Vanishing Twins 

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その後

54.直人 信哉

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「鳥飼先生、次の連載の件なんですが。」

編集部の喧騒は何時もと変わらず人の声など簡単に飲み込んでしまいそうな程騒がしい。それを気にかけるでもなく直人が話しかけると受話器越しの相手は少し悩むような気配を放つ。


あの事件から2年。
直人の生活は大きく変わったが、相手の生活は変わる様子もなく気儘な独身貴族とでも言えばいいのだろうか。何か仕事が立て込んでいるのか、相手がスケジュールを睨んでいるのが分かる。

あの事件の後、あの三浦和希に放った目にも止まらぬ一撃に、実は彼が古武術を身に付けているのを聞き出すことに成功した。しかも、子供の頃から修練したらしくその筋では有名で、かなりの腕前だと聞き信哉の見た目とのギャップに驚かされもした。
文武両道で顔もいいなんて神様は随分彼にたくさん目をかけていると思う。しかし、これ幸いとそちらの方面の書籍で話を持ち込んだら、とんでもなく露骨に嫌な顔で断られた。余りの激しい拒絶に直人は危うく縁を切られるかと焦らされ、やむを得ず様々な有名菓子店を行脚するはめになった。
後日その理由を知ってそうな忠志に、その件について問いかけたら

「あー、ダメだよ直人さん、信哉にそれは地雷だわ。」

と笑いながらアッサリ言われてしまった。なので、直人は地雷を二度と踏まないよう、この話は二度としないことを硬く誓った。独身貴族の彼にもきっと触れられたくない事があるのだ。
お陰で今も関係は良好で、編集部では作家鳥飼澪を乗せるには菊池を使えは合言葉のようになっている。

『それでは、23日迄ですね。何とかなります。』
「はい、お願いします。入稿は28日迄なので。」

穏やかに予定を説明し、滞りなく会話が進む。ふと受話器の背後で忠志よりも若い声が何かを騒いでいるのに目を細め直人は、もしかしたら遂に彼に浮いた噂かと心の中で思う。
交流を重ねるうち、鳥飼信哉のおかれた状況があまりにも奇異な事に気がつきはしている。それでも、あの時自分達を心配して直ぐ様探しに出てくれたことも、自分達を案じて自宅に止めようとしてくれたことも、一見冷ややかに見える彼が本当はとても優しいのを直人は知っている。恩人としても感謝の気持ちは大きいが、公私の混同もしない竹を割るような性格に一生の友人としての交流は続いているのだ。
退院後に話を聞いた遥も、2年経った今でも感謝していて彼との交流を重ねている。後々ではあるが遥から三浦和希に襲われた後鳥飼家で匿って貰ったと聞かされ、それもあってなのか今でも遥は鳥飼信哉を兄か何かのように慕っている。

『そういえば、遥さんは元気?』

こちらの思考が移ったのか、信哉が唐突に電話口に名前を呼ぶので思わず苦笑が溢れる。勘が鋭いのか忠志や信哉と会話すると、稀にこういう事が起きるのも直人は大分慣れてしまった。

「元気です。最近信哉さんに会えないって嘆いてましたよ、甘いものが食べたいから一緒に行きたい店があるって言ってます。」
『落ち着いたら誘おうとは思ってたけど、どうなの?』

苦笑が更に深まる。
仕事の話をしていた筈なのに、今や遥の近況報告会になってしまった。後で遥にこの事を伝えておかないと、勝手に仲良くしてると遥に直人が怒られかねない。
穏やかに笑いながら直人は、電話口の彼との世間話を続ける。

「菊池さーん、奈落先生ですー。」

背後からかけられた声に直人は視線をあげる。その先には悪戯っ子のようにキラキラする瞳が印象的な小柄な女性が、ニッコリしながら手を振っているのが見えて直人は眉をあげた。彼女も直人が担当しているちょっと変わり者の作家の一人で、信哉と違って彼女は締め切り前に良く姿をくらますという困った癖がある。

「すみません、鳥飼先生」
『いや、奈落さんだろ?聞こえてる。また、茶樹に伺いますとよろしく伝えておいてください。』

実は彼女の籍は入れていないが長く付き合っている事実婚の彼氏が喫茶店を経営していて、そこはこの編集部からも徒歩圏内で良く社員も作家も利用している。一回り年の離れた彼氏は他にも幾つか飲食店を経営しているらしい手広い実業家らしいく、多くの店舗は他人に経営の殆どを任せ資金運用しているそうだ。
そんな彼氏は、何故か『茶樹』という喫茶店だけはもう20年近く自分でマスターをしている。『茶樹』と書いて『ちゃのき』と読むのだが、紅茶も茶菓子の種類も豊富で知る人ぞ知るという感じの女性に人気の喫茶店だ。勿論珈琲もこだわりの豆が揃っているので、1年ほど前渋るマスターを奈落嬢にも協力してもらい口説き落としてエッセイで取り上げたことがある。

「わかりました、伝えておきますね。」

電話を切り立ち上がると、年齢不詳な彼女がヘラリと気の抜けた笑顔を浮かべる。彼氏の店の物なのか気が向くと大量の差し入れを持って、こうしてフラリと編集部まで姿をみせることがある彼女は編集部の人気者だ。

締め切り前に編集を奈落に落とす癖さえなければ完璧なんだけどなぁ、奈落先生も。

別にそういう意味のペンネームではないが、あまりにも見事に姿をくらまし消え去るので編集者泣かせなのは事実だ。
それでも彼女の文体も独特の味があり多くの読者がついている。ただし、彼女も『鳥飼澪』と同じくらい偏屈で有名で、表に姿を見せるのを徹底的に避けている節だ。名前と彼女徳用の文体と男性目線の作品が多いことから、よく男性だと勘違いされているのを楽しんでいる風でもある。

「やあ、菊池君~。」

暢気な声で手をふる彼女の反対の手から、後輩が嬉しそうに巨大な菓子箱を受け取っている。何故か直人はこういう不思議な作家に好かれるらしく、なんと2年前の信哉と目の前の彼女は直人と遥の結婚式に参列までしてもらった間柄でもあった。

「久しぶりぃ~。」
「先週もお会いしましたよ、原稿は進みましたか?」
「んー、それは今は忘れて欲しかったなぁ、菊池君」

この様子だと後数日の間に姿をくらましそうなので、直人は茶樹のマスターに連絡をしておこうと頭の中で考えながら賑やかな彼女に歩み寄る。


こうしていると、直人にとってまるで2年前の出来事は夢か幻だったようだとも思う。それでも、確かにあの時直人の目の前には遥と同時に1つの体の中で2人の女性が存在していた。あれがほんの1ヶ月にも満たない日々だと思うと、今でも不思議な気がする。それでも、あの嵐のように慌ただしく過ぎ去った日々は、直人にも遥にも確かに存在していたのだった。
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