5 / 9
第五章
しおりを挟む
「ははーん、では、出たんですね。久しぶりに聞きましたよ。」
遠智というこの島唯一の役場の職員が、春川に言った。
春川は翌朝、明るい陽光のこぼれる部屋に一人で寝ていたことに気付き、昨夜感じた、あの添寝をしていたのが誰か確かめるすべもなく、そのまま役場に来て遠智にそのことを話したのだ。柱時計もちゃんとチェックしたが、それが昨夜に少しでも動いた形跡は、どこにもなかった。
「まあ、夢を見ただけなんだとは、思いますけれどもね。」
春川は恥ずかしそうに言った。
「ですが、いわゆる霊感豊かな体質じゃないし、あんな妙な、とても生々しい夢を見たのは、生まれて初めてなものだから。」
遠智は遠慮なく笑うと、
「なに、体質なんて関係ありませんよ。あそこじゃ、出る時は出るんです。昔、住み込みで働いていた灯台守の夫婦の霊らしいですけどね。でも何か悪さをするでもなく、なにを訴えるでもなく、いつの間にかいなくなるそうですよ。」
「そういえばその前、ランニングを着たお年寄りに警告されたんだった。そろそろ出る、って。」
春川は思い出し、そしてすぐに言い直した。
「いや、違います。出ると言ったんじゃない。お戻りになる、確かあのご老人はそのような表現をしました。」
「へえ?誰だろ、それは。」
遠智は驚き、
「どこで言われたんです?あの灯台の近くですか?」
「ええ、そうです。錆び付いた古い自転車を押して、麦わら帽を被った小柄なお年寄りでした。」
春川がそう言うと、遠智はギョッとしたような顔になった。
「まさか!それ、辰造さんじゃなかろうか?」
「タツゾウさん?」
「ええ。あのあたりに、そんな風態で自転車で通りがかるとしたら・・・辰造さんだ。家が坂のたもとにありましてね。今や、この島で二人しかいない漁師です。それで・・・。」
「それで?」
「二日ほど前に、亡くなりましたよ。ちょうどあなたが島に来る前日です。」
「なんだって!」
春川は、腰が抜けそうになるくらいに驚いた。
「そんな馬鹿な!会ったのは、きのうの夕方です。じゃ、私は、死人の霊と立ち話を交わしたと言いたいんですか?他人の空似でしょう?その人は、ぜったいに誰か違う人だ。」
しかし遠智は、なにやら真剣な顔をして眉根を寄せ、考え込みながら苦しそうにこう言った。
「いや、それは絶対に辰造さんですよ。この島の全人口は27人。私はこの島で生まれ育ち、もちろんその全員をよく知っている。あの場所で、そういう風態でそんな風に口をきくのは、絶対に辰造さんだけです。あなたは、夕暮れ前にも理解しがたい霊現象に遭遇したんですよ。どうやら、何かが憑いてるな。早めに御祓をしといた方がいいね。」
春川は、呆然としてこの島役場の役人を眺めた。彼がこうした理解しがたい超常現象をごく当たり前に受け入れていることにも驚いたが、これほど不審な事件が起こったにも関わらず、なにがしか調査してみようとか、あるいは島外の警察署に届け出るようなことすら勧めようとしない、公務員としての怠慢さに呆れてしまったのである。
もう、この男とこれ以上話していても仕方がない。春川は話を打ち切ると、JCGの属する国土交通省職員としての貌に戻り、灯台の維持管理の酷さを報告書に載せる旨を伝えた。これはもちろん、灯台に責を負わぬ島の役場にはなんの関係もない話だが、もしあちこちに付着していた汚れが島民の誰かによる意図的な悪戯なのだとしたら、最悪の場合、あとで個別の訴訟の対象になり得る。
また、敷地への不法侵入と器物破損は、ある種の刑法案件だ。なにしろ沖合の航路の安全を担保するための重要なインフラである。それへの妨害行為は厳重に対処されるべきであった。今度この島に春川とともにやって来るのは、民間の修理委託会社の作業員たちと、最寄りの本土の警察署員とになるであろう。
それはおそらく、日頃、警察沙汰とは縁遠いこの島の住民たちにとって、大事件のはずである。
遠智というこの島唯一の役場の職員が、春川に言った。
春川は翌朝、明るい陽光のこぼれる部屋に一人で寝ていたことに気付き、昨夜感じた、あの添寝をしていたのが誰か確かめるすべもなく、そのまま役場に来て遠智にそのことを話したのだ。柱時計もちゃんとチェックしたが、それが昨夜に少しでも動いた形跡は、どこにもなかった。
「まあ、夢を見ただけなんだとは、思いますけれどもね。」
春川は恥ずかしそうに言った。
「ですが、いわゆる霊感豊かな体質じゃないし、あんな妙な、とても生々しい夢を見たのは、生まれて初めてなものだから。」
遠智は遠慮なく笑うと、
「なに、体質なんて関係ありませんよ。あそこじゃ、出る時は出るんです。昔、住み込みで働いていた灯台守の夫婦の霊らしいですけどね。でも何か悪さをするでもなく、なにを訴えるでもなく、いつの間にかいなくなるそうですよ。」
「そういえばその前、ランニングを着たお年寄りに警告されたんだった。そろそろ出る、って。」
春川は思い出し、そしてすぐに言い直した。
「いや、違います。出ると言ったんじゃない。お戻りになる、確かあのご老人はそのような表現をしました。」
「へえ?誰だろ、それは。」
遠智は驚き、
「どこで言われたんです?あの灯台の近くですか?」
「ええ、そうです。錆び付いた古い自転車を押して、麦わら帽を被った小柄なお年寄りでした。」
春川がそう言うと、遠智はギョッとしたような顔になった。
「まさか!それ、辰造さんじゃなかろうか?」
「タツゾウさん?」
「ええ。あのあたりに、そんな風態で自転車で通りがかるとしたら・・・辰造さんだ。家が坂のたもとにありましてね。今や、この島で二人しかいない漁師です。それで・・・。」
「それで?」
「二日ほど前に、亡くなりましたよ。ちょうどあなたが島に来る前日です。」
「なんだって!」
春川は、腰が抜けそうになるくらいに驚いた。
「そんな馬鹿な!会ったのは、きのうの夕方です。じゃ、私は、死人の霊と立ち話を交わしたと言いたいんですか?他人の空似でしょう?その人は、ぜったいに誰か違う人だ。」
しかし遠智は、なにやら真剣な顔をして眉根を寄せ、考え込みながら苦しそうにこう言った。
「いや、それは絶対に辰造さんですよ。この島の全人口は27人。私はこの島で生まれ育ち、もちろんその全員をよく知っている。あの場所で、そういう風態でそんな風に口をきくのは、絶対に辰造さんだけです。あなたは、夕暮れ前にも理解しがたい霊現象に遭遇したんですよ。どうやら、何かが憑いてるな。早めに御祓をしといた方がいいね。」
春川は、呆然としてこの島役場の役人を眺めた。彼がこうした理解しがたい超常現象をごく当たり前に受け入れていることにも驚いたが、これほど不審な事件が起こったにも関わらず、なにがしか調査してみようとか、あるいは島外の警察署に届け出るようなことすら勧めようとしない、公務員としての怠慢さに呆れてしまったのである。
もう、この男とこれ以上話していても仕方がない。春川は話を打ち切ると、JCGの属する国土交通省職員としての貌に戻り、灯台の維持管理の酷さを報告書に載せる旨を伝えた。これはもちろん、灯台に責を負わぬ島の役場にはなんの関係もない話だが、もしあちこちに付着していた汚れが島民の誰かによる意図的な悪戯なのだとしたら、最悪の場合、あとで個別の訴訟の対象になり得る。
また、敷地への不法侵入と器物破損は、ある種の刑法案件だ。なにしろ沖合の航路の安全を担保するための重要なインフラである。それへの妨害行為は厳重に対処されるべきであった。今度この島に春川とともにやって来るのは、民間の修理委託会社の作業員たちと、最寄りの本土の警察署員とになるであろう。
それはおそらく、日頃、警察沙汰とは縁遠いこの島の住民たちにとって、大事件のはずである。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
冥府の王
早川隆
ホラー
クゥトルフの雰囲気をまとう宇宙探査SFホラー。感覚転移の異能の持ち主アイは、育ての親カールに伴われて、冥王星系への遠隔探査ミッションに従事する。星系最大の衛星カロンにある氷の大峡谷に降り立った探査用スレイヴを通じて、そこにある異様なものに気付き、やがて冥府の門衛が現れる・・・自己解釈によるクゥトルフ的世界観で、ごりっとしたサイファイ書いてみました。ラストは少し思弁SF風に味付けしております。夢幻的なユゴスやミ=ゴは出てきません。
S県児童連続欠損事件と歪人形についての記録
幾霜六月母
ホラー
198×年、女子児童の全身がばらばらの肉塊になって亡くなるという傷ましい事故が発生。
その後、連続して児童の身体の一部が欠損するという事件が相次ぐ。
刑事五十嵐は、事件を追ううちに森の奥の祠で、組み立てられた歪な肉人形を目撃する。
「ーーあの子は、人形をばらばらにして遊ぶのが好きでした……」
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
トラワレビト ~お祓い屋・椿風雅の事件簿~
MARU助
ホラー
【完結済み】
俺の名前は・椿風雅(つばきふうが)。
お祓い屋として依頼者の持ち込む相談事に対応して、お金を稼いでる。
大概の霊現象は思い込みなのだが、たまに<本物>に出くわすこともある。
今回は俺が受けてきた依頼の中から、選りすぐりの3件を選んで記録として残しておこうと思う。
老婆の霊が出るという家、ペットの魂が彷徨う寺、行方不明になった妹。
どこにでもあるような話だが、これは俺が実際に体験した物語だ。
文章執筆が初めてなので、文章力や語彙のなさ、誤字・脱字は勘弁してもらいたい。
暇な時にぜひ読んでいただきたい。
ーーーーーーーーーーーー物語として破綻している部分もありますが、素人の趣味小説ですのでおおらかな気持ちで読んでいただければと思います。誤字・脱字、非常に多いです。
野辺帰り
だんぞう
ホラー
現代ではすっかり珍しいものとなった野辺送りという風習がある。その地域では野辺送りに加えて野辺帰りというものも合わせて一連の儀式とされている。その野辺の送りと帰りの儀式を執り行う『おくりもん』である「僕」は、儀式の最中に周囲を彷徨く影を気にしていた。
儀式が進む中で次第に明らかになる、その地域の闇とも言えるべき状況と過去、そして「僕」の覚悟。その結末が救いであるのかどうかは、読まれた方の判断に委ねます。
新薬のバイト
シノメ
ホラー
バイト募集サイトを見ていると【治験バイト 高時給・髪型服装自由・即日】というとっておきの求人を見つけて速攻で応募
するとすぐさまメールが届き、明日面接できますか?など詳細が送られてきた
私服可、簡単な履歴書もしくは身分が証明できるものがあればOKなど全体的にかなり緩い
なんか上手い事いきすぎて不安になってきたが、金が欲しいためとりあえず面接を受けに行くことにした
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる