籠の中の小鳥

早川隆

文字の大きさ
上 下
2 / 8

第二章

しおりを挟む
きっかけは、ほんの小さな偶然だった。

その日はとても、とても暑い日だった。空気は重くうだるようで、さらに頭上から逆さまにしたヒーターの赤い輪っかでじりじりあぶられているような炎熱にやられ、誰も彼もがフラフラとただ自分の目の前のアスファルトだけを見て歩いているような具合だった。

僕が出入りしていたあの電脳街の一角で、真昼間から声を張り上げ、ラップトップ型のパーソナル・コンピューターを声を枯らして売り込んでいる男女の一隊がいた。みなお揃いの青いTシャツを着て、そこから露出した肌を真っ赤にらし、汗みどろになりながらなにやらゴチャゴチャと書かれたチラシを配っている。

とにかくこの界隈で、ただ彼らだけが元気だった。いや、きっと彼らとて暑さはキツかったはずだが、それを気にさせないようななにか大きな喜びでもあるらしく、瞳がキラキラと輝き、頬が紅潮し、その動きは機敏で無駄がなかった。



当時50万円もしていたラップトップのパソコンなんて、真夏のさなかに売るべきものではない。さすが電脳街につどう住人マニアどもも、その時ばかりは氷水に漬けた瓶入りのコーラかお茶、あるいは棒付きのシャーベットのみを欲し、汗みずくの彼らによる懸命の売り込みには露骨に嫌な顔をし、迷惑そうに手を振って通り過ぎてしまった。

しかしそれでも、彼らはめげない。行き交う人々からどんなに邪険な扱いを受けても、うつむくことも、舌打ちすることもなく、瞳を輝かせたままその次に向かう。いつもならば僕だって、そんな妙な連中の相手なんかしない。でもその日はひどく暑く、そして彼らはキラキラとしていて無垢だった。

なんとなくその様をまぶしく感じて、僕は足を止めチラシを一枚、なんの気なしに受け取ったのだった。



実をいうと、当時まだ個人が使うにはいささか敷居が高かったパソコンというおもちゃに、僕はかなりの興味を持っていた。いやむしろ、なけなしの20数万円ばかりを財布に入れて、どれか一台を買おうと探しに出てきたのだ。だが、一流電気店に並ぶ有名メーカー商品の値札にゲンナリさせられ、これはとても無理だと諦めて家路につこうとしていた時だけに、単なる偶然とはいえ、チラシが渡されたタイミングはまさに絶妙だったといえる。

「ポイント・ニモx86?」
僕は、思わずそこに大書されていた商品名を口ずさんだ。他社の商品群でもよく見かけた、まるで弁当箱のように分厚い筐体のラップトップ・パソコンの不鮮明な白黒写真が数点ならんだ安っぽい手刷りのチラシ。しかしその聴き慣れない名前と、そしてそのあまりの表示価格に、僕は瞠目どうもくした。

「じゅ、19万8千円だって!?」
このときは、かなり大きな声を出してしまっていたらしい。このチラシを渡してくれたお兄さんが、またチラと僕を振り返って、にっこりと笑った。キラキラとした、綺麗な眼だった。

彼は他の通行人と立ち話をしていて、そのときは特にそれ以上話はしなかったのだが、とにかくその表示価格はべらぼうに安いものだった。商品名のとおりインテル製の当時一級のチップを使い、その他の性能諸元も堅実にまとまった高性能パソコンが、破格の安値で売られているらしい。このスペックは、他社だと優に40万円は越える価格帯の製品に匹敵する。

現物は路上には出されておらず、チラシに書かれた略図に従い、大通りから二本裏に入った路地の片隅の店舗で売られているらしい。僕は、とりあえずそこに行ってみることにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

パラサイト/ブランク

羊原ユウ
ホラー
舞台は200X年の日本。寄生生物(パラサイト)という未知の存在が日常に潜む宵ヶ沼市。地元の中学校に通う少年、坂咲青はある日同じクラスメイトの黒河朱莉に夜の旧校舎に呼び出されるのだが、そこで彼を待っていたのはパラサイトに変貌した朱莉の姿だった…。

熾ーおこりー

ようさん
ホラー
【第8回ホラー・ミステリー小説大賞参加予定作品(リライト)】  幕末一の剣客集団、新撰組。  疾風怒濤の時代、徳川幕府への忠誠を頑なに貫き時に鉄の掟の下同志の粛清も辞さない戦闘派治安組織として、倒幕派から庶民にまで恐れられた。  組織の転機となった初代局長・芹澤鴨暗殺事件を、原田左之助の視点で描く。  志と名誉のためなら死をも厭わず、やがて新政府軍との絶望的な戦争に飲み込まれていった彼らを蝕む闇とはーー ※史実をヒントにしたフィクション(心理ホラー)です 【登場人物】(ネタバレを含みます) 原田左之助(二三歳) 伊代松山藩出身で槍の名手。新撰組隊士(試衛館派) 芹澤鴨(三七歳) 新撰組筆頭局長。文武両道の北辰一刀流師範。刀を抜くまでもない戦闘の際には鉄製の軍扇を武器とする。水戸派のリーダー。 沖田総司(二一歳) 江戸出身。新撰組隊士の中では最年少だが剣の腕前は五本の指に入る(試衛館派) 山南敬助(二七歳) 仙台藩出身。土方と共に新撰組副長を務める。温厚な調整役(試衛館派) 土方歳三(二八歳)武州出身。新撰組副長。冷静沈着で自分にも他人にも厳しい。試衛館の弟子筆頭で一本気な男だが、策士の一面も(試衛館派) 近藤勇(二九歳) 新撰組局長。土方とは同郷。江戸に上り天然理心流の名門道場・試衛館を継ぐ。 井上源三郎(三四歳) 新撰組では一番年長の隊士。近藤とは先代の兄弟弟子にあたり、唯一の相談役でもある。 新見錦 芹沢の腹心。頭脳派で水戸派のブレインでもある 平山五郎 芹澤の腹心。直情的な男(水戸派) 平間(水戸派) 野口(水戸派) (画像・速水御舟「炎舞」部分)

近くにある恐怖

杉 孝子
ホラー
何気ない日常に潜んでいる恐怖を届けます。 『小説家になろう』にも掲載させて頂いています。

ラヴィ

山根利広
ホラー
男子高校生が不審死を遂げた。 現場から同じクラスの女子生徒のものと思しきペンが見つかる。 そして、解剖中の男子の遺体が突如消失してしまう。 捜査官の遠井マリナは、この事件の現場検証を行う中、奇妙な点に気づく。 「七年前にわたしが体験した出来事と酷似している——」 マリナは、まるで過去をなぞらえたような一連の展開に違和感を覚える。 そして、七年前同じように死んだクラスメイトの存在を思い出す。 だがそれは、連環する狂気の一端にすぎなかった……。

原典怪飢

食う福
ホラー
食べるのが好きな女の子と怪異のお話 不定期で筆が乗ったら更新します。 ホラーじゃないけどミステリーでもなさそう。 短編じゃないけど長編でもなさそう。

ストーカー【完結】

本野汐梨 Honno Siori
ホラー
大学時代の元カノに地獄の果てまで付きまとわれた話

百物語 厄災

嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。 小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。

二人称・短編ホラー小説集 『あなた』

シルヴァ・レイシオン
ホラー
普通の小説に読み飽きたそこの『あなた』 そんな『あなた』にオススメします、二人称と言う「没入感」+ホラーの旋律にて、是非、戦慄してみて下さい・・・・・・ ※このシリーズ、短編ホラー・二人称小説『あなた』は、色んな"視点"のホラーを書きます。  様々な「死」「痛み」「苦しみ」「悲しみ」「因果」などを描きますので本当に苦手な方、なんらかのトラウマ、偏見などがある人はご遠慮下さい。  小説としては珍しい「二人称」視点をベースにしていきますので、例えば洗脳されやすいような方もご観覧注意、願います。

処理中です...