籠の中の小鳥

早川隆

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第七章

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「迷える子らよ・・・地上の愛しき、わが迷える子羊たちよ。」

ニャルラトホテプさまは、こう呼びかけてこられた。



「長年にわたり、ご苦労だった。諸君とともに真理の道を探究し、諸君の精神を深遠なる神界のレベルに少しでも近づけることができたこと、これまさに余の欣快とするところである。だが、いったん年貢の収めどきだ。君たちは、いささか、やり過ぎた。信仰の純度ゆえ致し方ないところではあるが、奴らの統べる地上において、まだ我々のやれることには、限りがある。諸君はその限度を越えて、やり過ぎた。だから、余にももう、君らを護ってやることはできない。君らは、ここで殉教したまえ。それが諸君にできる、神への唯一の奉仕だ。」

慈愛深きニャルラトホテプさまが、僕たちを見捨てるのか?そしてご自分だけは、どこかへ逃げてしまわれるのか?

僕らは動揺し、たったいま固めたばかりの殉教の決意が、ぐらりと揺らいだ。しかしそれは杞憂だった。ニャルラトホテプさまは、さらに言葉を継いで、こう言われたのだ。
「案ずるな、わが愛しき子羊たちよ。余は常に君らと一緒だ。余は君らを案内して、南洋のかなた、ポイント・ニモに行く。残念ながら、君らの肉体までは連れて行けない。それはこの場に捨てて行くのだ。なに、ともに学んだであろう?肉体とは、単なる君らの崇高な魂のれ物に過ぎぬ。君らの魂は、私が、必ずあそこに連れて行く。」

僕は今さらながら、「ポイント・ニモ」というパソコンの、いっぷう変わったネーミングの理由に思いを致した。 ポイント・ニモとは、南洋の彼方にある、陸地からもっとも遠い海洋上の一点を指し、そしてその何もない波間の遥か海底には、ル・リエーという聖地がある。全てが始まり、そして今は全てが封印されている、あの海底奥深くの、神々のおわす都。そこに、行けるのだ。多くの仲間とともに僕は殉教し、魂魄だけが宙を飛んで、ニャルラトホテプさまにいざなわれあの永遠の都へと行き、神々の足元に列することができるのだ。



ニャルラトホテプさまは、やはり、僕たちを見捨てなかった!

僕らはみな安堵し、そして改めて潔く殉教する覚悟を固めた。それぞれの手に握られた、ほんの数センチのカプセル錠。それを口に含み、ガリっと噛み砕けば、僕らは確実に殉教できるのだ。肉体だけこの穢れた大地に置き捨てて魂だけ宙を浮き、みんなで海の彼方に飛んでいくのだ。

僕らを圧し、僕らを潰しに来た奴らに吠え面をかかせ、悠々と手を振っておさらばするのだ。



いざカプセルを噛み砕こうとした刹那、僕の目に映ったものがあった。

それは、この場に粛々と接近してきていた警官どもの真っ黒な前衛隊の姿で、その先頭に立つ者が、手になにかを提げていた。

それは、この場にはおよそ相応しくない小さな鳥籠だった。中にはなにか黄色い小鳥が入れられている。僕は気づいた。あれは、僕らが毒ガスで武装しているという体制側のデマを真にうけた奴らが、万が一に備え自衛のために持ってきているのだ。籠の中に入れられたカナリアは、その昔は炭鉱などで一酸化炭素や毒ガスなどの検知器として使われた。もう百年も二百年も昔の話である。

何か、奴らの得意な計器などで数値を測ればいいのに、いまだにあんな前近代的な方法に頼っていることが、僕にはなんだかユーモラスに思えた。賢いフリした愚かな奴ら。僕らは、毒ガスなんて用意していないのに。いいさ、やってろ。そうやって、おっかなびっくりで腰が引けているうち、僕ら全員この世からおさらばだ!

僕はそう思い、今度こそ本当にカプセルを砕こうとした。すでに何名もの仲間が、周囲でバタリ、バタリと倒れていった。彼らは一足お先に殉教し、そしてニャルラトホテプさまと一緒になって、一気に大空を駆け下る用意をしているのだ。僕もあとを追い、奥歯に挟んだその固いものを一気に噛み砕いた。

頭上で空が歪み、遠い太陽の光が、ぐらりと揺らいで僕を包んだ。そして僕は、耳元で声を聞いた。



あの方の・・・いや、違う。それは鈴を鳴らすような女の声だった。その声は、こう言った。

「わたしは、籠の中のカナリアだったの。」
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