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二度目の6月

閑話96.花泉英華

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自分で考えて自分で決めて行動する。
そんなことは私は今までの成長の過程でしたこともなければ、どうやったらよいのかも私には想像もできません。それでも私の初めての恋心のためには立ち止まる気持ちにはなれませんでしたし、私は私らしく自分の気持ちに素直になりたいと思ったのです。三年の先輩方に言われて初めて口にした自分の焼き菓子は粉っぽくボソボソとしていて、まるで練った小麦粉をただ焼き色をつけただけで全く美味しくありませんでした。でも宮井先輩の作った焼き菓子はキチンとしたお菓子で、香坂先輩に味見もしないで作るのはおかしいと言われたのは私も最もだと思います。父や祖父だって調理の時には味見をしますのに、私が他の方に差し上げる品物に全く頓着していなかったのはとても恥ずかしい事でした。あの後宮井先輩から伺ったことを頭の中で繰り返しながら焼いたものは幾分ましな味には変わりましたし、焼いている最中の匂いに普段は気にもしない兄が顔を出したのにはとても驚かされました。

「美味しそうな匂いがしたから。」

そう兄は言い初めて私の作ったものを口にして、中々いいんじゃないと言ったのです。つまり今までの私の作っていたものはまともな匂いすらしていなかったのだと、とても恥ずかしくなりました。だって、私はそれを何度も土志田先生に、お渡ししようとしてたんです。他のものも私自身味見をして、幾つかあまりの衝撃に泣きたくなったものもあるんです。卵焼きとか色々と…………本当に今さらですけど土志田先生が断ってくださったのに神様に感謝しないとなりません。食べていただいていたら、
恥ずかしくて先生に顔を向けることもできないようなものばかりでしたから。
父に卵焼きの作り方を聞きもしましたが、細かく難しい行程に私は唖然としてしまいました。当然料亭でのものですから家庭のものとは違うとのでしょうけど、姉は普段の弁当を一つ余分に作って貰えば?と言います。

でも、それでは料亭花泉の弁当をお渡しするだけ……

それは何か間違っているような気がしたのです。そう私が口にすると姉は不思議そうに首を傾げ、私の事を眺めました。

「花泉の人間なんだから、花泉で作ったものを渡すのの何がおかしいの?相手だって美味しいものの方が喜ぶでしょ?英華。」
「舞華姉さんは、今までどなたかにそうしたんですか?」

当然でしょ?と大学に通う姉は言い颯爽と去っていきましたけど、やっぱりそれは何かがおかしいような気がしたのです。何がおかしいのか、姉の言い分も至極最もだと思うのに、私には何故か納得ができません。花泉の料理なら間違いがないのに、それを渡すのは何だか狡い事をしている。私にはそう感じました。
お弁当を作れるようになるにはまだ暫く時間が必要でしたし、私は一先ず焼き菓子の腕をあげることに集中することにいたしました。何か一つ上達したら少し違う物が見えるのではないかと、私自身が考えたからです。毎日のように焼き菓子を作るものですから、兄や父も顔を出して味見をしてくれます。父に意見を聞こうともいたしましたが、和食の板前の父に洋菓子の話は聞きにくくて。結局はなにも聞けないままでしたから、そこは少し残念です。兄は飽きずに良くやるなと笑いながら、バターはこっちがいいとか、うちのオーブンは少し温度が高いから気持ち早めに取り出すといいと助言をしてくれます。

「英華、好きな人でもできたのか?」

唐突に兄にそんなことを言われて私は面食らってしまいます。

「な、何でですか?創一兄さん。」
「女って、こういうの作るのは誰かに渡すためだろ?舞華は下手くそだったから買って渡してたけどな。」

その言葉に私は目を丸くしてしまいました。姉も以前同じようなことをしていたけれど、全く上手く出来ずに癇癪を起こしていたと兄はコッソリ教えてくれたのです。私には勉強も何もかも追い付かない姉にも不得意なことがあることには驚きましたが、姉には姉なりの考えで贈り物を購入していたのだと思います。そうして宮井先輩のものには敵わなくても、お渡し出きるような物がやっと作れるようになったのです。

私が先生に声をかけたのはもう放課後のことで、顧問の部活の指導に向かっている先生をやっと見つけたからです。先生と声をかけて駆け寄ると土志田先生は立ち止まり、ほんの少し困ったような微笑みを浮かべました。繁華街で助けていただいてから何度も私は、先生のこの少し困った様子の笑顔ばかり見ている気がします。何故か私が駆け寄り何かお渡ししようとすると、先生は内川先生のようには受け取らず困った笑顔を浮かべるのです。

「先生、これ受け取っていただけませんか?」

差し出した焼き菓子のラッピングに先生は、また少し困った顔で私の事を見下ろします。内川先生はすぐ受けとるのに土志田先生は、絶対に受け取ろうと手を出したことがないと同級生には言われました。皆と一緒のところで一つ食べることはあっても、バレンタインですら個人では受け取らないのだと聞きます。

「悪いな、花泉。何回も言っているけどな、受け取れない。」

何でだろう、すごく不思議でした。内川先生は直ぐ受けとるのにと呟くと、先生は苦い顔で溜め息をついて頭をグシャグシャと掻き回します。

「内川先生と俺は考え方が違う。」
「考え方……。」
「俺は教師で、花泉は生徒。花泉はもう少し周囲を良く見て、自分の事を考えなさい。偶々助けた俺にちょっと心が揺れてるだけなんだから。」

それは私の恋は錯覚と言うことですか?と震える私の声が呟くのが聞こえる。先生にとっては私は沢山の生徒の中の一人で、なんにも特別じゃない。先生を暫く見ていて気がついてしまったことがあるんです。先生は時々誰かをそっと目で追っていて、その姿を見つけるとフワリと見たことのない笑顔を浮かべるって。私もそんな風に見つめてほしいと思いましたが、先生の先生としての態度は何一つ崩れなくて…………そう思ったら突然涙が溢れ出したのです。

「花泉?!」

苦くて熱い大粒の涙が頬を伝って地面にまで音を立てて落ちていくのに、目の前の先生は驚いたように一歩近寄ってポケットから出したハンカチを差し出されます。その時更に気がついてしまったんです、先生はいつも私から距離を取っていて隣に並んで歩く距離でもなければ手を繋ぐ距離でもないのに。私は背が低いので近寄った先生は戸惑いながら腰を折り、肩に大きな手がかり顔を覗きこんでいるのがわかります。でもその表情は何時もの先生のままで、何一つ普段と変わらないのは良くわかってしまいました。
暫く泣き続けた私を先生は無言で見守っていましたが、やがて私が半べそのまま顔をあげると少しだけホッとされたようです。

「先生、一つだけ伺って宜しいですか?答えていただけたら、もう個人的にこのようなことは終わりにします。」

その後問いかけた事に先生は可能な限りで真摯にお答えになって、私は頭を下げて教室に戻りました。また泣きながらでしたが教室にはまだ何人がクラスメイトがいて、私は彼らに自分の作った物を広げて振る舞ったのです。誰も美味しいと言ってくれましたけど、暫くは作らないような気がします。



※※※



自宅に帰って部屋に引きこもった私は翌日もや休んでしまいましたので、学校でそんな騒ぎになっているとは全く思いませんでした。友人から先生と付き合うの?とLINEをいただいて驚いてしまったくらいです。それは違うと答えましたが、何分料亭の娘ではありますので噂の怖さは理解しておりますが、まさか高校生の噂があんな事になっているとは思っても見なかったんです。
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