けると、アルは素早く中に転がり込んだ。アルが入ってすぐにハートは扉を蹴り、閉め、結界を張り直した。

その一瞬だけ見えた外の景色。
退廃的な美しさの七色の光の筋、その先端に捕えられた肉塊。あの光は、そう、昔何かの本で見た……クラゲに似ていた。ゆらゆらと水中を漂うそれと、土砂降りの雨の中に揺れる光が被って見えた。

「……ふざけるなよ!」

一瞬だけの幻想的な風景に心を奪われていた僕を現実に引き戻したのはハートの怒号だ。

「絶対嫌だって言っただろ、こんな……!」

部屋の隅に背を預け、苛立ちに任せて床を蹴る。怒っている……いや、違う。怯えている。

「……あの、ハートさん」

「勝手に開けるなよこの馬鹿!  結界も揺らいだし……狼なんか中に入れやがって!」

「だ、大丈夫ですよ。アルは人を襲ったりしませんから」

「そういう問題じゃないんだよ!  俺は襲われるかもしれないのが怖いって言ってんじゃない、お前を全く信用してない訳でもない!  そいつが今まで喰ってきた肉の、血の匂いが、もう……無理なんだよ!」

ハートの叫びを、僕の困惑を、アルは黙って聞いていた。口を出すことはなく、かと言って気にとめない訳でもなく。大人しく座っていた。

「……ごめんなさい」

目を閉じて耳を塞いで、閉じこもるように蹲ったハートに謝罪を投げる。それ以上どうすることも出来ないで、僕はアルの方に向かった。ハートへの対処の助言を求めるでもなく、恐怖への慰めを求めるでもなく、あの嘘を問い詰める為だけに。

「アル……どこ行ってたの?」

約束を破った、裏切った、嘘を吐いた。そんな負の感情は飲み込んで、ただの質問として外に吐く。

『人喰いの怪物がどうにも気になって少し調べていた。昨晩までには帰るつもりだったのだが、この雨のせいで上手く飛べず……すまなかった』

「……そう、行く前に言ってくれれば良かったのに」

『そうだな、本当にすまない』

「もういいよ、それより何か分かったの?」

泣き叫んで不満を撒き散らしたいなんて子供っぽい感情は押し殺す。
本当に「もういい」と思えたら、アルを心の底から信じられたら、僕はきっと僕を少しだけ好きになれた。

『…………あまり、大したことは』

ふいっと目を逸らし、アルはそれ以上何も話さなかった。

『そこの獣人、ハートと言ったか?  面倒をかけたな、礼を言う』

腕と髪の隙間から黄色い瞳を覗かせて、ハートは微かな会釈を返した。

『狼は嫌いか?  仕方ないか。出来るだけ早く出ていく、悪いな』

「ねぇ、アル。外に何かいるよね、叫び声も聞こえてくるし……アレ、何?」

僕との会話から逃れるようにハートに話しかけるアルの視線を塞いで、びしょ濡れの毛皮を撫でながら尋ねた。

『……アレが人喰いの怪物だ』

「え……?」

やっぱり。
心のどこかでそう思いつつも、最悪の想像が現実だったことへの恐怖と驚愕が減るはずもない。

「じゃ、じゃあ、今……誰か、食べられてるの?」

『ああ』

「そんな、そんなの、どう……しよう?」

『この結界は神術か?』

神術。意味は知らない言葉だが、ハートは確かにそう言っていた。僕が頷くと同時にアルは語り出す。

『やはり神術か……だが、どうだろうな、彼奴なら結界破りくらいは使えそうだ。だがこの結界はでもある、そうなると勝負どころは彼奴がここを見つけるかどうかだな。私が入ったのを見られていなければ勝機はあるが……』

「……このままここに隠れてるの?」

『それが最善だ、あまり騒ぐなよ』

「アル……勝てないの?」

『この雨では不利だ』

壁一枚隔てて行われる残虐な食事。
叫び声はそう遠くない所から聞こえてくる、場所によっては咀嚼音らしきものまで。
そんな中で何もせずに閉じこもれ、と。
確かに最善なのだろう、僕は何も出来ないし、狼が何もしないと判断したのなら僕にそれを覆すことは出来ない。
ここから感情に任せて飛び出して喰われるのは僕だけではない、部屋の隅で蹲るハートに目を向けて、僕はその場にへたり込む。

僕も耳を塞いでしまおうか、そう考えた時だ。
誰かが窓を叩いた。ぼんやりと影だけが見え、顔はおろか性別すらもあやふやだ。

「助けて!  ハート、居るんでしょ!?  開けて、助けて!」

悲痛な声はハートの名を呼んだ。
顔を上げたハートは、立ち上がることもせずにただ窓を眺めた。

「……ハートさん、開けますよね?  開けて……いいですよね?」

彼の知り合いならば、開けない訳にはいかないだろう。腰が抜けてしまっているのなら、僕が代わりに。
そう思って僕は扉に手をかけた。

『ヘル!  待て!  自分を危険に晒しても他人を助けたいのなら開けろ。私は貴方の意思を尊重する、だがこれだけは聞け。私が貴方を守り切れるかどうかは分からない……理解したか?』

「…………うん。でも、僕……出来損ないだから、自分と他人を比べたら…………自分を助けようと思えないんだ」

扉を開いて窓の方を見る。数センチ先も見えない土砂降りの雨の中、生気を感じさせない影が揺れる。

「……あの、大丈夫……ですか?  開けましたよ」

扉を開けたのには気がついているはずだ、僕が出たのも分かっているはずだ。なのに扉を開けた瞬間、立ち尽くす人影は静かになった。
ただぐらぐらと揺れるだけで、動こうともしない。
言い知れぬ不安を感じながらも、僕は人影に手を伸ばした。
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