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65.外崎宏太

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「………でねぇな」

全くもって意図が分かりにくいらしい暗がりで撮った段ボールと薬らしき画像とスクリーンショットのマップ画面が二つ。目の見えない俺宛に、これまたご丁寧にそれをメールで送ってきた上原秋奈。丁度久保田惣一が隣にいたから不幸中の幸いだったが、これで俺一人だったら惣一を呼び出すまでメールは完全放置するところだった。勿論秋奈だってその点は理解して送ってきているとは思うが、至急だったら先ずは電話をしてこいと言いたくなるのは俺だけだろうか。なんで至急かって?そんなこと分かりっているだろう、メールを送信してきたとおぼしきマップの場所だ。
秋奈から送りつけられてきた一つのマップの示す場所は、もう必然なのか松理から聞き出したチンピラ達の活動範囲だった。もう一つの方のマップはこちらもタイミングとしては最良なのか最悪なのか、進藤が電話をかけてきた区域と符合している。
しかも惣一が見た限り段ボールの中は、先月何処かのクラブでの違法販売で摘発された商品の残りと見える。何でかあの娘はその保管場所を探り当てて、しかもわざわざ一人で忍び込んで何でか写真まで撮っているというわけだ。

何でまた、こんな時に限って独断専行だよ?あの小娘。 

そう心底から本気で思う。三浦和希と接近遭遇して誰にも連絡なしで逃げられるなんて頭はあるのに、何でまた態々今日に限って一番面倒な大虎のいそうな虎穴に突っ込んでいってるのか。とはいえ正直なことを言えば秋奈の行動の理由は、恐らく俺のせいでもある。秋奈の気持ちまでは理解はできないとしても、理由としてはわからないでもない。秋奈がこんな行動に出たのは、俺が秋奈に風間祥太が進藤隆平に拉致されたと教えてしまったからだ。

「気にもかけてないって風だったんだが。」
「………そういうのが乙女心とか、恋愛感情ってやつなんだよ?宏太。」

そんなもん恋愛なんかしたことがない俺に求められても困る。俺は確かに結婚の経験はあるが、恋愛感情ってやつがあって結婚した訳じゃなかった。ただの自分の将来の成功のための駒として結婚した俺は、確かに進藤のいうゲームみたいな気持ちで生きてきたのだろう。だけど俺は自分が無知だったのだと、その後度々痛感させられてきたのだ。だからこの体になって生きることを受け入れるしかなかったのに、それすら進藤の悪意の一辺が漂っている。それにしても気にもかけてないという風だったのは、秋奈にしてみれば女の芝居の一つだったというわけか。

幼馴染みの恋人同士……。

片方は順調に学業を納めて警察官なんてお堅い地方公務員の道を進んで、方やもう一人は全てを投げ出して地方で一人子供を産んで男を引っかけ金を稼ぐ詐欺師になった。運命の歯車というやつが噛み合わず狂った典型みたいな二人。
俺としても調べるうち一度は子供の父親が風間という可能性も考えたが、だったら上原杏奈は失踪する必要はなかった筈だと俺は思う。相手が風間祥太なら、きっと打ち明ければ杏奈が独りでどうにかするような事態にはあの男は追い込まない。杏奈がそうできなかったのは子供の父親が風間祥太ではなかったからで、祥太に知られたくない相手だったから。そうなると当時タイミングよく、もう一人消えた男の存在が俄然大きくなる。
上原征雄の失踪のタイミングは、偶然にしては余りにも出来すぎていた。たが当時の上原征雄の言動を覚えているような人間を、今では昔過ぎて余り探し出せなかった。だがはっきり言えることは一つある、上原征雄には一緒に姿を消すような女は何処にも存在していない。
都立総合病院の救急で耳介の裂傷の縫合をした後、数ヵ月ののち女と姿を消したとされている。その間に上原杏奈は東北方面に独りで逃げていたし、大体にして新しい女を作って逃げるには仕事もしていないヒモ生活の男には軍資金がない。それに情報を総合していくと上原征雄の性格とすれば、恐らく金蔓の上原春菜から離れるとは思えないのだ。そんな話は兎も角メール以降の秋奈の居所が掴めないのには、正直不快感が沸き上がっていた。

「出やしねぇな………。」

俺は不機嫌に呟くともう一度電話をリダイヤルする。恐らくだが進藤と二度会ったと話していた秋奈には、進藤の潜伏場所の一つに心当たりがあったのかもしれない。もしかしたらこのどちらかのマップが、進藤と会った場所だったか。秋奈が進藤についていたとしても、送られてきたメールの画像からは完全に進藤側とは思えないのが、尚更そう苦い思いを浮かばせる。秋奈が俺の家を出ていってからはかなり時間が経っているから、もしかしたら一度家に戻って倉橋亜希子から何らかの情報を聞き出したという可能性もありえる。だがどちらにせよ、これがあまり望ましい自体ではないのは確かだ。

「宏太、少し落ち着きなさい。」

秋奈のスマホは何度かけても、電波圏外にでもいるのか全く反応なし。向こうが電波圏外ということはこっちは居所を探ることも出来ない訳で、小さく舌打ちし俺は白杖をつきながら街の賑やかさの中に佇む。横にはトレンチコート姿の惣一が、先程の進藤との電話で取り乱したとは思えない冷静さで並んでいる。

「落ち着いてる。」
「そうは見えないよ。」

俺が探しに出ると言ったのを惣一は制止したのはやむを得ない。別に乱闘がどうとか言う点で制止したというわけではなく、もし進藤と一緒に三浦なんかと出くわしたら俺がその場で失神してしまうのを懸念しているのは分かっている。だがもうこの話はそれどころではない、何せあの時俺が死んだ妻と錯覚したのは進藤隆平だと俺も知ってしまった。

幽霊かなにか得体の知れないものだと思っていたのが、何のことはない甲高く笑う進藤だっただけ。

それは何故かより強い不快感になって、腹の底に重く沈んでいる。進藤は俺が思うよりずっと前から俺の身辺に出没していたし、あの男は利益なんて何も求めていなかった。誰とのゲームか知らないが相手の顔にベットリとヘドロのような汚名を塗りつけるためだけに、こんなに大量の人間を巻き込んでいるのだ。一体誰を相手にこんな訳のわからないゲームをし続けてきたのか、こうなったら当人の口からハッキリ聞かせてもらいたい。

「ビルの狭い廊下で乱闘はごめんだよ、私は。」
「そんなの俺も同じだ。」
「宏太の杖で殴られるのは避けたいんだよね。」

分かった、杖で殴らずに払うだけにすると言ってやると、それで怪我したら松理に怒られると惣一は呑気にいう始末。一先ず松理まで拉致されているわけではないが、向こうに少なくとも風間がいるのは僅かとはいえネックだ。喜一の方はまだ火災の事故処理で手がかかりそうだというし、この二人で乗り込むのは流石に問題があるのは理解している。居場所さえハッキリしたのならさっさと警察に通報すれば良いだけだが、その隙に二人とも殺られでもしたら寝覚めが悪いどころの話じゃないのだ。兎も角人混みに近い方のマップから潰すということにはしたが、路地を少し入っただけで辺りの人気が掻き消していた。

「細いな……。」
「確かに。」

ヒヤリと温度が何度か下がったような感覚のする路地を、惣一の指示通りにすすむ。人気が潮のようにひいて路地裏特有の室外機の低いモータ-音と、下水道の湿った臭いが漂う。アスファルトを踏む音は自分のものと惣一のものだけ、前にも後ろにも別な音は存在していない。

「どう?宏太。」
「なにも。ビル迄は?」
「入り口は目の前だね。」

殆ど灯りがないねと惣一が低くいうが、何処からも足音も呼吸音も聞こえない。惣一は俺の耳が異様に良いことを知っていて、あえて聞いているのだ。廃墟みたいだというビルの解放された入り口からは、外気よりも更に冷たい空気が這うように流れ出してくる。恐らく鉄筋コンクリートの建物自体が外気で冷えきって、こんな温度にかわるのだろう。地下二階・地上は三階、エレベーターホールの中には階段が上下に繋がっているという。無言で階段に歩み寄った俺は、少し階段に身を乗り出すようにして耳を澄ます。
鉄筋コンクリートだけの建物は、案外音を反響させる。壁自体を音も伝わるから、地下の音が上からのように聞こえることもあるのだ。ほんの僅かな微かな笑う声、恐らく壁を挟んでいるが遠くからではないところを見ると上の階に誰かがいる風に聞こえる。恐らくだが何かテレビ番組でも見て笑っているか。
 
「テナントは?」
「何もないね、誰かいそう?」
「上の階でテレビ見てる奴がいる。笑い声は独りのようだけどな。」

呑気に笑っていられるって辺り、捜しものの相手ではなさそうだなと呟くと、惣一がその耳じゃ盗聴機いらないねと苦笑いする。一先ず上の階の笑い声は最後に踏み込むことにして、下から乗り込む事に決めたのは俺が階段を降りる方が時間がとられるのと襲われた時上からの方が対処が素早いからに過ぎない。さっさと二人で階下に降りると、惣一が非常灯しか灯りがないと呟くのが聞こえる。そうなると襲う方も見えない訳で、正直俺としては好都合だ。左手を壁に付きながら更にもう一階降りてしまうと、非常灯は更に心許ない程度に光っているという。

「おじさんに優しくないなぁ、忍び込みにくい。」
「おやじは忍び込まねぇんだよ。」

階段を降りきってしまうと通路のずっと奥の方から、何かのモーターの音が俺の耳には聞き取れる。方や惣一の目には周囲はスナックか何かの廃墟に見えるという。
潰れて放置されて何年も経ったビル特有の退廃。
直ぐ様居抜きで店舗が入るには立地も悪すぎるし、元がスナックだとすれば治安も悪いに違いない。路地を出ても周囲は飲み屋や、それこそスナックやキャバクラばかりなのだからそこは仕方がかったのだろう。結局は周りの店舗に対抗する術もなく、ただ廃れて閉店した跡。それだけの事なのだが、俺の言葉に惣一は眉を潜めている。薄汚れて破けた壁紙と、いつの間にか階段を落ちてきたゴミの散乱する通路。何人もの人間が何の気なしに歩いた足跡を二人で踏みながら、通路の奥に向かって慎重に音をたてないように進む。こうして階下に完全に降りてしまうと上からのテレビの音は全く聞き取れず、耳には低く持続するモーター音だけ。大概スナックってやつはカラオケなんかを使うから店内の壁が防音仕様になってるんだ。お陰で壁一枚隔てて店舗跡の中に何かがいるかどうか、流石の俺でも聞き取れない。

「そっか、スナックは盲点だったね。」
「店舗の入り口は向こう側だろ?」
「こういう店舗は裏口がある筈だよ、モーター音がするんだろ?」

そうなのだ。潰れた筈の店舗跡からは、モーター音なんかがする筈がない。空調の音とは違う確かなモーター音。大体にして空調自体も無人で動かす必要があるかと問われると、答えはノーだ。つまりはこの奥には誰かがいるか、何かモーターのついているものが動いているということだ。モーターの低音が次第に近くなってきて、恐らく絶え間なく動き続けるものがあるのだと考える。上みたいにテレビの類いでは無さそうだが、一定のモーター音を出すようなものと言えばなんだろう。

「空気洗浄機・アンプ類・エアコン・冷蔵庫、後は何かあるかな。」
「どれも住人が必要なもんだな、そりゃ。」

溜め息混じりに俺が言うと、惣一も同じように同意する。こうなって来ると、その住人とやらが進藤の部下なんて可能性もあり得る。そうなるとこの狭い場所での、乱闘の可能性は格段に上がりそうだ。通路は暗く細く、折れ曲がって行き詰まり、そこには店舗裏らしい業務用のアルミ製のドアが冷たく存在する。

「開ける?」
「開けるしかねぇだろ?」

このまま警察呼ぶって手もあるけどと惣一がいうが、これで中に入ったら空調の反響音でしたでは笑い話にもならない。大体にして風間が拉致されている情報が警察内部に通っていない可能性だってある。

全くもって面倒な事してくれる。

これがただ単に悪名を上げるためだけ、というのが本当に信じられない。頭が何処かおかしいか、そうしないとならない理由でもあるのか。もし今後安全にという前提でだが進藤に会う機会があるなら、この点に関しては率直に聞いてみないとならないだろう。
目の前にした緩やかな規則的なモーター音がアルミの扉の向こうから漏れ聞こえるのを確認しながら、俺はユックリとその冷たいドアノブに手をかける。そうして意を決して勢いよくドアを開いていた。
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