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21.風間祥太

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それに気がついた時には既に手遅れだったのだ。杉浦陽太郎が何故そこにいたのは、偶々だったのか何か意図があったのかは分からない。

杉浦陽太郎?

鼻血まみれの腫れた顔が何故かヘッドライトの中で、安堵に緩むのが確かに見えていた。だが、そこは本来安堵に相応しい場所ではなかったのだ。
次の瞬間車道に立ち尽くしていた杉浦陽太郎の体は、大型SUVのバンパーにマトモに撥ね飛ばされていた。腰の辺りを真横に叩きつけられる衝撃に、その体は意図も容易く数メートル先に弾かれて叩きつけられている。叩きつけられた先がせめて歩道だったらまた違ったかもしれないが、弾かれた先は直ぐ先の交差点の手前の車線。しかもそちら側の信号機が停電に沈黙していた故に、多くの車はほんの一メートル程の間隔で低速で進んでいた。

ああ、ブレーキ!

前後の車間や直前に投げ込まれた状況からその気持ちはよく分かるが、追突覚悟でブレーキの方がきっとその先の被害は小さかった筈だ。
その車は唐突に目の前に投げ込まれた人間の体に、ブレーキを踏むのではなくハンドルをきることで咄嗟に対応した。だが、それは遅すぎる。避けきれなかった一台が無惨に杉浦の体を轢いた上に右にハンドルを大きく切って、ガードレールに真っ直ぐに突っ込んでいく。その次の車も目の前の異常事態にこちらはブレーキを踏んだが既に遅く杉浦の体に乗り上げ、その衝撃に今度は対向車線に向かって左にハンドルを切ってガードレールに突っ込みながら対向車に体当たりする。

「ああっ!」

周囲の人間の驚愕の声と悲鳴が響き渡る中で、俺には無惨に踏み潰されて筋肉の反射で跳ね上がる杉浦の体がハッキリ見えていた。あの様子では杉浦が助からないのは自明の理だが、杉浦の体を発端にして始まった連鎖反応が周囲の地獄絵図を産み出していく。杉浦を最初に撥ね飛ばしたSUVの方も急停車し、数メートルもなかった後続の車が勢いよく突っ込んでいくのが分かる。同時に杉浦の体は新たに四台目の車に踏み潰されて、鈍く何処かの骨の砕け散る音が辺りに響き渡っていた。

「い、いやぁあああっ!!」

あまりの惨劇に泣き叫び始めた女の声に俺は上原が泣き始めたのかと思ったが、上原は横に呆然と立ち尽くしていて他の女性の声だと気がつく。上原は小柄ではないがSUVのお陰で惨劇が見えていないのかもしれないと、頭の中では冷静に考えもしていた。あっという間に後続の車が玉突きを起こしたりガードレールに突っ込んでいくのに、辺りの歩道を歩いていた人間まで捲き込まれて周囲はパニックを起こし始める。

「風間!」

既に杉浦の周囲は車が身動きできない状態に変わりつつあって、遠坂の固い声で我に返った俺は遠坂の後に続いて停車車両の間を大きく手を振りながら駆け出す。これはどうしようもないと既に分かっていながら、ボロボロの雑巾みたいになっている杉浦に駆け寄る。人間としての原型を留めない状態の四肢・窪んだ頭蓋骨とひしゃげた鼻、虚ろに見開かれた眼球は激しい衝撃で内出血したのか血で深紅に染まっていた。

「杉浦……。」

その唇から溢れ出している血液は既に止まり始めていて、どうみても頸椎が外れたかずれたかしているのは医療に疎くても一目で分かった。もう首に触れるまでもない状況ではあるが、遠坂がスマホが繋がらねぇと舌打ちするのを横に軽く頸動脈に触れる。既に拍動する訳がないのは分かっていて触れて、思わず溜め息が溢れるのがわかっていた。

確かにこいつは詐欺の実行犯ではあったけど、こんな無惨な最後を迎えるほどの悪人だったのか?

目を閉じてやりたくなるが、こうなってしまうと下手に手を触れることも出来ない。そう苦い思いで杉浦の顔を見下ろしながら、ほんの数日前に殺されたくないと助けを求めてきた事を思い出す。
そんな中で周囲の混乱に駅前の派出所から制服警官が駆けつけてくるのを横目に、この状況をどう解消するべきか思案にくれる。辺りは捲き込まれた車は少なくとも二桁で、歩行者まで捲き込んで阿鼻叫喚の地獄絵図だ。しかも、情報は無いが近郊では別な事故も起きている状況で、ここにどれだけの人員が割けるのかも想像もつかない。そう無意識に考えた時、ある筈の場所に上原の姿が見えないのに気がついた。他の歩行者のように車に捲き込まれてパニックになっている訳ではないが、忽然と上原杏奈の姿が見えなくなったのに一瞬戸惑いながら辺りを見渡す。

何で何時もお前は急に消えるんだ?杏奈。

俺が大学進学で暫くは遠距離恋愛になると伝えた時、上原杏奈は微かな困惑の瞳で自分を見つめやがてそうなんだと弱く囁いた。きっと初めて遠ざかるのが寂しいのだろうとその時は素直に考えたし、杏奈もそうだと同意した。
俺は子供の時からずっと傍にいて杏奈がどんな風に考えたり感じたりするのかは充分知っていると思っていたのに、現実はほんの二ヶ月も経たない内に杏奈は一方的に連絡を絶ってしまう。大学に慣れなくて連絡をしてこないのかとも思ったが、夏休みに戻ってきて独り暮らしのアパートを訪ねると上原杏奈は既にそこから消え去っていていた。

夏休み中はどこかで住み込みでバイトするって

母親を訪ねてみたが夫が女と失踪したばかりの上原春菜は、杏奈の居場所については全く見当もつかない有り様でそう言い俺は呆然とするばかり。高校時代仲の良かった同級生の誰一人として杏奈の行方を知らず、唯一得られた情報は杏奈が中年男と腕を組んで旅行鞄を持って歩いていたという噂話だけだった。そして、あっという間に夏が過ぎて季節が変わっても、上原杏奈は忽然と戻ってこなかったのだ。

何にも話さなかったし、一人で消えるし、何で俺に何も言わないんだ。

遠距離恋愛が辛いとか、傍にいてとか、そんな類いの事を一度も口にしたことがないのに、気がつくと一人で何か思い詰め忽然と姿を消していて。十年も経って再会したら、杏奈と呼ぶなと言う始末だ。何がそんなに嫌であの時姿をくらましたのか位は、俺にも説明してくれと言いたい。それに再会した今の杏奈がどこか虚勢を張っているように見えるのは、自分の気のせいだろうか。

俺が何かしたのか?それとも両親と何かあったのか?

上原杏奈で居たくなくなる理由はどこにあるんだろうと、彼女を見るたびに考える。どんなに目を凝らしても立っていた筈の場所に杏奈らしい姿は見つけ出せず、思わずグルリと辺りを見渡す。

「風間?」
「遠坂さん、上原は?」

遠坂も一瞬彼女を失念していたらしく、その言葉に眉を潜めて辺りを見渡す。探しに行きたいが人命救助や現場保全、混乱の解消、そんな警察官としての役割が、目まぐるしく頭を過って思わず小さな声でクソッと溢してしまう。今更だが上原の連絡先位ちゃんと確認しておけば良かったと苛立ちながら、思わず空を仰ぐと飛行機なのかヘリなのか彗星のように光が夜の闇を裂いて走る。こんな状況なのにその光に一瞬目を奪われた自分は、諦めたように頭を振ると私的な感情を切り替えにかかっていた。



※※※



結局あの時の大本は自分達がいる場所より数キロ東側の都市部で、大規模な地盤沈下に伴うビルの崩落が原因だったらしい。地下鉄の掘削工事に伴うガス管の破損と地下水の汲み上げの不備で、高層ビルの一棟が崩落。それに伴い大規模な電圧の変動があり一ヶ所の変電所への過電圧という負荷がかかり一部地域の停電に繋がった。ガス管の破損とビルの崩落により、現場周辺は一時的に粉塵に覆われる事となる。しかも何らかの化学変化により、粉塵内部に残された人間は幻覚などの中毒症状をきたすなどの報告が後日あげられた。
都市部での交通網の麻痺は致命的で杉浦陽太郎をはじめとして、多くの死傷者が出る事態を巻き起こす。しかも杉浦陽太郎の引き起こした連鎖が最悪の状況ではなく、あれより更に酷いものも幾つかあった。特に報道ヘリの墜落はテレビ中継でリアルタイムで流れてしまったらしく、今後の報道規制のあり方等にも関わりかねないと方々で牽制しあう有り様だ。それ以外にも自衛隊の投入や何やと報道熱は他方に渡り、少なくとも杉浦陽太郎の連鎖事故に関しては殆ど報道陣は見向きもしなかった。唯一取り上げたのも杉浦の事ではなく、事故の地獄絵図に野次馬にきた人間に関してと言う別の切り口だったくらいだ。

「どうなんですか?あれ。」
「ん?」

杉浦の起こした詐欺に関しては、杉浦陽太郎が死亡した為被疑者死亡で送検するしかない。つまりは手繰り寄せる糸を失って、これ以上の原因も追及する術がない。同時に一課の三浦の失踪の方もこの騒ぎで余計足取りが掴めないと来ていて、刑事課内はどこもかしこもフラストレーションの蓄積の気配がする。

「堅苦しい表現ならバレないってことですか。遠坂さん。」
「まあ、そうとも言う。」

というのも現実的に都市停電の発端になったという、地盤沈下の原因が真実ではないと俺も遠坂も気がついてしまっていたのだ。確かに近隣で地下鉄の掘削工事は行われていて地下水の噴出もあったようだが、崩落したビルと隣の公園下には既に地下鉄の路線があり掘削には直接的な関係がない。勿論地下水の流れがあると説明されれば納得しないでもないが、実は下を通る地下鉄の路線には何ら支障が起きていないのだ。地下鉄の路線を偶然避けて崩落したというなら、上下三本の路線を上手くすり抜けて崩落した手段を説明してほしい。つまり本音は原因不明で説明が出来ないから、もっともらしい言い訳を官公庁公認ででっち上げたというところ。原因不明のことを騒ぎ立てても無意味と言いたいのは分かるが、なら原因不明というべきだ。結局スケープゴートに公共工事の業者を駒にして、追及を逃れる気なのだとしか思えない。

「まあ、仕方ないんじゃないかね?それで安心する人間もいるしな。」
「……そんなもんですかね。」

不満げに呟く俺としては杉浦の問題もビル崩落の件もさておいて、更に苛立ちがつのるものが一つだけ存在していた。

上原だ。

あの日を境に上原杏奈は、自分の目の前から再び完全に姿を消したのだ。何も言わず、まるで元からここには居なかったみたいに、プッツリと足取りが消え去った。勿論出会った辺りを何気なく探してみたりしたものの、今のところはかばかしい成果はない。遠坂の知人のあの盲目の長身男なら、もしかしたらとは思うが遠坂には言い出しにくいのは自分でも何故だか分からないでいる。杉浦陽太郎の惨状は見えていないと考えたのが間違いだったのかもしれないとも考えた、あの無惨な姿を見てショックを受けたのかもと思いもした。

それでも煙のように消えることはない。

以前と同じでまた十年も姿を消すつもりなんだろうかと、考えると思わず溜め息が溢れ落ちる。理由も分からない別れに二度もる振り回されるほど、俺は上原にとって頼りにならない男なのだろうか。頭の中でそんなことを考えながら、杉浦陽太郎の葬儀に影から弔問に訪ねる。検死や何やで少し時間がかかったのもあるが他の事故等の葬儀など世の中が立て込んだのだろう、杉浦の葬儀は十一月最初の水曜日で既にあの日から一週間がたっていた。検死の結果では何時の時点で杉浦が死んだのか迄はハッキリ断言はできないが、SUVにあたった時に意識は失っていたと信じたい。
夜の葬儀には音もなく冷たい雨が降り始めていて、ポツリポツリと同級生が訪れているようだ。両親に頭を下げて焼香してから雨の中に足を踏み出すと、雨に濡れても目に鮮やかな金髪が見える。

「槙山。」

俺の声に視線を上げた槙山は、溜め息混じりに明かりの差し込む室内を眺めながら呟く。

「あいつ、何で車の前になんか飛び出したかな。」
「……そうだな。」

あの時の一瞬の安堵の表情がなんだったのか。実は俺自身それが酷く気にかかってもいた。押し出されるみたいに車道に飛び出して、鼻血まみれで立ち尽くした杉浦の顔に浮かんだ安堵。まるで何かから逃げていたようにも思える。

「……逃げていた………?」

後から出てきた遠坂が俺の言葉に微かに眉をあげ、目の前の槙山も顔色を変えた。あの騒ぎの中ではマトモに考えていなかったが、あの姿が誰かに追われて怪我をしていたのだとしたら。転げ出すように車道に出たのが誰かに追われていたのだとしたら。知り合いの刑事二人をみて安堵したのだとは言えないだろうか。そうなってくると杉浦が逃げ回り自分達をみて安堵する、あの場にいる可能性がある人間が頭を過る。

「あそこに………三浦がいた?」

思わず口にした言葉に、二人が目を丸くするのが分かった。防犯カメラの画像を確認するしか確める方法はないが、あの辺りの防犯カメラの映像を見せてもらうよう手配してと思案している自分に遠坂がちょっと来いと言い出す。早く手配をと言いたいのに有無を言わさず引き摺られ、しかも槙山迄それに着いてくる。

「何でお前迄。」
「あんたらより俺の方が和希の顔なら見慣れてると思うんだけど。」

自分の今の言葉でというよりは杉浦の騒動から薄々気がついていたのだろう、槙山は当然のようにそう口にすると遠坂迄確かになと言い出す始末だ。民間人を巻き込むのはと呟く自分の言葉に、どうせこれから行くのも民間人だと遠坂が吐き捨てるように呟いたのに気が付いた。



※※※



「なんだ?随分人間連れてきやがったな、喜一。」

呆れたような掠れ声が自分達を迎え入れ、始めて間近に見る傷だらけの顔をした外崎宏太はどうみてもマトモな用途ではない機械の前に座ったまま自分達を見上げた。手近な椅子を引き寄せ腰かけた遠坂が、三浦がいた可能性があるんだがと呟くと相手の顔色が変わるのが分かる。

「駅前のよ、防犯カメラの映像みれねぇか?一週間前のよ。」
「ガス爆発ん時のか?どうかな、聞いてみっか?ん?」

聞いてみる相手がいるというのも驚きたが、盲目の男に聞く話ではないのではなかろうか。そう考えたのは自分だけではなかったらしく、槙山が呆気にとられたみたいに眺めている。外崎は無造作に電話をかけ始め、相手に向かって口を開いた。

「よぉ、俺だけど。クボ、わりぃけど力貸してくんねぇかな?」

電話口の相手に手短に駅前のカメラ映像が見たいんだけどなと説明しているのに、当然のように話を聞いているのがどうにも奇妙でならない。画像を見たいの一言でどうにかなると言うのは、正直なところ違法とは言わないのだろうか。これが遠坂のアンダーグラウンドの情報源というやつなのかと呆然としていると、遠坂が座ってろと声をかけてくる。クボと呼ばれた電話口の相手が、何か話しているのに外崎は遠坂にどこら辺が見たいのか問いかけた。

「あの日に駅前のロータリーで交通事故があったんだが、その辺りの映像が見たい。」
「交通事故ね、だとよ。ああ、そうだな、出来ればそいつも頼む。」

そう手短に答えると電話をしながら、遠坂にパソコンを起動するよう声をかける。どうやら相手から何か指示をされているようなのは理解できるが、これは正直なところ完全に違法行為…ではないと遠坂に言われて俺は目つむる事にした。防犯カメラ映像を見れるサイトは現実として存在するし、生配信じゃないものを見るのもきっと違法じゃないんだ、多分と自分に言い聞かせる。

「ん。悪いな、助かる。」

電話の横で荒い画像の表示された画面を覗きこみ、時間を確認している遠坂が小さく舌打ちするのが聞こえた。

「前半はギリギリ消えてんな…。」
「駅前のヤツは容量がすくねぇんだとよ、保存期間が一週間しかねぇんだと。上書きされる寸前で無理やりバックアップ撮ってくれたらしいから、無理言うな。」

一時間おきに新しいデータが上書きされていくというから、この映像は本当にギリギリのラインだったようだ。つまり正規の手順を踏んでいたらとっくにこの画像は消えたという話で、他の場所からの映像を探す羽目になった訳だった。その画像は自分達の斜め頭上から交差点を含む二方向を映していて、正直なところ意図が分からない配置だ。

「何でこんな位置にあんだ?こいつ。」
「クボが商店街の奴等が取り付け間違ったって言ってる。外すのがめんどうな場所だから、壊れるまで放置なんだと。元は歩道がカバーできるようにつける気だったとよ。」

何だそれは。適当だなと思うが、別なカメラでは歩道をカバーしてるそうだ。ひったくりが増えた時に試しに着けてみた物らしく、かなりの年数稼働しているのだというが誰もカメラに気が付いた風ではない。画面には古いカメラ画像らしい色の褪せた荒い画像が流れている。

「うえ、こんなんだったのかよ、事故って。」
「阿鼻叫喚の地獄絵図だな。」
「これって警察提出してないんですか?」
「警察官二人が目撃してるし、この映像があるのを知ってる奴が殆どいないとよ。他の店の画像はそれぞれ出してるとさ。」

電話口の向こうにもこちらの声が聞こえているらしく、外崎がそんなことを言う。確かに自分達二人の調書で逆に大きく調べる範囲が縮小されたということは確かだし、同時にこの大規模災害の状況では一つの事故にそう時間もとれない。
映像は午後九時からで既に人が溢れる歩道が写っている。事故が起きたのは午後九時少し前位だったから既に車の異様な動きが始まっていた。
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