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第一章 犬山へ
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天正十二年長月のある日、尾張国犬山城下の古街道を、北の方角に向け、ゆらゆらと進む人馬の一隊があった。
人数は、馬上に一名、口取りと従者二名、あとは警護の兵どもが数名ばかりである。少数とはいえ兵の顔は陽に灼けて黒ずみ、眼は炯々として陣笠の奥の闇からただならぬ光を放ち、持槍を肩に当て周囲の様子を隈なく見渡しながら、一切の隙を見せず着実に歩を稼いで行く。
いっぽう、馬の背に揺られるこの隊列の主といえば、まるで、風に吹かれるがまま前後に揺蕩う柳のよう。もう六十年配ほどの老人で、たまゆらに一睡してしまうことがあり、半白の頭が前後に傾ぎ、やがてハッとして上へと直る。そしてしばらく、そのしょぼしょぼとした瞼をしばたたかせ、頬を撫ぜる気持のよい秋の風にうっとりとして、また少し眼をつぶる。
脇で彼を警護する隊長が、その様子をいまいましげに見上げて、誰にも聞こえぬよう舌打ちした。馬上の老人には、命をやり取りする者たちが持つ真剣さのかけらもない。まるで、弁当を用意して物見遊山に出てきた村の好々爺である。馬の腹から上だけを見るならば、ここが現在、日ノ本を二分する大戦の、まさに戦場であることなど、誰にもわからないに違いない。
空は抜けるような快晴で、雲ひとつなく、蒼がただ天高くどこまでも続いている。かなたでは、季節外れの渡り鳥がなにごとか啼き交わしながら翔んでゆく。北の彼方からそろりと吹いてくる風は、湿気を帯び冷んやりとして、重装備の兵どもが頬や脇にかく汗を上から少しだけ撫ぜた。
朝陽はすでに東の空にふわりと浮き上がり、四周に向け滲むような光の棘を投げかけている。光球の芯を直視すると残像が残りしばらく戦闘能力が喪われるため、隊長をはじめ兵たちは、そちらのほうを警戒するときには、ここ数ヶ月の実戦経験から陣笠の縁を少し下げて光を遮るように努めていた。
この古街道に、本来、人通りはさして多くない。しかし後ろから彼らを追い越して数台の荷駄が急ぎ転がるように北上して行き、逆の方角からは、隊伍を整え、種子島を肩に、片方の手では火縄をぶら下げた武装兵の一隊や、蟻のように不揃いで長い列を組んだ夫丸どもが、ぞろぞろと南の最前線へ向け歩いていくのとすれ違った。
地面からはゆらりと陽炎が立ち、行き交う兵どもが蹴り飛ばした小石や砂利が散らばり、埃が舞い、すでに通り過ぎたはずの火縄の紫煙が漂って、いまだ鼻につく火薬の匂いをあたりに撒いた。
ここは、戦場であった。
やがて、このささやかな一隊の眼前に、大きな水濠と、その奥に掻き上げられた小高い土塁が立ち塞がった。土塁の上にはいくつも太い栗木の柵が巡らされ、掻楯がびっしり敷き詰められて、堅固な城壁のようになっている。あちこちから前立付きの兜や陣笠が見え隠れし、その下にある眼が、この隊列の警護兵ども同様の鋭い視線をこちらに投げ返し、警戒しているのがよくわかる。
見ると、この臨時の阻塞はひとつだけではなく、左奥のかなたにもうひとつ在る。その土塁の前にも同じように深々とした濠が穿たれ、犬山は、この二塞で外部からの人の出入りを峻拒しているように思えた。
隊列の警護隊長は、阻塞の門前で大身槍を地に突いて立ちはだかっていた番兵二名のもとに歩み寄り、手にした書付を見せ、二言三言、言葉を交わした。番兵たちは恐懼したように腰を折り、そのままの姿勢で後退りして道を開けた。やがて門がギイと音を立てて内側から開き、一行はふたたび、それを潜ってゆったり動き出した。
「徳寿院でございます。かなたに見ゆるは、瑞雲庵。いまはすっかり戦時の装いにて、御城 (犬山城)総構の南門として使われております。」
警護の隊長が、馬上の老人に向けて声を掛けた。老人は、鷹揚に頷いた。
総構、すなわち城域の外縁部は、この城のたもとに栄える城下町そのままである。まるで京洛の条里を小さくしたように南北に幾筋かの小道が走り、各区画は四角に均等割され、辻々は木戸で隔てられている。その多くは開け放してあったが、幾つかの大木戸は半開きにされ、脇に控えた番卒がまず隊列を塞ぎ、身元を厳しく誰何した。
そうして三度か四度ほど止められた末、一行は城下町を抜け、犬山城の壮麗な大手門へと至った。ここでの手続きがいちばん迅速かつ円滑で、もともと半開きにされた門を、一行はほぼ止まる必要もなくゆったりと通り過ぎた。ここからは、いよいよ戦闘拠点としての城域の心臓部である。
門を潜るとすぐ、急な坂道に差し掛かった。道脇には、城塞化された寺や神域や、最初からはっきりと櫓として組まれた戦闘施設等が立ち並び、多くの兵や夫丸らが忙しく立ち働いている。あちこちで怒鳴り声や掛け声などが響き渡り、槌音が響いて止むことがない。
やがて上り坂は尽き、一行は大きな御殿が横たわる主郭への入口に着いた。またも深い水濠が行く手を遮り、門扉までは細い土橋が設えてあって、その上で数十名もの番兵がこちらを待ち受けている。両脇に小高い丘が聳え、そして正面には、悠揚たる大河の流れが眼に飛び込んできた。
「木曽川でございます。我々は、岐阻川とも呼んでおりまする。当城、北と西の護りはこれを自然の濠となし、まさに万全の備え。」
またも警護隊長が、要らぬ説明を加えてきた。すでに完全に目を覚まし、しゃっきりとしていた老人は、苦笑しながら馬上で頷いた。たしかに、出発地の稲葉宿からここまで約半日の行程で、木曽川の流れを見るのは初めてだが、およそ尾張や美濃で生きる我らが、この大河のことを知らぬ筈がない。
他国者であることは言葉の発音でわかるが、それも、かなり遠くから駆り出されて来た者だ。またたく間に勢力を強めたこの城の主は、今や、それほどの広域から兵を徴募し、従わせるだけの魅力と実力とを有しているのである。老人は隊長を見下ろし、遠国からやって来た、やや軽忽で出しゃばりの彼が今後の厳しい戦の世を生き残れるものかどうかしばし考えた。
そして視線を移し、前方の大河を眺めた。あいだには絶壁と称してよいほどの峻険な崖が立ちはだかり、流れは遥か数十尋の眼下に在る。しかし、戦時だというのに、水の流れは相変わらずとゆったりとしたもの。秋の陽に照らされて水面がきらきらと輝き、向こう岸の濃い緑を背にしたそれは、ただひたすら、あの秋の空よりも蒼い。
そして、細長く黒い影がいくつも、視界の右から左へ向け川面を流れているのが見えた。あれは、上流で杣人どもが切り倒した木を数本しっかと結わえ、即製の筏にしつらえたものだ。ここからではまだよく見えないが、編笠を被った筏師が上に乗り、太い竹竿を櫂にして川底や巌をあちこち突いて巧みに操り、途中の川湊に寄せながら、やがて河口の津島湊へと至る。
木曽川に面したこの城下町は、いま視界の両端に盛り上がった丘のさらに向こうに一つづつ、こうした中継点としての川湊を抱えている。これらの湊を拠点に、町は美濃の奥地から伐り出された材木の集散と取引とで大いに潤っている。先程越えて来た総構の中の町並も、多くはこれに関係して日々の糧にありつく商人や人足どもによって成り立っているのだ。
戦地のすぐ近くとはいえ、取引は狂おしいほどの活況を呈していた。木曽川の流れは、ここ犬山城の北面を大きく廻り込んで再び南下し、そのまま数里を駆け下って津島へと至る。戦線にて対峙する羽柴方と織田方の宏大な城砦線をちょうど迂回するようなその格好の流路は、戦闘に巻き込まれることを恐れる川商人たちにとって、きわめて好都合なものだった。
羽柴方は、木曽川に面したここ犬山城を最北端の本営とし、真南二里半のあいだへ数城を数珠繋ぎに配し、それぞれ有力な武将を数千の精兵とともに入れ、巨大な縦深を帯びた大陣地帯を形成している。対する織田 (信雄)方は、南方の小牧山城を本拠に、周囲に散らした数城に拠ってこれに対抗し、戦線はここ数ヶ月ものあいだ一切動かず、十万を越える大軍同士による、無言の睨み合いになっている。
戦線が目まぐるしく動き、激しい戦闘が起こっていたのは、もう半歳も前のこと。いま、戦いの焦点はこの主戦場から遠く離れ、まるで誰かが綿帽子の種をふっと吹き散らかしたかのように日ノ本のあちこちへ拡散している。しかしこの巨大な戦乱の核である当地の両軍陣地線では、もはや月に一度か二度くらい、偶発的な小競り合いが起こる程度。
戦争は膠着していた。
そのかげで、眼下を行き交う川商人や津島の商人たちはひたすらに潤い、利を積み上げ、その幾割かを新たな主人である筑前守・羽柴秀吉の政体にせっせと上納し、この新興軍事政権が短期間のうち大いに肥え太るのを助けた。
かつては卑しい身の上で、その日の糧にも事欠くありさまであったという秀吉は、いまやこの日ノ本一等の新たな実力者として認知されている。このまま、織田信雄と徳川家康の連合軍を打ち破る、あるいは講和して彼らを従わせるようなことになれば、この小柄で抜け目のない、猿のように賢い男が、天下に号令することになるのであろう。
現に、戦が膠着するのを見計らい、この未来の権勢家は、頻繁に前線を離れて遠く京や堺のあたりを往復し、そこでなにやら、先を見越した政治向きのさまざまな謀などを巡らしている様子である。石山本願寺が退去したあとの大坂に、巨大な城塞都市を築く積もりとの風聞もある。
小牧山城を核とし、いちめんに広がった織田・徳川の大陣地線は、その覇業を阻むいわば最後の砦といってよかった。が、戦勢必ずしも利あらず、いずれどちらかが陣を払い、明確な決着のつかぬまま痛み分けに持ち込むのが関の山であろうとの見方が支配的であった。
馬の背に揺られる老人に率いられた一隊は、そうした中、羽柴方の策源地であり、本営でもある犬山城へと入城してきたのである。
やがて、ふたつある小高い丘のうち右側のてっぺんから、魚の骨を大地に突き立てたような、細長い構造物が天を指して伸びているのが見えてきた。本丸の奥、木曽川に面した崖の突端に築かれた、高櫓の屋根から伸びる物見台である。
今や日ノ本一等の総大将・羽柴筑前守秀吉が、この入口の向こう側のどこかに居る。馬上の老人は、秀吉みずからの招きにより、ここまでやって来たのだ。警護の兵らは、羽柴方から遣わされた者たちであった。
ところどころに黒鉄を打ち付けた頑丈な門扉を潜り、一行みなみな、わずかに身を固くした。
犬山城の主郭に入り込んだ彼らは、門内の広場でしばらく待たされ、やがて城側から案内が来て、馬上の老人ひとりが奥へ通された。ここまで隊を警衛してきた武装兵たちはひとまずお役御免、老人に随行してきた従者たちは、脇にある小屋掛けにて待機である。
老人は、口取りの手を借りてひらりと馬から降り立ち、先ほどの他国者の隊長に目礼だけしてから、案内人のあとについて歩き出した。そしてそのまま、眼の前いっぱいを塞ぐようにして建てられている、大きな御殿へと入った。さいきん造作された急造施設の筈だが、杮葺に唐破風の、最前線の戦闘施設にはおよそ不釣り合いと言って良い程、豪奢なつくりの寄せ (入口)であった。
そこで、いきなり声を掛けられた。
「弥三郎!弥三郎ではないか!」
老人は驚いて声の主を見た。そして、彼も思わず声を漏らした。
「おお!」
歩み寄ってきたのは、老人と同年輩の恰幅の良い武士。華美ではないが小綺麗な服装で、まるで朽木のように痩せて生気のない老人に較べると、血色がよく、ほどよく日焼けして健康そうである。
「又助どの。これはこれは、お久しく。」
老人は、笑顔を浮かべてこう答えた。
声を掛けてきたのは、太田又助という男である。諱は牛一。「うしかず」とも「ぎゅういち」とも呼ばれる。かつて織田上総介信長のお側近くに仕え、豪腕無双の弓の名手として鳴らし、その後は織田家宿老、惟住 (丹羽)長秀の与力となって齢を重ねている。二人が会うのは、もう十数年ぶりになるであろうか。お互い、風貌はずいぶんと変わったものの、こうやって互いに歩み寄り肩を叩きあう様には、かつての朋輩特有の親しみに満ちていた。
又助は、この弥三郎という老人に尋ねた。
「貴公も、筑前殿に招ばれてやって来たのか?」
「まさに。夜明けの急なお召にて、まずは、取るものも取りあえず。」
弥三郎は、少し困ったような顔をして笑った。
身分にほとんど差はないが、又助は、弥三郎よりいくつか歳が上である。織田家中にて仕え始めたのも数年早く、よって弥三郎は昔からの習慣として彼に対しては敬語を使う。この御殿の周囲に居る武士、すなわち筑前守秀吉に使える者たちは皆若く、知らぬ顔ばかりで、年老いた彼らはやや、身の置きどころがない。
そのまま、気のおけない二人で昔語りでもしたい気がしたが、今は、この国における実質的な最高権力者からの出頭要請を受けている身の上。まずは、その用向きを済ませてからだ。二人は並んで、案内されるまま御殿の奥へと入っていった。
犬山城・松の丸は城域内最大の郭で、そこに建てられた御殿も宏大であった。大人数を応接するための広々とした広間が設えられており、他に書院や対面所なども作られている。表では様々な身分の武士や雑兵や商人などがせわしなく行き交い、その賑わいがわずかに奥向にも伝わってくるが、二人が通された奥書院はまずまず静かであった。
南向きで暖かく、すいすいと風が通って心地よい。眼前には十畳敷きの清潔な上段座敷が広がり、開け建てられた襖を挟んで二人の座る次之間となる。襖は豪勢なもので、おそらくは狩野派の絵師が描いたと思われる松柏の画が、金色の背景の上に浮かび上がっていた。
廻りに、人が居なくなったのを見計らって、又助は弥三郎に小声で話しかけた。
「なんとまあ、大したご出世じゃ。」
もちろん、筑前守秀吉のことである。この清浄で閑静な御殿は、又助の記憶する秀吉にはおよそ不似合いなものだ。しかし、特に当てこすって言った訳ではなく、素直にその破格の出頭ぶりに驚いている風であった。
弥三郎も、同じく感じ入って、こう答えた。
「まさに。その昔は、本当の用人、下人に過ぎませんでしたのになあ。」
「儂らは、なんとお呼びすれば良いかのう?かつては我らが目上の立場でもあり、ただ藤吉郎と呼び捨てていた。やがて木下殿と呼ばねば具合が悪くなり、それ以降は、会うてもおらぬ。」
「筑前殿、で良いのでは?まだ殿上人ではないゆえ。また、その昔も我ら特に辛く当たった覚えもなく、おそらくは恨みつらみのようなものも無いでしょう。こざっぱりとした人柄でありましたし、特に構える必要も無いのでは。」
弥三郎も、その昔の藤吉郎の面影を思い浮かべながら答えた。いつも泥だらけで、頭に数本、毛が大きく跳ね、若いのに皺くちゃで体躯は矮小。しかし機敏で、人の心の襞を熟知し、毫も油断なく常にあたりに気を配り、そして必要なときに、笑いたくなくても下卑て媚びるような笑顔を浮かべることのできる、あの男。
その、ひたすらに滑稽で賢しらさの微塵もない、しかし眼だけは決して笑っておらぬその特有の笑顔を、弥三郎はまじまじと思い出した。藤吉郎は、たしか自分より十は歳が下だった。
「たしかに、そうだな。まあ、人が変わっておらねばの話だが。」
横で又助は、弥三郎の言葉に頷きながら答えた。
それからさらにしばらく待たされて、突然、どやどやと音がし、この御殿の主が、上座敷に転がるように入ってきた。
注) 犬山城天守閣の成立年代には諸説ありますが、ここでは、天正年間の小牧・長久手の戦い当時はまだ通常の物見櫓程度の建造物しか無かった、と想定して書いております。
人数は、馬上に一名、口取りと従者二名、あとは警護の兵どもが数名ばかりである。少数とはいえ兵の顔は陽に灼けて黒ずみ、眼は炯々として陣笠の奥の闇からただならぬ光を放ち、持槍を肩に当て周囲の様子を隈なく見渡しながら、一切の隙を見せず着実に歩を稼いで行く。
いっぽう、馬の背に揺られるこの隊列の主といえば、まるで、風に吹かれるがまま前後に揺蕩う柳のよう。もう六十年配ほどの老人で、たまゆらに一睡してしまうことがあり、半白の頭が前後に傾ぎ、やがてハッとして上へと直る。そしてしばらく、そのしょぼしょぼとした瞼をしばたたかせ、頬を撫ぜる気持のよい秋の風にうっとりとして、また少し眼をつぶる。
脇で彼を警護する隊長が、その様子をいまいましげに見上げて、誰にも聞こえぬよう舌打ちした。馬上の老人には、命をやり取りする者たちが持つ真剣さのかけらもない。まるで、弁当を用意して物見遊山に出てきた村の好々爺である。馬の腹から上だけを見るならば、ここが現在、日ノ本を二分する大戦の、まさに戦場であることなど、誰にもわからないに違いない。
空は抜けるような快晴で、雲ひとつなく、蒼がただ天高くどこまでも続いている。かなたでは、季節外れの渡り鳥がなにごとか啼き交わしながら翔んでゆく。北の彼方からそろりと吹いてくる風は、湿気を帯び冷んやりとして、重装備の兵どもが頬や脇にかく汗を上から少しだけ撫ぜた。
朝陽はすでに東の空にふわりと浮き上がり、四周に向け滲むような光の棘を投げかけている。光球の芯を直視すると残像が残りしばらく戦闘能力が喪われるため、隊長をはじめ兵たちは、そちらのほうを警戒するときには、ここ数ヶ月の実戦経験から陣笠の縁を少し下げて光を遮るように努めていた。
この古街道に、本来、人通りはさして多くない。しかし後ろから彼らを追い越して数台の荷駄が急ぎ転がるように北上して行き、逆の方角からは、隊伍を整え、種子島を肩に、片方の手では火縄をぶら下げた武装兵の一隊や、蟻のように不揃いで長い列を組んだ夫丸どもが、ぞろぞろと南の最前線へ向け歩いていくのとすれ違った。
地面からはゆらりと陽炎が立ち、行き交う兵どもが蹴り飛ばした小石や砂利が散らばり、埃が舞い、すでに通り過ぎたはずの火縄の紫煙が漂って、いまだ鼻につく火薬の匂いをあたりに撒いた。
ここは、戦場であった。
やがて、このささやかな一隊の眼前に、大きな水濠と、その奥に掻き上げられた小高い土塁が立ち塞がった。土塁の上にはいくつも太い栗木の柵が巡らされ、掻楯がびっしり敷き詰められて、堅固な城壁のようになっている。あちこちから前立付きの兜や陣笠が見え隠れし、その下にある眼が、この隊列の警護兵ども同様の鋭い視線をこちらに投げ返し、警戒しているのがよくわかる。
見ると、この臨時の阻塞はひとつだけではなく、左奥のかなたにもうひとつ在る。その土塁の前にも同じように深々とした濠が穿たれ、犬山は、この二塞で外部からの人の出入りを峻拒しているように思えた。
隊列の警護隊長は、阻塞の門前で大身槍を地に突いて立ちはだかっていた番兵二名のもとに歩み寄り、手にした書付を見せ、二言三言、言葉を交わした。番兵たちは恐懼したように腰を折り、そのままの姿勢で後退りして道を開けた。やがて門がギイと音を立てて内側から開き、一行はふたたび、それを潜ってゆったり動き出した。
「徳寿院でございます。かなたに見ゆるは、瑞雲庵。いまはすっかり戦時の装いにて、御城 (犬山城)総構の南門として使われております。」
警護の隊長が、馬上の老人に向けて声を掛けた。老人は、鷹揚に頷いた。
総構、すなわち城域の外縁部は、この城のたもとに栄える城下町そのままである。まるで京洛の条里を小さくしたように南北に幾筋かの小道が走り、各区画は四角に均等割され、辻々は木戸で隔てられている。その多くは開け放してあったが、幾つかの大木戸は半開きにされ、脇に控えた番卒がまず隊列を塞ぎ、身元を厳しく誰何した。
そうして三度か四度ほど止められた末、一行は城下町を抜け、犬山城の壮麗な大手門へと至った。ここでの手続きがいちばん迅速かつ円滑で、もともと半開きにされた門を、一行はほぼ止まる必要もなくゆったりと通り過ぎた。ここからは、いよいよ戦闘拠点としての城域の心臓部である。
門を潜るとすぐ、急な坂道に差し掛かった。道脇には、城塞化された寺や神域や、最初からはっきりと櫓として組まれた戦闘施設等が立ち並び、多くの兵や夫丸らが忙しく立ち働いている。あちこちで怒鳴り声や掛け声などが響き渡り、槌音が響いて止むことがない。
やがて上り坂は尽き、一行は大きな御殿が横たわる主郭への入口に着いた。またも深い水濠が行く手を遮り、門扉までは細い土橋が設えてあって、その上で数十名もの番兵がこちらを待ち受けている。両脇に小高い丘が聳え、そして正面には、悠揚たる大河の流れが眼に飛び込んできた。
「木曽川でございます。我々は、岐阻川とも呼んでおりまする。当城、北と西の護りはこれを自然の濠となし、まさに万全の備え。」
またも警護隊長が、要らぬ説明を加えてきた。すでに完全に目を覚まし、しゃっきりとしていた老人は、苦笑しながら馬上で頷いた。たしかに、出発地の稲葉宿からここまで約半日の行程で、木曽川の流れを見るのは初めてだが、およそ尾張や美濃で生きる我らが、この大河のことを知らぬ筈がない。
他国者であることは言葉の発音でわかるが、それも、かなり遠くから駆り出されて来た者だ。またたく間に勢力を強めたこの城の主は、今や、それほどの広域から兵を徴募し、従わせるだけの魅力と実力とを有しているのである。老人は隊長を見下ろし、遠国からやって来た、やや軽忽で出しゃばりの彼が今後の厳しい戦の世を生き残れるものかどうかしばし考えた。
そして視線を移し、前方の大河を眺めた。あいだには絶壁と称してよいほどの峻険な崖が立ちはだかり、流れは遥か数十尋の眼下に在る。しかし、戦時だというのに、水の流れは相変わらずとゆったりとしたもの。秋の陽に照らされて水面がきらきらと輝き、向こう岸の濃い緑を背にしたそれは、ただひたすら、あの秋の空よりも蒼い。
そして、細長く黒い影がいくつも、視界の右から左へ向け川面を流れているのが見えた。あれは、上流で杣人どもが切り倒した木を数本しっかと結わえ、即製の筏にしつらえたものだ。ここからではまだよく見えないが、編笠を被った筏師が上に乗り、太い竹竿を櫂にして川底や巌をあちこち突いて巧みに操り、途中の川湊に寄せながら、やがて河口の津島湊へと至る。
木曽川に面したこの城下町は、いま視界の両端に盛り上がった丘のさらに向こうに一つづつ、こうした中継点としての川湊を抱えている。これらの湊を拠点に、町は美濃の奥地から伐り出された材木の集散と取引とで大いに潤っている。先程越えて来た総構の中の町並も、多くはこれに関係して日々の糧にありつく商人や人足どもによって成り立っているのだ。
戦地のすぐ近くとはいえ、取引は狂おしいほどの活況を呈していた。木曽川の流れは、ここ犬山城の北面を大きく廻り込んで再び南下し、そのまま数里を駆け下って津島へと至る。戦線にて対峙する羽柴方と織田方の宏大な城砦線をちょうど迂回するようなその格好の流路は、戦闘に巻き込まれることを恐れる川商人たちにとって、きわめて好都合なものだった。
羽柴方は、木曽川に面したここ犬山城を最北端の本営とし、真南二里半のあいだへ数城を数珠繋ぎに配し、それぞれ有力な武将を数千の精兵とともに入れ、巨大な縦深を帯びた大陣地帯を形成している。対する織田 (信雄)方は、南方の小牧山城を本拠に、周囲に散らした数城に拠ってこれに対抗し、戦線はここ数ヶ月ものあいだ一切動かず、十万を越える大軍同士による、無言の睨み合いになっている。
戦線が目まぐるしく動き、激しい戦闘が起こっていたのは、もう半歳も前のこと。いま、戦いの焦点はこの主戦場から遠く離れ、まるで誰かが綿帽子の種をふっと吹き散らかしたかのように日ノ本のあちこちへ拡散している。しかしこの巨大な戦乱の核である当地の両軍陣地線では、もはや月に一度か二度くらい、偶発的な小競り合いが起こる程度。
戦争は膠着していた。
そのかげで、眼下を行き交う川商人や津島の商人たちはひたすらに潤い、利を積み上げ、その幾割かを新たな主人である筑前守・羽柴秀吉の政体にせっせと上納し、この新興軍事政権が短期間のうち大いに肥え太るのを助けた。
かつては卑しい身の上で、その日の糧にも事欠くありさまであったという秀吉は、いまやこの日ノ本一等の新たな実力者として認知されている。このまま、織田信雄と徳川家康の連合軍を打ち破る、あるいは講和して彼らを従わせるようなことになれば、この小柄で抜け目のない、猿のように賢い男が、天下に号令することになるのであろう。
現に、戦が膠着するのを見計らい、この未来の権勢家は、頻繁に前線を離れて遠く京や堺のあたりを往復し、そこでなにやら、先を見越した政治向きのさまざまな謀などを巡らしている様子である。石山本願寺が退去したあとの大坂に、巨大な城塞都市を築く積もりとの風聞もある。
小牧山城を核とし、いちめんに広がった織田・徳川の大陣地線は、その覇業を阻むいわば最後の砦といってよかった。が、戦勢必ずしも利あらず、いずれどちらかが陣を払い、明確な決着のつかぬまま痛み分けに持ち込むのが関の山であろうとの見方が支配的であった。
馬の背に揺られる老人に率いられた一隊は、そうした中、羽柴方の策源地であり、本営でもある犬山城へと入城してきたのである。
やがて、ふたつある小高い丘のうち右側のてっぺんから、魚の骨を大地に突き立てたような、細長い構造物が天を指して伸びているのが見えてきた。本丸の奥、木曽川に面した崖の突端に築かれた、高櫓の屋根から伸びる物見台である。
今や日ノ本一等の総大将・羽柴筑前守秀吉が、この入口の向こう側のどこかに居る。馬上の老人は、秀吉みずからの招きにより、ここまでやって来たのだ。警護の兵らは、羽柴方から遣わされた者たちであった。
ところどころに黒鉄を打ち付けた頑丈な門扉を潜り、一行みなみな、わずかに身を固くした。
犬山城の主郭に入り込んだ彼らは、門内の広場でしばらく待たされ、やがて城側から案内が来て、馬上の老人ひとりが奥へ通された。ここまで隊を警衛してきた武装兵たちはひとまずお役御免、老人に随行してきた従者たちは、脇にある小屋掛けにて待機である。
老人は、口取りの手を借りてひらりと馬から降り立ち、先ほどの他国者の隊長に目礼だけしてから、案内人のあとについて歩き出した。そしてそのまま、眼の前いっぱいを塞ぐようにして建てられている、大きな御殿へと入った。さいきん造作された急造施設の筈だが、杮葺に唐破風の、最前線の戦闘施設にはおよそ不釣り合いと言って良い程、豪奢なつくりの寄せ (入口)であった。
そこで、いきなり声を掛けられた。
「弥三郎!弥三郎ではないか!」
老人は驚いて声の主を見た。そして、彼も思わず声を漏らした。
「おお!」
歩み寄ってきたのは、老人と同年輩の恰幅の良い武士。華美ではないが小綺麗な服装で、まるで朽木のように痩せて生気のない老人に較べると、血色がよく、ほどよく日焼けして健康そうである。
「又助どの。これはこれは、お久しく。」
老人は、笑顔を浮かべてこう答えた。
声を掛けてきたのは、太田又助という男である。諱は牛一。「うしかず」とも「ぎゅういち」とも呼ばれる。かつて織田上総介信長のお側近くに仕え、豪腕無双の弓の名手として鳴らし、その後は織田家宿老、惟住 (丹羽)長秀の与力となって齢を重ねている。二人が会うのは、もう十数年ぶりになるであろうか。お互い、風貌はずいぶんと変わったものの、こうやって互いに歩み寄り肩を叩きあう様には、かつての朋輩特有の親しみに満ちていた。
又助は、この弥三郎という老人に尋ねた。
「貴公も、筑前殿に招ばれてやって来たのか?」
「まさに。夜明けの急なお召にて、まずは、取るものも取りあえず。」
弥三郎は、少し困ったような顔をして笑った。
身分にほとんど差はないが、又助は、弥三郎よりいくつか歳が上である。織田家中にて仕え始めたのも数年早く、よって弥三郎は昔からの習慣として彼に対しては敬語を使う。この御殿の周囲に居る武士、すなわち筑前守秀吉に使える者たちは皆若く、知らぬ顔ばかりで、年老いた彼らはやや、身の置きどころがない。
そのまま、気のおけない二人で昔語りでもしたい気がしたが、今は、この国における実質的な最高権力者からの出頭要請を受けている身の上。まずは、その用向きを済ませてからだ。二人は並んで、案内されるまま御殿の奥へと入っていった。
犬山城・松の丸は城域内最大の郭で、そこに建てられた御殿も宏大であった。大人数を応接するための広々とした広間が設えられており、他に書院や対面所なども作られている。表では様々な身分の武士や雑兵や商人などがせわしなく行き交い、その賑わいがわずかに奥向にも伝わってくるが、二人が通された奥書院はまずまず静かであった。
南向きで暖かく、すいすいと風が通って心地よい。眼前には十畳敷きの清潔な上段座敷が広がり、開け建てられた襖を挟んで二人の座る次之間となる。襖は豪勢なもので、おそらくは狩野派の絵師が描いたと思われる松柏の画が、金色の背景の上に浮かび上がっていた。
廻りに、人が居なくなったのを見計らって、又助は弥三郎に小声で話しかけた。
「なんとまあ、大したご出世じゃ。」
もちろん、筑前守秀吉のことである。この清浄で閑静な御殿は、又助の記憶する秀吉にはおよそ不似合いなものだ。しかし、特に当てこすって言った訳ではなく、素直にその破格の出頭ぶりに驚いている風であった。
弥三郎も、同じく感じ入って、こう答えた。
「まさに。その昔は、本当の用人、下人に過ぎませんでしたのになあ。」
「儂らは、なんとお呼びすれば良いかのう?かつては我らが目上の立場でもあり、ただ藤吉郎と呼び捨てていた。やがて木下殿と呼ばねば具合が悪くなり、それ以降は、会うてもおらぬ。」
「筑前殿、で良いのでは?まだ殿上人ではないゆえ。また、その昔も我ら特に辛く当たった覚えもなく、おそらくは恨みつらみのようなものも無いでしょう。こざっぱりとした人柄でありましたし、特に構える必要も無いのでは。」
弥三郎も、その昔の藤吉郎の面影を思い浮かべながら答えた。いつも泥だらけで、頭に数本、毛が大きく跳ね、若いのに皺くちゃで体躯は矮小。しかし機敏で、人の心の襞を熟知し、毫も油断なく常にあたりに気を配り、そして必要なときに、笑いたくなくても下卑て媚びるような笑顔を浮かべることのできる、あの男。
その、ひたすらに滑稽で賢しらさの微塵もない、しかし眼だけは決して笑っておらぬその特有の笑顔を、弥三郎はまじまじと思い出した。藤吉郎は、たしか自分より十は歳が下だった。
「たしかに、そうだな。まあ、人が変わっておらねばの話だが。」
横で又助は、弥三郎の言葉に頷きながら答えた。
それからさらにしばらく待たされて、突然、どやどやと音がし、この御殿の主が、上座敷に転がるように入ってきた。
注) 犬山城天守閣の成立年代には諸説ありますが、ここでは、天正年間の小牧・長久手の戦い当時はまだ通常の物見櫓程度の建造物しか無かった、と想定して書いております。
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