鵺の哭く刻

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発病

56.★

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ジリジリとそれが近づいている気がした。
夢の中で近づいてくる闇の中から影が、自分を突き飛ばし四つん這いにして背中にのし掛かってくる。それを夢の中で感じて、悲鳴をあげて飛び起きたこともあった。消えていた筈のものが次第に近づいてきて、しかも以前より悪意をもって蛇のように執念深く、にじり寄ってきている。それを何故か目が覚めても肌でチリチリと何時も感じとっていた。それを打ち消すのには同等に自分が罰を受けて許されるしかないのだとも感じていたが、何故か今のシュンイチにはどうしても罰を与えられたくない。そして他の誰かに罰を与えられたいとは、アキコは微塵も感じない。
シュンイチのことが嫌いではなかった。
少し頼りない面もあるし、優柔不断で他力本願な面もある。それでも時折見せる笑顔が好きだったし、以前よりも普通に男性として彼氏としてシュンイチのことを好きだとアキコは感じていた。だが同時に大事な二人の子供を、一時も受け入れなかったことをある面ではアキコはシュンイチを深く憎んでもいる。

矛盾しているけど、それでも、………………嫌いじゃない。

そんな風に今はアキコはボンヤリ頭の中で考えていて、背後から抱きかかえるようにしたシュンイチに目を瞬かせる。背後から抱きかかえるとアキコは小柄だからスッポリとその腕の中に収まってしまって、シュンイチはそれが最近何故か気に入っている様子だ。

「まだ、変な患者メールよこすか?アキ。」
「うん、今は一日に二通くらいかな。」

それが多いのか少ないのかと問われても困る。何しろ参ったことに酷い時は一日に十通とか来ていたのだが、アキコが無視しているから一応数としては減ってきているのだ。だが減ってきたらいいかと問われると、そういいきれない面もある。
内容は次第にアキコの行動だけではなく、自分が彼氏として一緒にいる体で書かれ始めているのだ。つまり、一緒に部屋にいて、一緒に過ごして…………それが妄想なのは、ベットや家具がアキコの部屋の中とは異なるものだとハッキリしているから。部屋にはセミダブルのマットレスをベット変わりに使っていてシングルのベットはないし、丸いテーブルもないし、縫いぐるみもない。抱き締めたままシュンイチが項に口付け、意識がそちらに動く。

「アキ、今日は泊まっていい?」
「うん。」
「ふふ、じゃあこのまましていい?」

甘えるように言いながら抱き寄せられる手に絆されて承諾すると、大きな手が直ぐ様服を脱がせて体をまさぐり出す。慣れてきたからなのか蛇がいなくても肌を触れられると気持ちいいのは事実だが、実は一つだけ問題があった。

「入れるよ?いい。」
「うん。」

勿論ゴムを着けないと絶対にセックスはしない。だけどそのせいなのか、それとも蛇が膣で暴れないからなのか、アキコは怒張をどれだけ突き込まれても擦りたてられても全く快感が得られないのだ。どんなに相手が快感にゴムの中に射精しても、まるで快感が得られない。

「ああ、凄い、アキの中!」

そう繰り返され何度も抱かれても、アキコの方は一つも昇り詰める感じがない。最初は感じないと言うとシュンイチはショックがあるからだと労ってくれたが感じないと言い続けることも出来ず、仕形がなく次第にアキコは快感を感じているふりをするようになった。以前感じていた蛇の絡むシュンイチの怒張が与える快楽を思い出して、声をあげて歓喜に痙攣するふりをするのだ。

これって…………間違ってる?

戸惑いながら、でも、もしかしたら何時かはあの快感を蛇がいなくても与えられるようになるのかもと考えながらアキコは彼に貫かれて果てるふりをする。後少しで感じそうと言うところまできても、残念なことにシュンイチの方がもたなくて大概セックスが終わってしまう。それすらも次第に変わるかもと期待しながら、何度も気持ちのいいふりをしないとならない。濡れているし卑猥な音もしている、膣は突っ込まれてグポグポとはしたない音をたてているのに、何も感じないのはこの行為が調教じゃないからなのだろうか。

「ああ!いくよ!」

そうして射精した後満足して眠るシュンイチを見下ろして、暮明の中で自分の体の異常を考える。何故自分の体は何も感じていないのか。影は遠くからそんなアキコのことを嘲笑い、お前が幸せになることなんかないと言っている気がした。

もしかして…………影は今はあいつを操っている?そんなことあり得る?

不意にそんな不安が沸き上がる。シュンイチがこんな風に穏やかに優しくアキコに接するようになって望んだことをしなくなったから、影はもっとアキコを傷つけられる人間に乗り換えたのではないだろうか。何故か不意にそんなことを思い浮かべて、そう考えると不安がジリジリと胸の中に広がっていく。
それが眼に見えて分かるほどにアキコはを覆いつくしたのは、それから暫くした冬の最中。自分からは透析の処置で接したりやむを得ず触れることはあったが、最低限の交流しか持たなかった。持たないのに、根も葉もない噂がたつ。

「タガさんって、彼氏いるんでしょ?」
「は、い。」
「でもさぁ、患者さんとはどうかと思うわぁ。」
「はい?」

分かってはいるがイワキとアキコが付き合っているなんて噂がたったのに、呆気に取られてしまう。しかもアキコはその男にストーカー被害を受けたと、直に上司に相談もしているのだ。
お陰で二度目の謹慎。

なんなの…………私の言い分は聞かないわけ?

怒りたいのに疲れてしまって怒る気力もない。シュンイチが来るのを待って、話そうとグッタリしながら商店街で独り買い物をして帰途につく。その矢先に突然肩に手を乗せられ、背筋が凍りついた。冬の夕闇の中に見たそのイワキという患者の姿にアキコはまるで異世界のものでも見るような気持ちで、一瞬気が遠くなるような気がする。暗く血のように赤い夕焼けのなか半分逆光に暗い色合いに沈んで影に見える姿で、何故か相手のかけた眼鏡のレンズか光を反射して輝く。それなのに相手が影と同じくニヤニヤと笑いながら自分を見ているのがわかる。
まるで自分が深い闇の底、深海にでも落ちてしまうかのような感覚。
それから我に返ったのは、無情にもその男の口から放たれる酒精を帯びた異臭と言葉のせいだった。

「アキは本当に料理好きだね、いつも色々食材を買って、嬉しいなぁ。」

アキコはヒョウ…………と音を立てて息を呑むような悲鳴を上げる。
いまだに続くメールは読みもせずに消していた。
だが一度も直接接触してこない事で、日常生活のなかでは何もしてこないだろうと思い少し慣れがあったのは事実だ。家を出る時間は分かっても家の中までは覗かれない、そう思えば少しの時間以外は安全地帯である家の中に篭ればいいとすら考えていた。直接何かされるわけではないから、覗かれないように気を付ければ良いだけと、どこかで思っていた。
自分より一回りも年上の酒の匂いを撒き散らした男の息を傍に感じた瞬間、アキコの心の均衡は大きく音を立てて崩れていく。

しかも、嬉しい?何が

勝手に彼氏だと噂を立てて、アキコを再び謹慎にまで追いやった。それが嬉しいのかと思いもするが、それだと文脈が違うとも感じる。まるでこの食材が自分のためみたいな

「一緒に帰ろうか?今晩は何を作ってくれるの?」

ニヤニヤしながら告げられた言葉に、アキコは蒼白になっていた。イワキは当然のように自分が彼氏で、一緒に自宅に来て一緒に食事をすると言っているのだ。到底マトモだとは思えないが、これがアキコの考える影の言葉ならそう言いかねない。何しろ影とアキコは何年も傍で暮らして来たようなものなのだから。
アキコは肩におかれた手を振り払って咄嗟に逃げる。
透析で厳しい水分制限もあり肝機能も悪くアルコールの代謝も出来ない体で、酒を飲む患者の事などどうでもいい。それは看護師としては間違っているかもしれないが、これ以上は自分の心が耐えられないと思う。
男はそのまま追いかけては来なかった。
それでも背後の男が完全な影に変わって、ニヤニヤと奥歯を噛み口をグッと横に開いて笑っている。振り返らなくてもそれが笑っているのは肌で感じていたし、あれが悪意しか向けてこないのもアキコには分かっていた。

お前が悪い

何もしてない、とアキコは泣き出しながら影から離れようと必死で駆け続ける。自分は何もしてない。それでも影はアキコから目を離すことなく、嘲笑い続ける。

お前が自分から誘った、お前が悪い

何もしてない、患者の生活指導は看護師の仕事で、その話をするためには相手の興味のあることで注意を引く必要があるだけ。映画が好きなのは共通だったが、映画館で映画を見ながらジュースを飲んだりポップコーンを食べると話すから、ジュースは糖分があるから口が乾くし、ポップコーンは塩分が高いと説明しただけ。ジュースではなくせめて無糖の飲み物と、ポップコーンは小さいサイズでと折衷案を提示してみただけだ。アキコは食べないから知らないが、ポップコーンには小さいサイズがないというから、話の流れで笑いながら

じゃあポップコーンは誰かと食べればいいですね。

と口にしただけ。他の患者にだってもっと自分の話をしてるくらいで、他の患者の方が今度お茶しようとかごはん食べにいこうよと誘われて、笑ってじゃ時間がありましたらなんて話してるくらいなのに。

お前が悪い

それの何が悪いの?とアキコは泣きながら考える。本当に自分だけが悪いのか、でも同じように話している看護師は他にもいるのに。

お前が誘う、無意識で犯せと誘うから

そんなことしてない。罰はこれまでだって、沢山受けてる。
大体にして今もあの男のせいで、患者に余計な感情を持たせるような接し方をしたからと二度目の謹慎に陥ってしまった。でも同じ透析室内のスタッフは、そんなことないから気にしないでと

それが本当の本心な訳がない。

影の声にアキコは泣きながら唇を噛む。確かに一緒に働くスタッフが上司のいない場所でそう言ったからといって、それらが彼らの本心とは限らない。しかも誰もアキコを擁護もしないし、経営状態が悪いと噂がある中で謹慎させられたアキコには冬のボーナスも出なかった。でも他のスタッフにも一ヶ月分の給料と同じボーナスしか、出てないとも聞いている。それでももしかしたら自分は、余分で余計な人材なのかもしれない。
もう独りの一緒に勤めた看護師はとうに辞めた。しかもマトモな職場なら数ヶ月後の退勤な筈なのに、アキコが一回目の謹慎の一週間のうちに辞めていたのだ。
そんな暗く心を苛む思考に泣きながら、アキコは家まで駆け続けていた。



※※※



この謹慎が終わったら……配置がえを申し出て

謹慎中とは言え身内は遠くで関東に独り暮らし。それにアキコは関東には車を持ってこなかったし、今は車もないから大量の食材を買い込むのは難しい。だから数日に一回は食材を買いにでるしかない。ボンヤリとそんなことを考えながら、買い物をして帰途につく。
あの晩シュンイチはやって来ると、泣きじゃくっているアキコを何もしないで抱き締めて過ごした。何とかその日はそれで落ち着きはしたけれど、どうしてもイワキが影に操られているという考えが拭えなくなっている。
 
もし、影が操っていたら、あいつに触れられたら狂うんだろうか……

そう思うと恐ろしかった。シュンイチの時も影にのまれて快楽に落ちたが、他の男でもそうなるのだとしたら、別にシュンイチでなくても構わないことになる。ただ、淫乱な色狂いになって、犯されるのを待つだけなのだとしたら。そうだとしたら余りにも酷すぎる。泣き出しそうになりながら俯いて歩いていたアキコは、不意に背後から強い力で突き飛ばされアスファルトに倒れこんだ。
一瞬何が起きたのか分からない。
足を引っ掻けた訳でもなくて背中を突き飛ばされたのは分かるが、なんでそんなことが起きたのか理解できない。

「大丈夫ですかぁ?」

そう言いながら腕をとって引き起こしてくれた声に、戸惑いながら大丈夫と答えようとしてハッとした。背後から突き飛ばされて背後から足音もなく腕をとる距離感、それに声。ゾッと背筋が凍るのと引き起こされたのと反対の脇から手が伸びてきて、胸をギュウッと鷲掴みにしたのは殆ど同時だった。

「大丈夫?アキ、そそっかしいなぁ。」

ギュウッギュウッとリズミカルに乳を痛いほど揉みしだきながら、耳元で粘りつくような声が言う。その声に強い吐き気を催すのを感じながら、アキコは突き飛ばしたのもこいつだと確信した。突き飛ばしておいて、さも親切なふりで助け起こして、あからさまに胸を揉まれて、その怒りで目の前が赤くなる気がする。しかも、腕にガッチリと食い込んだ男の指が痛い。離す気がないといいたいんだろうが、腕を掴み腰を押し付けてグイグイと擦り付けてくるのだ。

ほら、お前が誘ったから。

誘ってなんかない。一つも、望んでもいない。触れて欲しいとも罰して欲しいとも、一つも望んでいないのに勝手にそんなことを決めつけないで。
頭が怒りで真紅に変わった気がした。
いつかもこんな風に怒りを感じた事が、何処か遥か昔。
そう考えたアキコは、次の瞬間記憶がブツリと途切れるのを感じていた。
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