華闘記  ー かとうき ー

早川隆

文字の大きさ
上 下
15 / 17

第十二章  暗殺者

しおりを挟む
尾張統一における最大の障害、織田勘十郎信行を首尾よく討ち取ったはふり弥三郎重正は、次いで、この血塗られた一連の作業の総仕上げに取り掛かった。



勘十郎を粛清したあと、彼はひとり清洲の城を出ると、道々、無言のうちに津々木蔵人の仮装を剥ぎ取り、そのまま守山城へと向かった。そして今度は「丹羽兵蔵ひょうぞう」なる名を自称して、岩崎勢とともに在城していた丹羽源六氏勝の脇に坐し、軍師として悠々と彼を補佐するようになった。

しかし補佐役とは名ばかり、昼はただ奥庭で鷹どもに餌などやって戯れるだけである。しかし夜になれば毎日、源六とともに引き籠り、なにやらこそこそと談判している様子であった。城中の部下たちは、将の真意をいぶかった。



実は、源六氏勝はいったん心変わりしていた。当初は無主の守山城を事実上占拠し、尾張中央の政局に影響を与えるという自らの刺戟的な役割に熱中していたものの、その結果、次々と陰惨な人死ひとじにが相次ぎ、そしてひとつの獲物を狩ったいぬが、次にはられてむくろさらすという、この一連の冷徹な謀略の法則に気付いた彼は、話を持ちかけてきた弥三郎を警戒し、距離を置くようになった。

清洲で梁田弥次右衛門と名乗っていた頃、すでにこの源六の変心を感知した弥三郎は、上総介信長を経由して乳兄弟の池田勝三郎恒興つねおきを動かし、説得に当たらせた。弥三郎自身は日々せっせとねやで那古野弥五郎をたらす作業に専心せねばならず、すぐと清洲を動くことはできなかった。また、鋭敏で小心な源六の疑惑はとりあえず弥三郎へと向かっているため、とりあえず別人を立てて対策に当たらせたのである。

家中で信頼篤い人情家の池田勝三郎は、熱意をもってかき口説き、源六の説得と、自陣営への繋ぎ止めに成功した。その後ずっと、守山城は唯々諾々と弥三郎の計算どおりに動き、勘十郎信行を排除するまでの遠大な謀略は、つつがなく成功を収めた。勝三郎の大きな手柄である。



しかし・・・丹羽源六氏勝の改心は、ただうわべだけのものだった。いったんは安全を保証されても次にいつ消されるかもしれぬという恐怖は、骨の髄から彼を恐怖させ、機を見て弥三郎を排除し、この呪われた城を出て懐かしい岩崎へと帰還することを、心に誓わせていた。

真実は、逆に源六必死の説得によって、上総介の乳兄弟ちきょうだいである池田勝三郎恒興のほうが、なんと敵陣営に取り込まれていたという、弥三郎にとって憂慮すべき深刻な事態だった。

勝三郎は日々語らい、源六のいう「危険な他国者」つまり祝弥三郎重正への警戒を強めた。そして、できればこの得体の知れない他国者を消し、上総介を正道に立ち返らせるため、ひたすらに本心を隠し適切な時期を待つことにした。

もちろん密謀を交わす彼ら二人の背後には、いまだ健在であった岩倉の織田伊勢守家の影があり、さらにその向こうには、巨大な隣国、美濃斎藤の影響力が見え隠れする。

要は、源六と勝三郎は、そうと知らぬまま、隣国の走狗となりかけていたのである。



もともと上総介信長と弥三郎に、源六を排除する考えは無かった。丹羽氏には引き続き岩崎を安堵し、さらに尾張東端に版図を広げることを許す考えを持っていた。

そしてもちろん、信頼できる乳兄弟であり、上総介にとって数少ない身内ともいえる勝三郎には、尾張一統の暁にはさらに重要な役割を与える積りですらあった。

丹羽兵蔵なる、丹羽勢に対する親和感をあからさまに演出した名乗りとともに守山へずかずかと乗り込んできた弥三郎は、まず、そのことをはっきりと源六氏勝に伝えた。そして毎夜、膝を付き合わせて周辺の情勢をかき口説き、その場から上総介に使いを出して何枚もの起請文きしょうもんを書かせ、つどそれを示し落ち着かせた。

結果、複雑な源六の精神は平静を取り戻し、新たな火種は自然に鎮火したが、弥三郎は彼の口から、思わぬ敵陣営の思惑を知ることとなった。

そのとき美濃勢は、織田上総介信長を、直接亡き者にせんとする手筈を整えていたのである。



永禄二年二月、岩倉城の陥落がほぼ確定的となり、尾張一統が現実になったのを見計らい、上総介は、信頼できる近臣や馬廻りなど側近八十名ばかりを連れて京の都へと向かった。時の将軍足利義輝に拝謁し、尾張一統を報告、尾張守護への任官を促すためである。

これにより、かつて麻の如く乱れた尾張は名実とも正式に統一政体として認められ、織田上総介信長を唯一の国主としていただくことになる。ただ名を得るためだけの伺候ではあるが、これは一統のための最後の重要な手続きというべきであった。

もちろん、任官のため公方や公家にばら撒く金子きんすは、一隊が大量に携行して行く。



栄を受けるに相応しい、華やかな扮装をした彼ら一行は、冬枯れの尾張平野を西に進み、津島よりまず伊勢へと渉った。そこから山道に入り、峻険な八風峠はっぷうとうげを越えて琵琶湖を目指した。敵対領域を避け、美濃勢の監視から行動を隠匿するためである。

しかし、上総介のこの動きを、あらかじめ丹羽源六を通し事前に報知されていた美濃側は、周到に準備を進めていた。室町公方に近い人脈を動かし、都の辻での撃殺について、将軍の黙許を得た。次いで小池吉内、平美作、近松田面、宮川八右衛門、野木次左衛門などといった手練てだれの暗殺者どもに精鋭三十名ばかりを率いさせ、彼らは日々鍛錬に鍛錬を重ねた。

上総介の出立しゅったつが急だったため、彼らは一日ばかり遅れて、北廻りの関ヶ原越えで後を追った。遅れはしたが、移動すべき距離は上総介一行よりも短く、道もはるかに平坦である。目立たぬ装いで騎乗した彼らは迅速に行動し、琵琶湖岸を南下して志那渡しなのわたしへと至り、そこで馬を捨て、船で対岸の坂本へ湖水を渡った。



彼らの他に、数名の同船者がいた。雑多ななりをした商人や旅芸人、叡山の代僧などの平民どもである。彼らはみな湖水を越えて北から吹き付ける寒風に身を固くし、笠を深く被って一様にうつむいていた。

うち一人の男が、美濃の暗殺者一行のひとりに話しかけた。
「どちらから来なさった?」
「美濃でござる。」
話しかけられた男は、嫌がることなく丁寧に答えた。

地味な身なりとはいえ、腰には太刀を指し、弓矢や鉄砲を入れた長持までも携行する彼ら三十名もの武者崩れどもは、さして大きいともいえぬ船中にて、相応に目立つ。

ゆえに、誰かに誰何すいかされた場合の受け答えの仕方については、下手な疑惑を招いて騒ぎとならぬよう、ここまでの道中で遺漏なく申し合わせがなされている。男は、教えられたその手順通り、にこやかに答えた。



尋ねた男は、蓑笠に顔を沈めて船底を見つめ、ただ歯をがちがちと鳴らしながらこう言った。
身共みどもは、三河の者でございます。尾張を通り抜けて参りました。なにしろ国じゅうがひどく乱れており、追剥野盗などに襲われぬよう、夜も眠らず気を張ってなんとか通り抜けました。あなた様のような強そうなお侍の近くに居ると、生き返った心地がいたします。」

「国主がだらしない故でござるよ。まこと、旅人には難儀なことですな。」
「まったくでございます。」

会話が途切れ、水主かこが櫂をあやつるギイという音ばかりが響いた。



尋ねた男は、暗殺計画を丹羽源六氏勝との会話から察知して、急ぎ上総介のあとを追ってきた丹羽兵蔵こと祝弥三郎である。彼はそのまま目立たぬように下船すると、対岸で一行がとった宿に、金で手懐けた小僧を紛れ込ませ、風呂場で雑談させた。

この小僧は、よく頭が廻った。美濃の浪士どもの肉体のあちこちについた矢傷や刀疵を指してはその由来を尋ね、説明されるといちいちひどく感心して、歴戦の男どもの気を良くさせた。

そして相手を素裸の子供と侮り、彼らが受けている密命について、つい口を滑らせた。とある「高貴なおんかた」の許しを得ている義挙だ、とも。

優秀な密偵の活躍で、恐るべき暗殺計画の全貌を把握した弥三郎は、この小僧を急ぎ二里ほど先の京へと走らせ、すでに上京かみぎょうに滞在していた上総介一行へまず警報を発した。

次いで暗殺者の一行を追尾しつつ、彼らが二条蛸薬師たこやくしの近くの旅籠に入ったのを見届けると、念のため門柱に目印の刀疵をつけ、そのあとから上総介のもとへ出頭した。将軍は、すでに美濃に抱きこまれている。この震撼すべき確報を伝え、すでに完全武装していた上総介と近臣どもを伴って蛸薬師へと戻り、静かに旅籠を包囲した。

弥三郎は、金森五郎八かなもりごろはちという男ひとりだけを伴い、そのまま暖簾を潜って、堂々と暗殺者の一行に面会を申し入れた。



二人の顔をみて、美濃から来た男どものうち半分ほどが、凍りついたかのように動きを止めた。

まず、湖水を渡る船の上で、弥三郎と会話を交わした者。そして、五郎八の顔を知るすべての者ども。五郎八の父は、尾張に流れてくる前、美濃土岐氏に仕えていた過去がある。現在でも国境をまたいだ人の行き来があり、金森五郎八を知る者が、一行のなかに何人も居たのである。

五郎八は、腹にずしと響く低い声で、静かに言った。
「遠路はるばるご苦労なことである。昔の馴染みも大勢おるのう。たいへんに愉快なことじゃ。明日、我らが主の上総介のもとへ、みな挨拶に参られよ。」

脅しである。
その言葉とともに、旅籠を囲んだ一団の気配が外から伝わった。

「良いか、必ず来るのだぞ!」
この瞬間、彼らの暗殺計画は完全に破綻したといえる。かたく手に握りしめていた得物を、誰かがカラリと前へ投げ捨てた。それをきっかけに、五郎八に気圧けおされた美濃勢は次々と自ら武装解除し、苦々しい顔をしながら座り込み、この暗殺計画からの離脱を無言のうちに態度で示した。

やがてその場にいたほぼ全員が座り込んだ。だが、最後にただ一人残った強情者が、すっくと立ちつくし、まだ烈々とした闘志をたぎらせている。彼は、この一団を引率する首魁しゅかいだった。

そしてその顔を見、今度は弥三郎が驚愕した。



「かつて総見院様の弟御を矢で射殺し、その場から逐電した弓の名手・洲賀才蔵。奴が、小池吉内と名乗り、美濃側の浪士としてなんとその場に立っておりました。思いもよらぬことでござった。」
弥三郎は、やや苦しげな顔で言った。

「才蔵は、あんたの手の者では無かったのかよ?」
又助が驚いて言った。
「首尾よく総見院様の弟御を射倒したあと、万事織り込み済でその場から逐電したのじゃろ?きっと、相応に報酬もはずんでいたはずじゃい!」
秀吉も、驚いていた。

「そのはずでござった!才蔵はそのまま尾張の国外に姿を消し、堺あたりから西国へと参り、以降われらに関わりを持たず静かに暮らすはずでござった。しかし、居たのです。その場に。美濃の走狗となりて。いやむしろ、奴らを積極的に先導し案内して!彼奴は、拙者を憎んでおりました。ぎらぎらと輝く眼でこちらを睨み、右手でしっかと弓弦ゆずるを握りしめてござった。」

「報酬が不満だったか?それとも・・・あとから改心したか?」
そう首をかしげる又助を制して、秀吉が聞いた。
「もしかしてその才蔵とやら、丹羽源六同様、あんたたちのやり方に、あとからひどく腹をたて、いつか消されるとおびえたのでねえか?」
これまであまたの敵を策にめてきた次の天下人は、ある種の確信をもってそう言った。
「いや、そうに違えねえ。」



弥三郎は、苦々しげに頷いた。
「それまでの拙者のあまりに断固とした、かつ酷薄なやりかたが、ここに来て祟ったのでございます。洲賀才蔵は功大きな同志であり、我らに彼を害する考えは皆無であったにも関わらず、彼の方ではそうとは思わなかったのです。」

「そうか、なるほどのう。思いもよらぬ手立てで、相手の尻の穴から掘り崩し、次々と尾張の内乱を鎮めたあんたでも、人の心の動きには疎かったというわけか。」
「認めざるを得ませぬ。わが策の、大きな手ぬかりで御座った。たまたま源六殿の口からこの計画を漏らされたからよかったものの、もし知らぬままでおれば、公方様の黙許のもと、総見院様は都の辻でこ奴らにあえなく討ち果たされてしまっていたに違いありませぬ。」



「で、才蔵は?」
又助が聞いた。
「結局、くだったのかよ、それともその場で斬死したのかよ?」

「しばらく睨み合いとなりましたが、多勢に無勢。やがて観念して降りました。そのまま何も言わず、ただ我らに促されるままに街路を歩き、上京に逗留なさっていた総見院様のもとへと参りました。」
「他の連中は?」
「そのまま二人一組、背中合わせに縛り上げて厳重に監視をつけ、総見院様の下知を待ちました。彼らの命は、ただ才蔵の態度の神妙さ次第。」

「それは、もう・・・みんな死んだも同じでねえか。」
旧主の、敵方の命に対する数々の酷薄さを思い返し、又助は、うなった。



「総見院様は・・・いや、当時は上総介様でしたが、御命を奪わんと追って来たこの不埒ふらちな暗殺者どもに対し実に寛大でした。なんと彼ら全員が、いったん落としたも同然の命を拾うことになったのでございます。」
しかし弥三郎は、意外なことを言い出した。

「これは、拙者としても思いもよらぬことでございました。もちろん、上総介様のもとへまかり出るなり、金森五郎八殿がやにわに・・・・がばと平伏して、涙ながらに彼の同国人たちに対する寛大な処置を乞うたこともございます。」
にっこりと笑い、そして続けた。

「しかし上総介様はもとから上機嫌で、むしろ久闊きゅうかつを叙すがごとく才蔵に酒を振る舞い、興味深げに彼らの暗殺計画の詳細をお聞きになりました。そしてその涼やかな覚悟を褒め、その場で手ずから才蔵の縄をとき、軽く背中を押して釈放したのでございます。」

「なんじゃって!」
「蛸薬師で縄を打たれた者ども全員も、お咎めなし。ただ得物だけを奪い、その場から美濃へ帰せ。帰れぬと言う者あらば、どこへなりとも好きに散らせよ。以上が、その際の上総介様のお下知でございます。」

「にわかには、信じられぬ。総見院様は、そのように甘いお人ではねえ。まあ、はえある守護任官の前に、美濃者と尾張者が都の辻でいきなり刃傷沙汰というのも、聞こえが悪いかもしれねえ。きっとそのあたりをおもんぱかられたのではなかろうか。」
又助は言った。

だが、秀吉は別の感想を持っていた。
「いやいや、実に総見院様らしいでよ。もう尾張一統は成り、こいつら見せしめに殺す必要もにゃあで。早贄はやにえにして、どっかの枝だかとげだかに首を架けとく必要もねえ。むしろ命さ助けて美濃へ返して、こちらの余裕を示したほうが、のちのち有利になると算盤そろばんを弾かれたのじゃろ。それに・・・。」

「それに?」
珍しく、弥三郎が秀吉に先を促した。柔らかな笑顔である。
「それに、総見院様には、なんだか暖けえところがあるんじゃ。おそば近くに寄れたときだけ。ほんの時々じゃが、確かにそうと感じることができる。もしかしたら、あのひどくおっかねえなり・・は、ただなりだけで、中身の総見院様は、ああじゃねえ。そう思えることがあるんじゃ。」

秀吉は、一気呵成に言葉を続ける。
「もちろん、はかない幻じゃ。いっとき優しく、そして暖かくとも、すぐと元の総見院様に戻る。あの峻厳でおっかねえ織田右府うふ、六天魔王の信長に。」
秀吉は、もはやこの世におらぬ旧主の影に、なおも怯えるように首をすくめ、言った。



「なるほど・・・それは、おそばに寄れもしねえ、拙者ごときうだつのあがらぬ軽輩には、とてもわからぬ話だて。」
又助が、頭をかきかき言った。部屋の空気がほぐれ、三人ともが笑った。

笑いが収まると、弥三郎がゆったりとした口調で言った。
「ともかくも、総見院様には余裕がございました。この見事なお裁きのあと、堂々と公方様に謁見し、無事に尾張守護たることをお認めいただきました。」

そして、悪戯っぽくニヤリと笑い、続けた。
「その際、都の辻で誰ともしれぬ荒くれ者と組み合い、洛中を騒がせてしまったことを、丁重にお詫びされたそうでござる。そのとき、公方様はただ苦虫を噛み潰したかのようなお顔であらせられたとか・・・拙者はそのまま総見院様の一行に加わり、京の町や堺などを周遊したあと、数日後に帰路につきました。いまや名実とも完全に我らがものとなった、この美しき、豊饒ほうじょうなる沃野よくやを目指して。」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

豊家軽業夜話

黒坂 わかな
歴史・時代
猿楽小屋や市で賑わう京の寺院にて、軽業師の竹早は日の本一の技を見せる。そこに、参詣に訪れていた豊臣秀吉の側室・松の丸殿が通りがかり、竹早は伏見城へ行くことに。やがて竹早は秀頼と出会い…。

強いられる賭け~脇坂安治軍記~

恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。 こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。 しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。

楽将伝

九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語 織田信長の親衛隊は 気楽な稼業と きたもんだ(嘘) 戦国史上、最もブラックな職場 「織田信長の親衛隊」 そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた 金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか) 天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

処理中です...