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12月

210.ユキノシタ

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12月6日 月曜日
朝から仁君はお休みだったけど、穏やにその日は1日が終わると思ってた。その日がそうならなかったのは、何が理由なのか私にも分からない。

始まりは智美君が7組の男の子達に絡まれた事だった。私や香苗はここ数日相手が大人しかったので気を抜いていたし、早紀ちゃんは深い愛情から孝君の様子が一際おかしかった方に集中していたみたい。だから誰も智美君の様子も実は朝からおかしいのに気が付いていなかったんだ。
そんな中で智美君が昼ご飯の後に廊下に出た所を狙って、呼び出されるなんて予想もしてなかった。しかも、その騒ぎに仲裁に入るかと思っていた孝君が、何故か乱闘をする方に参戦してしまったのだ。2対8って流石に相手の男の子達、その人数ってどうなのかなって思う。だけど、事実としては、そんな人数なんてたいしたことじゃなかった。だって、智美君と孝君はものの数分で相手が立ち上がれなくなるくらいに、こてんぱんに相手を叩きのめしてしまったから。柔道部とか運動部の体格のはるかに良い男の子ばかりが床で倒れていて、帰宅部の智美君と地質研究部の孝君の華奢な方の2人にはなんと掠り傷もない。どうやったかは分からないけど、私達が騒ぎの場所に辿りついた時には黒木君らしい男の子を始めにした8人全員が床に転がって呻いていた。

「たいしたことなかったな、頭数ばかり多くて。」

呆れたようにそう冷たく言ったのは智美君じゃなくて、なんと孝君の方だった。生徒の人垣の向こうに慌てた先生達の気配がして、私達3人はオロオロしながらこの場をどうしたらいいか考える。ここ数日の溜まりに溜まったストレスが、言いがかりとかの言葉で一気に爆発したのは分かった。でも、こんなことになるなんて思いもよらない事だったから、私達は心配しながら2人を見つめる。

「孝君…。」
「大丈夫だよ。早紀、心配しなくて良い。」

孝君はそういうけど、心配するなって言う方が無理な話だ。先生達が倒れてる子達の怪我の具合を見て、保健室の大浦先生が打ち身の具合を調べている。センセが苦い顔をして智美君と孝君を生徒指導室に連れて行くのを、私達は心配したまま見送った。結局、倒れてた子達はどの子も打ち身だけで、骨が折れたり切れたりするような傷はなかったみたい。上手く怪我をしなくて済んだのか、2人がそこは何とか手加減したのかは私達には分からない。
そして、結局2人とも午後の授業には出ないまま放課後になってしまっていた。

「孝君達戻ってくるかなぁ?」
「あの騒ぎだから親が呼び出されると思うけど。」
「待ってても無駄なのかしら……。」

放課後の教室で3人で顔をあわせてそんなことを話しているけど、殆どの子達はもう帰ってしまって窓の外はもう薄暗くなってきている。真っ赤な血の色みたいな夕焼けに、思わず私達は不安気に窓の外を眺めていた。恐らくあの騒動では普通に戻ってきて帰宅とはならなそうだし、多分お家の人が来て説明も受けないと帰れないだろうって言うのは分かってる。たとえ黒木君が以前から智美君に嫌がらせをしていたからって、証拠もハッキリしないのに叩きのめして良いってことにはならない筈だ。

「あの、宮井さん。」

廊下からかけられた声に顔を上げると、7組の鈴木君が戸口に立っていて思わず私達の顔が固くなる。だって、一番最初の時に智美君を囲んで、言いがかりをつけた中に鈴木君はいたって聞いてたし。それに気かついているのか、鈴木君は申し訳なさそうに顔を暗くしている。

「麻希子に何かよう?今それどこじゃないんだけど。」
「止めようとしたんだ、最初の時も。でも、上手く止められなくて……。」

言い訳なんて聞きたくないって顔で睨んでいる香苗の視線を受けながら、鈴木君はごめんって呟く。止めようとしたってことは、鈴木君は智美君に言いがかりをつけてたわけではないんだ。

「今、黒木が先に香坂にしてたこと、先生に話してきた。黒木はやってないって言い張ってるみたいだけど、他の奴も黒木に言われてやったって話したみたいだ。」

そう話してきてくれたのなら、智美君が喧嘩を吹っ掛けた訳ではないことは先生にも分かって貰えそうだ。少し安心して溜め息をついた私に、香苗はそんなことくらいで許せるわけないでしょと冷たく言い放つ。早紀ちゃんの顔色は青ざめたままで、一言も口を利こうとしてないし、香苗は依然不機嫌なまま。鈴木君はただただ申し訳なさそうに俯いて、私達を見つめている。そんな時不意に私は背筋に冷たいものを感じたみたいに、窓の方を振り返った。窓の外は暗い赤に染まっていて、何だか凄く不気味だって心の中で呟いた瞬間。

『校内に残っている生徒は、速やかに通用口へ移動してください。繰り返します校内に残っている生徒は速やかに通用口へ。』

え?と私達はスピーカーに向かって視線をあげた。今迄こんな風な放送は聞いたことがなかったから、一瞬何が言われているのか分からない。その直後に廊下を駆けてくる足音が聞こえて、冬里先生が教室の戸口から声をあげた。

「あなた達!急いで2階廊下を通って通用口から出なさい!」
「え?!」
「冬里センセ?」
「早く動いて!」

何が起こっているのか分からないけど、私達は慌てて荷物を片手に立ち上がると鈴木君も一緒に廊下に出る。廊下には何人かまだ校内に残っていた生徒の姿があって、手前の階段を降りようとする生徒を冬里先生が鋭く制止した。

「向こうの階段を降りて2階廊下を渡って!」
「えー?冬ちゃんセンセ、1階から昇降口の方が…。」
「良いから!言う通りにして!」

そう冬里先生が叫んだ瞬間、足元を突き上げるような揺れに私達は思わず悲鳴を上げて屈みこんだ。微かな地響きがしていて、天井の蛍光灯がチカチカと点滅している。何が起きているのか全くわからないけど、冬里先生が屈みこんだ香苗と私の腕をとって立ち上がらせ進むように鋭く叫ぶ。それで初めて廊下に残っていた生徒達は、ただ事でない状況なのに気がついたみたい。新しい筈の校舎の天井からパラパラと埃が落ちてくるのを感じながら、皆が悲鳴を噛み殺すようにして廊下を進むのは現実とは思えない光景だった。時折ズンッていうような揺れが何度も起きて、悲鳴が飛び交う。
この前の街の停電でもこんな風になっていたんだろうかって頭のどこかで考えながら、必死で前に進む。でも、冬里先生は1階は通るなって言ったけど2年1組の丁度真下の1階の端にある生徒指導室は一体どうなってるんだろう。そこから体育館に繋がる廊下があるから、そっちから孝君達は逃げられたのかな?でも、この生徒がごった返すほどの状況で孝君や智美君を探すなんて正直無理だった。少なくとも半分以上は帰宅していたんだろうけど、それでも生徒の数は100人では効かない。人混みで押されて思わず転びかけた私の腕を、背後から大きな手が取り上げ転ばないように支えてくれる。

「大丈夫か?」

聞いたことがある声に頭上を見上げると、私を支えてくれたのは源川先輩だった。先輩は背が高いから人混みより、頭1つ飛び出して見える。通用口から出ようにも狭いから人の流れは進まないみたいで、壁際によって人を少し避けるようにしながら源川先輩は溜め息をついた。

「怪我してない?」
「はい、ありがとうございます。」
「これじゃ出ようにも出られないな。昇降口から出られたら早いんだけどな。」

呟くように言った源川先輩が何気なく校舎の窓越しに、教室棟を眺める。先輩が人避けになってくれて壁際に立った私も、つられたように血の色に染まっている校舎を振り返った。

あれ?何であそこ真っ暗なの?

停電してる訳じゃないのに、丁度一階の端の教室の辺りが真っ暗だった。上の階2つは蛍光灯がチカチカはしてるけどちゃんと廊下が見渡せるのに、一階の端っこだけまるで夜みたいだ。私の視線に気がついた源川先輩も、同じ事に気がついたみたいに藍色に光る瞳を細めた。

「火事か?」
「え?あれって煙ですか?」
「ここからだとよく見えないけど、それっぽくない?」

確かに煙が充満してると言われたらそう見えるかも。だから、冬里先生は一階に降りるなって言ったんだ。少しずつ通用口から出ていく人混みを背後に、2人で暗闇に目を凝らす。煙にしてもあそこだけに充満して、上に昇っていかないものなのかな。何でかそこに誰かがいて、こっちを見ているような気がして私は肩を震わせた。

何でだろう、凄く怖い。

何か分からないけど怖くて仕方がないのは、得体が知れない状況だから?結局少しずつ通用口から出た私達は、そのまま先生から言われて内履きで帰宅することになった。通用口から出る時に自宅で待機するように言われて、この人混みじゃ香苗も早紀ちゃんも探しようがなかったんだ。仕方なく自宅に帰ろうと歩き始めた途端、血相を変えた雪ちゃんが駆け寄ってきて事が尋常な状況でないことにやっと私も気がついた。
家に帰ると泣きながら抱きつく衛とママに、テレビに映った遠目からの自分の学校を見つめ私は呆然とする。この間の都市停電ですら、ヤッパリ他人事だったんだよ。こんな風に事件の真っ只中に自分が置かれても、こんなに実感が沸かないままだなんて。

学校に爆弾を抱えた人間が入り込んだなんて、誰が聞いても現実だなんて思える筈がない。

でも、それが本当のことで混乱した生徒達はLINEも何もあったもんじゃない。何がどうなるのか不安なまま、私はスマホを握りしめてテレビを見続けていた。
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