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第三部
終幕 都市下
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沿岸部の片隅で広大な土地ごと崩落した施設は、真実を伏せられて元から廃墟だったとされた。戦後直ぐから長年放置され老朽化した建物が、その日の夕方から降り続いた長く激しいゲリラ豪雨のせいで限界を迎えたのだという。緩んだ地盤と雨漏りによる腐食、海岸に近い事による塩害。そのせいで一度に床が抜けて、元々施設の地下にあった空間に向けて建物ごと全て崩落したのだとされた。
あまりにもご都合主義で上手い理由だとは思えないが、東条巌は秘密裏に施設を手に入れ研究所を作っていたし、そこにいた筈の職員はほぼ全滅。一人生き残った看護師がいるというが、政府の動きに逆らうほどの気力はないと思うし、起こったことを訴えるには起きた出来事は荒唐無稽過ぎる。
おまけに出資者に東条巌は、あの人外擬きになる薬を投薬していた。お陰であの最後の日、自分達も大騒動だったが、国中も大混乱だったという。出資者で服用した人間が、暴れだしたり泡を吹いて倒れたりする事件が乱発したのだ。しかもその殆どがその後認知症になったり急逝したりで、政府はこの件にはもう一切触れないことに決めたようだ。
同時に東条は更にその薬の廉価番らしいものを興奮剤とか健康食品として一部流通させていたようで、そちらも服用したことのある人間が街では暴れたり失神したりした。それが広範囲で多発して、街の中も騒動になったらしい。騒動に巻き込まれた風間なんか手首を折る重症で、散々だったようだ。
ただそちらは恐らく直後に麒麟が治め、しかもあの後続いた天上の音色を含んだ雨は輪を広げるように国内全てに降り、その東条が仕込んだ汚れを一気に洗い落としてしまったようだ。
戦いが終わって、それぞれが久々の家に帰ったのは、日付が変わり雨がやみ始めた頃。
志賀松理から他の面々は無事と連絡を受けた時には四神は都市下に向かっていて、そして信哉と悌順は不在で心配しているだろう想い人の元へ。目の覚めた礼慈は智美を病院に連れていき、忠志は義人と二人で一先ず寝ることを選択した。
やがて四神が産まれてから恐らく一番の長い一夜の騒動は、今ここで静かに終わりを告げてようとしている。
※※※
時間はそろそろ夜半。
クァと一つ大きな欠伸をして、夜風の中でその青年はユルリと薄い雲間の合間に浮かぶ大きな鮮やかに輝く月を眺める。あの戦いの後全てにおいて、色々なことが大きく変化していた。自分にとって一番の変化は、この睡魔だと思うと槙山忠志は思う。ゲートキーパーになってから三年もの間夜通し活動しても、眠気はかなり疲労が蓄積するとか、怪我をして治してるなんて事がないと殆ど感じなかった。それどころか三日とか四日寝なくても何ともなかったのだ。
最近は…………眠いよなぁ…………。
もう一つ大きく欠伸をしてから、忠志は遠くを見透かすように目を細める。
四神の力は以前と比較すればかなり弱まってしまって、特に悌順と義人の力は極端に弱い。二人は既に力を顕現して異装を纏う事もできない程で、あの時もし悌順が直ぐ傍にいても和希の腕の治癒は出来なかったのだ。同時に力の弱まった二人にはゲートの感覚も遠退いて焦燥感も極僅かしか感じなくなって、正直いうとそれに関しては二人が羨ましい気もする。ただゲート自体もあの時の麒麟が降らせた雨のせいで、以前のようなゲートではなくなったのだった。
何年か……まあ、何十年とか何百年かだろうけどな、この状況も
ゲート自体の出現も減って規模も遥かに小さくなり、ゲートから人外が這い出てくることはまるでない。経立や雷獣に後日聞いてみたが霧の里の方に開く穴は別段変わりはないらしいが、向こうから来るものはパッタリと減ったという。つまりは渾沌の計画の全てがリセットされて、新しい麒麟の御代になり何もかもはゼロに還ったということなのらしい。つまりは渾沌が溜め込んだ穢れのようなものが全て相殺され、人外になるほどの種も生まれないということのようだ。それにしたって千年もかけて準備したものが、目と鼻と口と耳を他人に穴を開けられただけで、全部オシャカになるのには相手もさぞかしガッカリしたことだろう。そんなわけでこの状態は恐らくは自分達が生きている間は続く。
だから、悌順達が力を殆ど使えなくても…………運命ということだろうな……。
結果論として言えばなんて事を言う信哉は、未だに能力の顕現もできるし異装も纏える。勿論ゲートの知覚もするし、戦闘能力も相変わらず高いまま。後から悌順に聞いたけれど信哉は元々双子で二人分の力を持っている特殊な存在だから、一人分の力を失っても結果一人分の力は信哉には残るわけだ。そんな説明でいいのかなとは思うが、忠志の目にもそれが適切なようなのであえてこれ以上は考えない。
「寝てるのか?」
不意にかけられた信哉の声に欠伸混じりに見上げると、真横にはいつの間にか白銀と金糸の刺繍が新たに施された異装を纏う信哉がいる。この異装の変化も新たな変化で、これに関しては信哉から聞いたのだがあの時何故信哉だけが独りで向こうにいたのかの理由だそうだ。
信哉は暴走状態のまま研究所に連れ込まれ、先に索冥に向こうに連れていかれたのだ。その索冥の力を引き寄せたのは、宮井麻希子と宇野衛の二人。あの二人から少しずつ対価として力を受け取った索冥が、信哉と二人の居場所を取り替えたのだという。どちらにしても索冥が面倒くさい事をしてくれたお陰で、宮井麻希子と宇野衛まで行方不明で巻き込まれた訳だ。
お陰で事が終わってから信哉と悌順は宇野に説明を強いられた上に、綺麗で容赦ない回し蹴りを食らって数分悶絶して立ち直れなかった有り様だ。話はずれたが、そこで信哉は麒麟と一つ自分達とは別に約束を交わしたのだという、それに関しては情況が分かったら話すとだけでまだ詳細は聞いていない。
「寝てないけど、眠い……。寝落ちそう。」
「はは、手早く終わらせて寝るしかないな。」
睡魔は以前と違い自分達が人間として長く生きるための自然な反応・ではないかと香坂智美はいう。
香坂智美は式読には戻らなかったし、院という存在自体があの夜東条のお陰で消滅した。とは言え院の生き残りはまだいるし、政府や社会との連携は必要なので新たな住居で新たに組織を作ってしまったという。とは言え以前のような伝承された施設があるわけでもないし、間の子の存在を知ってしまったので智美はその顔役と連携をとりながらの新たな舵取りだ。それにしても香坂の新居が信哉のマンションの最上階なのと、そこに友村礼慈と敷島湊の男三人で棲むってのは流石に。
ザアッと夜風に木立がざわめき、湿度を感じさせる風に目を細めた信哉が一雨来そうだなと呟く。
「うへぇ、麒麟の奴また歌う気かな?」
「どうだろうな、まだ聞こえないが。」
麒麟はあのまま空に消え、時々雨の中に麒麟の歌が聞こえて来ることがある。姿見えないし、気配もどこにも感じないが、あの声だけは時々聞こえてきて。まるで空にとけてしまったんじゃないかと思うことがある位だ。
それと一緒に仁もあのまま帰ってこない。一時宇野家に身を寄せたみたいだけれど、そこから誰も知らないうちに何処かに行ってしまった。その事に関しては信哉はなにも言わないし、誰もなにも言わないので忠志も下手に口に出せないでいる。何しろまるで仁の存在を誰もが記憶から消し去ってしまったような、街の中からスッポリ抜け落ちてしまったような感じなのだ。
それはある意味では和希と同じだった。和希は既に都市伝説に変わり果てていて、ネットでは似ても似つかない和希ぽい男情報が飛び交っている。和希の両親には連絡はとれないし、あの放置された屋敷は更地にして売ってしまうらしい。
そして、鵺の顔になっていたあの女の人もだ。後々戻ってから竹林で襲われていた女性が倉橋亜希子といい、襲っていた矢根尾俊一という男の元妻なのだと知った。矢根尾は窮奇に食われたと思ったがあの後保護されていて、現在は精神的ショックでおかしくなって以前は和希が隔離されていた病室に独り隔離されている。倉橋亜希子という人を襲って殺して埋めたと考えられているそうだが、倉橋亜希子の遺体は今も発見されないままだ。
多分……殺されたんじゃなくて…………
そうは思ったが矢根尾が多賀という人にした事を知人の刑事の風間祥太から聞いているうちに、忠志は彼に関しては何も言わないことにした。自分の中にある和希の魂は正直矢根尾が何をしたかを聞いて激怒していて矢根尾を殺したがっているのはわかっているが、とは言え忠志は人を殺したい訳ではないし。
そう忠志の中には和希が少し残っていて、あの鵺の顔を見た時に和希は心の中で囁いたのだ。
亜希子、俺、亜希子がどんな姿でも好きだよ
彼女は和希を我が子と言ったけれど和希の言う好きは母親の好きではなくて、そしての鵺が倉橋亜希子なのだと和希は知っていた。そして忠志の見た彼女の瞳は和希の声を何故か聞いていて、忠志が約束を守れなかった事を攻めるのではなく何故か和希はまたこの世界に戻ってくると信じてもいた。それは忠志が信じていたら、かおるとまた会えると考えていたのと同じで
「お前、遥さんのとこに四六時中入り浸ってるんだって?奏多と張り合ってるって聞いたぞ?」
「あ?張り合ってないし、チビ奏に俺が負けるわけないし。」
「あのな、……相手が二歳児だってわかってるだろうな?」
知人の菊池遥には一人目の奏多に続いて、二人目の子供が産まれ、その子は女の子で名前を薫風という。まだ産まれたばかりの赤ん坊なのだが、一目見た時から忠志は彼女を天使と溺愛している。そりゃ二十五の男が、赤ん坊相手じゃロリコンと言われても文句は言えない。それでも薫風が大きくなったら好きなだけココアを買ってやるつもりだし、薫風が好きなことをタップリさせてやろうと忠志は思う。
だって、薫風は薫風として認められて生きるのが願いだったんだから
そう菊池遥が、二年前のあの冬に一時だけ真名かおるという人間として生きていた女性なのだ。彼女は同時にカナタという人間でもあった。そして彼女はあの事件の騒動に巻き込まれ街中でナイフで刺されて大怪我をしたのだが、何とか命をとりとめてそ彼女を支え続けた菊池直人と結婚したのだ。ただ大怪我の時の手術で彼女の体内には、奇妙なことに産まれる前に吸収した双子の臓器の幾つかが成長しているのが発見された。
それがカナタなのか、かおるなのかは分からない。
分からないが彼女は直人と相談し、一人目の子供に奏多と名付け二人目が薫風なのだ。そして薫風は忠志に向かってかおると同じ顔で微笑むから、忠志も和希の魂も揃って薫風にメロメロで目下奏多と薫風の取り合いになっている。
「一先ず、先行くぞ?寝ぼけて関係ないモノ燃やすなよ?」
「りょーかーい。」
呑気に忠志が答えた瞬間に、思い出したように信哉が振り返ると躊躇い勝ちに口を開く。
「あ、のな、忠志。」
「あ?なに?」
「俺、梨央と結婚する。子供が出来た。」
思わぬ言葉に驚きすぎて思わず落下しそうになるが、言わなかったがここは地上からは四十メートルも上空の鉄塔の上なのだ。いや結婚は何時かはあるかと思ったけど、流石にこんなに早くて妊娠はサプライズ過ぎる。いつの間にやることやっちゃってんだと突っ込みたくなるが、その先に続いた言葉には尚更驚かされた。
「………………片方は、仁だ。俺の子供に産まれていいと、約束をしてたんだ。」
片方?それも仁だって?しかも約束した?約束でそんな簡単にできることなの?
もっと詳しく話を聞く前に、照れているのかさっさと信哉はゲートに向かって移動し始めている。
いやちょっと待て、片方ってことは双子ってこと?その片方が仁だってことなのか?そう食い下がって忠志は頭上を滑るように舞いおり追いかけ始める。
槙山忠志は朱雀でもあるが、今では経立達と同じ間の子にも成り代わっていた。あの時もし和希から魂の欠片を受け取らなかったら、恐らくは忠志も悌順達と同じく殆ど力の使えない状態に変わっていたと思う。何しろあの時点で雨に降られて火気は操れなかった。それでもあの時東条と戦う力を忠志が欲しがったのは事実で、それを和希が命と引き換えに分け与えてくれたのだ。それはあの時痛みと共に忠志の中を作り替えて、朱雀という新たな間の子に生まれ変わらせてしまった。つまりは和希の魂を媒介に半分人外になってしまったわけだが、人を食うわけでもなければ今までと何も変わらない訳で。呆れるほど何も変わらない自分に、今まで人外って目くじらたててた自分達は何だったのだろう。
つまりは奇跡なんて案外、簡単に願えば起きるのかもしれない。そしてもしかしたら薫風のように、和希も亜希子という名の鵺が願っていたように、またヒョッコリと姿を見せるのではないかと考えてもいる。
だから、このままこうして…………夜の姿も続けていく。
ゲートキーパーとして、そして同時に人間としても、間の子としても。もしかしたらまた人外の現れるゲートが開くかもしれないし、それを閉じるのが役目なのは変わらない。ただこのままここで暮らしていく、そう思うのだ。
「なぁ!いつ産まれんの?!」
「二月頃!」
「スッゲー!!超楽しみじゃん!」
そう二人は以前にはない会話を交わしながら、二つの彗星のように目的地に向かって駆け抜けていく。
そしてここからが今も続く、まさにこの科学の進んだ文明の世の中に起こる物語。
今も密かに歴史の陰で動き続けて、闇の中で異界に開く扉と言うゲートに関わる者達の密やかな物語は終わることなく続いていく。血の繋がりを経て、様々な思いと繋がりを結んで、脈々と続いていくのだ。
知る者は彼らを異能の門番、今は彼らを『ゲートキーパー』と呼んでいる。
あまりにもご都合主義で上手い理由だとは思えないが、東条巌は秘密裏に施設を手に入れ研究所を作っていたし、そこにいた筈の職員はほぼ全滅。一人生き残った看護師がいるというが、政府の動きに逆らうほどの気力はないと思うし、起こったことを訴えるには起きた出来事は荒唐無稽過ぎる。
おまけに出資者に東条巌は、あの人外擬きになる薬を投薬していた。お陰であの最後の日、自分達も大騒動だったが、国中も大混乱だったという。出資者で服用した人間が、暴れだしたり泡を吹いて倒れたりする事件が乱発したのだ。しかもその殆どがその後認知症になったり急逝したりで、政府はこの件にはもう一切触れないことに決めたようだ。
同時に東条は更にその薬の廉価番らしいものを興奮剤とか健康食品として一部流通させていたようで、そちらも服用したことのある人間が街では暴れたり失神したりした。それが広範囲で多発して、街の中も騒動になったらしい。騒動に巻き込まれた風間なんか手首を折る重症で、散々だったようだ。
ただそちらは恐らく直後に麒麟が治め、しかもあの後続いた天上の音色を含んだ雨は輪を広げるように国内全てに降り、その東条が仕込んだ汚れを一気に洗い落としてしまったようだ。
戦いが終わって、それぞれが久々の家に帰ったのは、日付が変わり雨がやみ始めた頃。
志賀松理から他の面々は無事と連絡を受けた時には四神は都市下に向かっていて、そして信哉と悌順は不在で心配しているだろう想い人の元へ。目の覚めた礼慈は智美を病院に連れていき、忠志は義人と二人で一先ず寝ることを選択した。
やがて四神が産まれてから恐らく一番の長い一夜の騒動は、今ここで静かに終わりを告げてようとしている。
※※※
時間はそろそろ夜半。
クァと一つ大きな欠伸をして、夜風の中でその青年はユルリと薄い雲間の合間に浮かぶ大きな鮮やかに輝く月を眺める。あの戦いの後全てにおいて、色々なことが大きく変化していた。自分にとって一番の変化は、この睡魔だと思うと槙山忠志は思う。ゲートキーパーになってから三年もの間夜通し活動しても、眠気はかなり疲労が蓄積するとか、怪我をして治してるなんて事がないと殆ど感じなかった。それどころか三日とか四日寝なくても何ともなかったのだ。
最近は…………眠いよなぁ…………。
もう一つ大きく欠伸をしてから、忠志は遠くを見透かすように目を細める。
四神の力は以前と比較すればかなり弱まってしまって、特に悌順と義人の力は極端に弱い。二人は既に力を顕現して異装を纏う事もできない程で、あの時もし悌順が直ぐ傍にいても和希の腕の治癒は出来なかったのだ。同時に力の弱まった二人にはゲートの感覚も遠退いて焦燥感も極僅かしか感じなくなって、正直いうとそれに関しては二人が羨ましい気もする。ただゲート自体もあの時の麒麟が降らせた雨のせいで、以前のようなゲートではなくなったのだった。
何年か……まあ、何十年とか何百年かだろうけどな、この状況も
ゲート自体の出現も減って規模も遥かに小さくなり、ゲートから人外が這い出てくることはまるでない。経立や雷獣に後日聞いてみたが霧の里の方に開く穴は別段変わりはないらしいが、向こうから来るものはパッタリと減ったという。つまりは渾沌の計画の全てがリセットされて、新しい麒麟の御代になり何もかもはゼロに還ったということなのらしい。つまりは渾沌が溜め込んだ穢れのようなものが全て相殺され、人外になるほどの種も生まれないということのようだ。それにしたって千年もかけて準備したものが、目と鼻と口と耳を他人に穴を開けられただけで、全部オシャカになるのには相手もさぞかしガッカリしたことだろう。そんなわけでこの状態は恐らくは自分達が生きている間は続く。
だから、悌順達が力を殆ど使えなくても…………運命ということだろうな……。
結果論として言えばなんて事を言う信哉は、未だに能力の顕現もできるし異装も纏える。勿論ゲートの知覚もするし、戦闘能力も相変わらず高いまま。後から悌順に聞いたけれど信哉は元々双子で二人分の力を持っている特殊な存在だから、一人分の力を失っても結果一人分の力は信哉には残るわけだ。そんな説明でいいのかなとは思うが、忠志の目にもそれが適切なようなのであえてこれ以上は考えない。
「寝てるのか?」
不意にかけられた信哉の声に欠伸混じりに見上げると、真横にはいつの間にか白銀と金糸の刺繍が新たに施された異装を纏う信哉がいる。この異装の変化も新たな変化で、これに関しては信哉から聞いたのだがあの時何故信哉だけが独りで向こうにいたのかの理由だそうだ。
信哉は暴走状態のまま研究所に連れ込まれ、先に索冥に向こうに連れていかれたのだ。その索冥の力を引き寄せたのは、宮井麻希子と宇野衛の二人。あの二人から少しずつ対価として力を受け取った索冥が、信哉と二人の居場所を取り替えたのだという。どちらにしても索冥が面倒くさい事をしてくれたお陰で、宮井麻希子と宇野衛まで行方不明で巻き込まれた訳だ。
お陰で事が終わってから信哉と悌順は宇野に説明を強いられた上に、綺麗で容赦ない回し蹴りを食らって数分悶絶して立ち直れなかった有り様だ。話はずれたが、そこで信哉は麒麟と一つ自分達とは別に約束を交わしたのだという、それに関しては情況が分かったら話すとだけでまだ詳細は聞いていない。
「寝てないけど、眠い……。寝落ちそう。」
「はは、手早く終わらせて寝るしかないな。」
睡魔は以前と違い自分達が人間として長く生きるための自然な反応・ではないかと香坂智美はいう。
香坂智美は式読には戻らなかったし、院という存在自体があの夜東条のお陰で消滅した。とは言え院の生き残りはまだいるし、政府や社会との連携は必要なので新たな住居で新たに組織を作ってしまったという。とは言え以前のような伝承された施設があるわけでもないし、間の子の存在を知ってしまったので智美はその顔役と連携をとりながらの新たな舵取りだ。それにしても香坂の新居が信哉のマンションの最上階なのと、そこに友村礼慈と敷島湊の男三人で棲むってのは流石に。
ザアッと夜風に木立がざわめき、湿度を感じさせる風に目を細めた信哉が一雨来そうだなと呟く。
「うへぇ、麒麟の奴また歌う気かな?」
「どうだろうな、まだ聞こえないが。」
麒麟はあのまま空に消え、時々雨の中に麒麟の歌が聞こえて来ることがある。姿見えないし、気配もどこにも感じないが、あの声だけは時々聞こえてきて。まるで空にとけてしまったんじゃないかと思うことがある位だ。
それと一緒に仁もあのまま帰ってこない。一時宇野家に身を寄せたみたいだけれど、そこから誰も知らないうちに何処かに行ってしまった。その事に関しては信哉はなにも言わないし、誰もなにも言わないので忠志も下手に口に出せないでいる。何しろまるで仁の存在を誰もが記憶から消し去ってしまったような、街の中からスッポリ抜け落ちてしまったような感じなのだ。
それはある意味では和希と同じだった。和希は既に都市伝説に変わり果てていて、ネットでは似ても似つかない和希ぽい男情報が飛び交っている。和希の両親には連絡はとれないし、あの放置された屋敷は更地にして売ってしまうらしい。
そして、鵺の顔になっていたあの女の人もだ。後々戻ってから竹林で襲われていた女性が倉橋亜希子といい、襲っていた矢根尾俊一という男の元妻なのだと知った。矢根尾は窮奇に食われたと思ったがあの後保護されていて、現在は精神的ショックでおかしくなって以前は和希が隔離されていた病室に独り隔離されている。倉橋亜希子という人を襲って殺して埋めたと考えられているそうだが、倉橋亜希子の遺体は今も発見されないままだ。
多分……殺されたんじゃなくて…………
そうは思ったが矢根尾が多賀という人にした事を知人の刑事の風間祥太から聞いているうちに、忠志は彼に関しては何も言わないことにした。自分の中にある和希の魂は正直矢根尾が何をしたかを聞いて激怒していて矢根尾を殺したがっているのはわかっているが、とは言え忠志は人を殺したい訳ではないし。
そう忠志の中には和希が少し残っていて、あの鵺の顔を見た時に和希は心の中で囁いたのだ。
亜希子、俺、亜希子がどんな姿でも好きだよ
彼女は和希を我が子と言ったけれど和希の言う好きは母親の好きではなくて、そしての鵺が倉橋亜希子なのだと和希は知っていた。そして忠志の見た彼女の瞳は和希の声を何故か聞いていて、忠志が約束を守れなかった事を攻めるのではなく何故か和希はまたこの世界に戻ってくると信じてもいた。それは忠志が信じていたら、かおるとまた会えると考えていたのと同じで
「お前、遥さんのとこに四六時中入り浸ってるんだって?奏多と張り合ってるって聞いたぞ?」
「あ?張り合ってないし、チビ奏に俺が負けるわけないし。」
「あのな、……相手が二歳児だってわかってるだろうな?」
知人の菊池遥には一人目の奏多に続いて、二人目の子供が産まれ、その子は女の子で名前を薫風という。まだ産まれたばかりの赤ん坊なのだが、一目見た時から忠志は彼女を天使と溺愛している。そりゃ二十五の男が、赤ん坊相手じゃロリコンと言われても文句は言えない。それでも薫風が大きくなったら好きなだけココアを買ってやるつもりだし、薫風が好きなことをタップリさせてやろうと忠志は思う。
だって、薫風は薫風として認められて生きるのが願いだったんだから
そう菊池遥が、二年前のあの冬に一時だけ真名かおるという人間として生きていた女性なのだ。彼女は同時にカナタという人間でもあった。そして彼女はあの事件の騒動に巻き込まれ街中でナイフで刺されて大怪我をしたのだが、何とか命をとりとめてそ彼女を支え続けた菊池直人と結婚したのだ。ただ大怪我の時の手術で彼女の体内には、奇妙なことに産まれる前に吸収した双子の臓器の幾つかが成長しているのが発見された。
それがカナタなのか、かおるなのかは分からない。
分からないが彼女は直人と相談し、一人目の子供に奏多と名付け二人目が薫風なのだ。そして薫風は忠志に向かってかおると同じ顔で微笑むから、忠志も和希の魂も揃って薫風にメロメロで目下奏多と薫風の取り合いになっている。
「一先ず、先行くぞ?寝ぼけて関係ないモノ燃やすなよ?」
「りょーかーい。」
呑気に忠志が答えた瞬間に、思い出したように信哉が振り返ると躊躇い勝ちに口を開く。
「あ、のな、忠志。」
「あ?なに?」
「俺、梨央と結婚する。子供が出来た。」
思わぬ言葉に驚きすぎて思わず落下しそうになるが、言わなかったがここは地上からは四十メートルも上空の鉄塔の上なのだ。いや結婚は何時かはあるかと思ったけど、流石にこんなに早くて妊娠はサプライズ過ぎる。いつの間にやることやっちゃってんだと突っ込みたくなるが、その先に続いた言葉には尚更驚かされた。
「………………片方は、仁だ。俺の子供に産まれていいと、約束をしてたんだ。」
片方?それも仁だって?しかも約束した?約束でそんな簡単にできることなの?
もっと詳しく話を聞く前に、照れているのかさっさと信哉はゲートに向かって移動し始めている。
いやちょっと待て、片方ってことは双子ってこと?その片方が仁だってことなのか?そう食い下がって忠志は頭上を滑るように舞いおり追いかけ始める。
槙山忠志は朱雀でもあるが、今では経立達と同じ間の子にも成り代わっていた。あの時もし和希から魂の欠片を受け取らなかったら、恐らくは忠志も悌順達と同じく殆ど力の使えない状態に変わっていたと思う。何しろあの時点で雨に降られて火気は操れなかった。それでもあの時東条と戦う力を忠志が欲しがったのは事実で、それを和希が命と引き換えに分け与えてくれたのだ。それはあの時痛みと共に忠志の中を作り替えて、朱雀という新たな間の子に生まれ変わらせてしまった。つまりは和希の魂を媒介に半分人外になってしまったわけだが、人を食うわけでもなければ今までと何も変わらない訳で。呆れるほど何も変わらない自分に、今まで人外って目くじらたててた自分達は何だったのだろう。
つまりは奇跡なんて案外、簡単に願えば起きるのかもしれない。そしてもしかしたら薫風のように、和希も亜希子という名の鵺が願っていたように、またヒョッコリと姿を見せるのではないかと考えてもいる。
だから、このままこうして…………夜の姿も続けていく。
ゲートキーパーとして、そして同時に人間としても、間の子としても。もしかしたらまた人外の現れるゲートが開くかもしれないし、それを閉じるのが役目なのは変わらない。ただこのままここで暮らしていく、そう思うのだ。
「なぁ!いつ産まれんの?!」
「二月頃!」
「スッゲー!!超楽しみじゃん!」
そう二人は以前にはない会話を交わしながら、二つの彗星のように目的地に向かって駆け抜けていく。
そしてここからが今も続く、まさにこの科学の進んだ文明の世の中に起こる物語。
今も密かに歴史の陰で動き続けて、闇の中で異界に開く扉と言うゲートに関わる者達の密やかな物語は終わることなく続いていく。血の繋がりを経て、様々な思いと繋がりを結んで、脈々と続いていくのだ。
知る者は彼らを異能の門番、今は彼らを『ゲートキーパー』と呼んでいる。
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バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
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