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第九章 妖鬼の国にて奉公を
好奇心は猫をも殺す
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池に鯉の餌を撒きながらぼうっと空を眺める。この仕事は案外暇なのだ、あの女に何も申し付けられなければ何もすることがない。
忙しそうな男連中に暇だと漏らして押し付けられた餌やりももう時期終わる。
『君ってこの鯉は操れないの? 魔物使いなんだろ?』
「普通の魚は無理だよ、魔物じゃないと」
『知らないの? この鯉は魔鯉っていう下級魔獣の一種なんだよ』
『黒』の言葉は初耳だ、魔の気配など一切感じないのだが……何か試してみようか。
池に視線を戻し、鯉をじっと見つめる。
『まぁ嘘なんだけど』
「……なんで?」
『何が?』
「なんでそんな意味分かんない嘘つくの?」
『退屈で死にそうだから』
この数日ずっとこんな嘘をつかれている、意味もなく面白くもない嘘。意図のないそれに騙されたとしても腹が立つことはないが、心の中のモヤを濃くする。
この世の何よりも意味がないであろう『黒』との会話を楽しんでいると、屋敷から僕達を呼ぶ声が聞こえた。特別大きくもないその声は何故かよく通る。
『クロ、ヘル、私は今から出掛けてくる、その間に私の部屋を掃除しておけ』
『はいはい、承りましたーっと』
御前は男達を引き連れて屋敷を出ていった。相変わらず感情の読めない人だ、声色も視線も冷たい。『黒』のように心が無いのではなく、性格が悪いと言うべきか……失礼かな。
「ねぇ『黒』、口の利き方考えてよ。逆らったら首切られちゃうんだよ? 解雇って意味じゃない方でね!」
『僕が首切られたいって思わなければ首切られない、すり抜けるだけだよ』
「僕はそんな特殊能力ないんだよ! 巻き添え食らって死んだら祟るからね!」
『うわ……怖っ』
寒気がするとでも言いたげにわざとらしく自分の肩を抱き、口だけで意地悪く笑う。微かな苛立ちを押し隠し、御前の部屋へ。
『掃除する必要あんの? これ』
「どうだろ? まぁとりあえず棚でも拭こうよ」
掃除が必要とは思えないほどに綺麗な部屋だ、箪笥の上にも埃は積もっていない。
屏風の裏、点袋の中、どれも新品のように綺麗だ。
「あれ? なにこれ」
御前がいつも座っている御簾の裏、物影に隠すように箱が置かれていた。
両手で抱えるほどの大きさの桐の箱は古びており、この綺麗な部屋には似つかわしくない。
奇妙な模様の札が貼られたそれはどこか禍々しい、書物の国で見た禁書の雰囲気に似ている。
『面白いもの見つけたねぇ、褒めてあげるよ!』
その禍々しさに調べるのを躊躇っていると、背後から忍び寄った『黒』が僕の手から箱をひったくる。
「ちょ、ちょっと! 勝手に開けちゃダメだよ!」
『片付けろって言ったのはコレのことかもよ?』
「そ、そうかもしれないけど……勝手に開けるのはよくないよ」
『いいからいいから、開けちゃダメなら開けてないフリすればいいだけなんだからさ。帰ってくる前に開けちゃおうよ』
御前が出掛けてからはもう半刻は過ぎただろうか、壁掛け時計を探すがそれらしきものは見当たらない。
僕がそうやって目を離すと、背後でベリベリと札を剥がす音が聞こえてきた。止める間もなく蓋が畳に落ちる。
「ああもう! ダメだって言ったのに!」
古くなっていたのもあるのか小さくちぎれた札と、ヒビが入って割れかけた蓋を拾う。
ゴミを拾い集め終わって見上げた『黒』の表情は珍しくも驚愕に染まっていた。目が大きく見開かれ、力の抜けた唇が微かに開いている。
「どうしたの?」
『黒』は黙ったまま僕に箱の中身を見せる。黙ったまま、と言うよりは声が出なかったと言った方が正しいのかもしれない。
中に入っていたのは腕だ。繋がっていないのだから当然だが、青白く血の気のない腕。
僕の腕よりも一回り大きく、どこか筋張った印象を受ける。丁寧に爪紅が塗られたそれからは、この腕の主が見た目に気を使っていたことが推測された。
『……まだ新しいのかな、全然腐ってないよ』
「そ、そんな問題じゃないよ! なんで腕があるのさ!」
『御前さんの男に手を出した女の腕とかじゃないの? そーいう性格してそうじゃん』
「どんな性格だよ! っていうか……男っぽいし」
『じゃあ御前さんの男に手を出した男の腕。女に寝取られるのはもちろんムカつくんだけど、男に寝取られるのは別のショックがあるよねぇ。そりゃ性格も悪くなるよ』
「……そういう経験あるの?」
『ないけど? 僕天使だし、純潔純潔~』
「あぁそう。それよりこれどうしようか、札は破れてるし、元に戻すのは無理だよ」
『正直に言ったらこの腕の二の舞かな?』
冗談めかして笑う『黒』は事態の深刻さを全く分かっていない。それが性格なのか種族ゆえの価値観の相違なのかは分からない。
「と、とにかく庭にでも埋めて隠そうよ!」
『何をじゃ?』
「腕に決まって………あ」
に、と笑う肩の上の顔。金色の瞳が僕をしっかりと捉えて離さない、また僕の目も彼女から離れない。
『これはこれは……お早いお帰りで、御前様』
『ちと酒を見に行っとっただけじゃからの、近いうちに取りに行かせるかもしれんの』
『力仕事は得意じゃないんだよねぇ』
箱を抱き締めて震える僕をよそに当事者の二人は平穏な会話を楽しむ。優雅に揺れる御前の金髪で気の向くほうを伺いながら、そっと箱を背に隠す。
『そういえば、あの腕ってなんなの?』
そのまま御前の気を逸らしておけばいいものを、『黒』は僕を指差して御前の視線を僕に向けさせる。
『ああ、少し前の貢物じゃ』
「み、みつぎもの……?」
『私は薬作りが趣味での、その材料にどうぞと贈られたのじゃ』
『腕なんか材料になんの?』
『ならないから置いてあるのじゃ、鬼の腕ならいい物が出来ると思うたのにの』
「お……に?」
割れかけた蓋を開け、再び腕を見る。尖った爪、きめ細かい肌、美しく筋肉のついた腕。これが鬼の腕だと?
『そう、鬼じゃ。この国に昔から居ると言われておる』
『魔物の一種だよね、かなり人に近いんだけど角が生えてて力が凄く強いんだよ。人から変異したとか、人と何かの間の子だとか、説は色々あるけどよく分かんないんだって』
「へぇ……?」
御前の美しい切れ長の瞳が腕を邪魔そうに眺める。
『持っていても仕方ない、そちにくれてやる』
「えっいらない」
蓋を閉め、御前に突き返す。御前は箱を渋々受け取って再び部屋の隅に隠した。
高級そうな赤い着物が僕の足元を引きずられていく。いつも通りに御簾の向こうに鎮座し、影だけが見える。
感想が遅れたが初めてまともに見た御前の姿は良くも悪くも想像通りだった。冷たい美女、一言で表すならそれだ。
「で、では僕達はこれで」
『待て、私は暇なのじゃ、話し相手になれ』
「は、話し相手……ですか?」
気が進まないなんてものじゃない、出来るものなら断りたい。ここに来た時と同じく正座をし、膝の上で指を重ねた。
『元々そのつもりで雇ったのじゃ、本来の仕事が出来て嬉しかろ』
いえちっとも、なんて口走りかねない無神経な口を押さえる。
『あ、じゃあ質問いい?』
『ふむ、私からも良いのならな』
『僕達の何を聞いたって面白くはないと思うけどね、別にいいよ。じゃあ質問! 君って人じゃないよね、何?』
そういえば初日から『黒』は言っていた、御前が獣臭く妖しいと。僕もすっかり忘れていたそれを何故聞いてしまったのか。
御前の少し大きめの吐息に首と胴が離れてしまうのを確信した。
忙しそうな男連中に暇だと漏らして押し付けられた餌やりももう時期終わる。
『君ってこの鯉は操れないの? 魔物使いなんだろ?』
「普通の魚は無理だよ、魔物じゃないと」
『知らないの? この鯉は魔鯉っていう下級魔獣の一種なんだよ』
『黒』の言葉は初耳だ、魔の気配など一切感じないのだが……何か試してみようか。
池に視線を戻し、鯉をじっと見つめる。
『まぁ嘘なんだけど』
「……なんで?」
『何が?』
「なんでそんな意味分かんない嘘つくの?」
『退屈で死にそうだから』
この数日ずっとこんな嘘をつかれている、意味もなく面白くもない嘘。意図のないそれに騙されたとしても腹が立つことはないが、心の中のモヤを濃くする。
この世の何よりも意味がないであろう『黒』との会話を楽しんでいると、屋敷から僕達を呼ぶ声が聞こえた。特別大きくもないその声は何故かよく通る。
『クロ、ヘル、私は今から出掛けてくる、その間に私の部屋を掃除しておけ』
『はいはい、承りましたーっと』
御前は男達を引き連れて屋敷を出ていった。相変わらず感情の読めない人だ、声色も視線も冷たい。『黒』のように心が無いのではなく、性格が悪いと言うべきか……失礼かな。
「ねぇ『黒』、口の利き方考えてよ。逆らったら首切られちゃうんだよ? 解雇って意味じゃない方でね!」
『僕が首切られたいって思わなければ首切られない、すり抜けるだけだよ』
「僕はそんな特殊能力ないんだよ! 巻き添え食らって死んだら祟るからね!」
『うわ……怖っ』
寒気がするとでも言いたげにわざとらしく自分の肩を抱き、口だけで意地悪く笑う。微かな苛立ちを押し隠し、御前の部屋へ。
『掃除する必要あんの? これ』
「どうだろ? まぁとりあえず棚でも拭こうよ」
掃除が必要とは思えないほどに綺麗な部屋だ、箪笥の上にも埃は積もっていない。
屏風の裏、点袋の中、どれも新品のように綺麗だ。
「あれ? なにこれ」
御前がいつも座っている御簾の裏、物影に隠すように箱が置かれていた。
両手で抱えるほどの大きさの桐の箱は古びており、この綺麗な部屋には似つかわしくない。
奇妙な模様の札が貼られたそれはどこか禍々しい、書物の国で見た禁書の雰囲気に似ている。
『面白いもの見つけたねぇ、褒めてあげるよ!』
その禍々しさに調べるのを躊躇っていると、背後から忍び寄った『黒』が僕の手から箱をひったくる。
「ちょ、ちょっと! 勝手に開けちゃダメだよ!」
『片付けろって言ったのはコレのことかもよ?』
「そ、そうかもしれないけど……勝手に開けるのはよくないよ」
『いいからいいから、開けちゃダメなら開けてないフリすればいいだけなんだからさ。帰ってくる前に開けちゃおうよ』
御前が出掛けてからはもう半刻は過ぎただろうか、壁掛け時計を探すがそれらしきものは見当たらない。
僕がそうやって目を離すと、背後でベリベリと札を剥がす音が聞こえてきた。止める間もなく蓋が畳に落ちる。
「ああもう! ダメだって言ったのに!」
古くなっていたのもあるのか小さくちぎれた札と、ヒビが入って割れかけた蓋を拾う。
ゴミを拾い集め終わって見上げた『黒』の表情は珍しくも驚愕に染まっていた。目が大きく見開かれ、力の抜けた唇が微かに開いている。
「どうしたの?」
『黒』は黙ったまま僕に箱の中身を見せる。黙ったまま、と言うよりは声が出なかったと言った方が正しいのかもしれない。
中に入っていたのは腕だ。繋がっていないのだから当然だが、青白く血の気のない腕。
僕の腕よりも一回り大きく、どこか筋張った印象を受ける。丁寧に爪紅が塗られたそれからは、この腕の主が見た目に気を使っていたことが推測された。
『……まだ新しいのかな、全然腐ってないよ』
「そ、そんな問題じゃないよ! なんで腕があるのさ!」
『御前さんの男に手を出した女の腕とかじゃないの? そーいう性格してそうじゃん』
「どんな性格だよ! っていうか……男っぽいし」
『じゃあ御前さんの男に手を出した男の腕。女に寝取られるのはもちろんムカつくんだけど、男に寝取られるのは別のショックがあるよねぇ。そりゃ性格も悪くなるよ』
「……そういう経験あるの?」
『ないけど? 僕天使だし、純潔純潔~』
「あぁそう。それよりこれどうしようか、札は破れてるし、元に戻すのは無理だよ」
『正直に言ったらこの腕の二の舞かな?』
冗談めかして笑う『黒』は事態の深刻さを全く分かっていない。それが性格なのか種族ゆえの価値観の相違なのかは分からない。
「と、とにかく庭にでも埋めて隠そうよ!」
『何をじゃ?』
「腕に決まって………あ」
に、と笑う肩の上の顔。金色の瞳が僕をしっかりと捉えて離さない、また僕の目も彼女から離れない。
『これはこれは……お早いお帰りで、御前様』
『ちと酒を見に行っとっただけじゃからの、近いうちに取りに行かせるかもしれんの』
『力仕事は得意じゃないんだよねぇ』
箱を抱き締めて震える僕をよそに当事者の二人は平穏な会話を楽しむ。優雅に揺れる御前の金髪で気の向くほうを伺いながら、そっと箱を背に隠す。
『そういえば、あの腕ってなんなの?』
そのまま御前の気を逸らしておけばいいものを、『黒』は僕を指差して御前の視線を僕に向けさせる。
『ああ、少し前の貢物じゃ』
「み、みつぎもの……?」
『私は薬作りが趣味での、その材料にどうぞと贈られたのじゃ』
『腕なんか材料になんの?』
『ならないから置いてあるのじゃ、鬼の腕ならいい物が出来ると思うたのにの』
「お……に?」
割れかけた蓋を開け、再び腕を見る。尖った爪、きめ細かい肌、美しく筋肉のついた腕。これが鬼の腕だと?
『そう、鬼じゃ。この国に昔から居ると言われておる』
『魔物の一種だよね、かなり人に近いんだけど角が生えてて力が凄く強いんだよ。人から変異したとか、人と何かの間の子だとか、説は色々あるけどよく分かんないんだって』
「へぇ……?」
御前の美しい切れ長の瞳が腕を邪魔そうに眺める。
『持っていても仕方ない、そちにくれてやる』
「えっいらない」
蓋を閉め、御前に突き返す。御前は箱を渋々受け取って再び部屋の隅に隠した。
高級そうな赤い着物が僕の足元を引きずられていく。いつも通りに御簾の向こうに鎮座し、影だけが見える。
感想が遅れたが初めてまともに見た御前の姿は良くも悪くも想像通りだった。冷たい美女、一言で表すならそれだ。
「で、では僕達はこれで」
『待て、私は暇なのじゃ、話し相手になれ』
「は、話し相手……ですか?」
気が進まないなんてものじゃない、出来るものなら断りたい。ここに来た時と同じく正座をし、膝の上で指を重ねた。
『元々そのつもりで雇ったのじゃ、本来の仕事が出来て嬉しかろ』
いえちっとも、なんて口走りかねない無神経な口を押さえる。
『あ、じゃあ質問いい?』
『ふむ、私からも良いのならな』
『僕達の何を聞いたって面白くはないと思うけどね、別にいいよ。じゃあ質問! 君って人じゃないよね、何?』
そういえば初日から『黒』は言っていた、御前が獣臭く妖しいと。僕もすっかり忘れていたそれを何故聞いてしまったのか。
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