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第十三章 異界にて神々を讃えよ

帰還時の一時の休息

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通常では考えられない規模の雷、それはもはや音と光の暴力と言っていい。
雷は女の子を包む極黒をこそぎ落とし、しばしの動きを止めた。女の子は雷の中に父を見つけ、叫ぶ。

『もうやめてよ!  ヘルのもの盗らないで!  お父様の馬鹿ぁ!』

彼女の父の姿をしたトールは槌を頭めがけて振り下ろした。女の子は叩き潰され、腐肉の一部になった……ように見えた。
死者の国を治める女神が死者の国で死ぬ、なんてありえない。
トールは黒い塊から絞り出される子供の肉体に対して槌を振るいながら顔を顰める。ロキの作戦とはいえ、自分を父親と勘違いしている子供を殴るのは気が滅入った。
再び槌を構える……と、門が大きな音を立てて閉まり始める。
門の外側から変身を解いたロキが手を振っていた、その瞬間トールにかけられた術も解け元の姿に戻る。

『え……誰!?  お父様はどこ!?』

混乱する女の子を置いてトールは門へと走る。体一つ分の隙間に滑り込み、直後門は閉じた。

『閉めるなら閉めると言え』

『悪い悪い、でもヘルに気づかれる訳にゃいかねぇだろ?』

『……俺が気がつかなかったら?』

『それはそれで良い結果ってことで』

トールはロキの足を蹴りつけつつ、目的が達成されたことに安堵した。




門を抜けると眩い光に包まれて、気がつけば僕はベッドに寝かされていた。アルはベッドの縁に顎を置いて心配そうに僕を見つめていた。

『おっ、戻ってきたな。成功だぜ』

ロキはアルの頭を軽く叩き、見た目相応の無邪気な笑顔を浮かべていた。ヘルヘイムで見た雷を纏ったあの男は見当たらない。

「あ……怪我してない」

『体は治してあるっつったろ』

ロキが言うには門を抜けた所で僕は消えてしまったらしい。魂だけの僕はヘルヘイムの外で実体化することは出来ない、完璧に治した体に引っ張られここに来たのだ、と。
アルは僕の姿が急に見えなくなってとても焦っていたという……見てみたかったな、なんて。

『ヘル、傷は無いんだな?』

「あ、うん。平気だよ」

『そうか、良かった……本当に、良かった』

アルは僕の胸に頭を擦り寄せて、心底安心したように大きく息を吐いた。
瞼の奥が熱い、涙が溢れてしまわないように固く目を閉じてアルを抱き締めた。柔らかい毛並みも僕より高い体温も、何十年と味わっていなかったかのように懐かしい。

『ま、とりあえずこれで一件落着だな。俺としてはつまんねぇけど仕方ねぇ』

「あ、えっ……と、ロキ。色々ありがとう」

『……感謝されんのは性にあわねぇな。ま、適当に崇めてくれや。俺様は優しい優しい神様だからな、信者ならそれなりの対応はするぜ?』

ロキはふいっと顔を背けるとそのままベッドに腰を下ろした。僕にはフードを被ったままの丸い後頭部だけが見えている。

『で、だよ。あとはてめぇらをユグドラシルの結界から出さなきゃなんねぇんだよな。マジめんどくせぇ。もうお前らここで暮らせよ』

「あはは……それもいいかも」

『一応人間の国もあるしな、ホントに一応』

「一応……ってそんなに強調すること?」

『いや、色々と……ボロいっていうか、作りが雑っていうか。出来たて?  お姫様が住むんならもう……甘やかされた御曹司が一人ジャングルで生き延びるくらいの難易度だな』

「分かりにくいよ。あと僕は姫じゃないったら、そもそもなんで僕のこと姫って呼ぶのさ」

『え?  ああ、あー、気にすんなよ。それっぽいからってだけだ』

全く訳が分からない、どこをどう見れば僕に姫らしさが見つかるのか。この場所で一番の謎はロキの性格だろう。
ふと太腿にチクリとしたものを感じて、ポケットを探った。引っ張り出されたのは羽根だ、カラスに似た手のひら程の大きさの羽根……『黒』のものだ。

『ん? 何だそりゃ』

「えーっと、『黒』が……置いていった?  らしい羽根なんだけど」

『クイーンが?  そりゃまた何で』

「それは……分からない、けど、僕のためじゃないってことは分かるよ。『黒』はきっと、僕のこと嫌いだろうから」

『ふぅん……なぁ、要らないならくれねぇか?  良い材料になりそうだ』

何の材料になるのだろうか。
薬……いや、ロキのことだ。くだらない悪戯道具かもしれない。
この羽根は『黒』が僕の隣にいたと証明できる唯一の物だ。それを渡してもいいのだろうか。
唯一の品だから渡したくないという気持ちもあるが、僕を置いていった『黒』の羽根なんて要らない、そんな矛盾した感情も確かにある。
人差し指と親指で羽根を挟んでくるくると回す。
純黒の根元に、純白の先端。神聖さと禍々しさが同居するその色合いは『黒』を見事なまでに端的に表していた。

『あ、無理にとは言わねぇよ。悪いな』

「え……?  あ、ああ、そんなつもりじゃなかったんだけど、別に……要らない、し」

羽根を眺めていた僕は未練がましく見えたのだろう、ロキは羽根を渡さなくてもいいと気を遣う。
要らないなんて言ってしまったが、僕は自分でも本心が分からない。
はっきりしない間は持っているべきだろう、渡してしまってから後悔しても遅いのだから。
ほら、早く断って、謝って、ほら早く。

「ごめんなさい、やっぱり……ダメ、ちゃんと持ってたいんだ」

『そうだよな、あー、気にすんなよ、俺だってそんなに欲しい訳じゃねぇし』

「………そう」

気の利いた返事が僕に出来るはずもなく、重たい沈黙に包まれる。
助け舟を求めようとアルを見る。いつの間にか眠っていたらしく、揺らしたところで目も開けない。

深くため息をついて窓を見やる、その瞬間突き上げられるような揺れが僕達を襲った。
地震だ。数秒で収まったが、今まで経験したこともないような規模だった。
寝室だったのが幸いして大きな家具はなく僕達に怪我はない、ロキは棚から落ちた本を拾い埃を払った、目を覚ましたアルは状況確認のために窓を開け外を見た。

僕も何かするべきか、と立ち上がる。
手を滑らせ『黒』の羽根を落としてしまった、拾おうとしゃがみ込んだ瞬間、頭の上を何かが恐ろしい速さで通過した。
通過……いや、違う。僕を狙って突っ込んできたのだ。

壁を貫いたそれは、酷い腐臭を放つ肉の柱だった。
どくどくと脈打ち、ゆっくりと退いていく。
その動作はどこか恨めしげだった。
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