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第八章 堕した明星

月色の独占欲

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三体の魔獣が丘に降り立った時よりも前、とある天使は書物の国を訪れていた。いや、天使というのは正しくないかもしれない。
真っ黒い髪を揺らし、同じ色の瞳を前髪の隙間から覗かせる。黒い服に黒い靴、それに引き立てられる真っ白い肌。
その姿は人の庇護欲と加虐性を掻き立てる。この者を飼い殺すことが出来るのならばどんな対価も払うだろう。

『大図書の隣の邸宅……見つけた』

だがこの国の人々は皆、本に視線を落としている。
この者を見る者はいない。

『屋敷の主人は留守だね。今のうち今のうち……』

ぶつぶつと確認するようにその儚い声を発したところで、この国の人は反応しない。
『黒』はとある悪魔の家の庭に忍び込み、とある物を探していた。

「石像……いや、違う」

天使の石像だ。精巧な作りのそれは見るものを魅了する。

「やっと見つけたよ、カマエル」

実はそれは石像ではない、屋敷の主人に石に変えられた天使だ。『黒』はその術を解く為にこの国へ来たのだ。
石に変えられた天使は神への反逆者を裁く者にして、十万以上の天使の指揮官。起こして堕天使について説明すれば十万以上の兵が動かせる。
『黒』はそれを狙っていた。自分の体内に潜んだものの悪戯の尻拭いは自分がしなければならない、けれど『黒』に戦闘能力は皆無だ。だから『黒』は戦力を集める。

『……誰もいない、帰ってこない』

用心深く辺りを警戒し、そっと像に触れた。この術を解く為には天使の力を使わなければならない。
解除の為の反対術をかけている最中は自分は無防備だ、もし屋敷の主人が帰ってくれば自分も石に変えられてしまうだろう。
そう考えて『黒』はいつもとは全く違って警戒しているのだ。いつもならば自らの能力であらゆるモノからの干渉を切ることが出来るが、今からはそうはいかない。
『黒』は周囲に誰もいないことを確認してから反対術をかけ始めた。
だがそれは失敗だった、もう少し大胆になるべきだった。反対術がもう少しで終わるというその時に邪魔が入ったのだ。

天から落ちてきた首枷、しかも天使の力を封じ込める術式の彫られた物。確実に『黒』を捕らえる為だけに作られた月永石の首枷だった。
『黒』は全身の力が抜け、石像の前に倒れ込む。

『見つけた、ようやく捕まえたよ』

『……オファニエル!』

『ああ、そうだよ、オファニエルだ』

同じく月永石で作られた封印術式の彫られた手枷と足枷を指でくるくると回し、月のような美しさの天使は微笑んだ。

『な、に……してる』

『分かってるよ、君がやろうとしている事は理解している。私が引き継ぐよ、カマエルの呪いはすぐに解くから。ルシフェルが出てきてしまったんだろう?  君をずっと見ていたから知っているよ』

手枷をはめて、優しく『黒』の頬を撫でる。

『……ごめんね、私が君に出来る事はない。すぐに君の心を殺してしまうだろう。だからずっと衝動を抑えていたんだ、だけどもうやめだ。決めたんだ、自分に正直になるって、我慢しないって。君がどれだけ私を嫌っていても、どれだけ不幸になろうとも、君が傍に居るだけで私は幸せになれる』

足枷をはめて、そっと『黒』を抱き締めた。

『ああ、動けない君はとても美しいよ。私を力なく睨むその目が愛おしい。微かにしか紡ぐことの出来ない言の葉で、私を罵倒しておくれ。君の心を私への憎悪で埋めておくれ、私の事だけを考えて……ね、ずっと、永遠に』

『ふっ……ざ、ける、な』

『……もう二度と逃がさないよ、たぁちゃん』

五つの枷につながれた鎖を握り、オファニエルは右腕で『黒』を抱きかかえる。左手は石像に触れ、一言だけ反対術を唱えた。
途切れた術は完成し石像は天使へと戻る。カマエルは不思議そうに辺りを見回し、目の前に微笑むオファニエルと抱かれた『黒』を見つけた。

『オファニエル……か?  その娘は?』

『私の愛し子だよ、すぐに天界に帰って檻に入れないとね』

『そ、そうか、私はここで何を?』

『さぁ?  何か呪いにでもかかってたみたいだけど。それよりもルシフェルの封印が解けたみたいだから早く行った方がいいよ』

『な、何!?  それを早く言わんか!  月が出たら貴様もすぐに来いよ!』

『はいはい、ばいばーい、頑張ってねカマエル』

雑な見送りを終えて、オファニエルは『黒』の髪を撫でる。そしてその変化に気がついた。
『黒』は烏の濡れ羽色の美しい髪をしていたはずだ、それなのに腕の中にいるのは何だ。
色が抜け落ちたように透けた髪、『黒』以上に青白い肌。そして額には短い角が髪をかき分けて生えてた。

『だ、誰だ!』

見覚えのない女に焦り、オファニエルは腕を緩めた。その隙を逃さず女はオファニエルの腕に噛みつき、その尖った歯で肉を喰いちぎった。

『まさか、姿を変えたのか?  君なのか!?』

『何言ってんのか分かんないけど、『黒』にはあんたから逃げろって言われたのよね』

『ど、どういう意味だ』

『そんなの、あんたは知らなくてもいいわ』

体勢を崩したオファニエルの首に飛びつき、噛みちぎる。半分程の太さになってしまった首を押さえ、オファニエルは鎖を引く。
倒れ込む『白』に向かって剣を抜いた。

『少しだけ眠っていてもらうよ!』

オファニエルの右腕はもう再生している、首もすぐに治るだろう。
枷のせいで上手く立ち上がれない『白』はただオファニエルを睨みつける。振り下ろされる剣は『白』の喉元を正確に捉えていた。だが、その剣は腕ごと切り飛ばされた。

『女の子いじめちゃダメだよ、天使さん。いや君も女の子寄りなのかな?  剥けばわかるかなぁ』

腕を即座に再生させ、オファニエルは飛ばされた剣を拾い上げる。腕を飛ばしたスーツ姿の女は『白』を立ち上がらせ、怪我の有無を確認する。

『……石像なくなっちゃったみたいだし、新しく作ろうかな?』

『カマエルの事か?  貴様がやったのか!』

『名前は覚えてないけどさ、そっちが悪いんだよ?  確か』

『黙れ悪魔め!  この月光の使者オファニエルが滅してくれる!』

『熱くなっちゃって……嫌いじゃないよ、僕も自己紹介しておこうかな?』

悪魔の言葉を待たずオファニエルは剣を振るう。
悪魔は嫌味な笑いを浮かべたままその剣を躱し、オファニエルを蹴り倒す。

『七十二柱が一柱、マルコシアス。これでも元天使でね、君達との戦い方はバッチリだよ』

七色の炎が美しい庭の一角を石の彫刻へと変えていく。

『こんな昼間から月の天使が地上に降りちゃダメだよ?  満月狙わないとさぁ!』

天使を踏みつけ、嘲笑う悪魔。

『アガリアレプト!  暴け!』

足下のオファニエルを石像へと変える為に、もう一人の悪魔を呼ぶ。狙いを察したのかオファニエルはマルコシアスの足下から消えた。

『呼びましたかマルコシアス、何か用ですか』

『いや、逃げられちゃった。まぁいいよ、その娘の枷解いてあげて』

不思議そうな顔をしつつ、アガリアレプトは明るい紫色のメガネを押し上げて枷を観察する。
その指先が触れた瞬間、枷は開き『白』は自由になった。

『君、隣の国の娘?  早く帰った方がいいよ。魔物のよしみで報酬は安くしとくから』

マルコシアスは『白』の腕に口付け、擦り傷から血を舐めとる。にぃと笑って『白』を庭から追い出すと、アガリアレプトに問いかける。

『天使の力を封じる枷か、いいもの手に入れ……あれ?  どこやったの?』

『外すと同時に消えてしまいました』

アガリアレプトは訳が分からないままに答えを返し、図書館へと戻る。
面白そうな物が手に入らなかったマルコシアスは不貞腐れて石と化した木を蹴り崩した。
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