フォークロア・ゲート

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風の丘の妖精の町

23.リリア・フラウ

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目を開いたリリアに真っ先に目に入ったのは、見慣れた古ぼけた木の壁と射し込む目映い日の光だった。

また、ここで目が覚めるのね。

ボンヤリとそう心の中で呟くと、疲労に草臥れた体を起こす。リリアが再び寝ていたのは、あのカウフマンに最初に教えられた古ぼけた家の中。そして同じく古いカウチの上だった。

どうしてカウチなのかしら。

苦笑混じりにリリアは立ち上がると、背筋を伸ばし体をほぐした。暫くして埃にくすんだ窓ガラスの外に見える見覚えのあるカウフマンの店が、いつもと変わらぬ佇まいで鎧戸を開いているのが見える。またもや、奇妙な世界に迷いこんで半日もさ迷い歩いて山を越えたのだが、証明する方法はないのだろうか。そう考えながら、リリアは再び無いと分かっていながらポケットを探る。ポケットの中には、古ぼけた銀の鍵が赤いリボンを着けて一つ。

やっぱり時計も林檎もない。

分かっていたけれどと心の中で呟いたリリアは胸元に手を当てて、ハッとしたようにその感触に目を丸くした。探りだし首元から取り出したのは、細い金の鎖で先には細長い水晶の様な石が朝日に眩く輝く。

夢じゃないんだわ。でも、何故これだけここにあるの? 
陽射しに眩く輝く石をリリアは、驚きながらじっと見つめる。妖精の世界で林檎の木が拾ったというネックレスは、眩く輝きながらリリアの手の中で揺れた。

これ、何処かで、見たわ。

見つめている内に、何故かリリアはそう感じた自分に気がつく。この清んだ輝きを確かに何処かで見た覚えがあると、心の中でリリアはもう一度繰り返した。
リリアは簡単に身支度を整えると扉を開く。朝日に包まれた島の集落はひっそりと人気もなく、それなのに奇妙に人が住んでいるかのように整えられている。微かに今日はジェネラルストアから、音楽が聞こえてくるのに耳を澄ます。音楽は一昨日聞いたのと変わりがないような気がするが、音が反響してしまいそれが確かだとはリリアには言えない。

カウフマンは何時も変わりないみたいね。

心の中でそう呟きながら、リリアは集落の中を歩き始めた。本当なら昨日の夕方訪ねる約束だったのだが、異界に旅している内にその約束の時間はとうに過ぎ去ってしまっている。

マダムが怒っていないといいのだけれど。

集落の入り口に近い左側の家のポーチに向かったリリアは、ノッカーを握りマダムの耳の事を考えてドアを強めにノックした。ドアを叩く硬い音の後に、息を潜めてリリアは耳を澄ます。暫く人の気配を伺ってみたが、相変わらず人の動く気配はない。まだ、眠っている可能性も無くはないが、昨日はこの時間に既に装いを整えて座っていたこともある。試しにノブを握ったリリアは、慎重にそっとノブを回した。リリアの手で回されたノブが、微かな乾いた蝶番の音をたてて扉が僅かに開く。

「マダム・リューグナー?」

恐る恐る声をかけてドアを開くと、リリアはそっと戸口を跨ぐ。そこには埃に光の帯を浮かばせながら、物の少ない生活の気配がする。テーブルの上にはアルバムが開かれていて、その前には空の椅子が主の姿もなくポツンと置かれている。リリアは家の主の姿がないかと室内を見渡したが、狭い家の中には隠れる場所もない。マダムは丁度不在にしているようだと気がついたリリアは、テーブルに開かれたままのアルバムに視線を落とした。手紙に同封された色とよく似た写真がアルバムには丁寧に貼り付けられていて、リリアは盗み見るのはよくないと思いながらも歩み寄って写真を見つめた。

この写真、送られてきたのと凄く色合いが似てる。

ハラリとページを捲るとそこにはあった筈の写真を剥がしたような場所が写真一枚分空白になっている。

あの写真がここにあったのかしら。

だとすれば、手紙を出したのはマダムと言うことになる。しかし、マダムは昨日会った時にロアッソの名前を出したリリアに何も言わなかった。ロアッソの名前を知っていて訪ねてくるのは、娘のリリアしかいないと分かっていた筈だ。ロアッソの名前で手紙を書いて呼び寄せる理由が、マダムにはあるのだろうかとリリアはページを捲りながら考える。

これは……。

捲ったページを見下ろしてリリアは息を飲んだ。思わずそのページの写真をアルバムから剥がして、顔に近づけマジマジと見つめる。写真に写っているのは二人の子供と、二人の女性と男性が一人。片方は夫婦で片方は母親だけなのだろうと、写真の並び方で理解できる。しかし、リリアは何度もその写真を見つめ直して、唖然としたように辺りを見回した。壁にかかった古ぼけた鏡を見つけ駆け寄ったリリアは、何度も写真と自分の顔を見つめ直す。写真の中に写る母親だけの親子の母親の顔は、どう見てもリリアと瓜二つだとしか思えないのだ。

この写真を見てるなら、マダムは私がリリア・ロアッソだ分かっていたんだわ。

では、何故老女はあの時リリアにそれを言わず、夕方来るように告げたのか。リリアは室内を見渡して昨日のマダムの言葉と様子を考え起こす。マダムは耳が悪いといい、リリアにも近くに座るように言った。年齢で耳が悪いということは、目も悪くなっている可能性はある。足が悪いと言って動こうとしなかったマダムの席に、リリアは恐る恐る座ってみる。そこからソファーに座った人物の顔は、窓から射し込む朝日に真っ直ぐに照らされてよく見えたに違いない。

だから、マダムは私にすぐ横のソファーに座るように言って、私の顔を確認したんだわ。

マダムに感じた違和感の理由が一つわかったが、リリアは更に考え込みながら写真を見下ろした。そっくりだから、直ぐ分かった筈なのに、何故あの時は何も言わなかったのだろうと思案する。思案しながら写真をもう一度見下ろしたリリアは、相手の親子に気がつく。

何故、写真に一緒に写っているのかしら。

そう考えた瞬間、リリアは目を丸くした。母親の顔と子供の顔が、まるで判で押したように見えるのだ。マダムの保管していた写真に写る母親達は、どう見ても瓜二つで赤の他人とは思えない。

姉妹でなければ、双子?

子供達の顔が似ている理由も、それで理解できる気がする。母親が双子で同じ年頃の子供を産んだなら、子供達が似ていてもおかしくはない。あの菜の花畑の子供達が似ていたのは、いとこ同士だからなんだとリリアは目を細めた。

では、何故マダムは私に言わなかったの?

改めてそう考えると、マダムの違和感は確かにまた幾つかあった。リリアはもう一度昨日ここであった出来事を頭の中で繰り返し、マダムの違和感を思い出す。

私?私はリューグナーと呼ばれているわ。

あの口ぶりに違和感を感じた。名前を言う時に呼ばれているわと答えるだろうか。もしかしたら、リューグナーと言うのは、本当の名前ではないのかもしれない。ずっとこの島にいると言うのも夫に嫁いでからと言ったのも違和感がなかった。肘掛けに乗せた細い腕で咳をする口元を隠していた彼女をの姿を思い浮かべる。ロアッソの名前を出したら、彼女はリリアの顔を痛いほど眺めてお茶を入れてと言った。お茶を入れている最中もマダムの視線が背中に刺さるのを感じていたのだ。

フェーリ・ロアッソのせいでこの島は恐怖に包まれたと彼女は言った。

予想だにしないマダムの言葉に、ソファーに座ったリリアは息を飲んだのだ。マダムはフェーリ・ロアッソは、魔女ハッグだと言った。若い人は知らないだろうと前置きして、マダムはハッグは夜な夜な子供を拐って、頭から煮て食べてしまう恐ろしい魔女だと告げた。リリアの母親のフェーリ・ロアッソは、ハッグで島の子供を二人拐って一人を食べてしまったのだと。あの時マダムは微かに写真を見ていたように見えた。驚いたリリアの顔を見て、マダムは何を考えていたのだろうか。でも、とリリアは頭の中で呟く。

フェーリ・ロアッソが双子なら、片割れのミセス・フリンがハッグの可能性だってある。

菜の花畑の瓜二つの子供が写真のリリアとロニ・フリンなら、この写真に写っているのはフリン夫妻な筈だ。フリン一家は死んだとマダムは言ったが、瓜二つの姉妹ならどちらが生きていて死んでいるのかは本人しか知らないのではないだろうか。でも、そうすると何故ロニ・フリンが死んで、リリアが生き残ったのかが分からなくなる。怪我もなく後から戻ってきたのは、リリア・ロアッソだけ。理由はハッグしか知らないとマダムは言った。

ちょっと待って、理由なら幼い私も知っていた筈じゃないの?

孤児院にいたリリア・ロアッソも、自分が何故無事なのか理由を知っていたはずだ。今のリリア・フラウが忘れているだけで、きっと知っていたはず。母なのか叔母なのか、自分達を追いかけるものが何かを知っていたに違いないのだ。
何気なくページを捲ったリリアは、ハッと息を飲んでその写真を見下ろす。ページの先にあった写真はもっと幼い双子の姉妹の肩に両手を乗せた、母親らしき女性と父親らしい男性の家族写真だ。若いフェーリ・ロアッソとミセス・フリン、そしてその両親。そう考えたが眺めて見てみるとその妻は、双子の姉妹とは余り似ていないかもしれない。双子の顔はリリアが手にしている写真の子供達と瓜二つで、正直気味が悪いほど似ている。

まるで妖精の取り替え子みたい、奇妙な位整った同じ顔

自分の顔に向かって言うことではないのだろうが、奇妙に顔が似すぎているとリリアは背筋が寒くなるのを感じた。こんなに似ていたら赤の他人とは言えない。そう考えた時、質問が予想外だった様子でマダムが唐突にリリアの方に顔を向けマジマジと見つめたのを思い出した。

あれは、マダムがもしかして私をママかミセス・フリンだと考えたのかもしれないわ。

思うと今までより声高な声で告げた「まだ島の何処かにいるでしょう、崖から海にでも飛び込みでもしない限りね。」という言葉は、リリアがハッグで島の何処かに隠れていたのかと疑って言った言葉なのかもしれない。でも、リリアが思ったような反応で無かったから、ハッグではないと安堵して緊張が緩んだのだろう。
その後マダムはフリン一家の話をして、リリアはもう一度写真を見下ろす。フリン一家は死んだと話したのだ。少なくとも母親は保留としても、ロニ・フリンとミスター・フリンは死んでいる。そう告げた後マダムは再び咳き込んで、掠れた声で体調が優れないと話していた。帰ろうとした、リリアの腕を掴んだペグ・オネルのような細い皺だらけの指先。

ちょっと待って、家に来た時マダムは黒いレースの手袋を嵌めていた。何時手袋を外したの?何で外したの?

室内に入った時は確かに黒いレースの手袋を嵌めていたのを見た覚えがあった。外すとすれば背を向けたお茶を入れていた時しか、視線を完全に離したことはない。では、何故手袋を外したのだろう。何かレースの手袋をしていると出来ない事をしたかったのだが、上手くいかなかった。だから、もう一度来るように告げたとしたら?その時には準備を整えて置くつもりで、そう告げたのだとしたらとマダムの椅子に座りながらリリアは考える。

何の準備が必要だって言うの?足の悪い耳の遠い老女が…

そこまで考えて確かにあの手は老女であることは確かだが、彼女の本当の年齢まではわからない上に顔すら分からないのに気がついた。咳も嗄れた声も演技でないとは言い切れない。思わず椅子に座っているのが深いに感じて、リリアは腰をあげ写真を片手にマダム・リューグナーの家を飛び出した。

マダムは一体何処に行ったのだろう。

煉瓦の道に飛び出したリリアは辺りを見渡して、思わず考え込む。本当にマダムが足が悪いのなら、歩き回る杖の音が集落に響きそうな気がする。でも、集落は相変わらず人気のない、カウフマンの店から聞こえる微かな音楽だけが生きているみたいだ。思わず歩き出したリリアは、最初に来た時に目にしたゼラニウムのプランターを見つめ歩み寄る。

こんなに見事に咲いてるのは誰かが世話をしている筈よ、ならこの家に住んでいる筈よね。

玄関ポーチに進んだリリアは、ノッカーを握りドアを叩く。人気のない室内にリリアは躊躇いながらノブを握ると、決意したようにそのドアを開いた
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