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第二章 ネオン輝く娯楽の国
必然的好意
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大きなベッドに一人体を横たわらせていると、寂しさがこみ上げる。たとえ数日の宿だとしても寝具や部屋は自分にあったものを選んだ方がいい。でなければ僕のように途方もない寂しさに襲われるだろう。
『ヘル、仕事は?』
「今日はないよ、カジノはしばらく休業だし」
風呂上がりで濡れた体をタオルに包み、アルは床に寝転がっている。この国に来てからアルは一日に何度も風呂に入っている、気に入っているのかもしれない。
『探さんのか?』
「これしようと思ってるんだけど。どう?」
『レース用の馬の世話か、私がついて行けるのなら構わんぞ』
「じゃあ電話かけとくね」
求人広告に載った電話番号をメモし、一階の電話を借りに行く。一階の広場には煙管から怪しい緑の煙を燻らせる男達が集まっており、今まで避けていたのだ。煙管を揺らす男達の目は皆虚ろで気味が悪い。
電話を借りたついでに食堂を覗けば、人の形を失う程に太った人間達でごった返している。料理と言えるのかも怪しい物を掻き込み、飲み込み、溢れたものが床に落ちる。その腐った果実のような音と匂いは、吐き気を催させた。
とんとん、と一定のリズムを刻み、階段を上る。
今日はもう物を食べる気にはなれない。シャワーを浴びたらすぐに寝よう。
息苦しさを感じ、目を覚ます。顔の上に乗った銀色の毛皮をどかすと、爽やかな青い空が窓に見えた。
「アル……僕の上で寝るのやめてよ」
アルはまだ目を覚ました様子はなく、返事代わりに一声鳴いた。むにゃむにゃと寝言を繰り返すアルを横目に、洗面所に向かう。
十分に眠っているにもかかわらず目の下のクマは取れない。
髪をかきあげて右眼を鏡に近づけると、薄桃色の照明を受けて金の輝きを見せた、虹彩に書かれた文字が動いたようにも見える。奇妙な眼にため息をつき、それを振り払うように頭から水をかぶった。
ベッドに戻るとアルが欠伸をしながら僕の腕に尾を絡ませる。黒蛇が顔の前でにっこりと笑った。
この国の朝の風景を見るのは初めてかもしれない。人通りは多くない、ネオンも夜ほどは目立たない。
不健康な雰囲気ではあるが、空気は冷たく透き通っているように思える。
この国は朝に眠るのだ。
競馬場の裏方、馬小屋。レース用の馬というのはこの馬達の事だ。
羽が生えていたり、角が生えていたり、体が半分違う生き物だったり。僕が馬と聞いて一番に思い浮かべるような馬はいない。
「最初は餌やり、その後体を洗って、個体ごとに軽い運動、終わったら戻す。レースの後はまず体を洗って、餌やり、必要ならマッサージをして、小屋に戻して仕事は終わり」
渡されたメモに書かれた業務をうわ言のように繰り返す。アルは馬を怖がらせないようにと小屋の外へ。今日は一人で仕事をしなければならない。
「餌は……全員牧草なんだね、美味しい?」
ブロックになった牧草を一頭一頭の小屋に放り込む。当然の事なのかもしれないが、いくら話しかけたところで馬は味の感想など言わない。
「えっと、洗うってこのブラシでいいの? みんな、大人しくしててね」
馬はじっと僕を見つめたまま動かない、いつもこうならこの仕事は楽そうだ。
「運動……君と君は走ってきて、君はあっちの方飛んできて、君は……泳ぐのかな?」
ちゃんと戻って来るのだろうか、なんて懸念を無視して馬小屋の扉を開いていくと、ぴたりと僕の顔に冷たく硬いものが当たる。
「わっ! 君……君は、運動しないの?」
骨……だ。真っ白い骨だけの馬が僕に擦り寄っている。触れてみても肉の感触はない、透けている訳ではなく本当に骨しかないのだ。
『ヘル、あまり近づくと危険だぞ。そいつは骨馬、生ける者の体温を奪う魔獣だ。まぁ寒気がする程度だがな』
「へぇ……よしよし、いい子だね」
小屋を覗くアルの話を聞き流し、馬を撫でる。どこから鳴っているのかは分からないが気持ち良さそうな鳴き声を上げ、また顔を擦り寄せる。目の位置にある何もない窪みを見ていると、その黒に吸い込まれそうだった。
「へくしゅっ、なんか寒いなぁ……晴れてるのに」
まるで川に浸かった後のような寒気だ。陽に当たろうと小屋の外に出ると、馬は着いてこなかった。
小屋の中から僕を見つめる無いはずの目が悲しそうにしている気がした。
『アレは太陽の光を苦手とする。温かいモノは好きだが、暖かいモノは嫌いという訳だ。闇に巣食うものは総じて面倒な生態をしている』
「……そっか、来れないんだね」
どこからともつかず悲しい鳴き声をあげる。小屋の中に入れた手に擦り寄る馬は、僕の目には酷く哀れなものに映った。
今日の分のレースが終わり、馬達が小屋に戻ってきた。昼と同じように体を洗い、餌をやる。
「あれ? 怪我してる」
『競走馬だからな、鞭だろう』
「アル……入ってきちゃ駄目じゃないか」
『ふん、昼間に散々遊んでいたんだ。今更私を怖がる馬などいない』
小屋から時折見えた走るアルの姿はそれだったのか。得意気な顔をするアルがどこか子供っぽく見えた。
「よしよし、君は撫でられるの好きなんだね。うん、いい子いい子……ふふっ」
『そいつには近づくなと言っているのに』
白く冷たい顔を突き出して、僕に頭を撫でろと要求する。話さない魔物も何をして欲しいのかは分かるものなのだな、としみじみ思う。
「お疲れ様、はい今日の分」
「ありがとうございます」
雇い主の男に給金を渡される。男は周囲を見渡した後、小声でこう言った。
「蹴られなかったか?」
「いえ? 馬にですか?」
「ああ、ウチの馬は凶暴だからね。前の人も大怪我して辞めたんだよ」
耳に口を寄せ、更に声を小さくする。耳に当たる息がどことなく気持ち悪い。
「……前に騎手を振り落とした上に何度も踏みつけて殺した馬もいるしね、ほら、あの骨の馬だよ。君も気をつけてくれよ、これ以上怪我人が出ると誰も世話したがらなくなるからさ」
「……はい。分かりました」
心のこもっていない返事をすると、男は事務室に引っ込んでいった。男の話を頭の中でゆっくりと反芻する。
あの大人しい馬達が凶暴? あの可愛らしい骨馬が騎手を殺した?
全く違う世界の出来事のように思える。あの子達はみんないい子だった。
「アル、さっきのおじさんの話ってさ、本当なのかな」
『馬型の魔物はその殆どが気高く、気性が荒く、神経質だ。気に入らない者に触れられただけで怒り狂う。特に骨馬は臆病な種だ、パニックにでもなったんだろうな』
「僕はなんともなかったよ」
『貴方は魔物使い、能力を使わずともその魔力には魅了されるだろう』
「僕には魔力も魅力もないよ。だって……僕の国では、僕は、何も出来なくて」
言葉が続かない。もう存在しない魔法の国。
学校での皆の見下した目。両親の失望した顔。
それら全てが紅く染まったあの夜。
そして、何処にいるのかも分からない兄の顔。
全てが頭の中をぐるぐる回って、混ざって、訳が分からないくらいに泣きたくなる。
『魔力は人の血に宿る。どのような現象として現れるのかは人次第だ。魔法の国は魔法として現れる者が多いのだろう。だが、魔法など使えなくてもその魔力は必ず人の魅力となる。それに気がつくかは別としてな』
何も言わずに歩く僕に、アルが擦り寄ってくる。
いつものように「歩きにくい」だなんて言う気にはなれなかった。
『私は貴方の魅力に気がついた。貴方も早く気がつくといい。全ての魔物は貴方を愛するのだから』
僕はそれにも答えずに、そっとアルの背に触れる、アルは何も言わずに僕を翼で包み込んだ。
その音のない時間が、僕にはとても愛おしかった。
『ヘル、仕事は?』
「今日はないよ、カジノはしばらく休業だし」
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電話を借りたついでに食堂を覗けば、人の形を失う程に太った人間達でごった返している。料理と言えるのかも怪しい物を掻き込み、飲み込み、溢れたものが床に落ちる。その腐った果実のような音と匂いは、吐き気を催させた。
とんとん、と一定のリズムを刻み、階段を上る。
今日はもう物を食べる気にはなれない。シャワーを浴びたらすぐに寝よう。
息苦しさを感じ、目を覚ます。顔の上に乗った銀色の毛皮をどかすと、爽やかな青い空が窓に見えた。
「アル……僕の上で寝るのやめてよ」
アルはまだ目を覚ました様子はなく、返事代わりに一声鳴いた。むにゃむにゃと寝言を繰り返すアルを横目に、洗面所に向かう。
十分に眠っているにもかかわらず目の下のクマは取れない。
髪をかきあげて右眼を鏡に近づけると、薄桃色の照明を受けて金の輝きを見せた、虹彩に書かれた文字が動いたようにも見える。奇妙な眼にため息をつき、それを振り払うように頭から水をかぶった。
ベッドに戻るとアルが欠伸をしながら僕の腕に尾を絡ませる。黒蛇が顔の前でにっこりと笑った。
この国の朝の風景を見るのは初めてかもしれない。人通りは多くない、ネオンも夜ほどは目立たない。
不健康な雰囲気ではあるが、空気は冷たく透き通っているように思える。
この国は朝に眠るのだ。
競馬場の裏方、馬小屋。レース用の馬というのはこの馬達の事だ。
羽が生えていたり、角が生えていたり、体が半分違う生き物だったり。僕が馬と聞いて一番に思い浮かべるような馬はいない。
「最初は餌やり、その後体を洗って、個体ごとに軽い運動、終わったら戻す。レースの後はまず体を洗って、餌やり、必要ならマッサージをして、小屋に戻して仕事は終わり」
渡されたメモに書かれた業務をうわ言のように繰り返す。アルは馬を怖がらせないようにと小屋の外へ。今日は一人で仕事をしなければならない。
「餌は……全員牧草なんだね、美味しい?」
ブロックになった牧草を一頭一頭の小屋に放り込む。当然の事なのかもしれないが、いくら話しかけたところで馬は味の感想など言わない。
「えっと、洗うってこのブラシでいいの? みんな、大人しくしててね」
馬はじっと僕を見つめたまま動かない、いつもこうならこの仕事は楽そうだ。
「運動……君と君は走ってきて、君はあっちの方飛んできて、君は……泳ぐのかな?」
ちゃんと戻って来るのだろうか、なんて懸念を無視して馬小屋の扉を開いていくと、ぴたりと僕の顔に冷たく硬いものが当たる。
「わっ! 君……君は、運動しないの?」
骨……だ。真っ白い骨だけの馬が僕に擦り寄っている。触れてみても肉の感触はない、透けている訳ではなく本当に骨しかないのだ。
『ヘル、あまり近づくと危険だぞ。そいつは骨馬、生ける者の体温を奪う魔獣だ。まぁ寒気がする程度だがな』
「へぇ……よしよし、いい子だね」
小屋を覗くアルの話を聞き流し、馬を撫でる。どこから鳴っているのかは分からないが気持ち良さそうな鳴き声を上げ、また顔を擦り寄せる。目の位置にある何もない窪みを見ていると、その黒に吸い込まれそうだった。
「へくしゅっ、なんか寒いなぁ……晴れてるのに」
まるで川に浸かった後のような寒気だ。陽に当たろうと小屋の外に出ると、馬は着いてこなかった。
小屋の中から僕を見つめる無いはずの目が悲しそうにしている気がした。
『アレは太陽の光を苦手とする。温かいモノは好きだが、暖かいモノは嫌いという訳だ。闇に巣食うものは総じて面倒な生態をしている』
「……そっか、来れないんだね」
どこからともつかず悲しい鳴き声をあげる。小屋の中に入れた手に擦り寄る馬は、僕の目には酷く哀れなものに映った。
今日の分のレースが終わり、馬達が小屋に戻ってきた。昼と同じように体を洗い、餌をやる。
「あれ? 怪我してる」
『競走馬だからな、鞭だろう』
「アル……入ってきちゃ駄目じゃないか」
『ふん、昼間に散々遊んでいたんだ。今更私を怖がる馬などいない』
小屋から時折見えた走るアルの姿はそれだったのか。得意気な顔をするアルがどこか子供っぽく見えた。
「よしよし、君は撫でられるの好きなんだね。うん、いい子いい子……ふふっ」
『そいつには近づくなと言っているのに』
白く冷たい顔を突き出して、僕に頭を撫でろと要求する。話さない魔物も何をして欲しいのかは分かるものなのだな、としみじみ思う。
「お疲れ様、はい今日の分」
「ありがとうございます」
雇い主の男に給金を渡される。男は周囲を見渡した後、小声でこう言った。
「蹴られなかったか?」
「いえ? 馬にですか?」
「ああ、ウチの馬は凶暴だからね。前の人も大怪我して辞めたんだよ」
耳に口を寄せ、更に声を小さくする。耳に当たる息がどことなく気持ち悪い。
「……前に騎手を振り落とした上に何度も踏みつけて殺した馬もいるしね、ほら、あの骨の馬だよ。君も気をつけてくれよ、これ以上怪我人が出ると誰も世話したがらなくなるからさ」
「……はい。分かりました」
心のこもっていない返事をすると、男は事務室に引っ込んでいった。男の話を頭の中でゆっくりと反芻する。
あの大人しい馬達が凶暴? あの可愛らしい骨馬が騎手を殺した?
全く違う世界の出来事のように思える。あの子達はみんないい子だった。
「アル、さっきのおじさんの話ってさ、本当なのかな」
『馬型の魔物はその殆どが気高く、気性が荒く、神経質だ。気に入らない者に触れられただけで怒り狂う。特に骨馬は臆病な種だ、パニックにでもなったんだろうな』
「僕はなんともなかったよ」
『貴方は魔物使い、能力を使わずともその魔力には魅了されるだろう』
「僕には魔力も魅力もないよ。だって……僕の国では、僕は、何も出来なくて」
言葉が続かない。もう存在しない魔法の国。
学校での皆の見下した目。両親の失望した顔。
それら全てが紅く染まったあの夜。
そして、何処にいるのかも分からない兄の顔。
全てが頭の中をぐるぐる回って、混ざって、訳が分からないくらいに泣きたくなる。
『魔力は人の血に宿る。どのような現象として現れるのかは人次第だ。魔法の国は魔法として現れる者が多いのだろう。だが、魔法など使えなくてもその魔力は必ず人の魅力となる。それに気がつくかは別としてな』
何も言わずに歩く僕に、アルが擦り寄ってくる。
いつものように「歩きにくい」だなんて言う気にはなれなかった。
『私は貴方の魅力に気がついた。貴方も早く気がつくといい。全ての魔物は貴方を愛するのだから』
僕はそれにも答えずに、そっとアルの背に触れる、アルは何も言わずに僕を翼で包み込んだ。
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