上 下
92 / 909
第九章 妖鬼の国にて奉公を

好奇心は猫をも殺す

しおりを挟む
池に鯉の餌を撒きながらぼうっと空を眺める。この仕事は案外暇なのだ、あの女に何も申し付けられなければ何もすることがない。
忙しそうな男連中に暇だと漏らして押し付けられた餌やりももう時期終わる。

『君ってこの鯉は操れないの?  魔物使いなんだろ?』

「普通の魚は無理だよ、魔物じゃないと」

『知らないの?  この鯉は魔鯉っていう下級魔獣の一種なんだよ』

『黒』の言葉は初耳だ、魔の気配など一切感じないのだが……何か試してみようか。
池に視線を戻し、鯉をじっと見つめる。

『まぁ嘘なんだけど』

「……なんで?」

『何が?』

「なんでそんな意味分かんない嘘つくの?」

『退屈で死にそうだから』

この数日ずっとこんな嘘をつかれている、意味もなく面白くもない嘘。意図のないそれに騙されたとしても腹が立つことはないが、心の中のモヤを濃くする。
この世の何よりも意味がないであろう『黒』との会話を楽しんでいると、屋敷から僕達を呼ぶ声が聞こえた。特別大きくもないその声は何故かよく通る。

『クロ、ヘル、私は今から出掛けてくる、その間に私の部屋を掃除しておけ』

『はいはい、承りましたーっと』

御前は男達を引き連れて屋敷を出ていった。相変わらず感情の読めない人だ、声色も視線も冷たい。『黒』のように心が無いのではなく、性格が悪いと言うべきか……失礼かな。

「ねぇ『黒』、口の利き方考えてよ。逆らったら首切られちゃうんだよ?  解雇って意味じゃない方でね!」

『僕が首切られたいって思わなければ首切られない、すり抜けるだけだよ』

「僕はそんな特殊能力ないんだよ!  巻き添え食らって死んだら祟るからね!」

『うわ……怖っ』

寒気がするとでも言いたげにわざとらしく自分の肩を抱き、口だけで意地悪く笑う。微かな苛立ちを押し隠し、御前の部屋へ。

『掃除する必要あんの?  これ』

「どうだろ?  まぁとりあえず棚でも拭こうよ」

掃除が必要とは思えないほどに綺麗な部屋だ、箪笥の上にも埃は積もっていない。
屏風の裏、点袋の中、どれも新品のように綺麗だ。

「あれ?  なにこれ」

御前がいつも座っている御簾の裏、物影に隠すように箱が置かれていた。
両手で抱えるほどの大きさの桐の箱は古びており、この綺麗な部屋には似つかわしくない。
奇妙な模様の札が貼られたそれはどこか禍々しい、書物の国で見た禁書の雰囲気に似ている。

『面白いもの見つけたねぇ、褒めてあげるよ!』

その禍々しさに調べるのを躊躇っていると、背後から忍び寄った『黒』が僕の手から箱をひったくる。

「ちょ、ちょっと!  勝手に開けちゃダメだよ!」

『片付けろって言ったのはコレのことかもよ?』

「そ、そうかもしれないけど……勝手に開けるのはよくないよ」

『いいからいいから、開けちゃダメなら開けてないフリすればいいだけなんだからさ。帰ってくる前に開けちゃおうよ』

御前が出掛けてからはもう半刻は過ぎただろうか、壁掛け時計を探すがそれらしきものは見当たらない。
僕がそうやって目を離すと、背後でベリベリと札を剥がす音が聞こえてきた。止める間もなく蓋が畳に落ちる。

「ああもう!  ダメだって言ったのに!」

古くなっていたのもあるのか小さくちぎれた札と、ヒビが入って割れかけた蓋を拾う。
ゴミを拾い集め終わって見上げた『黒』の表情は珍しくも驚愕に染まっていた。目が大きく見開かれ、力の抜けた唇が微かに開いている。

「どうしたの?」

『黒』は黙ったまま僕に箱の中身を見せる。黙ったまま、と言うよりは声が出なかったと言った方が正しいのかもしれない。
中に入っていたのは腕だ。繋がっていないのだから当然だが、青白く血の気のない腕。
僕の腕よりも一回り大きく、どこか筋張った印象を受ける。丁寧に爪紅が塗られたそれからは、この腕の主が見た目に気を使っていたことが推測された。

『……まだ新しいのかな、全然腐ってないよ』

「そ、そんな問題じゃないよ!  なんで腕があるのさ!」

『御前さんの男に手を出した女の腕とかじゃないの?  そーいう性格してそうじゃん』

「どんな性格だよ!  っていうか……男っぽいし」

『じゃあ御前さんの男に手を出した男の腕。女に寝取られるのはもちろんムカつくんだけど、男に寝取られるのは別のショックがあるよねぇ。そりゃ性格も悪くなるよ』

「……そういう経験あるの?」

『ないけど?  僕天使だし、純潔純潔~』

「あぁそう。それよりこれどうしようか、札は破れてるし、元に戻すのは無理だよ」

『正直に言ったらこの腕の二の舞かな?』

冗談めかして笑う『黒』は事態の深刻さを全く分かっていない。それが性格なのか種族ゆえの価値観の相違なのかは分からない。

「と、とにかく庭にでも埋めて隠そうよ!」

『何をじゃ?』

「腕に決まって………あ」

に、と笑う肩の上の顔。金色の瞳が僕をしっかりと捉えて離さない、また僕の目も彼女から離れない。

『これはこれは……お早いお帰りで、御前様』

『ちと酒を見に行っとっただけじゃからの、近いうちに取りに行かせるかもしれんの』

『力仕事は得意じゃないんだよねぇ』

箱を抱き締めて震える僕をよそに当事者の二人は平穏な会話を楽しむ。優雅に揺れる御前の金髪で気の向くほうを伺いながら、そっと箱を背に隠す。

『そういえば、あの腕ってなんなの?』

そのまま御前の気を逸らしておけばいいものを、『黒』は僕を指差して御前の視線を僕に向けさせる。

『ああ、少し前の貢物じゃ』

「み、みつぎもの……?」

『私は薬作りが趣味での、その材料にどうぞと贈られたのじゃ』

『腕なんか材料になんの?』

『ならないから置いてあるのじゃ、鬼の腕ならいい物が出来ると思うたのにの』

「お……に?」

割れかけた蓋を開け、再び腕を見る。尖った爪、きめ細かい肌、美しく筋肉のついた腕。これが鬼の腕だと?

『そう、鬼じゃ。この国に昔から居ると言われておる』

『魔物の一種だよね、かなり人に近いんだけど角が生えてて力が凄く強いんだよ。人から変異したとか、人と何かの間の子だとか、説は色々あるけどよく分かんないんだって』

「へぇ……?」

御前の美しい切れ長の瞳が腕を邪魔そうに眺める。

『持っていても仕方ない、そちにくれてやる』

「えっいらない」

蓋を閉め、御前に突き返す。御前は箱を渋々受け取って再び部屋の隅に隠した。
高級そうな赤い着物が僕の足元を引きずられていく。いつも通りに御簾の向こうに鎮座し、影だけが見える。
感想が遅れたが初めてまともに見た御前の姿は良くも悪くも想像通りだった。冷たい美女、一言で表すならそれだ。

「で、では僕達はこれで」

『待て、私は暇なのじゃ、話し相手になれ』

「は、話し相手……ですか?」

気が進まないなんてものじゃない、出来るものなら断りたい。ここに来た時と同じく正座をし、膝の上で指を重ねた。

『元々そのつもりで雇ったのじゃ、本来の仕事が出来て嬉しかろ』

いえちっとも、なんて口走りかねない無神経な口を押さえる。

『あ、じゃあ質問いい?』

『ふむ、私からも良いのならな』

『僕達の何を聞いたって面白くはないと思うけどね、別にいいよ。じゃあ質問!  君って人じゃないよね、何?』

そういえば初日から『黒』は言っていた、御前が獣臭く妖しいと。僕もすっかり忘れていたそれを何故聞いてしまったのか。
御前の少し大きめの吐息に首と胴が離れてしまうのを確信した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無限に進化を続けて最強に至る

お寿司食べたい
ファンタジー
突然、居眠り運転をしているトラックに轢かれて異世界に転生した春風 宝。そこで女神からもらった特典は「倒したモンスターの力を奪って無限に強くなる」だった。 ※よくある転生ものです。良ければ読んでください。 不定期更新 初作 小説家になろうでも投稿してます。 文章力がないので悪しからず。優しくアドバイスしてください。 改稿したので、しばらくしたら消します

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……

karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!

仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。 しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。 そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。 一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった! これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

処理中です...