上 下
137 / 909
第十二章 兵器の国と歪みきった愛

優しさの理由

しおりを挟む
見渡す限りの闇、何かが腐ったような臭いと大きなモノの呼吸音。
気味の悪い暗闇に怯えていると背後から光が届く、兄の魔法だ。

「……時間稼ぎは上手くいったかな?  それでも厳しいか」

光を頼りに兄の足に縋り付いて呼吸音の正体を探った。
鰐のような頭、漆を塗ったような角、鋭い爪に大きな翼……これは。

「さて、ヘル。初仕事だよ。この竜を操って」

鎖と杭に拘束された竜は恨めしげにこちらを見つめている。

「何十年も前に兵器として使えるかもって捕まえたけど、御しきれずに閉じ込めてたんだってさ。可哀想だろ?  だから出してあげないと、でも僕一人じゃ暴れちゃって出来ないと思うんだよね」

そこで君の出番だよ、と背後から両肩を掴まれる。
頭の上から降ってくる声は気味が悪い程に優しい。

「……わかった」

この場に疑問を呈するのも、アルはと聞くのもいけない。
兄はもう僕に暴力を振るわない、なんの根拠もなく確信してはいるが、僕は未だに兄が恐ろしくて仕方ない。

恨めしげな緑の瞳に酷く怯えて情けない顔をした僕が映る。そっと手を伸ばし、鼻先に触れた。
竜はくるくると甘えるような鳴き声を上げて目を閉じた。

「へぇ……!  凄いね。流石僕の弟!  よく出来ました、よしよし」

頭を撫でられて顔が緩んだ。
兄は変わった。
そのはずだ、そうでなければならないんだ。僕に優しくしているのが何かの策のためなんて考えるなよ。
中々疑念が晴れない、そんな自分が嫌になる。

「鎖を解いても暴れないんだね?」

首を縦に振ると兄は短い呪文を呟いた。瞬く間に鎖はポロポロと崩れ、消えた。
自由になった竜は僕に鼻先を押し付けて甘えてくる。

「にいさま。これからなにするの?」

僕も竜に倣って兄に甘える、後ろに倒れるように体重を預けて、声を少し高くした。無意識に幼くなる口調には自分でも笑ってしまう。

「ここを焼き滅ぼす」

「え……?  にいさま、なんて」

「ほら、もう時間がない。もう時期あの魔獣がここを嗅ぎ当てる。早くこの竜に乗せて、飛ばせて。この国を滅ぼすんだよ」

「……なんで、やだよそんなの!」

兄の腕を振りほどいて向かい合う、兄は悲しそうな顔をして僕の肩に手を置いた。
兄の泣きそうな顔に気を取られていると腹に強い衝撃を感じた。僕の嗚咽なんて気に留めずに、兄は何度も膝で僕の腹を蹴った。内臓がひっくり返るような衝撃で、胃の中身が逆流してくる。

「やっぱり君はダメな子だね。すぐにつけあがっちゃってさぁ、やっぱり躾に甘さなんて必要ないね、馬鹿に一番効くのは痛みなんだよ」

「にい……さ……なん、で?」

「そりゃね、君を庇ったのは反射的だったよ。僕なら後ですぐに治るとか、ヘルを他の奴に遊ばせたくないとか、考えてる余裕なかったからね。想定外の重傷で動けなくて、君の泣き声が聞こえてきて、思ったんだ。ああ、これは使えるなって」

膝から崩れ落ちる僕の体、兄は乱暴に僕の髪を掴んで起こした。

「……僕に愛されたいんだろ?  なら黙って僕の言うこと聞きなよ、愛してあげるから。ほら、起きて……起きろ。従順な玩具には痛みなんて必要ないんだよ?  その足りない頭で考えなよ、僕に逆らう愚かさをさ」

くるる、と竜は困惑の声を上げた。
僕の顔を覗き込んで、僕の辛そうな顔が見えたのだろう。
兄に向かって雄叫びを上げて、その大きな口を開いた。
隙間なく並んだ鋭い牙には流石の兄も顔を強ばらせた。僕は朦朧とした意識で竜の顔の前に手のひらを向ける。

「……だめ。この人は…………兄弟なんだ、家族なんだよ。だめ」

竜はさらに困惑した様子で僕を見つめる。兄に掴まれた肩が痛んだ。
無意識に力を入れているのだろう、兄は怖がって僕に頼っている。兄がこの大きさの竜に負けるはずもないのに、流石の兄でも原初的な恐怖は克服できないのだろうか。

「ありがとう、僕は大丈夫だから……ね?」

潤んだ瞳で微笑んで見せても説得力など皆無だ。
竜の言いたいことは分かる。
どうして自分を虐げる奴を庇うの?  そう言いたいんだろう?
そんな事、僕にだって分からない。きっと理由なんてなくて、説明するのなら「兄だから」という言葉を使うしかない。

「びっくりした……けど。操れるんだよね?  僕に攻撃させないでよ」

「わかってるよ、にいさま」

兄はまだ不安げに僕の肩を掴んでいる。
また竜が吼えるような真似をすれば兄は僕を盾にするのだろう。竜を操れない僕には価値などないのだから。
ここで竜を操って国を滅ぼさなければ兄はきっと僕を捨てる。
愛されたいなんて本当には叶わない我儘と、国──たくさんの人の生命。どちらを取るべきかなんて分かりきってる、でも迷ってしまう僕は本当に駄目な奴だ。
完璧に兄の思いのままに動いたとしても兄はきっと形だけでしか愛してくれない。
分かっている、分かっているんだ、そんなこと。分かっているけど──

「……どうしたの?  ヘル。早く竜を動かしてよ、焼き尽くすんだよ、ほら早く。もしかして出来ないの?」

竜の額に手を添えて力を使うことを意識した。
今まであまり意識したことはなかったからか、不思議な感覚だ。何かを流し込むような──魔力、かな。
竜は落ち着きを取り戻し、穏やかな瞳で僕を見つめた。きっとこの竜は人を喰い殺せと言っても従ってくれるだろう。嫌がる事を無理矢理させるなんて、そんな真似はしたくない。

「……飛んで」

竜がその大きな翼を広げ、僕と兄を背に乗せた。
薄い皮膜に風をはらみ、周囲の建物を足場にして崩しながら竜は雲の上を目指す。
飛行が安定する前に兄を説得しなければ。

「ね、ねぇ、にいさま」

「ああ、ちょっと待ってね。一人も逃したくないから、端から行こうかな、でもそうすると城が最後になっちゃうしなぁ」

「……なんで、国を滅ぼすなんて言うの?」

「僕をクビにしたから、かな?  前からここは滅ぼすって決めてたんだよね、僕の言うこと聞かない奴が多くってさぁ。一人でやってもいいんだけど、どうせならヘルの力見てみたいし」

どこまでも真っ直ぐな瞳が僕を射る。
解雇された腹いせなんて、そんな。
僕が何も言えずにいると兄は日常会話のようにゆったりと話し出した。

「さっきも殺されかけたし当然だろ?  ここが滅ぶのは必然。竜の生態も知りたかったし、本当に丁度良かったよ。ここで見極めるつもりだからしっかりやりなよ?  僕の弟でいたいなら、ね?」

竜は二、三度回転し、翼を揺らすのをやめて大きく広げた。飛行が安定してしまった、しかも真下に見えるのは──アレは、王城だ。

「見つけた。よし、あれから行こうか」

『見ぃつけ……たぁっ!  死にさらせクズ野郎!』

兄が王城を見つけると同時に無数のナイフが降り注ぐ。ロキがアルに乗って追ってきていたのだ。
アルを見つけた安堵よりも、迫るナイフへの恐怖が大きくなる。

「反射……からの、火球 」

兄はナイフを弾き、頭ほどの大きさの火の玉を大量に飛ばす。兄らしくもなく加減している、竜の力を最大限に引き出し見物するために地上に被害を出したくないのだろう。

『ンなもん効くか!』

『おい!  ヘルに当てるなよ!』

『指図すんなっつってんだろ四足歩行!』

ロキはいとも容易く火の玉を弾く。火の玉は滅茶苦茶な方向に飛んで下の家がいくつか焼けた。
僕を心配するアルの声を無視し、ロキは最後の火の玉を僕達の方へ弾いた。
火の玉は竜の翼に当たり、皮膜を一瞬で焼き尽くした。

『貴様……』

『……ゴメン』

『ヘル!  今行くぞ、降りろ役立たず!』

『ゴメンって、非ぃ認めるから許して?』

真っ逆さまに落ちる竜、流れる景色が妙に遅く見えた。アルの声も、兄の声も、何もかもが遠く聞こえた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

処理中です...