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3月

312.ハナミズキ

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3月18日 土曜日
病院の固いベットの上で点滴をされながら、朧気な夢をみていた。永続性の中にあるような桜の花弁の降り落ちる道の中に、あの黒髪のお姉さんが佇んでいて私を見て笑う。

またあったわね?

そうだ、お姉さんが話しかけてきたら言おうと思ってたんですと私はこの間の話をする。見知らぬ男の人にあとをつけられてたらお姉さんが危ないし、心配だからと話した私。お姉さんは笑いながらそれを聞いていたかと思うと、なんでそんなこと教えてくれるのと不思議そうに問いかけてくる。

だって、お姉さんが危ないと嫌です。
でも、あなた、私のことなにも知らないでしょ?

そうかもしれないけど、親切にしてくれたし、綺麗なお姉さんが怖い目に遭ったり怪我をしたら私は嫌です。そう素直に言ったらお姉さんは暫く不思議そうに私のことを見つめていた。その時だ、お姉さんの背後にあのトレンチコートの男の人がいたのに気がついたのは。お姉さんは私の瞳に映ったそのトレンチコートの男の人に気がついたみたいに、私の腕をとると駆け出し始める。駆け出した私達に驚いたように、トレンチコートの人も走り出していて。
気がついたらお姉さんに連れられて三浦のお化け屋敷に潜り込んで、更にお姉さんに手を引かれて部屋の奥まで入り込んでしまっていた。まだトレンチコートの男の人が追いかけてきているのは分かっていて、お姉さんはシイと人差し指を唇に当てたかと思うと私から離れ足音を忍ばせて夕暮れの薄闇に紛れ込んだのだ。
その後のことは悪夢みたいな感じで、あまりハッキリとはしていない。気がついたらお姉さんは倒れたトレンチコートの男の人を、まるで人形を叩くみたいに力一杯棒で殴り付けていた。男の人がグッタリしていても、お姉さんはちっとも気にした風でもなかった。私が立ち尽くしてポカーンとしていると、お姉さんは少し残念って言う風に笑う。

あんた可愛いから気に入ってたんだけどなぁ、ほんと残念だよ。

その言葉の意味が分からなくて私は凍りつく。だって、その口ぶりは直前までのおしとやかな女の人とは全く違う、男の人の口調。そうしてその人はこいつのことを親切に教えてくれたから、返礼に痛いことはしないでやるよと残酷な綺麗な顔で笑った。その人は私を軽々と担ぐと地下室に入って、抵抗する間もなく私の足に鎖をつけてしまう。鎖がなんであったのかは分からないけど、少なくともこう言うことに使う気で準備していたのかとは思う。私は止めてとも許してとも言うことが出来なかった、と言うより余りにも手早くて素早くて言う隙もなかった。そうして呆然としている私より、はるかに乱暴に地下室に投げ込まれた男の人をその人は冷ややかに眺める。

しつこいんだよ、うぜぇオヤジ。可愛い女子高生と監禁ならあいつの居場所教えてくれる?

そう無造作にその人は問いかけたけど、男の人がグッタリしたままなのに舌打ちして、またやっちゃったなぁって頭上でその人は呟く。私が不安そうにそれを見上げると、氷みたいな目でしゃがみこんで膝に肘をついて頬杖にしたその人は呟く。

あいつを探してるだけなんだよ。そいつに会ったら大人しく死んでやるってのに。

そう呟いた言葉は奇妙に寂しげで悲しげにも聞こえて、私は戸惑う。私がこの状況で泣きも叫びもしないのにその人は不思議そうに、眺めていたけどやがて飽きたみたいに頭上の扉を閉めたのだった。そこまでに私の思いを受けてくださいとか、ここから出して助けてと叫んだら何か変わったかなとは思うけど、あの瞳は私の言葉程度では動かなかったんじゃないかっても思う。やがてどれ位時間が過ぎたか分からないけど閉じられた筈の天井の扉の隙間から水滴が落ち始め、グッタリしていたおじさんが顔にかかった水滴に目を覚ました。
おじさんは忌々しそうに腕と足の骨が折れてると呟きながら、それでも私と一緒に何とか空の棚を倒す。そこに登っているようにって、私をなるべく乾いた場所に座っているように促してくれる。天井からの水は意図的に出されてるっておじさんは言ってて、気密性が高いから溜まるかもしれないって。その言葉通り時間と共に床が濡れ始めて、水溜まりが出来て足元が水面に揺らめき始めたのに不安がにじりよってくる。水の量が急激に増えないからまだいいと思ったけど、考えたらこのままジリジリ増えていったら何時か溺れてしまうかもしれない。それとも溺れる前に、お湯じゃなく冷たい水だから凍えて凍ってしまうかも。

先輩や智美君に首突っ込むなって言われてた……しかも、トレンチコートの人じゃない方……お姉さんが悪い人だった。

それにここで気がついたけど、目の前の男の人は少し白髪混じりの頭だし、コートはベージュのトレンチコートだけどボタンは茶色。源川先輩が言ってた通り、あのよく見るチェックの柄が裏地についたバーバリーのトレンチコートだったのに気がつく。つまり私、二人のトレンチコートの人を勘違いしてたんだって今更だけど気がついた。
目の前のおじさんは実は刑事さん遠坂さんっていって、私がお姉さんだと思っていた男の人を捕まえようとしていたんだって。あの人は男の人なのに女の人の格好をしたり、男の人の格好をしたりで中々捕まえられないでいたんだって話してくれた。ってことはもう一人のトレンチコートの人は、ただ単にタイミングが合ってただけだったみたい。そうわかってきたら、自分のとんでもない空回りに悲しくなってしまう。
半べその私を怪我人の遠坂さんは優しく励ましてくれて、俺が行方くらましてるのと君のお家の人が警察に言って必ず見つけてくれるって繰り返し言ってくれる。
正直2日以上だったから、ポケットの中の幾つかのホワイトデーで貰った飴やスクールバックにいれてた智美君から貰ったマカロンとかがなかったらもっとキツかったのかもしれない。あんまり私が潤沢にお菓子を持ってるもんだから、君は随分お菓子持ってるなぁなんて遠坂さんが笑いだして。これは何時もじゃなくてホワイトデーだったんですよと慌てて説明するはめになったり。遠坂さんのお陰で、あの暗くて怖い時間を何とか耐えられた。
そうして、私が最後に覚えてるのは雪ちゃんが助けにきてくれたこと。それだけだ。

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