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第十二章 兵器の国と歪みきった愛
異界の神様
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謎の男に助けられてなんとか外に出た。衰弱した心身にムチを打って路地裏の物影に身を潜める。
もう一度兄に捕まれば今度こそ終わりだ。
動き回って疲れた、少し休もう。
休息よりも栄養と温度が必要だったが、兎にも角にも休みたかった。
アルが来てくれない、忘れられた見捨てられた、そんな思いを振り切るためにも休みたい、眠りたい。
このまま二度と目覚めなければ……そうすれば、もう辛いことなんてないのだろうか。
僕は死んだら地獄行きだと思うし、悪魔にそう言われた。でもそれでいい。
悪魔に知り合いは大勢いるし、死後の面倒を見てくれるなんて約束もあった。
ならもうこのまま死んでしまいたい。
ゆっくりと目を閉じ、意識を落としていく。その途中で恐ろしい咆哮が轟き、僕を闇の底から引き上げた。
「あ……る…………?」
ずる、と路地裏から這い出た。
腕の皮が剥けるのも構わずに、服が破れるのも厭わずに、アルに似た声の元へ、アルの姿を求めて。
酷く遅い前進を続ける僕の目の前に、飾りベルトのついた高いヒールのブーツが現れる。
『うわっ、どうしたんだよお前』
「……だ、れ。どいて……よ」
『いやいやいや、どうする気だよお前。ん? うわ、血ぃ出てるぞ。痛くないのかよコレ』
フードを目深に被った美しい青年は僕を抱き起こして皮膚が剥がれた腕を見た。こんなことしている暇はない、人の親切心も今は鬱陶しいだけだ。
『アレ? お前、いつぞやのお姫様じゃねぇか』
何を言っているんだ、この男は。
『知り合いとあっちゃあ捨て置けねぇな。ちょっと待てよ』
知り合いじゃない、僕は姫じゃない、女でもない。必死の否定も掠れた声では青年に伝わらない。
青年は派手なパーカーのポケットから小さな紙の包みと梱包されたお菓子を取り出した。
『俺様秘蔵のお菓子……いや、何でもねぇ、ほら食え』
口に放り込まれたのはチョコクッキー。甘くて、サクサクして、ただでさえ少なかった口の中の水分が吸い取られる。こんな状況でなかったのなら美味しく頂けただろう。
次に青年は紙に包まれた緑褐色の粉末を僕の腕に塗りつけた。散々地に擦った腕だ、今更何を塗りこまれても痛いだのと喚きはしない。
塗った箇所からじんわりと熱くなり、微かに痺れた。
『成体マンドラゴラ配合の傷薬だ、すぐに治るからな』
菓子のおかげか薬の効果か、頭が少しずつハッキリしてきた。霧が晴れていくように状況を正しく認識していく。
青年の顔には見覚えがある、場所も時期も思い出せないが、確かに一度会った。
『何か買ってきてやろうか? お姫様よ』
「僕、姫じゃない。でも……水とか欲しいかな」
『仰せのままに、お姫様』
にぃ、と意地の悪い笑みを浮かべて青年は近くの店に走った。よくあの高いヒールで歩けるな……じゃなくて、誰なんだ。
お姫様と呼んで僕が嫌がるさまを楽しんでいる節はあるが、親切な人だ。
『ほれ、水。あとお菓子。ついでに上着』
「え、あ、ありがとう。こんなに。後でお金渡すから……今持ち合わせなくて、ごめんね」
『気にすんなって、お姫様だろ? もっと生意気に振る舞えよ』
「だから姫じゃないって」
『あの黒ーい女王さんはいないのか?』
「誰のことだよ……僕は今一人だよ」
ドーナツを噛みちぎる力もない、指で摘んで少しずつ食む。青年は僕に上着を羽織らせながら僕の仕草を見て笑う。
『こりゃ姫って呼ばれるわけだ』
「……どういう意味かは聞かないよ」
男らしく豪快に食えとでも言いたいのか。だがそんな野性的な男性像では菓子を食うこと自体ズレているのではないか。
『んー、ああ、分かった』
膝を折って、僕に目線を合わせて人懐っこい笑みを浮かべた。
『お前何か可愛い。ほら、ネズミとかの小動物系? 食べ物やりたくなって、こう……頭とかわしゃわしゃしたい』
「……やらないでよね」
『やるなって言われると燃えるよな』
この菓子は餌付けなのか。
青年は温かい目で僕を眺め、優しく髪を梳かす。
実際にされた覚えはないが、母に髪を整えられているような、そんな気分だ。
『で、どこ行こうとしてたんだ? 近場なら連れてってやるし、欲しい物とかなら代わりに買ってきてやるよ。今機嫌良いから』
「アル……えっと、僕の大切な…………魔獣の声が聞こえた気がして、そっちに向かってた」
『魔獣? んなもん飼ってんのか』
「僕、ここに攫われてきて、監禁されてて、ついさっき逃げ出したところで、それでアルが探しにしてくれたのかもって」
『ん……? かんき……え? あ、ああ、とりあえずそのアルってのを探すんだな』
僕の下手な説明では上手く伝わらなかった。だが目的さえ伝えられれば十分だし、協力してくれるようなら説明下手でも問題ない。
『んじゃ背中に……いや、お姫様抱っこの方がいいか?』
上着に包むようにして僕を抱きかかえる、青年は眉ひとつ動かさずに僕を抱いて歩いて見せた。
「……重くない?」
『え? いや、めっちゃ軽い。お前実は空洞だろ』
「色々詰まってるよ……多分」
流石に自分の中身を見たことはない。だが僕が人間であるという事実から中は詰まっていると断定できるだろう。
『こっちでいいんだよな?』
「あ、うん。そのまま行って」
『……最初遠慮してたくせに普通に頭預けてくんのな、流石はお姫様』
「え、あ、ごめん」
『いや別にいいけど。切り替え早いなって思っただけだし』
ならいいか。僕は青年の肩に頭を乗せてそっと目を閉じた。
単調な揺れとヒールの音は僕を眠りの世界に誘うには十分過ぎる。寝る訳には……でも眠い、おなかいっぱいだし、疲れたし、眠い。
『おいおい寝る気か? 姫は警戒心が薄くて攫われやすいってのは物語の中だけじゃねぇみたいだな』
「僕、姫じゃないし……寝ない、から」
重たい瞼を擦り、開ける。目がヒリヒリと痛んだが僅かでも眠気覚ましにはなるだろう。
ぼうっと進行方向を見つめていた、その時だ。
またあの咆哮が聞こえた。憎悪に満ちたアルの遠吠えだ。
もう一度兄に捕まれば今度こそ終わりだ。
動き回って疲れた、少し休もう。
休息よりも栄養と温度が必要だったが、兎にも角にも休みたかった。
アルが来てくれない、忘れられた見捨てられた、そんな思いを振り切るためにも休みたい、眠りたい。
このまま二度と目覚めなければ……そうすれば、もう辛いことなんてないのだろうか。
僕は死んだら地獄行きだと思うし、悪魔にそう言われた。でもそれでいい。
悪魔に知り合いは大勢いるし、死後の面倒を見てくれるなんて約束もあった。
ならもうこのまま死んでしまいたい。
ゆっくりと目を閉じ、意識を落としていく。その途中で恐ろしい咆哮が轟き、僕を闇の底から引き上げた。
「あ……る…………?」
ずる、と路地裏から這い出た。
腕の皮が剥けるのも構わずに、服が破れるのも厭わずに、アルに似た声の元へ、アルの姿を求めて。
酷く遅い前進を続ける僕の目の前に、飾りベルトのついた高いヒールのブーツが現れる。
『うわっ、どうしたんだよお前』
「……だ、れ。どいて……よ」
『いやいやいや、どうする気だよお前。ん? うわ、血ぃ出てるぞ。痛くないのかよコレ』
フードを目深に被った美しい青年は僕を抱き起こして皮膚が剥がれた腕を見た。こんなことしている暇はない、人の親切心も今は鬱陶しいだけだ。
『アレ? お前、いつぞやのお姫様じゃねぇか』
何を言っているんだ、この男は。
『知り合いとあっちゃあ捨て置けねぇな。ちょっと待てよ』
知り合いじゃない、僕は姫じゃない、女でもない。必死の否定も掠れた声では青年に伝わらない。
青年は派手なパーカーのポケットから小さな紙の包みと梱包されたお菓子を取り出した。
『俺様秘蔵のお菓子……いや、何でもねぇ、ほら食え』
口に放り込まれたのはチョコクッキー。甘くて、サクサクして、ただでさえ少なかった口の中の水分が吸い取られる。こんな状況でなかったのなら美味しく頂けただろう。
次に青年は紙に包まれた緑褐色の粉末を僕の腕に塗りつけた。散々地に擦った腕だ、今更何を塗りこまれても痛いだのと喚きはしない。
塗った箇所からじんわりと熱くなり、微かに痺れた。
『成体マンドラゴラ配合の傷薬だ、すぐに治るからな』
菓子のおかげか薬の効果か、頭が少しずつハッキリしてきた。霧が晴れていくように状況を正しく認識していく。
青年の顔には見覚えがある、場所も時期も思い出せないが、確かに一度会った。
『何か買ってきてやろうか? お姫様よ』
「僕、姫じゃない。でも……水とか欲しいかな」
『仰せのままに、お姫様』
にぃ、と意地の悪い笑みを浮かべて青年は近くの店に走った。よくあの高いヒールで歩けるな……じゃなくて、誰なんだ。
お姫様と呼んで僕が嫌がるさまを楽しんでいる節はあるが、親切な人だ。
『ほれ、水。あとお菓子。ついでに上着』
「え、あ、ありがとう。こんなに。後でお金渡すから……今持ち合わせなくて、ごめんね」
『気にすんなって、お姫様だろ? もっと生意気に振る舞えよ』
「だから姫じゃないって」
『あの黒ーい女王さんはいないのか?』
「誰のことだよ……僕は今一人だよ」
ドーナツを噛みちぎる力もない、指で摘んで少しずつ食む。青年は僕に上着を羽織らせながら僕の仕草を見て笑う。
『こりゃ姫って呼ばれるわけだ』
「……どういう意味かは聞かないよ」
男らしく豪快に食えとでも言いたいのか。だがそんな野性的な男性像では菓子を食うこと自体ズレているのではないか。
『んー、ああ、分かった』
膝を折って、僕に目線を合わせて人懐っこい笑みを浮かべた。
『お前何か可愛い。ほら、ネズミとかの小動物系? 食べ物やりたくなって、こう……頭とかわしゃわしゃしたい』
「……やらないでよね」
『やるなって言われると燃えるよな』
この菓子は餌付けなのか。
青年は温かい目で僕を眺め、優しく髪を梳かす。
実際にされた覚えはないが、母に髪を整えられているような、そんな気分だ。
『で、どこ行こうとしてたんだ? 近場なら連れてってやるし、欲しい物とかなら代わりに買ってきてやるよ。今機嫌良いから』
「アル……えっと、僕の大切な…………魔獣の声が聞こえた気がして、そっちに向かってた」
『魔獣? んなもん飼ってんのか』
「僕、ここに攫われてきて、監禁されてて、ついさっき逃げ出したところで、それでアルが探しにしてくれたのかもって」
『ん……? かんき……え? あ、ああ、とりあえずそのアルってのを探すんだな』
僕の下手な説明では上手く伝わらなかった。だが目的さえ伝えられれば十分だし、協力してくれるようなら説明下手でも問題ない。
『んじゃ背中に……いや、お姫様抱っこの方がいいか?』
上着に包むようにして僕を抱きかかえる、青年は眉ひとつ動かさずに僕を抱いて歩いて見せた。
「……重くない?」
『え? いや、めっちゃ軽い。お前実は空洞だろ』
「色々詰まってるよ……多分」
流石に自分の中身を見たことはない。だが僕が人間であるという事実から中は詰まっていると断定できるだろう。
『こっちでいいんだよな?』
「あ、うん。そのまま行って」
『……最初遠慮してたくせに普通に頭預けてくんのな、流石はお姫様』
「え、あ、ごめん」
『いや別にいいけど。切り替え早いなって思っただけだし』
ならいいか。僕は青年の肩に頭を乗せてそっと目を閉じた。
単調な揺れとヒールの音は僕を眠りの世界に誘うには十分過ぎる。寝る訳には……でも眠い、おなかいっぱいだし、疲れたし、眠い。
『おいおい寝る気か? 姫は警戒心が薄くて攫われやすいってのは物語の中だけじゃねぇみたいだな』
「僕、姫じゃないし……寝ない、から」
重たい瞼を擦り、開ける。目がヒリヒリと痛んだが僅かでも眠気覚ましにはなるだろう。
ぼうっと進行方向を見つめていた、その時だ。
またあの咆哮が聞こえた。憎悪に満ちたアルの遠吠えだ。
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