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第九章 妖鬼の国にて奉公を

贈答酒

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御前に申し付けられて少し離れた酒屋へ。
この間注文した酒が完成したとかで取りに行かされているのだ。

『はぁ……遠いねぇ、足がなくなるよ』

「棒とかじゃないんだ?」

『元々棒みたいなものだからね』

「そう……なの?」

『いや適当』

きっと『黒』は考えるよりも先に口が動くのだろう。
思考しているとは思えない会話を何度も繰り返し、ようやく酒屋に辿り着く。
扉をくぐると、丁度出てきた酒樽を抱えた女とぶつかった。

「す、すみません。大丈夫ですか?」

微かな水音と共に酒樽が地に落ちて鈍く地面を凹ました。女は黙って被り笠の位置を戻し、酒樽を軽々と片手で持ち上げて走り去った。

『わぁ怪力、大丈夫だった?』

「あ、僕は平気だけど」

通りに顔を覗かせるも女は既に去った後だ。
あの重さの樽を抱えてこの短時間で姿を消すとは、並の人間には真似出来ないだろう。
『黒』は僕を抱き起こすとさっさと店の奥へ行ってしまう。複数の酒の混ざった匂いは酒飲みではない僕には不快なものだ。『黒』はどうなのだろう。

『玉藻前の使いです。注文書はここに』

「はい、はい、お待ちくだされ」

高齢の店主が店の更に奥へと引っ込む。
よろよろとした足取りは見ているだけで不安になる。

「たま……なんて言ったの?」

『たまものまえ?』

「それ。何?」

『御前様の名前だよ、玉藻って言うんだってさ。今朝聞いた』

「へぇ……そういえば聞いてなかったや」

そんな会話をしていると、店主が戻ってきた。
台車に載せた酒樽は見るからに重そうだ。

『どーも、はいお金』

「はい、はい、丁度ありがとうございます」

「これ持ってくの?  さっきの人は軽々と持ってたけどさ、多分僕無理だよ?」

『さっき……?  ああ、あの女の人』

台車を目の前まで転がし、『黒』は酒樽の前にしゃがみこむ。どうやって持とうか考えているらしい。

「あの人はね、可哀想なんですよ」

「へっ?」

歯の抜けた口をもにょもにょと動かし、店主はゆっくりと語りだす。

「いっつもいっつも大きな樽を運ばされてね、まだ若いのに」

『運ばされてるの?』

「一度聞いてみたんですよ、好きな酒は何かってね。そうしたらあの人はあまり酒は飲まないとね。ならその酒はどうするのかと聞いたらね、主人に渡すものだとね」

『へぇー、嫁に取りにこさせてるってわけ?  こんな重い物を』

『黒』は樽を抱き締めるように抱え上げるも、すぐに置いてしまう。僕も試してみたが少しも持ち上がらない。

「旦那なのか雇い主なのかは分かりませんがね、主人と言っていましたよ。それにしばらく前に片腕を失くしてね、本当に可哀想な人」

『へぇー、大変だねぇ』

ぶつかった時の事を思い出す、確かに彼女は左腕しか使っていなかったが、腕を失くしていたとは分からなかった。
店主はさらに声を潜め、ここだけの話だと言った。

「ただの想像なんですがね、その主人とやらに何かされたんじゃないかと思うんですよ。何度聞いても腕を失くした理由を言いませんでしたからね」

『ふぅん?  あ、ねぇねぇ店主さん、この台車借りていい?  すぐ返しに来るからさ』

女の話に興味は無いらしく、『黒』は適当な返事をして話を変えた。

「ええ、ええ、どうぞ」

持ち上げるのを諦め、『黒』は台車の真ん中に酒樽をそっと蹴り動かす。段差に気をつけながら屋敷への道を行く。

『しつこく理由聞くのもどうかと思うけどね、あの人』

「あはは……それを他人に喋るのもね。まぁそれだけ心配してるってことじゃないかな」

『そういうものかな。あっ、とと……小石踏んじゃった』

がたんと揺れる酒樽を押さえる。台車を押すのは『黒』に任せて僕は酒樽を支える役に徹した方が良さそうだ。


屋敷に到着、してからが問題だ。
台車ごと中に入れたとしても家にあげるには一度持ち上げなければならない。蔵に台車ごと入れていいのなら楽だったというのに、御前は何故か家に上げろと命じてきた。

『んっ……無理!  僕見てないんだけどさ、ホントに女の人が片手で持ってたの?』

「しかも走って行ったんだよ」

『腕の太さ君のお腹くらいあるんだろうね』

 「『黒』の足くらいだったよ?」

『……太いは太いかな、でも並外れてってほどでもない。運動好きな成人男性ってとこだね』

『黒』が酒樽を抱え上げ、少し浮いた隙に僕は足を入れ込んだ。
その隙間に指を差し入れ、下から持ち上げる。

『人間じゃないんじゃないの?』

いくら妖鬼の国だからといって、そんな化け物ばかりいては困る。

「そんな人じゃないのばっかりいないと思うけど」

僕は下から、『黒』は上から、なんとか酒樽を持ち上げた。
そうしてなんとか酒樽を屋敷に運び入れ、御前に報告に上がる。
『黒』は台車を返しに行ってしまったので僕一人だ。僕はそこで絶望を味わう事になった。

『ご苦労、明後日に山の上の知り合いの屋敷に届けておくれ』

「御前様……飲まないんですか?」

『贈り物じゃ。ちと重いだろうが頼むぞ』

昼寝をするからと部屋を追われる、僕達に用意された部屋に戻ると丁度『黒』が帰ってきていた。

「悪いお知らせがあるよ」

『良いお知らせは?  そっちから聞きたいな』

「そんなのないよ。あの樽、明後日に山の上に持って行けってさ」

『は?  無理』

「やらなきゃ首が飛ぶってね、頑張って『黒』!」

大きめの座布団に勢いをつけて腰を落とす、ふかふかと落ち着かない感覚が面白い。

『こんな美少女に力仕事させるなんて』

「僕は人間だからね。『黒』と違って非力なんだよ」

『僕の力は人間並かそれ以下だよ、干渉が苦手なものでね』

わざとらしく袖を捲り細い腕を見せびらかす。病的なまでに白い肌は『黒』の儚さを引き立てる。
僕も負けじと袖を捲り、『黒』と腕を並べた。

『……君さぁ、日焼けしようよ』

「僕も少しくらいはしたいんだけどね、日に焼けても黒くならずに赤くなるんだよ。すっごく痛いし」

『あぁ……そーいうタイプなんだ、君』

「僕っていうより……魔法の国の人達って皆そういうものなんだよ。肌が黒い人は珍しくて、神様の使いとか生まれ変わりとか言われるんだ」

『へーぇ?  まぁ、そっか…………アレが神じゃそうなるよね』

いくら『黒』が人ではないと言っても姿は少女だ。男女の骨の差で僅かに僕の腕が太い。
初めての勝利の余韻に浸っていると、『黒』が腕につけていた角飾りに興味を示した。

「貰い物なんだからあんまり触らないでよ」

『貰い物、ねぇ。随分と束縛する娘らしい』

「どういう意味?」

『べっつにぃ?』

白々しくも両の手のひらを天井に向け、何も分からないと声に出さずに言っている。
そんな『黒』を放って僕は体を休める、あの樽を抱えて山を登るのなら今日はもう動くべきではない。

畳の上に寝転がって、丁度目線に入った『黒』を眺める。
白と灰と黒の混じった髪に左右で色の違う瞳、奇しくも僕と似た見た目だ。
すれ違う人には姉弟に見えたりするのだろうか? だとしたら少し嬉しい。

本当の家族はもういないから。
僕を"愛してくれる"家族なんて……初めからいなかった、かな。

だからそう見える人だけでもいて欲しい。
そう思える人が欲しいなんて贅沢は言わないから。
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