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451.銀木犀
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定番とされるものにはそれなりに基準があるわけで、宇野衛は大概の基準からかけ離れているから定番には当てはまらない存在になりつつある。何しろ小学校二年生にして急激な成長期を向かえて、年度始めには百四十あるかないかだった身長は既に百六十に届こうとしている。しかもずば抜けて頭がよくて記憶力もいいし、テストなんか完璧な答えを出してくる有り様。かといって妙に達観していたり、ませた面があるわけではなくて、先生には当然素直で年相応の顔をする可愛げもある。そんな宇野衛が最近必ず昼休みや放課後に図書館に通い始めたのだった。
一見するとヒョロリと延び始めた身長で足早に図書室に向かう姿は、密かに同年代の注目の的になっているのだが、当人の目的は図書館にいる可能性がある一人の少女なのだ。
相手は佐久間杏奈という、衛からは三年歳かさの五年生だ。佐久間杏奈の方も宇野衛と同じく同年代の平均からは大きく外れた存在で、高学年の彼女は百六十センチどころか百五十センチにも満たないかもしれない小柄な少女だ。彼女が周囲と異質なのは、これまでずっと先天性の病気のせいで色々なことを制限されてきたからなのだった。そんな彼女と衛の出会いは去年の春先の事で、まだ学校に慣れない衛が校内でポツンと一人でいたのに彼女がどうしたのと声をかけてくれたことなのだ。
「杏奈ちゃん。」
「衛君。今日も読書?」
杏奈は以前から図書委員なので昼時間の図書の貸し出し受け付けをしていることが多いし、それ以外でも他の同級生のように駆け回ったり出来なかったから図書室にいることが多い。衛はそれを知っていて杏奈がいる可能性を把握して図書室に来ていたりするのだが、相手も周囲もそこまで小学二年生が策士だなんて考える筈もないのだ。
雪も言うけど、ノホホンとムガイに見えるのが大事なんだよね。
父である宇野智雪が以前友達の鳥飼信哉や土志田悌順達と、お酒を飲みながら相手と仲良くなるための技とか言うのを話していた。あの頃まだ衛は幼稚園児だったけれど、衛は実は特殊な記憶能力の持ち主なのでその時の記憶を後から頭の中で再生して、何年も経ってから新しく得た知識で理解し直すなんて事も可能なのだ。これに関しては大概の人は出来ないことだから、簡単に人に話してはいけないと雪や信哉にも言われている。
だけどね、衛は他の人と違って嫌なこととか悪いことも一度覚えると忘れられないから
そうなのだ。この記憶能力の弊害は記憶したら他の人みたいに忘れられないことで、同じ能力がある香坂智美も忘れられないから大変なのだという。
あのさ、嫌でも悪い事って起きるんだ。だから、マイナス以上にプラスを記憶するんだよ。
智美の説明は少し難しかったが、言いたいのは悪いことがマイナスで、いいことがプラス。自分の中の記憶がない状態を0基準にして、悪いことを一つ記憶したらいいことは二つ記憶する。悪いことを二つ記憶したら、いいことは四つ。そんな風に自分の中でいいことを沢山集めて記憶するのが、生きていくコツなんだって言う。風邪を引いて苦いお薬を飲んだ記憶が一つなら、雪がプリンを買ってきてくれたり、麻希子が美味しいお粥を作ってくれたのが二つ。そんな風に
「衛君?」
「あ、ごめんね、杏奈ちゃん今日も顔色ピンクだね、元気の色だ。」
「ありがと、衛君が言うと安心だね。」
前の杏奈は顔色が何時も青ざめて血の気がなかったり、身体の中の電解質とか言うもののバランスが悪くて土気色だったりした。でも、二月に入院して手術を受けてから、凄く調子がよくなって頬が他の子達のようにピンクになったのだ。そうなってから杏奈は少しずつ運動も出来るし、他の子と同じく給食を食べることも出来るようになった。そうして衛は何時も記憶した杏奈の顔色を比較して、今日の顔色判定なんてことを声に出して伝えるようになったのだ。最初は驚いた杏奈だけど、無理をしすぎて疲れたりすると顔色が悪いよと衛に見抜かれてしまうのに気が付いて、衛の評価を気にするようにもなった。
「杏奈ちゃん、図書委員って何時からなれるの?僕も図書委員したいなぁ。」
「四年生から委員会にはいるけど、衛君はあと二年後だね。」
「えぇー、二年後じゃ杏奈ちゃんがいないよ。狡い。」
何が狡いの?と杏奈が不思議そうに首をかしげるけれど、衛が図書委員になりたいのは杏奈と一緒に貸し出しカウンター係を並んでやりたいだけだったりする。流石に三年の歳の差は如何ともしがたく、中学は同じ学区だから同じ学校に進むとしても、衛が進学する頃には杏奈は高校生なのだ。一緒にいられるのはそれほど長くないし、もっと一緒に過ごしたいのに、杏奈は自分の世界が広がってきて視野も急激に広がりつつある。
「あーぁ、外国みたいに飛び級があったらなぁ…………。」
「衛君、背が高くなったからね。学年上に見えるもんね。」
笑いながらそう言う杏奈に、そこじゃないんだよねと心の中で呟く。どうも自分だけでなく雪や智美みたいなひねくれた面のあるタイプは、杏奈や宮井麻希子のような少し天然の鈍さを持った女性に惹かれる傾向があるみたいだと衛は思う。
杏奈は何時もポヤポヤしていて危なっかしくて、笑顔が花のように可愛い。
その笑顔は衛のプラスポイントの一番だから沢山見たいのだけれど、そう素直に伝えて杏奈は笑顔なんてみんな同じだよと笑うばかりだ。それでも衛としては杏奈の笑顔は特別だと思うから、こうして声をかけ続けていて自分を印象付けようとしている。
いつか雪やまーちゃんの特別みたいになれないかな…………
それは小学二年生ではまだ早いと雪には言われるけれど衛としてはそれほど早くもないと思うし、麻希子の方は大切は大切だもんねと応援もしてくれる(というのも麻希子が雪を特別だと思ったのは、今の衛位の年頃だからだという)のだ。それが言い換えれば初恋というものなのだったと麻希子は言うし、衛は自分の感情がそれなのかなとは思う。何しろ麻希子に昔持っていたのとは、全く違う感情で衛は彼女の存在を認識していて杏奈は特別な女の子なのだ。
「ねぇ、杏奈ちゃん。今度さ?」
そう衛は無垢に見えるような笑顔を意図的に浮かべて、口を開くのだった。
一見するとヒョロリと延び始めた身長で足早に図書室に向かう姿は、密かに同年代の注目の的になっているのだが、当人の目的は図書館にいる可能性がある一人の少女なのだ。
相手は佐久間杏奈という、衛からは三年歳かさの五年生だ。佐久間杏奈の方も宇野衛と同じく同年代の平均からは大きく外れた存在で、高学年の彼女は百六十センチどころか百五十センチにも満たないかもしれない小柄な少女だ。彼女が周囲と異質なのは、これまでずっと先天性の病気のせいで色々なことを制限されてきたからなのだった。そんな彼女と衛の出会いは去年の春先の事で、まだ学校に慣れない衛が校内でポツンと一人でいたのに彼女がどうしたのと声をかけてくれたことなのだ。
「杏奈ちゃん。」
「衛君。今日も読書?」
杏奈は以前から図書委員なので昼時間の図書の貸し出し受け付けをしていることが多いし、それ以外でも他の同級生のように駆け回ったり出来なかったから図書室にいることが多い。衛はそれを知っていて杏奈がいる可能性を把握して図書室に来ていたりするのだが、相手も周囲もそこまで小学二年生が策士だなんて考える筈もないのだ。
雪も言うけど、ノホホンとムガイに見えるのが大事なんだよね。
父である宇野智雪が以前友達の鳥飼信哉や土志田悌順達と、お酒を飲みながら相手と仲良くなるための技とか言うのを話していた。あの頃まだ衛は幼稚園児だったけれど、衛は実は特殊な記憶能力の持ち主なのでその時の記憶を後から頭の中で再生して、何年も経ってから新しく得た知識で理解し直すなんて事も可能なのだ。これに関しては大概の人は出来ないことだから、簡単に人に話してはいけないと雪や信哉にも言われている。
だけどね、衛は他の人と違って嫌なこととか悪いことも一度覚えると忘れられないから
そうなのだ。この記憶能力の弊害は記憶したら他の人みたいに忘れられないことで、同じ能力がある香坂智美も忘れられないから大変なのだという。
あのさ、嫌でも悪い事って起きるんだ。だから、マイナス以上にプラスを記憶するんだよ。
智美の説明は少し難しかったが、言いたいのは悪いことがマイナスで、いいことがプラス。自分の中の記憶がない状態を0基準にして、悪いことを一つ記憶したらいいことは二つ記憶する。悪いことを二つ記憶したら、いいことは四つ。そんな風に自分の中でいいことを沢山集めて記憶するのが、生きていくコツなんだって言う。風邪を引いて苦いお薬を飲んだ記憶が一つなら、雪がプリンを買ってきてくれたり、麻希子が美味しいお粥を作ってくれたのが二つ。そんな風に
「衛君?」
「あ、ごめんね、杏奈ちゃん今日も顔色ピンクだね、元気の色だ。」
「ありがと、衛君が言うと安心だね。」
前の杏奈は顔色が何時も青ざめて血の気がなかったり、身体の中の電解質とか言うもののバランスが悪くて土気色だったりした。でも、二月に入院して手術を受けてから、凄く調子がよくなって頬が他の子達のようにピンクになったのだ。そうなってから杏奈は少しずつ運動も出来るし、他の子と同じく給食を食べることも出来るようになった。そうして衛は何時も記憶した杏奈の顔色を比較して、今日の顔色判定なんてことを声に出して伝えるようになったのだ。最初は驚いた杏奈だけど、無理をしすぎて疲れたりすると顔色が悪いよと衛に見抜かれてしまうのに気が付いて、衛の評価を気にするようにもなった。
「杏奈ちゃん、図書委員って何時からなれるの?僕も図書委員したいなぁ。」
「四年生から委員会にはいるけど、衛君はあと二年後だね。」
「えぇー、二年後じゃ杏奈ちゃんがいないよ。狡い。」
何が狡いの?と杏奈が不思議そうに首をかしげるけれど、衛が図書委員になりたいのは杏奈と一緒に貸し出しカウンター係を並んでやりたいだけだったりする。流石に三年の歳の差は如何ともしがたく、中学は同じ学区だから同じ学校に進むとしても、衛が進学する頃には杏奈は高校生なのだ。一緒にいられるのはそれほど長くないし、もっと一緒に過ごしたいのに、杏奈は自分の世界が広がってきて視野も急激に広がりつつある。
「あーぁ、外国みたいに飛び級があったらなぁ…………。」
「衛君、背が高くなったからね。学年上に見えるもんね。」
笑いながらそう言う杏奈に、そこじゃないんだよねと心の中で呟く。どうも自分だけでなく雪や智美みたいなひねくれた面のあるタイプは、杏奈や宮井麻希子のような少し天然の鈍さを持った女性に惹かれる傾向があるみたいだと衛は思う。
杏奈は何時もポヤポヤしていて危なっかしくて、笑顔が花のように可愛い。
その笑顔は衛のプラスポイントの一番だから沢山見たいのだけれど、そう素直に伝えて杏奈は笑顔なんてみんな同じだよと笑うばかりだ。それでも衛としては杏奈の笑顔は特別だと思うから、こうして声をかけ続けていて自分を印象付けようとしている。
いつか雪やまーちゃんの特別みたいになれないかな…………
それは小学二年生ではまだ早いと雪には言われるけれど衛としてはそれほど早くもないと思うし、麻希子の方は大切は大切だもんねと応援もしてくれる(というのも麻希子が雪を特別だと思ったのは、今の衛位の年頃だからだという)のだ。それが言い換えれば初恋というものなのだったと麻希子は言うし、衛は自分の感情がそれなのかなとは思う。何しろ麻希子に昔持っていたのとは、全く違う感情で衛は彼女の存在を認識していて杏奈は特別な女の子なのだ。
「ねぇ、杏奈ちゃん。今度さ?」
そう衛は無垢に見えるような笑顔を意図的に浮かべて、口を開くのだった。
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