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458.馬酔木

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寒さの緩み始めた晴の気配の漂う三月。
長くて短い高校の三年間が終わる日が遂にやって来て、一昨年になるあの一大騒動の犠牲のお陰で一つなくなった体育館の代わりに改築された第二体育館で宮井麻希子達の卒業式は無事開催された。土志田悌順が過去に登ったとされている古木の桜は今年は少し花が綻ぶのが遅れたけれど、卒業式の朝に一気に咲くというミラクルを起こして、なおのこと麻希子達の卒業を共に祝う。
そうして式典は滞りなく進み感慨に耽る間もなく泣きじゃくる女子や後輩達と共に学舎で最後の校歌を斉唱して、今は既に通年恒例の制服争奪戦が繰り広げられているのだけれど今年は少し毛色が違う。

「ああ、ごめんな、タイは約束してあるんだ。」
「ごめんね、リボンタイは約束があるの。」

そこかしこでこの会話が飛び交っている気がする。勿論宮井麻希子のリボンタイもそのまま胸に残っているのだが。一応ベストは既に泣きじゃくりながら行かないでと抱きついてきた二年の花泉英華に渡したし、ジャケットも他の学年の子に抱きつかれながら手放したのは言うまでもない。

「今年はタイはあんまりあげない子が多いねぇ。」
「そりゃ今年のサンイチは相手がいる子が多いからね、まきチン。」

そう唐突に横に現れて言うのは同じクラスの八幡瑠璃で、瑠璃もリボンタイはそのままだけど後はベストもジャケットもないどころか、何故かブラウスの下にティーシャツを着ていたらしくてブラウスまでない。男子と違ってあげるものが少ない女子でここまで剥かれるとはと瑠璃が呆れているけれど、流石にブラウスは無理だった麻希子の方は泣くだろうからと何枚か準備していたハンカチを洗いざらい奪われていたりする。通年だと同級生同士で交換なんかも可能な制服争奪なのに、今年は死守しないと守れない辺りがそれぞれが人気の証なのだろうか。それにしてもタイを死守している生徒がヤッパリ多い。

「と思わない?瑠璃ちゃん。」
「そりゃそうだよ。好きな子いますアピールも含めてよければ皆渡したい子がいるわけだし。」

えええ?!と驚くけれど、瑠璃は平然とした顔で麻希子だってそうじゃんと笑う。確かに麻希子にも溺愛彼氏と有名な宇野智雪がいるから、両思いになれるかもしれないジンクスのタイを手離せないでいる。何しろ雪はの高校の卒業生で制服争奪戦の切っ掛けを作った年代らしいから、確実にタイがない状態で帰ると面倒なことになりそうな気がするのだ。それにしても皆がそれぞれ渡したい子がいるなんて、交際している同級生達がいるのは事実だけれど、そう言われるまで受験もあったし真面目にそれについては考えたことがなかった。因みに受験の期間中は献身的に尽くしてくれる雪は、余り過剰にアピールはなかったものの卒業したら二人で何処か旅行に行こうとはいっている。

「瑠璃。」
「透、スッゴい格好だなー!」

キャハハと笑う瑠璃の言葉の先には、密かに後輩に人気が高かった若瀬透が上半身はティーシャツでベルトまで奪われた様相。ベルトまで!と爆笑している瑠璃に何故か、透はズイと握った山の手を突き出す。

「は?なに?」
「…………受け取れって。」

不貞腐れたように言う透に戸惑いながら瑠璃が手を差し出すと、その手には死守したらしいタイがハラリと落とされて瑠璃が目を丸くする。そう、今年の何よりも大きな変化は、自分のタイを自分から意中の相手に渡す卒業生が増えたのだ。勿論相手がいない先輩に後輩が言えばタイは貰えるけれど、真見塚孝や鈴木貴寛達のように既に交際している相手がいる男子が、去年までなら恋人はいるけどタイは後輩にということもあったのを悉く覆した。それが何故かドンドン広まって相手が決まっていないけど、意中の人がいる男子だけでなく女子もタイは好きな人に渡すからと死守している。

「え、あ?トール?!ちょちょ、ちょっとぉ!」

さっさと渡すだけで歩き出してしまった透を瑠璃が慌てて追いかけていくのに、あの二人いつの間にそんな関係に周囲も目を丸くしている。透が華奢で他の男子よりひ弱そうだったのは既に過去の話で最近は背も延びて確りした体つきになってきていて、麻希子ほどではないが小柄な瑠璃とならんでも恋人同士としては遜色ない。そんな和やかな空気を眺めながら麻希子は穏やかに微笑む。

「どうかしたか?麻希子。」

いつの間にか喧騒から逃げ出してきた香坂智美も他の同級生と変わらずベストとジャケット、ワイシャツ迄やはり奪われベルトもない。その足であの人混みから良く逃げ出すことができたものだと思うけれど、案外最近身長の伸びと共に動きも幾分良くなったと当人は笑うばかりだ。

「…………麻希子。」
「ん?何?智美君。」

以前は少しだけ視線を上げれば女の子みたいな長い睫毛が直ぐ見えたのに、今では麻希子の身長と智美の身長は20センチも差がついてしまっていて、二年間の時の流れの早さを直に感じてしまう。勿論女子にしては150センチ台の麻希子はかなり小柄だから仕方がないのだけれど、それでも智美の身長の伸びかたは宇野衛とも通じていて一気にグングンという感じなのだ。それに血縁者だからこそだけど、衛も智美も背が伸びるほど雪に似てもいて。

「麻希子、手。」
「え?」
「はい、これ。」

智美も死守して隠していたらしいタイがスルンと一回り麻希子より大きくなってしまった手から、麻希子の手に落とされていて。麻希子はキョトンとしたみたいに目を丸くして、智美君と彼の事を見上げて問いかけてくる。相手の方はまるでこの気持ちに気がつきもしないままここ迄できてしまったのだけれど、ここで他の誰かにタイを渡してお茶を濁すのも気が向かない。

「えっと…………。智美君、これは。」
「うん、麻希子にあげる。そのためにとっておいたから。」

とりかえっこしたくて渡されたの?と麻希子が思っているのは分かっているけれど、麻希子から進んであげたいと思ってくれているのではないのも分かっている。麻希子は高校に通ってきて一番最初に頑なだった智美の扉を開かせた相手、それに他の何人もの友人を引き寄せてもくれた人。そうして何もかも諦めようとした自分に、それでは駄目だと引き留めてもくれた大事な存在。

花のように鮮やかに存在して、快活で明るい唯一の人

周囲の喧騒の中で少しだけ戸惑う視線を向けるけれど、一年以上も自覚してから温め続けた想いにこのまま何もせずにいたくない。そう思うから智美はこうして、他の面々と同じく彼女のためにタイを死守したのだ。麻希子がこれを伝えられて戸惑うだろうとは思うけれど、それでもこうして生きているのだから

「僕はね、ずっと麻希子の事が好きだよ。」

その言葉に目の前のシマエナガみたいな瞳をした彼女は、驚いたように立ち尽くしていたのだった。
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