上 下
75 / 909
第七章 牢獄の国に封じられし明星

これは夢だから

しおりを挟む
天使は僕の首から手を離し、腕に喰いついたアルを引き剥がそうとする。

『離せっ!  魔獣如きが……私に敵うと思うなぁ!』

天使は噛み付かれた腕を振って、壁に何度も叩きつける。硬いものが砕ける音がして、天使の腕からアルが離れた。
腕に刺さったままの牙を引き抜き、天使は僕に向き直る。天使らしい極上の笑みを浮かべて。

『君達……仲、良いんだね?』

「アルに、酷いことしないで……お願い」

アルの傍ににじり寄って、天使の足に縋る。天使は優しい笑みを浮かべて僕の頭を撫でた。

「あ、あなたはっ、人間が憎いんでしょ?  魔物には恨みは無いんでしょ?」

『……まぁ、そうかな?  そうだね、無いねぇ』

「な、ならっ、僕を……ぼく、を」

その次の言葉が紡げない。
何て言うべきなのかも頭の中から抜けていく。
僕を嬲れ?  僕を殺せ?
アルは飛んでいた意識を戻し、僕の膝に頭を乗せた。黙って僕を見つめている、逃げろなんて言わないし、僕を押して逃がそうともしない。

『君を……何?  殺せ?  それでいいの?』

天使は僕の頬を撫でるのをやめ、背筋を伸ばすとその美しい髪を梳き始めた。

『君は自分の死よりもその狼の死が嫌なの?』

「…………は、い」

『ふぅん、そっかぁ……じゃ、仕方ないね。ああそうだ!  ちょっとの間待ってあげる、死に別れるんだから、色々話したいよね』

天使は僕達から離れて、壁にもたれ掛かる。腕時計もないのに腕時計を見るような仕草をして、ちらちらと僕を見る。
僕は今から死ぬんだ、それもとびきり苦しんで。
そう直感していたが、実感が湧いてこないせいなのか僕は酷く冷静だ。
これからの自分の死よりも、アルの傷の方が心配だった。

「アル、痛む?  大丈夫?」

『……へ、る』

「無理に話さないで、僕は大丈夫だから」

アルの傷は少しずつ少しずつ再生を始めている、だが治りきるまで時間を稼げるとは思えないし、治ったところで逃げ切ることも出来ないだろう。
僕はもう諦めていた、あの天使にはそうさせるだけの力があるのだ。
アルをそっと抱き締めて、傷を抉らないように慎重に背を撫でる。

『ヘル、すまない、約束は守れそうにないな』

「……約束は守れるよ、僕が死ぬんだから。僕はアルに置いていかれないし、僕は最期までアルと一緒に居たことになるよ」

『私は、例え貴方が魔物使いでなくとも……きっと貴方を愛しただろう』

「そう、かな。魔物使いじゃなかったら会えなかったんじゃない?  でも嬉しいよ、アル。そう言ってくれるだけで……」

『ヘル、私はきっと貴方の傍に戻る。すぐに、すぐに戻ってみせる』

「……出来るだけゆっくりして欲しいなぁ」

視界の端で黒い翼が揺れた、アルのものではない。
もっと邪悪で、禍々しく、冒涜的な、あの天使の翼だ。つまらなそうに僕達を見つめ、ため息をついてからこう吐き捨てた。

『もういい?  在り来りだし……そんなに面白くもないんだよね』

「……出来れば、一瞬で殺してください。僕、痛いの嫌いなんです」

そんなしたくもない叶わない願いは、想定外の言葉で裏切られた。

『はぁ?  何言ってんの君。君が痛いの嫌いとか関係無いよ?  君にはなーんにもしないからさ』

「…………え?」

『人間は出来る限り苦しめたいんだ、それは何も殺し方だけじゃないよねぇ。さっき聞いたよ?  死ぬより辛いことがあるんだってね』

天使はそう言ってアルに手を伸ばす。僕は天使の狙いと次の行動を察してアルを抱き締めて体を引き摺って逃げようとする。

「く、来るな!  近寄るなぁ! 」

『あっははは、私は魔物じゃないんだよね。だーかーらー、君には操られないんだよ。魔物使い君』

足を踏まれ、折られ、僕の無駄な逃走は終わる。アルは僕の顔に頬を擦り寄せて、囁く。

『私が居なくとも、もう貴方は独りではない。だが、これだけは覚えておいてくれないか。貴方を最も愛していたのはこの私だと、アルギュロスだと。私の姿も体温も感触も全て忘れろ、だがそれだけは覚えておいてくれ』

「アル!  やめろ、離せよ!  返せ!  アルは僕のだ!」

天使はアルの頭を掴み、僕から引き剥がす。優しい笑みを浮かべたままに天使は右手でアルの頭を掴み、左手で首の付け根を掴んだ。

「嫌、やだ、やめて、ねぇ……お願い、やめて。返して、お願い、アルがいなくなったら、僕……」

『や~だね!  恨むなら私の封印を解いた自分を恨みなよ。あの変換装置が働いていたら私は牢屋を出たり出来なかったんだからさ』

天使は両手を広げた、アルを掴んだまま。辺り一面に血が飛んで、視界が赤で埋まって何も分からなくなる。
僕に投げつけられたカタマリも、何なのか分からない、分かりたくない、分かっちゃダメだ。

『あれ、断末魔とか無い感じ?  人間の方ももなーんにも叫んだりしないし……思ってたのと違うね。まぁいいや、牢から出してくれてありがとう、ばいばい人間!』

天使は天井を貫き、十二枚の黒い翼を揺らして飛んでいった。僕はそれを目で追うこともせずに、ただ目の前の惨状を眺めていた。
叫びもせず、泣きもせず、ただ座り込んでいた。折れた足の痛みも何も感じなかった。

床に転がった二つの肉塊をただぼうっと見つめた。銀色の毛、黒い翼、それは生を失くしてもなお輝いている。
真っ二つにされたアルの間に、どろっとした何かが落ちている。他の肉とは違った見た目、色、感触、これはきっと内臓なのだろう。

「アル、ねぇアル。アルってば」

揺らしても、抱き締めても、名前を呼んでも、返事はない。

「起きて、起きてよ。ねぇアルってばぁ。僕を独りにしないでよ、約束守ってよ。僕はアルが居ないと駄目なんだよ、独りなんだよ。ねぇ……起きてよ、起きて……起きてよぉ……アル」

いつもなら、こんなふうに泣いていたらきっとアルは慌てて僕を慰めてくれる。心配そうに顔を覗き込んで、涙を舐めて、擦り寄るんだ。
その慌てように僕は泣いていたことも忘れて笑って、アルを抱き締めて撫でて、一緒に寝るんだ。

今はそれをしてくれないから、仕方なく僕はアルを二つとも抱き寄せた。中身も掻き集めて、遠くに飛んだ尻尾と足達も拾ってきた。
これでいつもと同じだ、アルが動かず喋らず冷たいのを除けば。
除くことなど出来ないのだけれど。

それでも僕は冷たくコンクリートの上に寝転がって、赤い液体を体に染み込ませる。
生温いそれは次第に温度を失っていく、それが酷く不安を煽る。その不安を消す為にもアルを抱き締めて眠った。
そうすれば全部夢だったと証明出来るから。本当は柔らかいベッドで一緒に眠っていると分かるから。

起きたらきっと、アルが呆れた顔をしてもう昼だぞって言ってくるんだ。
僕は適当に謝って、アルを抱き締めるんだ。

きっと、そうだ。
そうでなければダメなんだ。
でないと、僕はもう生きていけない。


早く夢から覚めないと。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~

明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!! 『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。  無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。  破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。 「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」 【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?

~クラス召喚~ 経験豊富な俺は1人で歩みます

無味無臭
ファンタジー
久しぶりに異世界転生を体験した。だけど周りはビギナーばかり。これでは俺が巻き込まれて死んでしまう。自称プロフェッショナルな俺はそれがイヤで他の奴と離れて生活を送る事にした。天使には魔王を討伐しろ言われたけど、それは面倒なので止めておきます。私はゆっくりのんびり異世界生活を送りたいのです。たまには自分の好きな人生をお願いします。

ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語

Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。 チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。 その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。 さぁ、どん底から這い上がろうか そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。 少年は英雄への道を歩き始めるのだった。 ※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。

能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?

火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…? 24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

虐殺者の称号を持つ戦士が元公爵令嬢に雇われました

オオノギ
ファンタジー
【虐殺者《スレイヤー》】の汚名を着せられた王国戦士エリクと、 【才姫《プリンセス》】と帝国内で謳われる公爵令嬢アリア。 互いに理由は違いながらも国から追われた先で出会い、 戦士エリクはアリアの護衛として雇われる事となった。 そして安寧の地を求めて二人で旅を繰り広げる。 暴走気味の前向き美少女アリアに振り回される戦士エリクと、 不器用で愚直なエリクに呆れながらも付き合う元公爵令嬢アリア。 凸凹コンビが織り成し紡ぐ異世界を巡るファンタジー作品です。

異世界で魔法が使えるなんて幻想だった!〜街を追われたので馬車を改造して車中泊します!〜え、魔力持ってるじゃんて?違います、電力です!

あるちゃいる
ファンタジー
 山菜を採りに山へ入ると運悪く猪に遭遇し、慌てて逃げると崖から落ちて意識を失った。  気が付いたら山だった場所は平坦な森で、落ちたはずの崖も無かった。  不思議に思ったが、理由はすぐに判明した。  どうやら農作業中の外国人に助けられたようだ。  その外国人は背中に背負子と鍬を背負っていたからきっと近所の農家の人なのだろう。意外と流暢な日本語を話す。が、言葉の意味はあまり理解してないらしく、『県道は何処か?』と聞いても首を傾げていた。  『道は何処にありますか?』と言ったら、漸く理解したのか案内してくれるというので着いていく。  が、行けども行けどもどんどん森は深くなり、不審に思い始めた頃に少し開けた場所に出た。  そこは農具でも置いてる場所なのかボロ小屋が数軒建っていて、外国人さんが大声で叫ぶと、人が十数人ゾロゾロと小屋から出てきて、俺の周りを囲む。  そして何故か縄で手足を縛られて大八車に転がされ……。   ⚠️超絶不定期更新⚠️

【完結】ガラクタゴミしか召喚出来ないへっぽこ聖女、ゴミを糧にする大精霊達とのんびりスローライフを送る〜追放した王族なんて知らんぷりです!〜

櫛田こころ
ファンタジー
お前なんか、ガラクタ当然だ。 はじめの頃は……依頼者の望み通りのものを召喚出来た、召喚魔法を得意とする聖女・ミラジェーンは……ついに王族から追放を命じられた。 役立たずの聖女の代わりなど、いくらでもいると。 ミラジェーンの召喚魔法では、いつからか依頼の品どころか本当にガラクタもだが『ゴミ』しか召喚出来なくなってしまった。 なので、大人しく城から立ち去る時に……一匹の精霊と出会った。餌を与えようにも、相変わらずゴミしか召喚出来ずに泣いてしまうと……その精霊は、なんとゴミを『食べて』しまった。 美味しい美味しいと絶賛してくれた精霊は……ただの精霊ではなく、精霊王に次ぐ強力な大精霊だとわかり。ミラジェーンを精霊の里に来て欲しいと頼んできたのだ。 追放された聖女の召喚魔法は、実は精霊達には美味しい美味しいご飯だとわかり、のんびり楽しく過ごしていくスローライフストーリーを目指します!!

異世界転生~チート魔法でスローライフ

リョンコ
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。 43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。 その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」 大型連休を利用して、 穴場スポットへやってきた! テントを建て、BBQコンロに テーブル等用意して……。 近くの川まで散歩しに来たら、 何やら動物か?の気配が…… 木の影からこっそり覗くとそこには…… キラキラと光注ぐように発光した 「え!オオカミ!」 3メートルはありそうな巨大なオオカミが!! 急いでテントまで戻ってくると 「え!ここどこだ??」 都会の生活に疲れた主人公が、 異世界へ転生して 冒険者になって 魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。 恋愛は多分ありません。 基本スローライフを目指してます(笑) ※挿絵有りますが、自作です。 無断転載はしてません。 イラストは、あくまで私のイメージです ※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが 少し趣向を変えて、 若干ですが恋愛有りになります。 ※カクヨム、なろうでも公開しています

処理中です...