GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第十幕 沿岸部研究所敷地内

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ごめんな

そう心の中で和希の声を、忠志は聞いた気がした。哀しく寂しげな声に気がついて視線を向けた時には、既にそこにあった筈の和希の姿は消え去っていて、強い血の臭いをさせた大蛇の開けた大きな口がユルユルと地面から離れるのが見えただけ。その喉の奥から生臭い強い血の臭いが溢れ出しただけで、牙にも口の中にも血の一滴すら見えないから、何が起こったのか忠志には理解できなかった。

………………和希?

今から二年ほど前。自分が朱雀になって一時自暴自棄になった忠志と、和希は少しの間交流が途絶えていた。あの時全てを失った忠志だけでなく、和希も利津を失って自暴自棄になっていたのかもしれない。そして二人の間の歯車が狂っていた間に、和希は真名かおると出会い予想もしない運命に足を踏み入れてしまった。そして最後の時に真名かおるを刺し心中しようとしていた和希を、忠志はナイフを掴み傷跡の残る大きな怪我をしながら引き止めたのだ。
それを後悔したこともあるが、それでもその時は引き止めることしか考えなかった。
忠志にとって和希は大事な幼馴染みで親友で兄弟みたいなものだったからだし、同時にかおると一緒に行かせたくなかった。それが忠志も和希と同じで、かおるに惹かれていたから嫉妬したとも今なら言える。でも何より一番はこれ以上大事な人間に、目の前で死んで欲しくなかった。目の前で親も親戚も妹まで失って、兄弟みたいに自分とずっと一緒にいた和希まで目の前で失いたくなかったのだ。
その後生き延びた和希が子供のように何も分からなくなって、都立総合病院で隔離されているのを何度も独りだけ見舞いに足を運ぶ。三浦の両親から何故和希をそのまま死なせてくれなかったのだと怒鳴られても、三浦夫妻が和希を見放し遠方に越してからもずっと忠志だけ、面会に行ってもガラス越しで会うだけで一度も会話もしなければ、手を握りもせずただ笑ってボールで遊ぶ和希を眺めてきた。

一体そこまでして何が欲しかったんだ…………

そう思いもした。何時か傷が癒えて元の和希に戻るかもとも思ったし、このまま永遠に子供のままでもいいとも考えていたのは、何時か和希がマトモになってしまったら和希が殺人犯として死刑になると忠志だって分かっているからだ。幾ら和希が酷い目にあわされてしまったからといって十人近い人間を殺して何人も酷い怪我を負わせて、脱走した上に今も和希が逃げ回っているのは現実だ。それでも和希が生きているのが、忠志には必要だった。

長くは生きられないだろうけど…………

竹林で助けた女性の顔をした不思議な生き物はそう囁き和希を自分に託した言葉の意味は、忠志だって理解している。自分を助けに来てくれた和希は忠志とコミュニケーションが問題なくとれていて、病院に居た時のような精神遅滞が今もあるとは言えなかった。そして腕を痛めてしまった和希は治療を受けるにはまた捕まるしかないし、悌順に治癒して貰おうにも正直な悌順が犯罪者を助けてくれるわけがなく・同時に自分達は力が弱くなって治癒も出来るかどうか分からない。それでも生きていられるのが残り少なくても向こうに連れて帰って欲しいと、あの彼女は願うのだし自分もそう思う。

ちゃんと弔ってやれる場所で、ちゃんと和希として

最後にはそうなるだろうと分かっていても、和希が元から居た場所に連れて帰ってやる。その筈なのにここで今何が起こってしまったのか、忠志には理解ができなかった。何故か片腕を東条に乗っ取られて、やむ無く右手を失った和希は、東条に向かって嘲笑い何かを言い放ち、そして…………

満ちる

失ったものの大きさを知る痛みを再び深く魂に刻みこんで、目の前の敵と戦えないことを嘆いた自分に与えられる罰のように、大事なものをまた目の前で奪われて胎内にまた強い焔が吹き上がるように満ちていく。そしてそれを肯定するような和希の声が。殆ど会話らしい会話もせず、数年ぶりに聞いたけれど喉を傷つけたせいで以前と違う掠れた声が響く。

ごめんな、忠志

そう微笑んで自分を軽く突き飛ばした和希の手から、和希の中に望んでもいないのに捩じ込まれてしまった魂の焔が忠志の体に流れ込み満ちて溢れていく。その焔の中にあったのは、哀しいほどに一途な誰かへの思いだった。死んでしまった妹の利津への思いも、顔も思い出せない真名かおるへの思いも、そして最後に和希が大切にした亜希子という女性への思いも全てが一途で。そして和希がやはり実は記憶障害を起こしていて、和希が覚えていられるのはたった数人だったのを知った。両親も忘れてしまった和希が、覚えていられた自分に対する感情も酷く真っ直ぐで、忠志への強い信頼が純粋だからこそ哀しい。

ごめん、こんな風になって。亜希子に会ったら亜希子にもごめんって伝えて

目の前でガチンと和希の血の臭いを撒き散らす大蛇の腮が咬み合わさり音を立てるのに、忠志が感じたのは止めようのない激しい哀しみと怒りだった。目の前のこの蛇は忠志の大事な兄弟を目の前で食ってしまった、連れ帰ると約束した大事な幼馴染みで親友の和希を。骨が軋むほどの怒りと哀しみでギシギシと体の中が組み替えられるような、全身を流れる血脈が全て焔に変えられるような苦しさ。だがそれすら凌駕する程に、忠志の激しい怒りと哀しみの方が遥かに勝る。



※※※



東条の意識を持つ大蛇は黒く太く滑る尾を、突然背後の闇から現れた鵺に喰いしめられていた。爪をたてただけの筈なのに、その爪は深々と突き刺さり肉を貫き身動きがとれずにる。しかも胴体の上に居座る鵺は怨嗟の声と共に、汚泥の底に引きずり込もうと力をかけてきていた。それほどの力の内包は鵺の体からは感じないし最後の灯火のようにも見えるのに、まるで自分の存在の全てをなげうつように白銀に光る鵺は全力で哭く。そして迷うことなく東条を、地の底に引きずり込もうとしていた。その人面の顔と蛇尾すら見えなければ、まるで白虎のように鮮やかに美しい白銀と漆黒の縞を持つ虎の体。それは発光しながら汚泥の底に東条を引きずり込もうとしている。

《は、なせええぇえええ!!》

ただの闇の中に連れ込まれるのなら大したことはない筈なのに、何故かこの鵺に引き込まれるのに本能が危険を訴える。これに引き込まれたら最後二度と這い上がることの出来ない場所に閉じ込められてしまいそうな、例えばまだ幼い子供の頃悪さのお仕置きとして放り込まれた古びた土蔵の奥に閉じ込められるような感覚。それに恐怖感が背筋を這い、考えは強ち間違っていない気がする。まるで白虎に牙をたてられているような焼けつく痛みなのに、それは白虎ではなく同類である筈の人外の一体。それはギラギラと青く瞳を怒りで輝かせて、その女の人面から怨みの声を放つ。

《お前は、私の子を殺した…………、決して許さない………………決して!!》

人間でもない化け物の癖に子供の怨みだなどと馬鹿なこと。そう言い放とうとしても鵺の災厄を呼び惹き付ける鋭く甲高く哭く声に、この巨大な力を持つ筈の体が強張り足掻くことも出来ないでいる。まるで哭き声を聞いたら災厄が訪れるのに抵抗できない、そんな契約を成したような感覚から逃れられない。しかも東条の目の前で更なる災厄が生じたのは、次のほんの一呼吸の後だった。ドンッと鈍い地響きと同時につい寸前まで、高々雨脚に負けて火気を操ることもできなかった筈の朱雀の体が紅蓮を通り越した金色にすら見える黄色い焔の塊と化している。しかもその焔は目の前で黄色を通り越して、次第に青に近くなっていく。ガスバーナー等ではなく純粋に自分が放つ焔だけが、青く見えると言うことは忠志の放つ焔が今までになく異常な程に高温。

《す、すざく……?なぜ、いま、》

今まで見たことのないほどの高熱にたじろぐ東条を、紅玉ではなく青くすら見える瞳で言葉もないまま忠志が睨み付けていた。ギチリと音が立つほどに忠志の拳が握りしめられ、その体を包む異装が燃え上がるように揺らぎはためく。不意に目の前の忠志の体が掻き消したと思ったが、次の瞬間感じたのは蛇の顔の半分が焼けつく激痛だった。

《うぎゃああああぁああ!!》

一瞬で顔の半分が炭化して視界が半分に消え去る。激痛と怨嗟の鳴き声、それに重なる自分の絶叫で左右の建物の嵌め殺しの窓ガラスが砕けていく。必死に再成しようとする細胞と焼けてしまった傷口がせめぎあい、ミヂミヂと不気味な音をたてたのに少しだけ距離のある信哉は息を飲む。
今までとはまるで違う忠志の焔の勢いに煽られ、傍の瓦礫が熱で融解し始めていて地面の表層にマグマのように流れ出している。

「忠志!!」

叫んでも怒りで我を忘れている忠志には信哉の声は届かないまま、忠志は蛇に向かって容赦なく焔を打ち放ち続けていく。そして大蛇の尾を食らいつき離そうとしない鵺の体まで焔が勢いよく焼いているのに、怨嗟の声を放ち続ける鵺は焔に全く怯みもしなかった。

《災厄に沈め、人でなし!許さない……絶対許さない!》

東条は初めてそれに恐怖して、必死に身悶え逃れようと暴れ始める。激しい蒸気と炭化して朽ちる体に、執念深く食らいつく鵺を引き剥がそうと尾を引きちぎる勢いで建物に向かって叩きつけても鵺は全く動じない。そして同時に怒りに染まった朱雀の焔も、まるで怯みもせずに辺りごと東条を焼き付くそうとしている。

《こんな、はずじゃない、ここから、わたしが、かみになるんだ!!がみ、にぃいいいいっ!!》

神。信仰され畏怖され、絶対的で超越した存在。東条巌は自分達四神のことをそんな風に捉えていたのだと、信哉は初めて知らされた。そんなものは恐らくどこにも存在しないのに麒麟ですら完全な超越したものでもないのに、そう信じたから東条はあれほどまで執拗に四神を調べ謎を解明したかったのだ。

「いいや、お前は神にはなれない、お前はただの人でなしの化け物だ。」

中空から降り落ちてくる怒りに満ちた忠志の声に、顔の半分を失った東条は生臭い血の臭いを放つ口を空に向けて開けて絶叫する。神の定義なんてしても仕方がないし、東条が自分達の力を身に付けたかったのだけは変えようのない。それでもそのために何十人も犠牲にし続ける事を、大事な人間を喰い殺されることを認められる筈がなかった。

《なんで、だ!なんで、よんがみ、に、なるんだ、かみに、がみ、にぃ!!》

ボンッとまるで爆発するような音をたてて青い焔が弾丸のように東条の頭を弾き飛ばし、蛇の頭は一瞬前には存在した空間から消し飛んでいた。ビクビクと頭を失った胴体が何とか頭を再成しようと蠢くが、その隙を鵺が見逃す筈もない。

《沈め》

身を焦がす青白い焔を全身から上げながら、鵺がその体を引きずり込んでいく。それに怒りから我に返った忠志が中空で同じ色の焔にまみれながら見下ろすと、ふと鵺の人面の視線が何かを伝えるように忠志の事を見上げる。そうして信哉と忠志の目の前で再成に至れない蛇の胴体が、音をたてて鵺の体ごと燃え尽きながらズブズブと汚泥に沈み姿を消していく。

「和希…………。」

溜め息のような呟きと同時に力尽きたように中空で体勢を崩した忠志の体から、その体を包み込んでいた弾けて青い焔が四散する。真っ逆さまに落下してくるその体を受け止めた衝撃のせいか、二人の居た場所を中心にするように突然の崩壊が始まっていた。咄嗟に忠志の体を抱えて飛び退いたが、飛び退いた先の足元も谷底に引き込まれるように崩れ落ちていく。まるで異界でみた崩落と何一つ変わらない光景だが、違うのは凄まじい地響きと同時にガラガラと鍋の底が抜けるように瓦礫が落ち始める。

「信哉さん!!」
「信哉!!」

背後で残っていた二つの建物が異音をたててひび割れ、轟音と共に地面が抜け落ちていく。水で緩められてしまった地盤に、その後も密かに持続されていた空気の排出。当然水浸しの後はその機能は落ちて最後には空気でなく水を吸い上げて停止してはいたが、気密性の高い施設全体ごと真空に近い状態に置かれていた。そうしてそこに大きな衝撃がかかって隔壁めいた天井が抜け落ちていく。
その轟音は遥か遠方にまで響き渡ったが、誰もが遠雷としか思わない。

「早く!!」

凄まじい轟音が響き渡る中を脱兎のごとく逃げ出しながら、遥か天空から微かに響く音色に信哉は気がついていた。垂れ込める重く黒い雲が切れ僅かに月光が差し掛かるのが、拓けた空の果てに見える。崩落は激しく広大な施設の敷地全てを飲み込んだが、まるで境界線のように外周のフェンスを信哉が飛び越えた途端収束していた。
それぞれ独りずつ人を抱えて、呆然と崩落して闇に沈んだ敷地を見下ろす。その頭上からは麒麟の唄う天上の音色が、弱まり始めた雨と共に堪えることなく何時までも大地に向かって降り落ち続けていた。
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