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序章
第11話
しおりを挟む「っあ、あの!ちょっと待ってください!」
勇気を振り絞って声をかけたはいいものの、足は震え、目は合わせることが出来ない。ばくばくと音を立てる心臓を落ち着かせ、振り向いた彼の書類を見せてもらう。ああ、やっぱり。
「これ、すごく分かりにくいですよね。全部書式が違うし、書いている内容もそれぞれ自分流だからどこに何が書いてあるかわかりづらい。…あと純粋に疑問なんですがこれ、誰が書いたんでしょうか。字が……」
私はその他に、ちらと見ただけで気づけるような問題点の多い書類に、ひとつずつ指摘をして言った。
中には重要そうな書類もあったが、それにも様々な不備がある。これだと内容を見るまでに時間がかかってしまう。
「……ちょっと待ってください。先に運びましょうか、あなたもマリア様達のところへ行くのですよね?あと、ペンと紙をもらえますか。」
「は……はい、どうぞ。あ、執務室はこちらです。」
彼は私を先導するように前に立つと、マリアのいる執務室へ案内をしてくれた。
(それにしても、マリア達があんな不備の多い書類をそのままにするはずがないだろうに。)
私は両手に持っていた書類を片脇に抱えると、借りたペンと紙に、新しく書式を書き始めた。ざざっと大まかに書いた程度だが、マリア達にはこれで十分伝わるだろう。
廊下を進んでいくと、奥からガヤガヤと声が聞こえる。
なんだろう?そう思ってひょいと一際大きな声が聞こえる部屋を覗き込む。そこには、鬼のような形相で山のような仕事を片付けているマリア達の姿があった。たくさんの大人に紛れて、ソレイユも仕事に励んでいる。怒鳴り声と書類が人々の頭を行き交っている。
……こんなに大変だったのか……
マリアは虚ろな目で書類を片付け、ソレイユはケタケタと笑いながら紙の束に埋もれている。近くにいた男性は、何やら怪しげな葉っぱを口にくわえ仕事に向かっている。
これだけ忙しそうな様子なのに、金髪に緑目の男性はソレイユしかいない。……王は?
「あ、あの……大丈夫ですか?」
はっと私を案内してきてくれた彼の顔を見ると、目の周りにはクマだらけで、疲れきった顔をしている。彼もここの住人だったのか……
あんな忙しさなら、書式を改正する暇もないだろう。しかし、余計なお世話にならないだろうか。
そう迷いながら、私は彼に廊下を歩いている途中で書いた書式と、マリアに届ける書類の束を渡した。
「あ、あの……ご迷惑でなければ、マリア様にこの書類を届けて貰えますか?忘れていったようなんです。……あと、子供が考えたものなので恐縮なのですが、書式を作ってみました。ご参考になればと……」
私は彼に書類を渡した。彼は書類を受け取ると、驚いた顔でそれを見つめた。何やら難しい表情になると、彼は罵声の飛び交う部屋の中へ書類を持って入っていった。
あ、届けてくれたのか。なら、もう帰ろう。
出しゃばりすぎたか、と考えながら、私は元来た道を引き返そうとする。
途端に、がしゃんがしゃんと部屋が荒れるような音と切実な悲鳴が、部屋から出てきた。
何事かと思い部屋の方を振り向くと、ゆらりと幽鬼のような形相をしたマリアが部屋から出てきて、私の方をぎらりと見た。
「これ、ライラちゃんが?」
インクまみれの手には、先程私が書いた書式と、届けた書類を持っている。
私がビクビクしながら頷く様子を見ると、マリアはニタリと笑い、ドスの効いた猫なで声で言った。
「ねえ、ライラちゃん。お死事しない?」
なんだろう、お仕事じゃない気がする。
返事をする間もなくマリアに連れられて部屋の中に入る。誰かに何か言われるかと思ったが、皆こちらを気にする様子もなく仕事に向かっている。
マリアは自分の隣にもうひとつ席を設けると、私の書いた書式を部屋の人々に回すと、声を張り上げて言った。
「皆、しかと聞きなさい!我々が日頃から戦ってきたあの分かりづらい報告書どもとの戦いに、今日終止符が打たれる!今皆に回している書式に合わせて書けば、あの脳筋も、あの理屈っぽいじじいも、面倒くさがる魔術師どまも、どんなアホが書いても分かりやすいものができる!」
皆がこちらを勢いよく向き直ると、口々に騒ぎ出す。ソレイユは回ってきた紙を見て、こちらを勢いよく見た。私がいることに気づくと、驚いた様子で口を開けた。
「日頃から改正しようと思っていた。あの馬鹿どもの報告書に何度頭を悩ませたか……時間のない私達に変わり、ここにいるライラが代わりに書いてくれた。ねえ、ライラちゃん。
ライラちゃんはこの報告書の意味をものすごく理解しているね。じゃあ……ほかも出来るよね!!!」
何処かおかしくなった様子のマリアは、私の前にどんっと書類の束を置いた。
「部屋に戻って準備をしてらっしゃい。病み上がりに無理させてはダメだとは思うけど、ここまで理解しているなら話は別よ。使えるものは全て使うわ。さあ、急いで。」
私はマリアに追い立てられるように部屋の中を歩いた。
皆がこちらを見て拍手をしたり、中には泣き叫んでいる人もいる。少しこそばゆくなった私の腕を、誰かがガシッと掴む。
驚いてそちらを向くと、酷く疲れきったような顔をしたソレイユが私の腕を掴んでいた。
「……ライラ……目の覚めるような薬草と、熟睡出来るような薬草も頼めるかい?大量に欲しいんだが。」
私は頷くと、歓声が沸きあがる部屋を後にした。
(あ……どうしよう、どこから来たんだっけ)
部屋を出て少し進むと、どこから自分が来たのか分からなくなってしまった。行きは先導してもらっていて、書式を書くことに夢中だったので全く道順を覚えていない。
「道が分かりませんか?」
声をかけてきたのは、先程ぶつかり執務室まで案内してくれた若い青年だった。どうやら見かねて部屋から様子を見に来てくれたようだ。
私がこくりと頷くと、彼はにこりと笑い、着いてきてくださいと隣を歩いた。
私は部屋に戻ると、茶葉にしてあった薬草を山のように抱えた。部屋中に行き渡るにはこれくらい必要だろう。薬草で手のふさがった私の持ち物を、彼は代わりに持ってくれた
「…あなたが来てくださって助かりました。私一人では少し無理がありましたね。」
「いいえ、とんでもない。感謝をしなければならないのは私どものほうです。」
彼は感激したように私の方を見た。
「あの報告書を、一瞬見ただけで分かりやすく改定するなんて、本当に感動したのです。私達は日頃から書式を変えなければ行けないと思っていたのですが、如何せん時間が足りない。そしてそのままにしておくともっと仕事が増える。まさに悪循環でした。いえ、試したこともあったのです。ただ、使用人から貴族のお偉いさんまで使うとなると、どうしても……結局途中で時間切れになったのです。本当に、あなたがいてくれて良かった。」
彼はニコリと笑うと続けた。
「あなたはとても優秀だ。これから仕事にたくさん駆り出されるでしょう。きっと、私達の負担もみるみるうちに減っていく。そんな予感がします。」
彼と話しているうちに、執務室の前にたどり着く。先程より幾分か明るくなった声が漏れ聞こえ、彼は私の手から薬草を取る。
「薬草は茶葉になっているのですね?メイドに入れるよう指示しておきます。ああ、効能をタグに書いて付けてあるのですね。とても素晴らしい。飲むのが楽しみですよ。」
さあ、と彼は執務室の扉を開き、私を部屋の中へ招き入れる。
「さあ、華麗なる宴の始まりです。天使の饗宴か、はたまた悪魔共とのサバトか。両方でしょうね。同士ライラ、あなたが来てくださったことに感謝します。共にこの仕事を楽しもうじゃありませんか。さあ、お手をどうぞ」
クリーム色に薄い青緑の目をした彼は、クマの酷い顔を心底楽しそうに歪めて言った。
「地獄へようこそ、ライラ殿下。」
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