10 / 181
感染
10.
しおりを挟む
お前が悪い
互いに知り合いでもない接点もない立場の人間から、そう言われたも同然だった。同じ知識を共有したかっただけの友人と、昔からの隣人、そして血の繋がりはないとはいえ伯父の妻。色々なことがあり過ぎて、アキコは更に無口で無表情になっていく。友達だと信じたのに悪魔だと罵られ平手打ちされた、親しく話す近隣の住人だと信じたのに覗かれ襲われかけ、お前が産まれたのが悪いのだと親戚に罵られる。
私が悪い
アキコが存在し生きていることが既に悪いと言われアキコは否定も出来ないし、自分自身が憎くて嫌いな人間は他の人間も信じることも近寄ることも出来なくなる。そして自分が呪われて呪いを口にしてはいけないのと同じで、オカルト自体に触れることもそれと同じことなのだと気がついた。蛇に呪われた人間が人には見えない世界の事を話すのは、呪いの事を話すのと変わらない。アキコはそれと知らずに、呪いを何倍にも増やしてしまっていたのだと自分の浅はかさを憎んだ。
そして、新しい時間が始まる。
新年度のクラス替えでは、幸運なことに新しいクラスメイトが殆ど。アキコを平手打ちした友人は、二クラスずつの合同体育でも出会わないほど遠くに離れてくれたし、姿を見なければ早々に嫌な噂も耳にはいることもない。新しいクラスメイトにも近寄らなければ何も起こらないから、一人で本を読むにはなにも問題のない環境を再び取り戻したというだけのことだ。
そう考えれば気が楽でアキコは再び図書館の書籍を片っ端から読む生活を始める。
問題なのは中学の図書館の書籍が異常なほどに量が少なく、種類が偏り過ぎていることくらいだ。歴史書なんてものは殆どなく、小学生でもないのにライトノベルや子供向けの本ばかりなのに溜め息が出そうになる。アキコがあまりライトノベルが好きではないのは、主人公が完全な正義で勧善懲悪な上に御都合主義的に主人公が無敵な事が多いから。それに決して主人公は呪われてなんかいないし、呪われても正義の使者は神様が必ず救いを与える。
読み始めるととんでもなくアッサリと読める、それでライトノベルなのかな……
下手をすると十分ずつの休憩時間と昼休みだけで一日ともたずに読み終わり、帰途にもう一冊読み終わるか読むものがないなんて状況になる。そうなってくると図書館の本以外に、自分の所蔵している小説を持ち歩くようになっていく。叔父から大量に貰ってきた推理小説や、お小遣いをやりくりして文庫本を買い集め持ち歩くようになった。読書量は相変わらず人並外れていて、読む速度も早いまま。頭の中に小説が映像化して流れているように文字を読み進めていくアキコは、教室でも殆ど誰とも会話すらしない一風変わった存在になっていく。
それでも、もういい。
minorityのままでも何も問題だとは考えない。そう決めていた筈なのに、ある日手元に影が射したので何気なく視線を上げると、同級生の少女がアキコを興味深そうに見下ろし立っている。アキコと同じくらいの背丈に体型、縁なしの眼鏡をかけて、アキコと違い天然の緩いウェーブのついている短めの髪。
カトウアヤ
同じクラスの少女だが、今まで近寄ったこともなければ話したこともない。そんな彼女がアキコの事を見下ろしている。
「いつも本読んでるね、そうじゃなきゃ絵描いてるよね。」
突然かけられた親しげな声に、アキコは意図が掴めずに無表情のまま相手をジッと硝子玉のような大きな瞳で見つめる。確かにアキコは誰とも話さず本を読んでいるか絵を描いて時間を過ごしているが、それが彼女に何か不利益でも起こすのだろうか。
「好きだから………。それで…………何か用?カトウさん。」
小さなアキコの声に彼女は悪戯っぽく微笑んで、アキコの手の中の推理小説をトントンと指で指した。
「私もこのシリーズ大好きなの、でも他の人は読んでるの見たことない。」
そう言われて視線をシリーズモノの何冊目かにあたる文庫本に下ろす。彼女は今度は人懐っこい笑顔を浮かべて、アキコの目の前の席の椅子を引くと横座りに座った。こんな風に唐突に話しかけられた理由が、よくわからずアキコは彼女の放つ言葉に注意深く耳を傾ける。何が引き金で相手が牙を向くか分からないと言いたげな視線に気がつかないで、アヤは更に言葉を続けた。
「昨日か一昨日は違うの読んでたよね?あっちは面白くなかったの?」
予想外の問いかけ。まさかそんなに見られているのかと驚いたように眼を丸くして彼女をみたが、思い出したようにアキコはそうではないと小さく首を横に降った。
「読んだよ。面白かった。読み終わったからこれを次に読んでる。」
今度は彼女が驚いたように眼を丸くした。アヤがその本に気がついたのは、その書籍の表表紙を捲るアキコを見ていたからだ。栞はまだ冒頭にあってそんなに簡単に読み終わる量ではなかったが、確かに今ページを捲る速度は早くてまるで飛ばして読んでいるみたいに見える。
「読むの速いんだ。」
「そうなのかな?今まで…………気にしたことない。」
叔父にも同じことを言われたのは別として当然のように抑揚もなくいうアキコに彼女はクスクスと笑って、内緒話をするように机の上に身を乗り出した。実はね、とアヤは小さく囁く。
「あなたのこと一年の時から気になってたんだ。」
その言葉に一瞬三学期の終業式の後の出来事が記憶を掠めて表情が強張るが、目の前の同級生はアキコの変化に気がつかなかったようにニッコリする。
「だって、図書室で借りる本ぜーんぶ先にあなたの名前があるんだもの。」
アヤは自己紹介の時にこの人なんだーってちょっと盛り上がっちゃったんだよと笑う。そして本がない時にこっそりと描いている私の絵を、上手いと褒めてくれた初めての友人になった。アヤはアキコにとってオカルトに絡まない初めての中学での親友になったのだ。
初めてできた親友の存在は、無味乾燥のアキコの日常を一変させてくれた。
好きな本の話・面白かった本の話、そこから自分達で物語を作ったり、挿し絵を描いてみたり。今までなかったその行動はアキコ自身が将来の仕事にしたいなと真剣に考えるほどで、休みの日に開催される近郊の同人誌の販売会に行ったこともある。そこで更に同じ中学の一つ上の先輩が同人誌販売をしていたことで、今までにない交遊関係もできたのだ。新しい関係はアキコにとってとても楽しくて幸せだった。アキコは自分の書いたもの描いたものが見てもらえる、喜ばれることがあると知って素直に嬉しかったのだ。
呪いに触れないでいるから、呪いは少しずつ遠退いて、解けてくれるのかも
呪いの事を知ってから四年。産まれてからの十四年の三割以上の時間、アキコは呪いの事で悩んで苦しんだ。そのたった四年の間に黒い影に襲われ、自分が呪われていると知らされ、祖父を亡くして、友達も明るさも失って、友人だと思った少女に詰られ平手打ちされて、隣人に裸を覗かれたり狭いトイレに押し込められ襲われかけた。これでもう十分な苦しみを感じたのだと思い込んでいた。もう呪われた分の苦しみは終わったのだと、そう思ってもいい筈だと勝手に考えてしまったのだ。
※※※
中学の文化祭が終わった秋終盤のある日のこと、その日は文化祭の片付けの為半日だけの登校日だった。登校したアキコが手を伸ばすと下駄箱の内履きの上に、見慣れた罫線の印刷されたノートの切れ端が無造作に置いてあるのに気がついた。微かな懸念と共にそれを摘まみ上げ、手の中でソッと開く。
『放課後、外トイレに来ること』
誰とも誰宛とも記入のない丸い女文字。
だが文面から嫌な感じが放たれていた。それを目にした途端とてつもなく嫌な予感が背筋を駆けて、アキコはその紙を丸めて握り潰す。そうして無言のまま玄関脇の屑入れに、自分は中を見なかったとでも言うように急いで投げ込んだ。何事もないふりのまま、文化祭の片付けを皆と一緒に黙々と進める。そして何事もなかったかように、皆と同じく帰途につこうとしていた。その瞬間、小学校時代から見知った顔の少女が、背後からアキコの腕をガッチリと爪を立てるように掴む。
サトウカナエ。
昔は何度か遊んだこともあったが、アキコが変わり始めてから疎遠になった内の一人。中学になってからはクラスも違うので一度も話したことがなかった彼女は張り付けたような笑顔で私をみると、グイグイと腕を引いて知らんぷりで帰ろうとしたアキコを人気のない外トイレに向かって引きずっていく。
ああ、なんでまた、私はトイレに連れ込まれるの。
そう考えるとあの時のあの男の蛇のような視線が頭に過る、それに目も口も見えない黒い影がのし掛かる重さが甦ってくる。既に周囲には下校中の人も疎ら。アキコが人気のないトイレに押し込まれるのには簡単で、カナエがアキコを突き飛ばすようにして背後で扉を閉じるのがわかった。逃げようにもカナエは扉の前を動く気配もない。困惑してアキコが辺りを見回すと、まるで沸いて出てくるかのように数人の少女がゾロゾロと姿を見せた。けして仲が良かったわけではないが小学校が一緒だったので、時には一緒に遊んだこともあった、アラヤシキユカ、ソデバヤシマユ。
それに今同じクラスではあるが、元々小学校が違って交流のないカツタチヒロ。そしてこちらも小学校の違う同じクラスの女子の女王様みたいに、いつも取り巻きを引き連れているタナカメグミ。交流のない子ばかりで戸惑うアキコを取り囲んで、彼女たちは自分達が正しいことをしていると信じて疑わない眼をしていた。
「なんで、呼ばれたかわかってるよね?」
分かるはずがない。交流がない五人に囲まれて、アキコを呼び出したのが彼女らだというのも今初めて知ったのだ。しかも捨ててしまったがあの呼び出しには、用件なんて一つも書いていなかった。そんな状況で呼び出しの意図を汲み取れたら超能力者か、御都合主義のライトノベルの世界だ。そう言いたいのに何故か喉がつまったように声が出なかった。同時にそうでなくとも児の状況が、好ましい事で呼ばれたのではないのは言われなくてもわかってしまう。
ヒョーゥ
何故かこんな時にあの微かな哭き声が耳の奥でなった気がして、アキコは身を強張らせていた。問いかけに答えることもないアキコの姿にイラついたように、マユとユカがアキコを突き飛ばしコンクリート製の流しに腰が音をたててぶつかった。
「あんた、自分が何したかわかってんの?」
マユの声に分からない、そう心の中で返しても言葉として出てこない。一番後ろにいる女王様は取り巻きの背後からアキコを眺めているだけで、まだ一言も発していなかったがふと上げたアキコの視線と目があった瞬間ゆっくりと進み出てきた。まるで傲慢なハートの女王が私的な理由で判決を下そうと、私兵の間から進み出てくるみたいだ。女王様のお出ましに、取り巻きの周りの少女達が示し合わせたみたいに一斉に黙りこむ。
「あんた、チヒロの友達、盗ったんだって?」
「は?」
思わず溢れ落ちたアキコの疑問の声に、思う反応ではなかったのを示して不機嫌そうに女王様の顔が歪む。でもアキコは必死にその言葉の意味を考え、理解しようとしてはいたのだ。
チヒロの友達。
目の前にいるカツタチヒロの友達ということは、クラスが同じになってから半年の間に自分の視界で仲良くしていた人間がいる。チヒロの友達として、彼女と一緒にいた記憶のある人。
何よりも自分が盗るような行為をした人?
そこまで辿り着いてから、アキコは余計に思考の迷路に嵌まってしまった。誰がが誰かのモノだと、どうやって判断するのかわからないのだ。
「しらばっくれてんじゃないよ!!」
「あんたがアヤを盗ったからチヒロが寂しい思いしてんじゃないの!!」
「アヤ…ちゃん……?」
アキコは罵倒されながら、その名前に驚いたように眼を丸くして絶句した。
カトウアヤ
読書が好きで自分に話しかけてくれた親友の名前。でも彼女から話しかけてきてくれて本の話で仲良くなったのであって、誰かからアヤを無理矢理奪い取ったなんてつもりはない。なかったのに、目の前の女王様と取り巻き達は、アキコがチヒロからアヤを盗ったと言う。取り巻きの一人としてチヒロはアキコのことを怨めしげに睨み付け泥棒と罵り、それを切っ掛けにしたように取り巻きが口々に罵りながらアキコを突き飛ばす。しかし、アキコには未だにその理由が全く理解できなくて呆然としていた。
「お前がやったこと反省しろ!泥棒!」
そう捨て台詞のように女王様が言って、思いきり突き飛ばされる。壁に音をたててぶつかったアキコを残してゾロゾロと姿消す彼女たちを見送りながら、アキコは呆けたように立ち竦んだ。
友達を盗る?
それがこの状況の中でどうやったら成立することなのか、アキコには全く理解が出来ない。アキコが意図してアヤに話しかけて、意図してチヒロに接しないように指示していたならと理解できる。でもアヤは自分からアキコに話しかけてくれて、そこから仲良くなって、彼女が誘ってくれたから一緒に出掛けていたのだ。
反省ってどうしたらいいの?私が奪ったなんて、これから私はどうしたらいいの?
蛇の呪いという言葉と去年の友人がアキコを罵ったのが頭に浮かぶ。黒い悪魔が見えると告げた彼女は、アキコに巻き付く蛇を見ていたのだろう。その蛇は悪意を辺りに振り撒き、悪意を引き寄せる。ならばアキコは意図しなくても、アヤはチヒロからアキコに奪われたということなのだろうか。
互いに知り合いでもない接点もない立場の人間から、そう言われたも同然だった。同じ知識を共有したかっただけの友人と、昔からの隣人、そして血の繋がりはないとはいえ伯父の妻。色々なことがあり過ぎて、アキコは更に無口で無表情になっていく。友達だと信じたのに悪魔だと罵られ平手打ちされた、親しく話す近隣の住人だと信じたのに覗かれ襲われかけ、お前が産まれたのが悪いのだと親戚に罵られる。
私が悪い
アキコが存在し生きていることが既に悪いと言われアキコは否定も出来ないし、自分自身が憎くて嫌いな人間は他の人間も信じることも近寄ることも出来なくなる。そして自分が呪われて呪いを口にしてはいけないのと同じで、オカルト自体に触れることもそれと同じことなのだと気がついた。蛇に呪われた人間が人には見えない世界の事を話すのは、呪いの事を話すのと変わらない。アキコはそれと知らずに、呪いを何倍にも増やしてしまっていたのだと自分の浅はかさを憎んだ。
そして、新しい時間が始まる。
新年度のクラス替えでは、幸運なことに新しいクラスメイトが殆ど。アキコを平手打ちした友人は、二クラスずつの合同体育でも出会わないほど遠くに離れてくれたし、姿を見なければ早々に嫌な噂も耳にはいることもない。新しいクラスメイトにも近寄らなければ何も起こらないから、一人で本を読むにはなにも問題のない環境を再び取り戻したというだけのことだ。
そう考えれば気が楽でアキコは再び図書館の書籍を片っ端から読む生活を始める。
問題なのは中学の図書館の書籍が異常なほどに量が少なく、種類が偏り過ぎていることくらいだ。歴史書なんてものは殆どなく、小学生でもないのにライトノベルや子供向けの本ばかりなのに溜め息が出そうになる。アキコがあまりライトノベルが好きではないのは、主人公が完全な正義で勧善懲悪な上に御都合主義的に主人公が無敵な事が多いから。それに決して主人公は呪われてなんかいないし、呪われても正義の使者は神様が必ず救いを与える。
読み始めるととんでもなくアッサリと読める、それでライトノベルなのかな……
下手をすると十分ずつの休憩時間と昼休みだけで一日ともたずに読み終わり、帰途にもう一冊読み終わるか読むものがないなんて状況になる。そうなってくると図書館の本以外に、自分の所蔵している小説を持ち歩くようになっていく。叔父から大量に貰ってきた推理小説や、お小遣いをやりくりして文庫本を買い集め持ち歩くようになった。読書量は相変わらず人並外れていて、読む速度も早いまま。頭の中に小説が映像化して流れているように文字を読み進めていくアキコは、教室でも殆ど誰とも会話すらしない一風変わった存在になっていく。
それでも、もういい。
minorityのままでも何も問題だとは考えない。そう決めていた筈なのに、ある日手元に影が射したので何気なく視線を上げると、同級生の少女がアキコを興味深そうに見下ろし立っている。アキコと同じくらいの背丈に体型、縁なしの眼鏡をかけて、アキコと違い天然の緩いウェーブのついている短めの髪。
カトウアヤ
同じクラスの少女だが、今まで近寄ったこともなければ話したこともない。そんな彼女がアキコの事を見下ろしている。
「いつも本読んでるね、そうじゃなきゃ絵描いてるよね。」
突然かけられた親しげな声に、アキコは意図が掴めずに無表情のまま相手をジッと硝子玉のような大きな瞳で見つめる。確かにアキコは誰とも話さず本を読んでいるか絵を描いて時間を過ごしているが、それが彼女に何か不利益でも起こすのだろうか。
「好きだから………。それで…………何か用?カトウさん。」
小さなアキコの声に彼女は悪戯っぽく微笑んで、アキコの手の中の推理小説をトントンと指で指した。
「私もこのシリーズ大好きなの、でも他の人は読んでるの見たことない。」
そう言われて視線をシリーズモノの何冊目かにあたる文庫本に下ろす。彼女は今度は人懐っこい笑顔を浮かべて、アキコの目の前の席の椅子を引くと横座りに座った。こんな風に唐突に話しかけられた理由が、よくわからずアキコは彼女の放つ言葉に注意深く耳を傾ける。何が引き金で相手が牙を向くか分からないと言いたげな視線に気がつかないで、アヤは更に言葉を続けた。
「昨日か一昨日は違うの読んでたよね?あっちは面白くなかったの?」
予想外の問いかけ。まさかそんなに見られているのかと驚いたように眼を丸くして彼女をみたが、思い出したようにアキコはそうではないと小さく首を横に降った。
「読んだよ。面白かった。読み終わったからこれを次に読んでる。」
今度は彼女が驚いたように眼を丸くした。アヤがその本に気がついたのは、その書籍の表表紙を捲るアキコを見ていたからだ。栞はまだ冒頭にあってそんなに簡単に読み終わる量ではなかったが、確かに今ページを捲る速度は早くてまるで飛ばして読んでいるみたいに見える。
「読むの速いんだ。」
「そうなのかな?今まで…………気にしたことない。」
叔父にも同じことを言われたのは別として当然のように抑揚もなくいうアキコに彼女はクスクスと笑って、内緒話をするように机の上に身を乗り出した。実はね、とアヤは小さく囁く。
「あなたのこと一年の時から気になってたんだ。」
その言葉に一瞬三学期の終業式の後の出来事が記憶を掠めて表情が強張るが、目の前の同級生はアキコの変化に気がつかなかったようにニッコリする。
「だって、図書室で借りる本ぜーんぶ先にあなたの名前があるんだもの。」
アヤは自己紹介の時にこの人なんだーってちょっと盛り上がっちゃったんだよと笑う。そして本がない時にこっそりと描いている私の絵を、上手いと褒めてくれた初めての友人になった。アヤはアキコにとってオカルトに絡まない初めての中学での親友になったのだ。
初めてできた親友の存在は、無味乾燥のアキコの日常を一変させてくれた。
好きな本の話・面白かった本の話、そこから自分達で物語を作ったり、挿し絵を描いてみたり。今までなかったその行動はアキコ自身が将来の仕事にしたいなと真剣に考えるほどで、休みの日に開催される近郊の同人誌の販売会に行ったこともある。そこで更に同じ中学の一つ上の先輩が同人誌販売をしていたことで、今までにない交遊関係もできたのだ。新しい関係はアキコにとってとても楽しくて幸せだった。アキコは自分の書いたもの描いたものが見てもらえる、喜ばれることがあると知って素直に嬉しかったのだ。
呪いに触れないでいるから、呪いは少しずつ遠退いて、解けてくれるのかも
呪いの事を知ってから四年。産まれてからの十四年の三割以上の時間、アキコは呪いの事で悩んで苦しんだ。そのたった四年の間に黒い影に襲われ、自分が呪われていると知らされ、祖父を亡くして、友達も明るさも失って、友人だと思った少女に詰られ平手打ちされて、隣人に裸を覗かれたり狭いトイレに押し込められ襲われかけた。これでもう十分な苦しみを感じたのだと思い込んでいた。もう呪われた分の苦しみは終わったのだと、そう思ってもいい筈だと勝手に考えてしまったのだ。
※※※
中学の文化祭が終わった秋終盤のある日のこと、その日は文化祭の片付けの為半日だけの登校日だった。登校したアキコが手を伸ばすと下駄箱の内履きの上に、見慣れた罫線の印刷されたノートの切れ端が無造作に置いてあるのに気がついた。微かな懸念と共にそれを摘まみ上げ、手の中でソッと開く。
『放課後、外トイレに来ること』
誰とも誰宛とも記入のない丸い女文字。
だが文面から嫌な感じが放たれていた。それを目にした途端とてつもなく嫌な予感が背筋を駆けて、アキコはその紙を丸めて握り潰す。そうして無言のまま玄関脇の屑入れに、自分は中を見なかったとでも言うように急いで投げ込んだ。何事もないふりのまま、文化祭の片付けを皆と一緒に黙々と進める。そして何事もなかったかように、皆と同じく帰途につこうとしていた。その瞬間、小学校時代から見知った顔の少女が、背後からアキコの腕をガッチリと爪を立てるように掴む。
サトウカナエ。
昔は何度か遊んだこともあったが、アキコが変わり始めてから疎遠になった内の一人。中学になってからはクラスも違うので一度も話したことがなかった彼女は張り付けたような笑顔で私をみると、グイグイと腕を引いて知らんぷりで帰ろうとしたアキコを人気のない外トイレに向かって引きずっていく。
ああ、なんでまた、私はトイレに連れ込まれるの。
そう考えるとあの時のあの男の蛇のような視線が頭に過る、それに目も口も見えない黒い影がのし掛かる重さが甦ってくる。既に周囲には下校中の人も疎ら。アキコが人気のないトイレに押し込まれるのには簡単で、カナエがアキコを突き飛ばすようにして背後で扉を閉じるのがわかった。逃げようにもカナエは扉の前を動く気配もない。困惑してアキコが辺りを見回すと、まるで沸いて出てくるかのように数人の少女がゾロゾロと姿を見せた。けして仲が良かったわけではないが小学校が一緒だったので、時には一緒に遊んだこともあった、アラヤシキユカ、ソデバヤシマユ。
それに今同じクラスではあるが、元々小学校が違って交流のないカツタチヒロ。そしてこちらも小学校の違う同じクラスの女子の女王様みたいに、いつも取り巻きを引き連れているタナカメグミ。交流のない子ばかりで戸惑うアキコを取り囲んで、彼女たちは自分達が正しいことをしていると信じて疑わない眼をしていた。
「なんで、呼ばれたかわかってるよね?」
分かるはずがない。交流がない五人に囲まれて、アキコを呼び出したのが彼女らだというのも今初めて知ったのだ。しかも捨ててしまったがあの呼び出しには、用件なんて一つも書いていなかった。そんな状況で呼び出しの意図を汲み取れたら超能力者か、御都合主義のライトノベルの世界だ。そう言いたいのに何故か喉がつまったように声が出なかった。同時にそうでなくとも児の状況が、好ましい事で呼ばれたのではないのは言われなくてもわかってしまう。
ヒョーゥ
何故かこんな時にあの微かな哭き声が耳の奥でなった気がして、アキコは身を強張らせていた。問いかけに答えることもないアキコの姿にイラついたように、マユとユカがアキコを突き飛ばしコンクリート製の流しに腰が音をたててぶつかった。
「あんた、自分が何したかわかってんの?」
マユの声に分からない、そう心の中で返しても言葉として出てこない。一番後ろにいる女王様は取り巻きの背後からアキコを眺めているだけで、まだ一言も発していなかったがふと上げたアキコの視線と目があった瞬間ゆっくりと進み出てきた。まるで傲慢なハートの女王が私的な理由で判決を下そうと、私兵の間から進み出てくるみたいだ。女王様のお出ましに、取り巻きの周りの少女達が示し合わせたみたいに一斉に黙りこむ。
「あんた、チヒロの友達、盗ったんだって?」
「は?」
思わず溢れ落ちたアキコの疑問の声に、思う反応ではなかったのを示して不機嫌そうに女王様の顔が歪む。でもアキコは必死にその言葉の意味を考え、理解しようとしてはいたのだ。
チヒロの友達。
目の前にいるカツタチヒロの友達ということは、クラスが同じになってから半年の間に自分の視界で仲良くしていた人間がいる。チヒロの友達として、彼女と一緒にいた記憶のある人。
何よりも自分が盗るような行為をした人?
そこまで辿り着いてから、アキコは余計に思考の迷路に嵌まってしまった。誰がが誰かのモノだと、どうやって判断するのかわからないのだ。
「しらばっくれてんじゃないよ!!」
「あんたがアヤを盗ったからチヒロが寂しい思いしてんじゃないの!!」
「アヤ…ちゃん……?」
アキコは罵倒されながら、その名前に驚いたように眼を丸くして絶句した。
カトウアヤ
読書が好きで自分に話しかけてくれた親友の名前。でも彼女から話しかけてきてくれて本の話で仲良くなったのであって、誰かからアヤを無理矢理奪い取ったなんてつもりはない。なかったのに、目の前の女王様と取り巻き達は、アキコがチヒロからアヤを盗ったと言う。取り巻きの一人としてチヒロはアキコのことを怨めしげに睨み付け泥棒と罵り、それを切っ掛けにしたように取り巻きが口々に罵りながらアキコを突き飛ばす。しかし、アキコには未だにその理由が全く理解できなくて呆然としていた。
「お前がやったこと反省しろ!泥棒!」
そう捨て台詞のように女王様が言って、思いきり突き飛ばされる。壁に音をたててぶつかったアキコを残してゾロゾロと姿消す彼女たちを見送りながら、アキコは呆けたように立ち竦んだ。
友達を盗る?
それがこの状況の中でどうやったら成立することなのか、アキコには全く理解が出来ない。アキコが意図してアヤに話しかけて、意図してチヒロに接しないように指示していたならと理解できる。でもアヤは自分からアキコに話しかけてくれて、そこから仲良くなって、彼女が誘ってくれたから一緒に出掛けていたのだ。
反省ってどうしたらいいの?私が奪ったなんて、これから私はどうしたらいいの?
蛇の呪いという言葉と去年の友人がアキコを罵ったのが頭に浮かぶ。黒い悪魔が見えると告げた彼女は、アキコに巻き付く蛇を見ていたのだろう。その蛇は悪意を辺りに振り撒き、悪意を引き寄せる。ならばアキコは意図しなくても、アヤはチヒロからアキコに奪われたということなのだろうか。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
インター・フォン
ゆずさくら
ホラー
家の外を何気なく見ているとインターフォンに誰がいて、何か細工をしているような気がした。
俺は慌てて外に出るが、誰かを見つけられなかった。気になってインターフォンを調べていくのだが、インターフォンに正体のわからない人物の映像が残り始める。
GATEKEEPERS 四神奇譚
碧
ホラー
時に牙を向く天災の存在でもあり、時には生物を助け生かし守る恵みの天候のような、そんな理を超えたモノが世界の中に、直ぐ触れられる程近くに確かに存在している。もしも、天候に意志があるとしたら、天災も恵みも意思の元に与えられるのだとしたら、この世界はどうなるのだろう。ある限られた人にはそれは運命として与えられ、時に残酷なまでに冷淡な仕打ちであり時に恩恵となり語り継がれる事となる。
ゲートキーパーって知ってる?
少女が問いかける言葉に耳を傾けると、その先には非日常への扉が音もなく口を開けて待っている。
ゾバズバダドガ〜歯充烏村の呪い〜
ディメンションキャット
ホラー
主人公、加賀 拓斗とその友人である佐々木 湊が訪れたのは外の社会とは隔絶された集落「歯充烏村」だった。
二人は村長から村で過ごす上で、絶対に守らなければならない奇妙なルールを伝えられる。
「人の名前は絶対に濁点を付けて呼ばなければならない」
支離滅裂な言葉を吐き続ける老婆や鶏を使ってアートをする青年、呪いの神『ゾバズバダドガ』。異常が支配するこの村で、次々に起こる矛盾だらけの事象。狂気に満ちた村が徐々に二人を蝕み始めるが、それに気付かない二人。
二人は無事に「歯充烏村」から抜け出せるのだろうか?
【完結】私は彼女になりたい
青井 海
ホラー
丹後アヤメは凛とした女の子。
かたや桃井雛子は守ってあげたくなるかわいらしい女の子。
アヤメは、嫌われているわけでなく、近寄りがたいのだ。
いつも友達に囲まれ、ニコニコと楽しそうな雛子が羨ましい。
アヤメは思う。
『私は彼女になりたい』
雛子も同じように思っていた。
ある時、神社をみつけた雛子は願ってしまう。
信者奪還
ゆずさくら
ホラー
直人は太位無教の信者だった。しかし、あることをきっかけに聖人に目をつけられる。聖人から、ある者の獲得を迫られるが、直人はそれを拒否してしまう。教団に逆らった為に監禁された直人の運命は、ひょんなことから、あるトラック運転手に託されることになる……
都市街下奇譚
碧
ホラー
とある都市。
人の溢れる街の下で起こる不可思議で、時に忌まわしい時に幸いな出来事の数々。
多くの人間が無意識に避けて通る筈の出来事に、間違って足を踏み入れてしまった時、その人間はどうするのだろうか?
多くの人間が気がつかずに過ぎる出来事に、気がついた時人間はどうするのだろうか?それが、どうしても避けられない時何が起こったのか。
忌憚は忌み嫌い避けて通る事。
奇譚は奇妙な出来事を綴ると言う事。
そんな話がとある喫茶店のマスターの元に集まるという。客足がフッと途絶えた時に居合わせると、彼は思い出したように口を開く。それは忌憚を語る奇譚の始まりだった。
世の中にはモノがたくさんいる【マカシリーズ・11】
hosimure
ホラー
摩訶不思議な店でバイトをしているハズミとマミヤ。
彼等はソウマに頼まれ、街に買い物に行きました。
そこにはたくさんのモノがいて…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる