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第十三章 異界にて神々を讃えよ

玉虫色の腕

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荘厳な家々が建ち並ぶ、平和な地。
空も地も、木々さえも、僕の見慣れた景色とは少し違う。

「……ここ、どこ?」

見覚えのない土地に、不安を覚える。
アルにしがみついていると誰かが走り寄ってきた。
頭に包帯を巻いた男だ、何だか光っているような──気のせいかな。

『ロキ!  やっと帰ってきたね、今度という今度は許さないよ!』

『よぉ、バルちゃん。どうしたんだよその怪我、色男が台無しだぜ?』

『誰のせいだと思ってるんだ!  君が弟を唆したんだろ!  もう全部分かっているんだよ!』

『悪ぃ悪ぃ、今度お菓子やるから。しっかしまぁ……生きてんのか、惜しいな』

謝る気のないロキは男を煽り立てる。
兄は僕にしか聞こえない程度の声で愚痴を言い始めるし、アルは座り込んで眠り始めるし……少々居心地が悪い。

『君はいつもいつも……あっ!  また何か拾ってきたね!?』

『拾ってきたつーか、まぁ、成り行きで。』

男には無視されているのだと思っていたが、どうやら本当に気がついていなかったらしい。
今の今までどこを見ていたのか。

『あ、そーいえばさ、留守の間エサやり頼んでたじゃん。誰かやってた?』

『……息子たちの世話をエサやりと言うのはやめたらどうだ』

『エサやり以外なんに見えんの?』

『……もういいよ』

呆れ顔の男に同情する。ロキの性格を少しでも知っていれば、男の苦労は推測できた。
ロキは自宅だという小さな家に僕達を通した。

『まぁちょっとの間ここでくつろいでな。色々と問題もあるんだろ?』

僕を見ながらロキは愉しそうに笑う、怪物化のことを勘付いているのだろう。そしてそれを面白がっている。

「……ここ、アスガルド?」

『よく分かったな。ここはアスガルド、アース神族の住まう国。お前らの居た世界からは少しズレた世界だぜ』

「昔勉強しててね。ところで、転換術に詳しい神はいる?  いるなら案内してもらいたいな」

『転換術?  転換術……誰だろ。まぁイズンあたりに聞いてみりゃいいんじゃね?  俺はこれから用事あるから案内は無理、一人で探せよ』

「……使えない神だな。流石は邪神」

兄は不機嫌に部屋を出ていった。

『俺様は善良な神様だっつーの』

とは言うもののロキは特に機嫌を損ねた様子もなく、棚を漁っていた。
それよりも……神々の国だって?  そんな場所に来ることになるなんて。

『エサやり来るか?  魔獣好きだろ?  お姫様』

「だから姫じゃないって。魔物……まぁ人間よりは好きだけど」

ロキに連れられ庭に出る。心配だからとアルもついてきた。庭にいたのは僕の背を優に超える大きな狼と蛇だった。

『……なんかでかくなったか?  まぁいいや、成長期だもんな。さて、で、こいつらが俺様の息子、フェンリルとヨルムンガンド。あんまり近寄ると喰われるぜ』

「へぇ…………え、息子?」

『うん。ちょっと前に産んだ』

「へぇ……えっ?  そっち?  え、いや」

『気にするなヘル、神や悪魔などこんなものだ』

こんなものだ、と言われても。
子供がいる見た目じゃない──これはいい、どうせ実は何百歳とか言うのだろう。
種族がおかしい──これは異母兄弟で母親似とか、そのあたりで納得しよう、仕方がない。
一番気になるのは産んだと言ったことだ、産ませたではなく。
こう見えて実は女……いやいや無理がある。

『痛っ、痛い痛い痛い!  親を喰うな!  巻きつくな!  噛むな!  いってぇなやめろつってんだろバカ!』

『気にするなよヘル、あれは甘噛みだ』

「気にしてないよ。大丈夫そうだし」

危険なエサやりを終え、ロキはヨダレまみれになって帰ってきた。

『しばらく会いたくねぇ』

「毎日ご飯ちゃんとあげなよ」

『……誰かやるだろ』

アルは甘噛みだと言っていたが、上着は破られて靴の飾りベルトも引きちぎられていた。
毎回こうもボロボロになるのなら、嫌になる気持ちも分かる。分かるが、子供の世話は親の仕事だ。

『飼い主……いや、親……いや、貴様は人としてダメだな』

『いいもん神だもん』

「子持ちの「もん」はキツいよ、やめなよ」

室内に戻るとロキは破られた服を捨て、水浴びに行くと家を出た。
適当に国を見て回って構わないとのことだ。

「別に行きたいとこないけど……っていうか家にお風呂あるのになんで外行ったんだろ」

『開放感が欲しいのだろう』

くだらない質問には適当な答えが返ってくる、この世の真理だ。
特に見たいものもない、と言うより知らない。
そんなことをしている場合じゃないとも言える、先程のエサやり──美味しそうに肉を屠る狼と蛇を見て、腹が減った。
まともな食事では癒せない飢えだ、生きた人間が食べたい。
……少し正気を失っているらしい、今は兄と顔を合わせる訳にはいかないな。


空腹を紛らわそうと仕方なく散歩に出かけ、しばらく歩くと神秘的な庭園に着いた。
あらゆる季節の花が咲き誇り、見たこともない色の花が並んでいる。
その庭園の最奥に人が見える、長い白髪の……隻眼の翁だ。

『……人間か?  ふむ、こちらにおいで』

「あ、失礼します、すいません」

『そう畏まらなくていい。ほら、そこの狼もこちらに』

珍しくアルも頭を下げ、僕の足元に腰を下ろした。
不思議な雰囲気の人だ、いや、神なのだから当然と言えば当然か。

『おや、きみは……変質しているね。辛くはないかな?』

「え、あ、えっ……と。ちょっと、熱い……です」

『ふむ、この世界の生き物ではないな、魔や神でもない。その上呪いもかけてある』

「分かるんですか!?  あ、あの、なんとかなりませんか?」

つい、取り乱してしまう。
無礼な僕にも気を悪くすることなく、翁は二羽のカラスを呼んだ。

『フギンとムニンだ、怖がらなくていい、落ち着いて……そう、心を開いて』

大きなカラス達は僕の肩に止まり、髪を啄み上げて瞳を覗き込んだ。
足に触れる体温が微かに揺れる。
アルはカラスを警戒しつつも、翁の前では動きたくない様子だ。

『……五、いや、六割か。そろそろ見た目にも変化が出る頃だね』

「見た目……?  それって、どういう意……っ!?」

激しい頭痛に襲われる、中から少しずつ喰われていくような、そんな痛みだ。
柔らかい草の上に膝をつき、頭の中にいる気がする何かを追い出そうと掻き毟る。
耳元で喚くカラスが鬱陶しい。

ポタポタ……と、水の滴る音に目を開ける。
赤い。緑だった背の低い草も、僕の両手も、赤い。

手が怪物のように変異して、鋭い紅い爪が頭皮を剥いでいたのだ。
半透明のジェル状の物体に覆われて、僕の手は溶かされている。
変異は肘から下だけのようで、虹色に光を反射する黒い斑点がまばらに肌を彩っていた。
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