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第七章 牢獄の国に封じられし明星
これは夢だから
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天使は僕の首から手を離し、腕に喰いついたアルを引き剥がそうとする。
『離せっ! 魔獣如きが……私に敵うと思うなぁ!』
天使は噛み付かれた腕を振って、壁に何度も叩きつける。硬いものが砕ける音がして、天使の腕からアルが離れた。
腕に刺さったままの牙を引き抜き、天使は僕に向き直る。天使らしい極上の笑みを浮かべて。
『君達……仲、良いんだね?』
「アルに、酷いことしないで……お願い」
アルの傍ににじり寄って、天使の足に縋る。天使は優しい笑みを浮かべて僕の頭を撫でた。
「あ、あなたはっ、人間が憎いんでしょ? 魔物には恨みは無いんでしょ?」
『……まぁ、そうかな? そうだね、無いねぇ』
「な、ならっ、僕を……ぼく、を」
その次の言葉が紡げない。
何て言うべきなのかも頭の中から抜けていく。
僕を嬲れ? 僕を殺せ?
アルは飛んでいた意識を戻し、僕の膝に頭を乗せた。黙って僕を見つめている、逃げろなんて言わないし、僕を押して逃がそうともしない。
『君を……何? 殺せ? それでいいの?』
天使は僕の頬を撫でるのをやめ、背筋を伸ばすとその美しい髪を梳き始めた。
『君は自分の死よりもその狼の死が嫌なの?』
「…………は、い」
『ふぅん、そっかぁ……じゃ、仕方ないね。ああそうだ! ちょっとの間待ってあげる、死に別れるんだから、色々話したいよね』
天使は僕達から離れて、壁にもたれ掛かる。腕時計もないのに腕時計を見るような仕草をして、ちらちらと僕を見る。
僕は今から死ぬんだ、それもとびきり苦しんで。
そう直感していたが、実感が湧いてこないせいなのか僕は酷く冷静だ。
これからの自分の死よりも、アルの傷の方が心配だった。
「アル、痛む? 大丈夫?」
『……へ、る』
「無理に話さないで、僕は大丈夫だから」
アルの傷は少しずつ少しずつ再生を始めている、だが治りきるまで時間を稼げるとは思えないし、治ったところで逃げ切ることも出来ないだろう。
僕はもう諦めていた、あの天使にはそうさせるだけの力があるのだ。
アルをそっと抱き締めて、傷を抉らないように慎重に背を撫でる。
『ヘル、すまない、約束は守れそうにないな』
「……約束は守れるよ、僕が死ぬんだから。僕はアルに置いていかれないし、僕は最期までアルと一緒に居たことになるよ」
『私は、例え貴方が魔物使いでなくとも……きっと貴方を愛しただろう』
「そう、かな。魔物使いじゃなかったら会えなかったんじゃない? でも嬉しいよ、アル。そう言ってくれるだけで……」
『ヘル、私はきっと貴方の傍に戻る。すぐに、すぐに戻ってみせる』
「……出来るだけゆっくりして欲しいなぁ」
視界の端で黒い翼が揺れた、アルのものではない。
もっと邪悪で、禍々しく、冒涜的な、あの天使の翼だ。つまらなそうに僕達を見つめ、ため息をついてからこう吐き捨てた。
『もういい? 在り来りだし……そんなに面白くもないんだよね』
「……出来れば、一瞬で殺してください。僕、痛いの嫌いなんです」
そんなしたくもない叶わない願いは、想定外の言葉で裏切られた。
『はぁ? 何言ってんの君。君が痛いの嫌いとか関係無いよ? 君にはなーんにもしないからさ』
「…………え?」
『人間は出来る限り苦しめたいんだ、それは何も殺し方だけじゃないよねぇ。さっき聞いたよ? 死ぬより辛いことがあるんだってね』
天使はそう言ってアルに手を伸ばす。僕は天使の狙いと次の行動を察してアルを抱き締めて体を引き摺って逃げようとする。
「く、来るな! 近寄るなぁ! 」
『あっははは、私は魔物じゃないんだよね。だーかーらー、君には操られないんだよ。魔物使い君』
足を踏まれ、折られ、僕の無駄な逃走は終わる。アルは僕の顔に頬を擦り寄せて、囁く。
『私が居なくとも、もう貴方は独りではない。だが、これだけは覚えておいてくれないか。貴方を最も愛していたのはこの私だと、アルギュロスだと。私の姿も体温も感触も全て忘れろ、だがそれだけは覚えておいてくれ』
「アル! やめろ、離せよ! 返せ! アルは僕のだ!」
天使はアルの頭を掴み、僕から引き剥がす。優しい笑みを浮かべたままに天使は右手でアルの頭を掴み、左手で首の付け根を掴んだ。
「嫌、やだ、やめて、ねぇ……お願い、やめて。返して、お願い、アルがいなくなったら、僕……」
『や~だね! 恨むなら私の封印を解いた自分を恨みなよ。あの変換装置が働いていたら私は牢屋を出たり出来なかったんだからさ』
天使は両手を広げた、アルを掴んだまま。辺り一面に血が飛んで、視界が赤で埋まって何も分からなくなる。
僕に投げつけられたカタマリも、何なのか分からない、分かりたくない、分かっちゃダメだ。
『あれ、断末魔とか無い感じ? 人間の方ももなーんにも叫んだりしないし……思ってたのと違うね。まぁいいや、牢から出してくれてありがとう、ばいばい人間!』
天使は天井を貫き、十二枚の黒い翼を揺らして飛んでいった。僕はそれを目で追うこともせずに、ただ目の前の惨状を眺めていた。
叫びもせず、泣きもせず、ただ座り込んでいた。折れた足の痛みも何も感じなかった。
床に転がった二つの肉塊をただぼうっと見つめた。銀色の毛、黒い翼、それは生を失くしてもなお輝いている。
真っ二つにされたアルの間に、どろっとした何かが落ちている。他の肉とは違った見た目、色、感触、これはきっと内臓なのだろう。
「アル、ねぇアル。アルってば」
揺らしても、抱き締めても、名前を呼んでも、返事はない。
「起きて、起きてよ。ねぇアルってばぁ。僕を独りにしないでよ、約束守ってよ。僕はアルが居ないと駄目なんだよ、独りなんだよ。ねぇ……起きてよ、起きて……起きてよぉ……アル」
いつもなら、こんなふうに泣いていたらきっとアルは慌てて僕を慰めてくれる。心配そうに顔を覗き込んで、涙を舐めて、擦り寄るんだ。
その慌てように僕は泣いていたことも忘れて笑って、アルを抱き締めて撫でて、一緒に寝るんだ。
今はそれをしてくれないから、仕方なく僕はアルを二つとも抱き寄せた。中身も掻き集めて、遠くに飛んだ尻尾と足達も拾ってきた。
これでいつもと同じだ、アルが動かず喋らず冷たいのを除けば。
除くことなど出来ないのだけれど。
それでも僕は冷たくコンクリートの上に寝転がって、赤い液体を体に染み込ませる。
生温いそれは次第に温度を失っていく、それが酷く不安を煽る。その不安を消す為にもアルを抱き締めて眠った。
そうすれば全部夢だったと証明出来るから。本当は柔らかいベッドで一緒に眠っていると分かるから。
起きたらきっと、アルが呆れた顔をしてもう昼だぞって言ってくるんだ。
僕は適当に謝って、アルを抱き締めるんだ。
きっと、そうだ。
そうでなければダメなんだ。
でないと、僕はもう生きていけない。
早く夢から覚めないと。
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「あ、あなたはっ、人間が憎いんでしょ? 魔物には恨みは無いんでしょ?」
『……まぁ、そうかな? そうだね、無いねぇ』
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その次の言葉が紡げない。
何て言うべきなのかも頭の中から抜けていく。
僕を嬲れ? 僕を殺せ?
アルは飛んでいた意識を戻し、僕の膝に頭を乗せた。黙って僕を見つめている、逃げろなんて言わないし、僕を押して逃がそうともしない。
『君を……何? 殺せ? それでいいの?』
天使は僕の頬を撫でるのをやめ、背筋を伸ばすとその美しい髪を梳き始めた。
『君は自分の死よりもその狼の死が嫌なの?』
「…………は、い」
『ふぅん、そっかぁ……じゃ、仕方ないね。ああそうだ! ちょっとの間待ってあげる、死に別れるんだから、色々話したいよね』
天使は僕達から離れて、壁にもたれ掛かる。腕時計もないのに腕時計を見るような仕草をして、ちらちらと僕を見る。
僕は今から死ぬんだ、それもとびきり苦しんで。
そう直感していたが、実感が湧いてこないせいなのか僕は酷く冷静だ。
これからの自分の死よりも、アルの傷の方が心配だった。
「アル、痛む? 大丈夫?」
『……へ、る』
「無理に話さないで、僕は大丈夫だから」
アルの傷は少しずつ少しずつ再生を始めている、だが治りきるまで時間を稼げるとは思えないし、治ったところで逃げ切ることも出来ないだろう。
僕はもう諦めていた、あの天使にはそうさせるだけの力があるのだ。
アルをそっと抱き締めて、傷を抉らないように慎重に背を撫でる。
『ヘル、すまない、約束は守れそうにないな』
「……約束は守れるよ、僕が死ぬんだから。僕はアルに置いていかれないし、僕は最期までアルと一緒に居たことになるよ」
『私は、例え貴方が魔物使いでなくとも……きっと貴方を愛しただろう』
「そう、かな。魔物使いじゃなかったら会えなかったんじゃない? でも嬉しいよ、アル。そう言ってくれるだけで……」
『ヘル、私はきっと貴方の傍に戻る。すぐに、すぐに戻ってみせる』
「……出来るだけゆっくりして欲しいなぁ」
視界の端で黒い翼が揺れた、アルのものではない。
もっと邪悪で、禍々しく、冒涜的な、あの天使の翼だ。つまらなそうに僕達を見つめ、ため息をついてからこう吐き捨てた。
『もういい? 在り来りだし……そんなに面白くもないんだよね』
「……出来れば、一瞬で殺してください。僕、痛いの嫌いなんです」
そんなしたくもない叶わない願いは、想定外の言葉で裏切られた。
『はぁ? 何言ってんの君。君が痛いの嫌いとか関係無いよ? 君にはなーんにもしないからさ』
「…………え?」
『人間は出来る限り苦しめたいんだ、それは何も殺し方だけじゃないよねぇ。さっき聞いたよ? 死ぬより辛いことがあるんだってね』
天使はそう言ってアルに手を伸ばす。僕は天使の狙いと次の行動を察してアルを抱き締めて体を引き摺って逃げようとする。
「く、来るな! 近寄るなぁ! 」
『あっははは、私は魔物じゃないんだよね。だーかーらー、君には操られないんだよ。魔物使い君』
足を踏まれ、折られ、僕の無駄な逃走は終わる。アルは僕の顔に頬を擦り寄せて、囁く。
『私が居なくとも、もう貴方は独りではない。だが、これだけは覚えておいてくれないか。貴方を最も愛していたのはこの私だと、アルギュロスだと。私の姿も体温も感触も全て忘れろ、だがそれだけは覚えておいてくれ』
「アル! やめろ、離せよ! 返せ! アルは僕のだ!」
天使はアルの頭を掴み、僕から引き剥がす。優しい笑みを浮かべたままに天使は右手でアルの頭を掴み、左手で首の付け根を掴んだ。
「嫌、やだ、やめて、ねぇ……お願い、やめて。返して、お願い、アルがいなくなったら、僕……」
『や~だね! 恨むなら私の封印を解いた自分を恨みなよ。あの変換装置が働いていたら私は牢屋を出たり出来なかったんだからさ』
天使は両手を広げた、アルを掴んだまま。辺り一面に血が飛んで、視界が赤で埋まって何も分からなくなる。
僕に投げつけられたカタマリも、何なのか分からない、分かりたくない、分かっちゃダメだ。
『あれ、断末魔とか無い感じ? 人間の方ももなーんにも叫んだりしないし……思ってたのと違うね。まぁいいや、牢から出してくれてありがとう、ばいばい人間!』
天使は天井を貫き、十二枚の黒い翼を揺らして飛んでいった。僕はそれを目で追うこともせずに、ただ目の前の惨状を眺めていた。
叫びもせず、泣きもせず、ただ座り込んでいた。折れた足の痛みも何も感じなかった。
床に転がった二つの肉塊をただぼうっと見つめた。銀色の毛、黒い翼、それは生を失くしてもなお輝いている。
真っ二つにされたアルの間に、どろっとした何かが落ちている。他の肉とは違った見た目、色、感触、これはきっと内臓なのだろう。
「アル、ねぇアル。アルってば」
揺らしても、抱き締めても、名前を呼んでも、返事はない。
「起きて、起きてよ。ねぇアルってばぁ。僕を独りにしないでよ、約束守ってよ。僕はアルが居ないと駄目なんだよ、独りなんだよ。ねぇ……起きてよ、起きて……起きてよぉ……アル」
いつもなら、こんなふうに泣いていたらきっとアルは慌てて僕を慰めてくれる。心配そうに顔を覗き込んで、涙を舐めて、擦り寄るんだ。
その慌てように僕は泣いていたことも忘れて笑って、アルを抱き締めて撫でて、一緒に寝るんだ。
今はそれをしてくれないから、仕方なく僕はアルを二つとも抱き寄せた。中身も掻き集めて、遠くに飛んだ尻尾と足達も拾ってきた。
これでいつもと同じだ、アルが動かず喋らず冷たいのを除けば。
除くことなど出来ないのだけれど。
それでも僕は冷たくコンクリートの上に寝転がって、赤い液体を体に染み込ませる。
生温いそれは次第に温度を失っていく、それが酷く不安を煽る。その不安を消す為にもアルを抱き締めて眠った。
そうすれば全部夢だったと証明出来るから。本当は柔らかいベッドで一緒に眠っていると分かるから。
起きたらきっと、アルが呆れた顔をしてもう昼だぞって言ってくるんだ。
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