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9月

閑話31.香坂智美

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何気なく視界でヒラリと床に落ちたモノとその持ち主達の話し声に香坂智美は立ち止まった。持ち主はまだ落としたことには気がついていない様子で、不貞腐れた様子で仲間達と会話を交わしている。どうやら、話は誰かに告白してきた手紙の主が、ふられたことに端を発しているらしい。

「なんだよ、お高くとまって手紙突き返すか?普通。」
「しかたねーって、他校に迄有名な白の君だぞ?最初っからお前の彼女なんて無理だっての。」

白の君とは随分古風な呼ばれ方だなと心の中で呟きながら、足元の手紙を拾うために不自由な足を庇いながら床に手を伸ばした。前を歩く3年生らしき3人はそれには気がつかず、仲間の1人の告白をあからさまに笑っている。

「ムカつく、影に連れ込んで回してやれば大人しく言うこと聞くかな?」

随分と物騒な事を言うと手紙に目を落とした智美は、微かに表情を変えて体を起こすと手紙を片手に杖をつき歩き出す。話し声は次第に近づいて、明瞭に聞き取れるように変わる。白の君とは中学生の辺りからの以前からの彼女の渾名のようで、彼女は自分で知らないうちに他校でも有名な大和撫子になっているらしい。そんなことは大した話ではないが、問題は目の前の人間が質がよくないと言うことだ。

「でもさぁ、白の君ってあの真見塚の幼馴染みなんだろ?そこからしてハードル高くね?」
「でも、付き合ってる訳じゃない。どうにかできねぇかな。」

何気なく足を早めていく智美の杖の先が、その告白をした上に物騒な言動をした生徒の足元に狙ったように差し込まれた。普通の杖だとこんなことをすれば下手すると折れてしまうものだが、智美の杖は実は特別性でその気になれば相手の足が折れる。それを充分に理解した上で、相手の足の骨が折れないよう加減はしてやった。勿論相手のためではない加減で実際には自分が後から面倒にならないためだが、それ以外は知ったこっちゃない。突然足元に硬い杖が入った人間は、簡単に言えば足が引っ掛かったようなものだ。
目の前で無様に廊下に這いつくばった相手に、仲間の生徒は訳も分からず唖然としている。それを無視してまるで今拾ったかのように、智美は手紙を拾う真似をして驚いたように大袈裟に声をあげた。

「すみません、何か落とされたみたいで拾おうとしたら、杖が引っ掛かりましたね!」

慌てて起き上がった相手が真っ赤な顔で引ったくるようにして手紙を奪いとり、周囲の好機の目から逃れるように何も言わずに立ち去っていく。智美はそれを冷ややかな視線で眺め、微かな溜め息をつきながら頭の中で手紙の映像を反芻する。



※※※



自分が普通と違うと自覚したのは、実はこの高校に通い始めてからの事だった。今までは自分が普通と違うと頭で理解はしていたが、実際に体験するのとでは大きな違いがある。特に授業なんかがその際たるもので、担任の土志田からはその事に関しては特に事前に言われていた。

間違いに気がついても、けして指摘しないこと。

普通なら間違いに気がついたら指摘する。でも、智美はそれをすると問題になる可能性が高いのを土志田悌順は、充分に理解して忠告したのだ。何しろ香坂智美は教科書だろうと黒板だろうと、一目で全てをそのまま記憶することができる。こういう能力を、一応世の中では瞬間記憶能力とかカメラアイなんていう風に呼ぶ。何故土志田が忠告したかといえば、人間は誰しも間違うものだからだ。実際例えば漢字が違うとか先生が口にした言葉と黒板に書かれたことが違うなんて事はざらで、教科書と解釈が違うなんてものまであった。しかし、それを指摘しても教師は認めない筈だから、けして授業中に指摘をしないようにと忠告したのだ。それを智美が拒否するのは簡単だが、余計な争いはしないに限ると土志田は言った。
実は土志田と智美はずっと前からの知り合いで、智美が事情があって義務教育すら受けられなかったのを知っている。知っているから、彼は智美が上手く周囲に馴染めるようにと忠告したのだ。

確かに色々と面倒なことが多い。

今までが人と関わりが少ないためか、どう反応していいのか困ることもある。それでも、智美の後見人が学校に通わせたかったのは、同じ年代の子供達同士で接して学ぶものを教えたかったのだと思う。早紀を初めとする友人という存在が、その最たるものだ。



※※※



その日は一見穏やかで、何事もなく過ごしていた。昼休みのお弁当タイムのため須藤と早紀と麻希子の3人組が並んで、屋上に上がろうとしたところで孝と一緒に合流した。早紀には以前のクラスメイトとのいざこざに関わってから、時々こうして弁当を自分の分まで作ってくれる。麻希子は時折お菓子を作ってくれるし、須藤は最近関わるようになったが割合話しやすい。孝に関しては言うまでもないことだ。誰かと交流して過ごす時間の大切さを、普通の人間というものは自覚していないらしいと智美は思う。あまりにも当然のものだから、普通に過ごしているとそれが大切なことに気がつかないのだ。智美にとっては同じ年頃の人間とこうして過ごせることだけでも、幸せなのだと理解している。だから、一時を大事にしたいと思う。そう考えているのに、その4人の中の3人の顔を見た瞬間うんざりしたのは事実だ。
しかも、あの転ばせた男があえて自分に肩をぶつけようと動くのが視界の隅に見えて、うんざりしながら滑らかな動きで避けた。あまりにも滑らかな動きだったので、相手が体勢を崩したのが分かる。それに何故か腹をたてた別な男が、自分をを捕まえようと手を伸ばした。少なくとも最初の動きからして、ただスレ違おうとは最初から考えてないのだろう。範囲に余裕のない階段を選ぶ辺りで、相手の質の悪さが際立つというものだ。足が悪いからといってこちらが何も護身術を身に付けていないと、何故か人は思うらしいというのはここに通って理解したことの1つだ。

人間は誰しもハンディキャップのある人間は弱者であるとみなすらしい。

自分が足を痛めたのは自分の過ちが発端だったから、智美はそれを受け入れ努力した。杖さえあればこの足でもある程度の登山が可能な程度に鍛えてあるのだと知ったら、麻希子達は体育をサボるのを許してはくれないだろうと内心思う。視界で孝が女子が巻き込まれないように3人を先に階段の上に上がらせて自分も智美のところまで戻る。3人はハラハラしながら見下ろしているが、少し離れたことでこちらは逆に安心すらする。

「香坂、お前は覚えてないだろうけどな。」

そう相手が口にした瞬間、智美は心底呆れて口を開いた。

「残念ですけど、覚えてますが。」
「嘘つけ!」

嘘つけって自分が分かっていると返答してやったのに、なんて言い種だ。どうせならここであのポエムみたいなラブレターを、全文暗唱してやろうかと思う。とはいえ実際はあのポエムを口にするのは自分だったら恥ずかしいのに、あんな手紙を差し出して恥ずかしいとは思わないのだろうか。頭にきているから面と向かって日時から何処でどんな状況で出会って、何が起きて何と相手が言って、どんな表情をしたかを凄く丁寧に説明し始めてやる。

「う、嘘つくな!」
「嘘は言いません、記憶力が良いので覚えてますよ。残念ですが、先輩の落としたラブレターの一字一句迄言えますが。」

見る間に目の前の男の顔が赤くなる。どうやら自分でもあのポエムは恥ずかしかったらしいと、内心で呆れ返りながら男を見据えた。隣に立つ孝が言葉を額面通りに受け取ったらしく、麻希子みたいに不思議そうな顔をする。確かにただ拾った手紙を渡したというよりは奪い返して行った悲壮な顔をした男が、苛立ちながら余計なこと言うなと叫ぶ。

「拾っただけでこうなるわけないよな?香坂。」
「あー、うん、ふられた後の手紙だから見られたくなかったんじゃない?」

孝の問いかけにに、智美がサラッと答える。どうせ質が悪いんだから、さっさと捨て台詞でも言って消えてくれたらいいのに流石に質が悪いから理解できない低能らしい。早紀が心配で不安そうな顔をするのが、視線の端に見えて内心智美は苛立ちを深めた。

「ふられたからって実力行使っていうのは、スマートじゃないしカッコ悪いですよ?先輩。」
「余計なこと言うな!」

思わず本音が少し顔を出したのに、麻希子や須藤が顔にカッコ悪!!って大文字で書き出したみたいな視線で男を見たものだから、3人揃って顔が赤くなる。掴みかかろうとした男に向かって、突然智美が杖の先を向け動きを牽制するのが見えた。杖ってそんな風に使えるのかと思うほど、しなる鞭みたいに軽々と振り上げた杖で男の手を打ちすえる。いてぇって叫ぶ声に、階段の下を通っていた皆が野次馬に変わって見上げるみたいにワラワラと覗きこんだ。そんな見てんじゃねえよって怒鳴った別な男の手が運悪く麻希子に当たって、3人揃って階段に尻餅をついてしまったのが分かった瞬間。

スウッと怒りで自分の芯が凍りつくのが分かって、智美は表情を変えた。辺りの空気がスゥッと温度を下げ、視界が酷く怒りでクリアに見える。杖がヒュと弧を描き男の足を払う。相手の骨が折れる可能性もあったが、相手が女子3人を転ばせたのは目撃者もいるから迷いはなかった。1人が転んだのに唖然とした次の男の足を掬うのは、智美には苦もないことだった。あっという間に4人目の男が踊り場に重なったと思ったら、上になってる男のの肩に杖の先を突きつける。

「先輩面したかったら、少しは頭使えよ。馬鹿か?」

絶対零度な声に周囲が凍りつくのが自分にも分かる。分かっているが実際には智美自身、とてつもなく腹が立っていたのだ。自分の思うようにならないから、力で言うことをきかせようなんて考え方を智美はいやというほど味あわされてきた。そんなものに屈してなるものかと歯を食いしばって、これまで生きてきた智美は何も知らない子供ではない。自分が自由に生きるために身につけてきたもので、自分の大事なものを守りたいと考えるのは普通な筈だ。そう考えながら、迷わず倒れている4人を無視して、3人に歩み寄った。

その後のお弁当タイムで早紀が自分が告白された事を説明して、その後智美が落とした手紙を拾ったのだと判明する。麻希子と須藤が何か言いたげな視線で孝を見ているのは分かるが、孝はこの話と彼女らの視線が何か分からない様子だ。残念だけど孝は、色恋に智美以上に疎いとしか思えない。麻希子達がアイコンタクトでそれを伝えあってるが、そういう麻希子も自分の事には大分鈍かった。実際には麻希子を見てる視線も幾つかあるのだが、とうの麻希子には伝わっていないのだ。

それにしても、友達に手を出されるとあんなに腹が立つとは知らなかった。

不貞腐れ顔でご飯を食べている智美に、早紀が大きな溜め息混じりに言う。

「智美君、あんなに大立回りしたら、体育休めなくなるよ。」
「はあ?杖でやったんだぞ?」

助けた相手からそう言われて、そうなんだろうかと考えてしまう。足の悪い人間相手に4対1で負けたら大立回りと言えば、そう言えなくもないような気がする。

「少なくとも、体育の時間寝てはいられないよね。」

麻希子が同意を示して言うのに、智美は本気で不貞腐れ始めていた。
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