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第十五章 惨劇の舞台は獣人の国

草食の本能

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アルは外にいて、青年は僕の方を見ようともしない。つまり話し相手がいなくて、寂しい。
青年に許可を取ってはいないが、勝手にしろとは言われたので隣に座った。淡い茶色のソファはとても座り心地が良く、そのまま眠ってしまいそうだった。

だが僕が座った直後に青年が立ち上がったことで眠気は吹き飛ぶ。
……厚かまし過ぎたか。
青年は流し台横の棚を漁り、手のひら程の大きさの四角い何かを持ってきた。ムラのある緑色のレンガに似た物だった。

「な、何ですか。これ」

「……石鹸。お風呂入ってきて。早く。向こうにあるから」

「今からですか?」

「早く。お前、肉食野郎の匂いが染み込んでるんだよ」

「わ、分かりました……けど、肉食野郎って何ですか?」

「肉食野郎は肉食野郎、肉食ってる奴。大っ嫌いな匂いなんだよ。早く風呂入れ、念入りに洗え」

長い前髪から覗く黄色い目は明らかな敵意に満ちていた。
断る勇気もなく……そもそも断る理由もない、石鹸を受け取って風呂に向かった。緑色の石鹸から出るのは薄い緑色の泡、少々気味が悪い。言われた通りに念入りに洗うと、身体中から青臭い葉の匂いがする。
この村には電気も水道もない。風呂場から青年に沸かせという勇気がなく、汲み置きの水で泡を流し、身体は冷えてしまった。


風呂を出て、毛布を借り、ソファに座る。

「………ん、及第点」

僕の髪に鼻を埋めて、青年は満足そうな顔をした。

「はぁ……そうですか」

目の前で振られる立派な角に気を散らされる。
今まで気がつかなかったが、耳も少し違う。耳の位置は同じだが、その耳は鹿のように長くふわふわの毛が生えている。

「えっと……鹿の、獣人?」

「だったら何?  言っとくけど紙食べないから」

「紙食べるとか思いつきもしませんでしたよ。あの、お名前は?」

「………何で聞くの?  呪いでもかける気?」

「違いますよ!  ただ、一晩お世話になるなら聞いておきたいなって」

警戒心が強いと言うべきか、被害妄想が激しいと言うべきか。青年はこちらの言葉を素直に受け取ってくれない。

「………………ハート」

「へ? 」

「ハートだ!  ハート・エルラヴィクス!  何回も聞くなよ難聴野郎!」

「ご、ごめんなさい」

声が小さくて聞き取れなかっただけで、僕の耳は悪くない。そんな口答えはやめておこうか。僕の心は突然怒鳴られてすっかり萎縮してしまった。

「一人暮らしですか?」

「……ああ、一人寂しく慎ましく暮らしてるよ。だったら何?  強盗でもするの?」

「しません! 何なんですかさっきから、僕そんなことしませんから」

もう少し警戒を緩めて欲しいものだ。
しかし、本当に一人暮らしなのか?  それにしては大きな家だ。隅に散らばった積み木から、勝手に子供がいると思い込んでいたのだが、これは聞かない方がいいのだろうか。

「俺からも質問いい?  嫌だって言っても聞くけど」

「……それ許可取ろうとする意味ないですよね」

「お前、肉食う?  人間って雑食だよな」

僕の返答を聞かず、青年は真剣な目で尋ねた。

「肉?  まぁ、食べたことはありますけど。そんなに好きじゃないし、最近はほとんど」

「ふーん……ならいい」

「何でそんなに気にするんですか? さっきも肉食がどうとか言ってましたよね」

「本能……かな。この村は草食性の獣人ばっかりなんだよ、隣は肉食性。だから仲悪い」

動物的な食物連鎖が関係している……と?  獣人が食事のために獣人を襲うことはないと思うのだが。
そういえば亜種人類にも食人文化がある種族がいたか、今は廃れたらしいが。どういう事情があるにせよ、部外者は「本能なら仕方ない」と言うより他にない。

「あ、あと、人喰いの怪物について聞きたいんですけど」

「お前、質問ばっかだな。まぁいいけど。人喰いの怪物は最近神降の国近辺に出るようになったヤツ。あまり詳しくは知らないけど……」

ハートに怪物について聞いても特に新しい情報はなかった。
ハートが自分に関わること以外に興味がないせいもあるが、何より「見た者がいない」というのが情報不足の一番の原因だ。いないと言うよりは喰われていると言った方がいいかもしれない。

「あぁ……あと、結構な美食家らしいな。死体がほとんど残ってるって聞いた、内臓の一部だけ喰うんだって。だからちょっと怖いんだよな、肉……特に内臓は草食性の生き物の方が美味いから」

「じゃあ近いうちにこっちに来るかもってことですか?」

「怪物の好みが常識通りかは知らないけど」

「ああ、魔獣とかは魔力が強い人を狙いますもんね」

魔物使いだった頃は僕も良く狙われた。今、魔物使いの能力を失っているのは幸運とも言える。
いや、魔物使いなら人喰いの怪物にも対処出来るか?  だが魔物かどうかはまだ分からない。神獣崩れや、以前希少鉱石の国に現れた怪鳥のように訳の分からないモノかもしれない。


食事はいらないなんて言ってしまったが、当然腹は減る。山道を何時間も歩いてきて食事抜きというのも残酷だ、明日も同じくらいの距離を歩くということもある。そうハートに伝えた。

「……草?」

「レタスだけど。文句ある?」

嫌そうな顔をしながらも用意してくれたのは、草──ではなく、レタス。大量に盛られたレタス単品。

「えっと、これだけですか?」

「足りないの?  まだまだあるからおかわりしていいよ」

眉間に皺を寄せながら言われたら、おかわりなんて出来ない。する気もないけれど。

「ありがとうございます……じゃなくて、その、レタスだけなんですか……って」

「……文句ある?」

「…………ありません」

茶褐色の長い前髪から覗く黄色い瞳。僕のせいか生まれつきか、常に不機嫌なそれは僕を黙らせるのには十分過ぎた。

「あの、調味料とかは」

「いらないだろ、そんなの」

「………そうですね」

野菜の甘味だとか旨味だとかを感じ取れるほど繊細な味覚は持ち合わせていない。レタスなんてソースに浸して食べる物だと僕は思っている。そのせいか、アルにはよく「身体に悪い」と怒られている。

「ごちそうさまでした」

「ん」

口の中いっぱいに広がる草の匂い。
青臭いという程でもないが、気持ちの良いものではない。今日だけだからと自分に言い聞かせつつ、いつもより早く眠りについた。
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