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4月

閑話74.宇野智雪

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余りあの辺りのことは考えたくない。そんな事を言ったら自分が、とても薄情なのはよく分かっている。分かっているけれど今となってはそう言わすにはいられないのは、自分の願いが今になって叶ってしまったからだ。
麻希子が自分の恋人で傍に居てくれる。
あの夜自分を抱き締めて引き留めた真っ直ぐな瞳を、雪は今でも鮮明に覚えている。



※※※



彼は一介の高校生に過ぎない自分を何故か気に入って、様々な情報を集める術を教えてくれた。彼に出逢ったのは、偶然の出会いだ。焼け尽くした自分の家のあった場所を見つめ呆然と立ち尽くしている雪に、彼は宮井の息子かと問いかけてきた。言葉もなく声に振り返ると暗い眼をした身なりのいい青年が、驚くほどすぐ傍に立っている。

「あんた……誰?」
「お前の親の知り合いだよ……。」

両親の交友範囲は『苣木』が幅広く客がいたせいか、雪には想像も出来ないほどだった。弔問客の中には幼い頃に『苣木』で話したことのある人間も多かったし、取り分けよく通っていて父がお気に入りの白磁のティーポットを態々分け与えた人物らしい姿もあったくらいだ。声をかけた人物は葬儀では見かけなかったが、ここに来たと言うことはニュースを聞いて態々訪れたのかもしれない。

「強盗だってな。」

その言葉が心に突き刺さるようだった。両親を殺して火を着けた強盗犯はまだ捕まっていないのに、それを指摘されると痛みで胸が凍るようだ。偶然自分がほんの数日の学校の野外研修に留守にしていた間の惨劇に、誰しも運が良かったのだというが、雪には全くそんな風には考えられない。どうせなら一緒に死んでいた方がましだと思うくらいだ。何しろ実は自分は実の父親も殺されていて、その後に結婚した育ての父親と母親まで殺されてしまった。

そんなの幾らなんでも残酷過ぎる

唇をキツく噛んだままの雪に、暗い眼をした男は静かな声で誘いかけるような言葉を放った。

「大事なモノを奪った犯人、探したいか?」

その言葉に雪は迷うことなく当然だと言い放つ。すると彼は奇妙なことに、その方法を教えてやってもいいと呟いたのだ。
その男は、進藤隆平と名乗った。
本当の名前かどうかも知らないし、どんな素性なのかも実は知らない。でも、何故か彼は特殊な方法を様々知っていて、情報を集める方法を雪に教え込んでくれた。どんな人間にどんな聞き方をするのか、どんな場所にどんな情報を持った人間がいるのか。そんなマトモに過ごしていたら知りもしない筈の手段。
その全てを身につけて探しだした男を、警察にリークし逮捕させる。
その目的を果たすには、正直叔父の家に身を寄せることになったのは枷でしかなかった。何しろ昔はただの小さな可愛い赤ん坊だった従妹が、今やまとわりついて自分の動きを制限するのだ。

「あいつ等…絶対に許さない…。殺してやる。」

調べながら呟いてしまったその言葉を何故か、従妹は聞き付けていて幼い足で歩み寄ってくると緊張したように口を開く。

「駄目だよ、そんなこと言ったら。」

正論なんか子供の口から言われたくもない。雪はその言葉に睨み付けてやるが、子供の癖にこっちが睨んでも震えながら従妹は真っ直ぐに見つめ返した。だけど、従妹にはちゃんと両親が生きていて、自分の気持ちなんか理解できるはずもない。そう思って無視することにしたのに、従妹は何を思ったか自分の身の回りをウロチョロするようになったのだ。進藤のところに行こうとすると、何でか察知して高校にまでついてくる始末だ。

「何でついてくんだよ、鬱陶しい!」

そう言っても全く怯まない。何なんだよ、このチビ。子供なんだから同じ年のやつらと戯れてろよ、そう思っても気がつくと駆け寄ってくる。しかもちっとも諦めもしないで、後を必死の顔でついてくるのだ。

「ゆきちゃん!」
「うっさい!着いてくんな!」

最初の数週間こんな風に邪険に扱われて、普通なら諦めるもんだ。それなのに従妹はちっとも諦める気配がないし、終いには幼馴染みの悌順が両手で抱えて連れてくる始末だ。どうやら撒かれた後に街中で雪の名前を連呼していたと言う。

「はぁ?だから着いてくんなってんだよ!」
「ゆーきーちゃーん!うええええ!」
「うっさい!泣くな!」
「ゆーき、チビなんだから優しくしろって。」

何でこんなに迄して自分についてくるのかちっとも理解できない。こっちは早く強盗の情報を調べあげたいのに、従妹はつくづく邪魔ばかりするのだ。

「お前さぁ、何で着いてくんだよ?チビ。」
「チビじゃないよ、まーだもん。」
「まーじゃねぇだろ、麻希子だろ?」
「まー、雪ちゃん大好きだもん。だから、一緒にいる。」

無邪気な上に能天気な言葉。雪は今それどころじゃないのに、従妹は全く意にも返さないのだと苛立った。そんな中で唐突にあの言葉が放たれたのだ。スッ転んで頭から地面に当たって大泣きしている麻希子に、だからついてくるなっていってんだろと考えながら歩みより、しゃがみこむと泣くなよと呟く。子供の扱いなんか知らないし、怪我でもしてたら叔母になんと説明したら良いだろう。そんなことを考えながら見下ろした麻希子の丸い瞳が突然宝石みたいにキラキラと輝いたのだ。泣いていたからか息を飲むほど美しい宝石みたいな瞳で、真っ直ぐに自分だけを見つめる。

「雪ちゃん、綺麗なお目めだね、まーの目真っ黒なのに雪ちゃんのお目めコーチャの色だよ?」

あなたは紅茶色の瞳、ハルとおんなじよ?Fée des neiges.

母が雪に教えてくれたのは、妊娠に気がつく前に死んだ父親・智春と自分の瞳がよく似ているということだった。それをまさかこんな小さい従妹に言われて、しかも従妹の瞳の美しさに引き込まれている。

何で、お前は俺の事をよく見てるんだろう…。

そうして暫くしてやっとのことで警察に情報をリークして、あいつを強盗の現行犯で捕まえさせたのだ。それなのにその先に待ち構えていたのは、最悪の結果だった。両親を殺した筈の人間が両親の事では罪に問われず、たかだか10年程度の判決で刑を受けると聞いた日の夜。

『本気で来るなら、面倒は見てやるぞ。』

電話の向こうで低い声で彼はそう呟いた。雷鳴と雨の降りしきる音のなかなら、誰も気がつかずこの幸せで暖かな家から出ていけると覚悟を決めていた。進藤の下につけば何とかしてあの男に復讐する手を与えてくれるに違いないが、ここまでのこととは違ってこれから先は完全に非合法だと理解してもいた。そのためには学校も同級生も、幼馴染みも、この暖かな家の全ても絶ち切らないとならない。準備を済ませていよいよという時に普段なら、眠っている筈の麻希子が突然ドアを開けたのだ。

「雪ちゃん?お出かけ?」

何でいまくるんだよ?寝てろよ、会わないで出ていきたかったのは、お前の瞳を見たくなかったのに。そう思った時には既に遅くて、麻希子は全身でしがみつくと抵抗してくる。騒ぐわけにもいかずに離せと口にしても、絶対に麻希子が諦めないのも分かっている。

「ヤダ!離したら雪ちゃん居なくなるもん!雪ちゃんはここにいるの!」

幸せな家族を見せつけられながら暮らす方のみにもなれよと叫びたくなる。それなのに言葉がうまく出てこない。
 
「勝手なこと言うなよ、子供の癖に。」

世の中の人間は自分より不幸な存在を見て、自分は幸せだと安心したがるだけだ。そんなのは痛いほど理解させられたのに、始終裏のないような幸せな叔父の家族の姿を見せつけられる。

「心配なんて…かっこばかりなんだ…誰もみんな。」 
「そんなことない、私は本気で心配してるよ!雪ちゃんの事心配してる。雪ちゃん、どうしてこんな風に出ていっちゃうの?」

泣き出しそうになるのを必死で堪えながら、あの宝石の瞳が自分を真っ直ぐに見つめて引き留める。どうして?そんなの、あいつ等に復讐しないと生きていく理由が、雪には何一つないからだ。

「あいつら、俺の両親を殺したくせに、俺の両親のことでは無罪になったんだ…。」

俯いて呟いた言葉を理解できる年齢でもないのに、麻希子は必死に縋りついてくる。

「そんな人たちより、麻希子の傍にいて!」

何でそんなに必死にここに引き留めたがるんだと、唖然としながらキラキラと輝く瞳を見つめる。そんな人達なんかに雪ちゃんの大事な時間を使わないで、ここで幸せにならなきゃ駄目と訴えてくる麻希子に雪は心の奥底が震える気がした。聞いたらここを出られなくなる、そう感じているのに問わずにはいられない。

「何で、そんなに俺に構うんだよ、お前。」
「だって、雪ちゃんがすきだもの!ここにいてくれるんなら、雪ちゃんの傍に私がずっといる。雪ちゃんのパパやママのかわりに、雪ちゃんを絶対私が幸せにしてあげるんだから。」

ガキの癖になにプロポーズしてんの?しかも、なんでそんなに真っ直ぐ雪を見つめて、揺るぎもしないんだろう。それに自分は何でこんなに引き付けられて心を揺らされているのか。

「そんな約束…しても守れないかもしれないじゃないか。」

そういった言葉すら彼女は迷いもなく、自分ごと包み混んでしまった。凍っていた筈の胸の奥が溶かされて、不意に今まで流れ出さなかった涙が溢れ出す。踞って涙をこぼす自分を麻希子は大事な宝物みたいに、幼い手で必死に抱き締めて母のように頭を撫でる。

「大丈夫だよ、雪ちゃんの事はまーが守って上げる!ずっと一緒にいてあげるから、泣きたくなったら良い子良い子ってしててあげるし!」

なんだよ、それ・子供じゃないんだと思うのに、必死に自分を抱き締めてくる暖かい体温に、胸が痛くて耐えきれなかった。抱き締めてしまうと腕の中にスッポリ入って自分より高い子供の体温が酷く心地よくて、しかも麻希子は離れようともしない。柔らかくて小さくて、それなのに全力で自分を守ると言いきる存在。あの宝石みたいな瞳で自分だけを真っ直ぐ見てくれる存在。

ああ、なんでだ……そんなのもういらないって思ったのに……

全部捨てて行く気だったのに、その優しい暖かな存在が雪の事をどうしてもここに引き留める。その力に雪自身もどうやっても抗えないのが分かって、雪は泣きながら麻希子の事を抱き締めていた。
その日から進藤隆平との連絡は途絶え、雪自身も大きく変化する。進藤からの電話は自分が来なければこれで終わりという意味でもあったし、雪が行かなかったことで進藤は雪が裏社会の人間になる覚悟がないと思っただろう。実際はその覚悟は十分していたが、雪の天使みたいなお姫様が許してくれなかっただけだ。雪にとってほんの小さな少女は慈愛の全てみたいな存在で、目に入れても痛くないほど愛しいから彼女を傷つける位なら平凡な人間でいる方がいい。



※※※



雪と外崎宏太の出会いは偶然で、医療に関するアンケートを病院でとっていた時だ。外崎のあの不思議な印象は真っ先に頭では進藤に似てると感じたのだか、付き合ってみると進藤より遥かに考え方は柔軟で合理主義で能率もいい。それが正しいかは兎も角進藤よりずっと穏やかに社会の中に溶け込みながら、裏社会と共存しているといった感じなのだ。
そんなわけで出逢ってから一気に仲が良くなったというか、気に入られたというか。
あの麻希子に起きた騒動の助力も自分の利益というより、雪が大切にしているからと外崎が優先してくれたからというのが一番正しい。外崎は自分と同じ極端な合理主義者だから、結果としては外崎が探している人間が関わったのは事実だったが主義を曲げてまで協力してくれたのは雪が外崎の友人だったからだと理解していた。
最中、外崎に電話で呼び出されたのは三月末の事。
山田高雄という某テレビ番組の座布団運びしか頭に浮かばない名前の男が、麻希子を付け回していた安物のトレンチコートの男だと外崎から聞かされた。すっかり交番に突きだしたまま忘れていたが、不法侵入で捕まった座布団運び君は偶々彷徨いている訳ではなかったのだ。最近他人と同居を始めた外崎が何時になく柔らかい穏やかな様子に変わり始めたのに気がつきながら、雪は外崎が何を言おうとしているのか伺う。

「雪、お前、進藤隆平って知ってるか?」

その名前が何故こんなタイミングで蘇ってくるのか。彼とはあの日以来一度も連絡を取りあっていないし、これからもとる気もなかった。大体にしてあの日自分の元に姿を見せなかった意気地のない高校生には、彼は興味が失せている筈だ。

「進藤さんがどうしたんです?」

躊躇いがちにそう口にした自分に、外崎はそう来たかと何故か目の前で頭を抱えたのだ。そうして気を使ってキッチンに離れた同居人を余所に、外崎が問いかけたのは自分にとっては青天の霹靂だった。

「何時からの付き合いだ?」
「高校二年。」
「お前んちの事件の時か?」

そうだと答えると外崎は暫く考え込んでいた風だ。

「雪。お前倉橋って名前知ってるか?」
「倉橋?総合病院の院長?」

総合病院の院長だった倉橋健吾は確かつい数ヵ月前病死したが、密かに医薬品メーカーとの癒着とか色々とキナ臭い噂のある人物だった。まあ、当人が死んでしまっては、この話はどうしようもない。しかしフゥと溜め息混じりに外崎が話したことは、どうにも奇想天外な話だったのだ。
倉橋健吾は本妻との間に三人の子供がいた。その次男が若い時に交通事故を起こしているのだという、その相手が香坂という女性で一緒にいた幼い息子の証言で倉橋の息子は捕まったのだ。

似た話を知っている。

そう思うのは当然だった、その幼い少年はやがて警察官になり抜群の記憶力で手配犯や空き巣などを捕まえるようになる。そうしてある時アリシアという女性と出逢うのだ。

「………父がどう関わるんですか?」
「親父さんは知ってて結婚してんのか?」
「関係ないですけど、知ってましたよ。お腹に僕が既にいたのは。」

宮井の父をいい人だったんだななんて意外なことを呟く外崎を促すと、外崎は手探りで珈琲を啜ってから先を続けた。母と出逢った香坂智春は結婚目前で勤務中に襲われて致命傷を負いながら、犯人の身元は口にしていたのだった。

倉橋俊二

それは自分の母親を車で跳ねた男の名前。交通事故で有罪判決を受けたものの執行猶予がついた男は、それ以降引きこもりになり社会から姿を消していた。それなのに香坂智春が警察官として駆け回るようになって、何故か男は智春を付け回していたのだという。そうして警察が自宅に踏み込む寸前に自殺しようとした倉橋俊二は、父親の病院で実は密かに命だけは取り止めていたらしい。

「それと……進藤さんの関係って……?」
「進藤は倉橋健吾か俊二の息子、倉橋俊二の自殺未遂の発見者だ。」

は?と思わす口から溢れ落ちた言葉に、外崎は苦い顔を浮かべる。進藤隆平の意図は分からないが、その時既に半分裏社会の人間だった進藤はそれ以降完全な裏社会の人間に変わっていった。そうして不意に頭角を現して、裏社会では有名な男になっていったらしい。そうして雪の両親の事件が起こったのだ。

「僕と会ったのは、偶然……ですか?」
「そう思えないから、話した。」

もし雪が進藤隆平を知らなかったら、外崎は偶然の重なりか進藤だけの問題だと考えたに違いない。だけど、既に雪が進藤と接触していて、さんと呼ぶような関係なのだと知れば話は違う。
祖母と実父の死に関係する倉橋俊二の弟もしくは息子が、その子供に関わる理由。
あの時火災現場にいた自分に犯人を捕まえる方法を教えてやると囁いたのは、善意ではなく悪意だったのだとしたら。警察官として正しいことをしようとした実父に対する、純粋な悪意だったのだとしたら。

「……目的は両親じゃなく僕ですか?」
「その時は、たぶんな。」

その言葉に雪は愕然とする。
その時。
なら、今は?答えは簡単だ。麻希子は勿論、衛だって変な男の人が居るんだよとついこの間話していた。確か麻希子とホワイトデーの前に一緒に出歩いていて睨まれたのだと、それ以降見かけるから気になっているのだとも。それが進藤だとしたら?

大事なモノ奪った犯人、探したいか?

あの言葉の意味は大切なモノを奪った犯人を、自分も許さないという意味だったら?彼にとって倉橋俊二がその大切なモノなのだとしたら、奪ったのは雪の実父?その血を絶やすために自分も狙われるのなら、息子は?恋人は?いや、それより何より強盗で両親を殺したと思っていた人間が、進藤に誘導されていただけなのだとしたら。そう考えるとゾッとしてしまう。しかも、あの火災の時に居なかった自分を執拗な悪意で自分を捕まえようとして失敗した男は、十年以上も経ってからまた雪にとって大事なモノが出来たと気がついたのだ。

「悪いが心配になってな、了が時々お前のお嬢さんの周りに進藤が彷徨いてないか確認に行ってるがよ。今んとこは動きなしだ。」
「まだ……何か起きるんですか……。」
「起きなきゃいいが、進藤は態々お前が気がつくように山田某の顔を整形させてまで、彷徨かせてる位だ。」

整形?と唖然とした声で呟くと、山田という男が麻希子の周囲を彷徨かせる事前に、顔を態々整形していたのだと教えられる。雪にとって一番憎い男の顔に変えてまでして、麻希子の周囲を彷徨かせた理由。

「恐らくだが、お前がどんなに大切にしてるのか………調べる気だったんだろ。監禁の方はイレギュラーだったろうけど、逆にそこも利用された。」

そんな馬鹿なと言いたいが、それなら何故カメラアイの香坂智美が誤魔化されたのも理解できた。同じ顔に整形されたらカメラアイでも、見抜くには相手を詳しく知らないと無理だ。聞けば聞くほど情報が蓄積するのに、頭の中が理解を拒否している。
今までずっと恩人だと思っていた人間が、最大の悪意の塊で自分を付け狙う害悪。

「遠坂と進藤の件では別なことでも動いてるからよ、お前はお嬢ちゃんと息子の身の安全を図れ。いいな?」
「それは……。」
「何にも下手に動かなくていいから、大事なもんだけは囲っとけってことだ。分かるな?ん?」

そんなことを口にするような男ではなかったのに、今の外崎は雪の事を心配してくれているのだ。そんな外崎に更にお前はもう少し幸せにならねぇとなと呟かれて、雪は逆に驚いてしまう。そんな利害得失なしで彼が態々忠告してくれるなんて、初めてだ。だけど、同時に考えもする。進藤はそんな手間のかかる方法で何をさせたかったのかと。



※※※



進藤が本当は何を目的にしているのか調べるには、まず倉橋俊二という人間を知るしかなかった。香坂智春が死んで既に二十九年、その母親が死んだのは更にそこから十七年。倉橋俊二という人間が交通事故を起こしたのは十八歳の事だったから、香坂智春の事件を起こした時は三十五歳になる。自殺未遂で行き長らえたと言っていたから、そこから二十九年・六十四歳で故人になった。

ちょっと待て、

進藤が息子というが、倉橋健吾院長は確か八十五歳で故人になっている。四十代の子供ならあり得るのか、でも、同時に倉橋俊二という男とも約二十歳離れているのを見ると、やはりあらぬ想像をしてしまう。
死ぬ一年前に女性と結婚した、倉橋俊二。
噂によると寝たきりで在宅看護を受けていたが、自発的な意思表示は出来なかったらしい。そう聞くと何故結婚させたのか疑問だが、噂の主達曰くその妻は倉橋健吾の好みの女だと言う。兎も角一年の内に倉橋健吾を始め妻も息子も亡くなって、莫大な遺産はその女性が殆ど相続したのだと彼女らは話している。

そこに進藤はどう絡んでいくのだろうか。

調べても結局は暗躍している彼の動きを調べるには、彼に近づかないとならない。それをしてしまったら、逆に麻希子や衛を危険に曝してしまうかもしれないのだ。
そうすると何故か雪の足は、空き地のままのあの場所に向いてしまう。
調べたいが、そうすると大事なモノをまた失いかねないジレンマに、雪は無言のまま花の終わったチャノキを見つめて考え込む。どうしたら一番いいのか、外崎達に全て任せて逃げ回った方がいいのか、それとも何か進藤を牽制する策を考えたらいいのか。

「久しぶりだな、雪。」

唐突な声に雪は暮明の中で咄嗟に振り返った。そこには十年も会っていないとは思えない、あの時と同じ暗い眼をした進藤が立ち尽くしている。

「……進藤…さん。」
「……そこらにいるマトモな会社員って感じだな、驚きだ。」

進藤は不意にニヤリと笑いながら、歩み寄って隣に立つ。冷え冷えとした緊張感に飲まれながら、その姿を見つめた雪に彼は当然のように口を開いた。

「お前はこっち側の人間になると思ったんだがなぁ。」
「どういう意味ですか……。」
「俺と同じように大事なモノを次々奪われて、お前ならきっと奪う人間になると期待してたんだよ。」

その言葉に息を飲んでしまう雪に、進藤は悪意にしか見えない爽やかな笑顔で言う。自分と同じ道に入って来るように、雪のために態々線路迄引いてやったのになぁと。

「僕の両親は………。」
「あれは傑作だったな、タイミング良くお前が居ないないのに、強盗に入るなんてなぁ。残念だったな、一緒に逝けなかったのは。」
「あなたがやったんですか……。」
「強盗はしてねぇぞ?」

そんなことわかってると言いたくなるが、あえて雪は冷静を保つよう言葉を続けた。

「強盗に入るよう唆したのは、本当にあなたなんですか。」
「はは、とうとう金子に初めて直に会いに行ったのか?随分かかったな。十一年も経ってるから、老いぼれになってたろ?」

心が軋んで砕けそうになる。
ずっと十年も怨んでいた筈の男は、萎んでこの間のトレンチコートの男と顔は同じでも別人のように年老いていた。雪が恩人だと信じていた人間から手薄な家だからと侵入口を聞いたと、あの男は泣きながら話す。その男は彼に脅され言えなかったと怯えて泣きながら、俺は本当に殺してないんだ、でも何時かあんたが来たらこう言うように言われているとも言った。

進藤が唆したから強盗に入ったが、自分は縛ったけど本当に殺してない。

その言葉は雪を打ちのめすのには、充分すぎる言葉だった。けしてこの場で進藤がやったとは口にしないが、それは暗に進藤が自分の両親を殺したと言ったも同然だ。自分が知り得ない情報に打ちのめされて、思わず詫び続ける強盗犯の前で絶望に項垂れるのには充分すぎる。男が控訴も何もしなかったのは確かに自分が強盗をしたのは事実だからだが、同時に進藤から逃げ出したかったのだ。

「何で…そんな両親を殺したり……こんな手間がかかることを……?」
「何で?そんなの簡単だろ、お前の親やお前が苦しんで足掻くのが楽しいからさ。」
「両親は……。」
「ああ、今でも鮮明だ、縄を解いて後ろから殴ってやったのだけが残念だった。顔を見ながら殴りたかったからな。」

母が殴り付けられ気を失ったのは事実だ。しかも背後から執拗に殴られていたのも。それを刑務所の男の方は知らなかったし、父が包丁で刺されたのも知らなかったという。だから、あの男は両親の殺害については問われなかった。当然だ、彼は本当に知らなかったし、やったのは目の前の進藤だったのだから。

「それに続けられたら、流石にお前なら何時か俺に行き着いて俺を殺したくなるだろ?」
「あんた、僕に殺されたいんですか?」
「どうかね、その時の気分だな。やり返すかもしれねぇぞ?」

何処までが本気で何処までが冗談なのかと思うが、考えるまでもなくこの男は全て本気でやっているのはわかっている。自分が何時か進藤が黒幕だと気がついて、自分を殺しに来るように。殺せなくともそんな行為に堕ちるようなら、自分はきっと麻希子と衛を、叔父や叔母を失っているに違いない。そんな駆け引きを進藤は心底楽しんでいるのだ。
崩れ落ちたくなる気分でその背中を見送った時には、既に夜半近くになっていた。完全に進藤が消えた後、胸ポケットの中のスマホを取り出した雪は溜め息をつく。

「………聞き取れましたか?」
『上等、大丈夫か?雪。』

外崎の声の方が暖かく感じることがあるなんてと驚いてしまうが、現実的に今は外崎の声に本気で安堵する。進藤自身の口から今の話を引きだせるのは、雪しか居なかったし、進藤自身が殺害を自白すれば事件から十一年の今はまだ時効前だ。そんなこと進藤だって分かっているだろうが、雪が真実を知ったら雪一人で追いかけるときっと思っている筈。

当然だ、麻希子が居なかったらそうしてる。

麻希子にあんな風に叱りつけられて、自分が父親で麻希子を嫁にする気なんでしょと迄言われた。そんな天使に雪が逆らえる訳がないと、あの進藤は知らないのだ。それでも草臥れ果てて帰途についた背後で、パトカーの音が聞こえていたのはボンヤリと理解していた。

ああ、麻希子に会いたい……こんな、時に会ったら危ないけど

そう考えて疲れきった身体で家に辿り着いた雪は、静まり返ってい家の中に仄かに暖かい気配に眼を丸くした。リビングのテーブルにいたのは今会いたくても会えないと考えていた当の麻希子で、彼女は安堵したように視線をあげて微笑みかける。思わず手を伸ばして夢ではないかと思いながら、柔らかな頬に触れると、外崎の声を聞いたよりも強い安堵が満ちていく。

「麻希子。」

名前を呼んで手を引くと、麻希子は当たり前のように立ち上がって傍にやって来てくれる。傍にいると昔約束してくれた通り、確かに目の前にいて腕の中にやって来てくれるのだ。そうだった、スマホには何件か着信があったし、LINEも来ていた。それなのに自分は自分のことで手一杯で返事もできないままだ。

「ごめん、心配かけて。衛にも謝らなきゃ……。」
「智雪。」

不意に何時もとは違う声に戸惑いながら、彼女の真っ直ぐな宝石のような瞳を見つめる。

「何?……麻希子。」

可愛いなと思いながら、同時に身体の奥に欲望すら感じてしまうようになった自分の本能。綺麗で可愛い天使に大人の欲望はまだ早いと分かっているのに、それなのに痩せ我慢して微笑んで見せたら麻希子は唐突に延び上がって首筋に腕を回して抱きつく。麻希子の柔らかな身体の膨らみに心底困ってしまう。進藤とのことがあったせいで、今の自分は完全に箍が外れかけているのに。

「麻希子……今、ごめん、こうされると……。」

そう言っても麻希子は全く腕を緩めようともしないし、抱きついたまま。思わず無言のまま太股で抱えるように軽い体を抱き上げてしまったが、それでも麻希子は腕を離さないでいる。

「麻希子……。」

耳元を擽るような囁きにピクリと麻希子は頭を揺らすが、更に縋りつくみたいに身体を押し付けてくる。どうしようと混乱した頭の中で呟く理性と、ほしいと訴える心がちっとも噛み合わない。しかも次第に麻希子が欲しくて仕方がない、そう叫ぶ本能が勝り始めている。

「麻希子……、このままだと、俺……ベットに連れていっちゃう……。」

これで流石に麻希子も危険だと気がついて離れてくれるだろうと思ったのに、そう告げた後も麻希子はギュッと抱きついて身体を押し付けてくるのだ。離れたくないと言いたげな麻希子に理性が折れたのは、ほんのちょっと後のことで気がついた時には麻希子をベットに押し倒していた。
そこからの事は人様には言いたくない。というか、自分だけの宝物なので口にする気もないし、雪は記憶にしっかり刻み込んでおいたのはここだけの話。実際にはカメラアイではないが、雪の記憶力は普通の人と比べればかなり良いのだ。

可愛くて綺麗で、大切な宝物のお姫様。

夜の帳の中で気がつけば彼女の誕生日になっていて、いつの間にか腕の中でスヤスヤ眠っている天使にさっきまでの不安や絶望感が飛び散って消え去ってしまっているのに気がつく。

麻希子は凄い。あの時も、今も。

そう大切に抱き締めながら満ち足りた気持ちで、雪は密かに幸せを噛み締めていた。
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