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第十一章 混沌と遊ぶ希少鉱石の国
黒塗りの記憶
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月永石で作られた手枷を外して檻から逃げて、家出同然に下界に降りた。神は僕を追わせも堕としもしなかった、その価値も方法もなかったから。
僕は誰にも何にも干渉されず、人や魔物の生活を覗き見て楽しんだ。
当然のことながらそんなものにはすぐに飽きる、面白い出来事なんて滅多にない。甘ったるい恋物語も、薄汚い搾取者も、自分勝手な戦争も、何もかもがありふれていてつまらない。人界に飽きて魔界にでも忍び込もうか、なんて考えていた頃。
アレと出会った。
アレは時々、人間に魔術のような秘法のようなものを与えていた。人間に化けて人間に様々なモノを与え、破滅する様を見て冷笑する。狂気と混乱を何よりも好み、アレは退屈から最も離れたものだった。
だから近づいた。だから共に遊んだ。僕の覚えている限りの時間で何よりも充実していたと言えるだろう。
紆余曲折あって、結局アレは僕をも嘲った。名前を奪い、僕の記憶を書き換えて二つに分けられた。
それは取引だったのかもしれない、僕が望んだことだったのかもしれない。何があったのか詳細は覚えていない。
能力もほとんど使い物にならず、僕はそのまま消えるはずだった。だが幸か不幸か僕は残った。記憶と名のない残りカスとして。リベルタとヴォロンタと名乗る見知らぬ自分は『白』と『灰』。ならば僕は『黒』を名乗ろう。そう決めた。
ルシフェルが堕とされたことも忘れていて、いや知らなくて、僕は意識が無いうちに封印を解かせてしまった。その事がきっかけで天界に戻ると、神は僕を元に戻してくれた。
人格は統合され、記憶もある程度修復された。だがそれさえもアレの思惑通りだったとしたら、この記憶やこの意志が本当に僕のものなのかすら危うい。
僕はまだ自分の名前を思い出せないのだから。
名を奪われたから誰も僕の名を知らない。誰かが僕を呼んでくれたとしても、きっと僕には分からない。
『……とまぁ、こんなところかな?』
部屋に戻った僕達は『黒』の話を聞いていた。何万年分もの話は短くまとめられていて最後まで聞く事が出来た。だが理解は別だ。『黒』の事はかなり分かったが、核心ではない。
それに結局のところアレが何かは分からない。
だが僕は確実に安堵していた。『黒』に名前を教えてもらえないのは僕のせいではないと分かったから。そんな酷く自分勝手な理由で僕は安心して、『黒』の肩に頭を寄せた。
「アレは天使でも悪魔でもなくて、精霊でもない。人工的なものでもない。天界の書物とかに載ってないの?」
セツナは式を書き換えながら質問した。
『何もない。天界の書物に載っているのは神の創造物だけだからね。この世界の一部の全てしか載っていないんだよ。だからアース神族やヴァン神族、十二神やらの連中についても詳しくは載っていない。だけど存在は認識しているんだ。アレは神も知らない存在だ、今は認識はしているけど神でもアレが何かは分からない』
淡々と答えながら『黒』は工具を使って自分の皮膚を剥がした。薄い赤色の筋肉組織の上を這い回るのはアレの触腕だ。太陽の元に引きずり出されると甲高いうめき声を上げて消え、再生した『黒』の腕から痣は消えた。
『天界でも調べてる最中なんだよ、神性だってことは分かるけどそれ以外は何も。特定の姿がないから調査は進まないし、近寄りすぎれば天使ですら気が狂う』
「神は……国連では唯一無二の存在とされているよね、天界に住まう神だけが神だって」
『ユグドラシルに連なる世界には結界があって行き来は難しいし、他の神々は姿を現さずに人に能力を分け与えるだけだし、人にとって分かりやすく守ってくれるのはあの神だけだからね』
「自然に宿る神は全て精霊と見なされるんだってさ、邪神は全て悪魔。人間にとって都合の良いように世界が変わってく」
『天使長がストレス貯めるのも無理ないよね』
セツナと『黒』の会話は僕には理解し難い。眠気に襲われたので抵抗をやめて『黒』の膝に頭を乗せた。
『そういえば錬金術師が行方不明になってるって街で聞いたけど、どうなの?』
「錬金術師の友人達から黒いローブを着た男から秘法を授かったって連絡があった、その直後にいなくなってる」
『……僕、犯人分かっちゃった』
「僕も分かったよ、君の話を聞いてる最中にね」
『天界が本腰を入れて調査するかもって。君のところにも天使が様子見に来るかもね』
「へぇ……ホムンクルスは隠した方がいいかな?」
『ああ、天使はそういうの嫌ってるから。隠しておいた方がいいね』
先程から『黒』は触腕を取り除くのに夢中になっている。話しながら取り出しているので、たまに手元が狂うのか僕の方に触腕の破片が飛んでくる。これでは眠れもしない。
「あの黒ローブについて天使に話した方がいい?」
『んー……どうかな、神性を天使がどうこう出来るとは思えないけど』
「神性……か、あんなのが大勢いるなら、人間なんて簡単に滅ぶだろうね」
『人間はヤハウェの神のお気に入りだから人間を許可なく滅ぼせば怒るだろうね。天使長はそれで堕とされたんだし』
僕が起き上がった直後、『黒』が首に工具を突き刺した。今までとは比べ物にならない量の血が吹き出し、僕の顔を赤く染めた。
「アース神族はどう思うかな」
『さぁ? あそこの神々は人間に関心ないし。アレについても反応は期待できないね。ああ、あの悪戯っ子は反応するかな? 気がつけばだけど』
「僕はあまり他の神族には詳しくないけど、君と話していると人間は世界の中心じゃないって思い知らされるね」
『人間は世界の中心だよ、創造神が作った世界ではね』
「箱庭の主役だって言われてもね」
『お気に入りの人形さ。誇っていいよ』
セツナは新しいノートを使い切ると、庭から拾ってきた石を磨き始めた。『黒』が指を鳴らすと部屋中に飛び散った血は消え、僕にかかった血も消えた。『黒』の体から痣はなくなり、透き通る白い肌が帰ってきた。
『片付いたかな。ちょっと見てくれる?』
「……服から出てるとこなら」
『自分では見えないところがいいんだけど』
年頃の男子にそれは酷だ。『黒』はシャツを捲り上げてその白い柔肌を晒す。緩い曲線を描く背中には傷も痣も何もない。
『まだ残ってる気もするんだよね』
「ないと思うけど」
『何か動いてる気がするんだよ、ホントにいない?』
自分で見えないところなんて顔と背中以外にあるのか。頭皮、なんて言われたら僕にはどうすることも出来ない。
『あ、一緒にお風呂入る?』
「……無理」
『冗談に決まってんじゃん……ちょっと迷ったろ、ちょっと喜んだろ』
「や、やめてよ! 何とも思ってないったら!」
『それはそれでムカつく。正直に言いなよ、ほらほら』
「じゃれ合いは他所でやってくれないか!」
セツナが机を叩く、その音で正気に──いや、別に正気を失ってはいなかった。少し冷静に周りを見ることが出来た。
『……独り身の僻み』
そう呟いた『黒』に工具が飛んでくるのは当然の事だった。
僕は誰にも何にも干渉されず、人や魔物の生活を覗き見て楽しんだ。
当然のことながらそんなものにはすぐに飽きる、面白い出来事なんて滅多にない。甘ったるい恋物語も、薄汚い搾取者も、自分勝手な戦争も、何もかもがありふれていてつまらない。人界に飽きて魔界にでも忍び込もうか、なんて考えていた頃。
アレと出会った。
アレは時々、人間に魔術のような秘法のようなものを与えていた。人間に化けて人間に様々なモノを与え、破滅する様を見て冷笑する。狂気と混乱を何よりも好み、アレは退屈から最も離れたものだった。
だから近づいた。だから共に遊んだ。僕の覚えている限りの時間で何よりも充実していたと言えるだろう。
紆余曲折あって、結局アレは僕をも嘲った。名前を奪い、僕の記憶を書き換えて二つに分けられた。
それは取引だったのかもしれない、僕が望んだことだったのかもしれない。何があったのか詳細は覚えていない。
能力もほとんど使い物にならず、僕はそのまま消えるはずだった。だが幸か不幸か僕は残った。記憶と名のない残りカスとして。リベルタとヴォロンタと名乗る見知らぬ自分は『白』と『灰』。ならば僕は『黒』を名乗ろう。そう決めた。
ルシフェルが堕とされたことも忘れていて、いや知らなくて、僕は意識が無いうちに封印を解かせてしまった。その事がきっかけで天界に戻ると、神は僕を元に戻してくれた。
人格は統合され、記憶もある程度修復された。だがそれさえもアレの思惑通りだったとしたら、この記憶やこの意志が本当に僕のものなのかすら危うい。
僕はまだ自分の名前を思い出せないのだから。
名を奪われたから誰も僕の名を知らない。誰かが僕を呼んでくれたとしても、きっと僕には分からない。
『……とまぁ、こんなところかな?』
部屋に戻った僕達は『黒』の話を聞いていた。何万年分もの話は短くまとめられていて最後まで聞く事が出来た。だが理解は別だ。『黒』の事はかなり分かったが、核心ではない。
それに結局のところアレが何かは分からない。
だが僕は確実に安堵していた。『黒』に名前を教えてもらえないのは僕のせいではないと分かったから。そんな酷く自分勝手な理由で僕は安心して、『黒』の肩に頭を寄せた。
「アレは天使でも悪魔でもなくて、精霊でもない。人工的なものでもない。天界の書物とかに載ってないの?」
セツナは式を書き換えながら質問した。
『何もない。天界の書物に載っているのは神の創造物だけだからね。この世界の一部の全てしか載っていないんだよ。だからアース神族やヴァン神族、十二神やらの連中についても詳しくは載っていない。だけど存在は認識しているんだ。アレは神も知らない存在だ、今は認識はしているけど神でもアレが何かは分からない』
淡々と答えながら『黒』は工具を使って自分の皮膚を剥がした。薄い赤色の筋肉組織の上を這い回るのはアレの触腕だ。太陽の元に引きずり出されると甲高いうめき声を上げて消え、再生した『黒』の腕から痣は消えた。
『天界でも調べてる最中なんだよ、神性だってことは分かるけどそれ以外は何も。特定の姿がないから調査は進まないし、近寄りすぎれば天使ですら気が狂う』
「神は……国連では唯一無二の存在とされているよね、天界に住まう神だけが神だって」
『ユグドラシルに連なる世界には結界があって行き来は難しいし、他の神々は姿を現さずに人に能力を分け与えるだけだし、人にとって分かりやすく守ってくれるのはあの神だけだからね』
「自然に宿る神は全て精霊と見なされるんだってさ、邪神は全て悪魔。人間にとって都合の良いように世界が変わってく」
『天使長がストレス貯めるのも無理ないよね』
セツナと『黒』の会話は僕には理解し難い。眠気に襲われたので抵抗をやめて『黒』の膝に頭を乗せた。
『そういえば錬金術師が行方不明になってるって街で聞いたけど、どうなの?』
「錬金術師の友人達から黒いローブを着た男から秘法を授かったって連絡があった、その直後にいなくなってる」
『……僕、犯人分かっちゃった』
「僕も分かったよ、君の話を聞いてる最中にね」
『天界が本腰を入れて調査するかもって。君のところにも天使が様子見に来るかもね』
「へぇ……ホムンクルスは隠した方がいいかな?」
『ああ、天使はそういうの嫌ってるから。隠しておいた方がいいね』
先程から『黒』は触腕を取り除くのに夢中になっている。話しながら取り出しているので、たまに手元が狂うのか僕の方に触腕の破片が飛んでくる。これでは眠れもしない。
「あの黒ローブについて天使に話した方がいい?」
『んー……どうかな、神性を天使がどうこう出来るとは思えないけど』
「神性……か、あんなのが大勢いるなら、人間なんて簡単に滅ぶだろうね」
『人間はヤハウェの神のお気に入りだから人間を許可なく滅ぼせば怒るだろうね。天使長はそれで堕とされたんだし』
僕が起き上がった直後、『黒』が首に工具を突き刺した。今までとは比べ物にならない量の血が吹き出し、僕の顔を赤く染めた。
「アース神族はどう思うかな」
『さぁ? あそこの神々は人間に関心ないし。アレについても反応は期待できないね。ああ、あの悪戯っ子は反応するかな? 気がつけばだけど』
「僕はあまり他の神族には詳しくないけど、君と話していると人間は世界の中心じゃないって思い知らされるね」
『人間は世界の中心だよ、創造神が作った世界ではね』
「箱庭の主役だって言われてもね」
『お気に入りの人形さ。誇っていいよ』
セツナは新しいノートを使い切ると、庭から拾ってきた石を磨き始めた。『黒』が指を鳴らすと部屋中に飛び散った血は消え、僕にかかった血も消えた。『黒』の体から痣はなくなり、透き通る白い肌が帰ってきた。
『片付いたかな。ちょっと見てくれる?』
「……服から出てるとこなら」
『自分では見えないところがいいんだけど』
年頃の男子にそれは酷だ。『黒』はシャツを捲り上げてその白い柔肌を晒す。緩い曲線を描く背中には傷も痣も何もない。
『まだ残ってる気もするんだよね』
「ないと思うけど」
『何か動いてる気がするんだよ、ホントにいない?』
自分で見えないところなんて顔と背中以外にあるのか。頭皮、なんて言われたら僕にはどうすることも出来ない。
『あ、一緒にお風呂入る?』
「……無理」
『冗談に決まってんじゃん……ちょっと迷ったろ、ちょっと喜んだろ』
「や、やめてよ! 何とも思ってないったら!」
『それはそれでムカつく。正直に言いなよ、ほらほら』
「じゃれ合いは他所でやってくれないか!」
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