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第三部
第八幕 異界
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その絶え間なく降り落ちてくる光。それを渾沌が浴びていることに重大な理由があると、最初から知っていたわけではない。それでも義人の行動に見せた、今の渾沌の反応のお陰で答えは一つだ。渾沌は愚鈍なふりで最初に、四神の中で一番視力が効く青龍の視界を渾沌とした気の目映さで眩ませておいて、自身の細胞が再成するための力をどこから得ているか誤魔化していたのだ。無尽蔵に再成し続ける東条の力を吸収していると思わせ、四神が疲労して手も足も出なくなるまでの持久戦に引き込む。それが知性など持ち合わせていなさそうな渾沌が、内面で目論んでいたことだった。
ここまで辺りが漆黒の闇にならなければキラキラと降り落ちる光を、義人だって気にしなかったかもしれない。実際に寸前の赤い空の時にはここまで大量に落ちてきていると全く気がつかなかったし、こんな奇妙な世界の現象に理由を結びつける精神的な余裕も義人にはなかった。それにもし降り落ちる光に気がついたとしても、その前に悌順や信哉の話を聞いていなかったら光を結びつけもしなかった筈だ。
人外と自分達の力の根源は同じ。
弾けて散る力の結晶。
循環する力と地脈。
そして、密かに長く息づく間の子達という存在。
知らずに来たのは自分達が情報を遮断する成り立ちを作り上げてしまったからで、全てはよかれと思いつつも誤った道を進んできた結果。
全てを知ってから視線をあげれば網目上の流れに、天球に奇妙な空白の部分かチラホラと存在するという事実。その場所は北海道や北東北、関東や近畿、四国、九州にもあるのだ。子供なら一度は聞いたことがあるだろう怪異譚や異界の話。そんなものと綺麗に符合する空白地からは、ほんの僅かにしか光が落ちてこないのは何故か。これが力の結晶が上の世界から溢れて落ちてきているのなら、間の子が多く潜み、人間が数多く傷つくことも死も身近な都会の地脈からは大量に光は降り落ちる。それが循環し力の源に変わり、新たな人外を産み落とす。
この光が地の底にまで降り落ちて、お前の力になるんだろう?!
全てではないにせよ風で光の粒を弾き飛ばし、微細な力を粉砕して光を渾沌に与えないようにする。義人の意図に気がついた信哉は迷うことなく、光を得られなくなった渾沌を改めてその白影を残す牙をふるい一本の足を薙ぎ払っていた。すると先程までの再成速度とはあからさまに遅い傷口の再成に、渾沌は体を揺らめかせ片足を崩れ落として湖面に膝をついたのだ。無尽蔵ではなく有限を無限に見せかけ、天を見上げニタニタと笑うように見える渾沌が苦悩に満ちた声をあげる。
《何でだ…………ぁ!ちえを、残すのは、しゅの、…………種のそんぞくぅううう!!!》
その声はひび割れて年老いた声に塗り変わるのに、四人は息をのむ。溢れて盛り上がるような苦悩に満ちる老人の顔が、新生児の額にボコリと浮き出して明らかな形を作りあげていた。それは信哉と悌順はよく見知った老人の顔で、そして同時に赤ん坊は両手でまだ穿たれていない口をガッチリと塞いだ。
《しゅ…………の、えいちぃぃ!叡知をぉ、このえいちを残すのがぁ、私のやくうううぅヴめぇぇえ!》
何をもって叡知と言うのかと残っていた鼻腔の片方を穿ちながら、悌順は忌々しく東条の声を聞く。人間を守るためにこの役目を延々と受け継ぎ、時には人体実験すら耐えて足掻き続けたのに、何一つ自分達の特異性を証明できなかったのを叡知と呼べるのか。
それに人間を守るために力を得ようとしていたものが、対極の存在にまで変容してまで何を残そうと言うのか。この姿では渾沌が元々東条を操っていたのか、それとも東条が渾沌をのっとっているのか分からないが、ただ知識というものにひたすらに強欲で全てを飲み込み太極を反転させたい人間の皮を被った化け物だ。
《ぎぎぎせぇええは、と、当然だ……、高尚な、……にえぇえええが、》
その呻き声に鋭い舌打ちと同時に、中空の忠志はその体から朱雀の変化を解いた。闇の中にまるで明星のように鮮烈な真紅の光を放ち、人の姿で緋色の異装をはためかせて忠志は渾沌を真っ直ぐに見下ろす。牧山忠志は楽しく笑いながら家族と暮らして居ただけだったのに、それを家族も親戚も一度に奪われて沢山の思い出も全て一夜で奪われた。あの焔の中で感じた苦く骨が軋むような心を切り裂かれるような痛みを、生け贄だから当然だと言えという。
鳥飼信哉は母と同じ道を選んだわけでもなく無理矢理生かされ、母だけでなく兄のように過ごしてきた三人を奪われて、母親すらも奪われ戦い続けるのを生け贄だから当然と。土志田悌順は自分の贈り物で両親を失い、将来の夢ごと放棄するのが生け贄だから当然だ。宇佐川義人はまだ遺体すら見つからない父の死と医学の道を諦めて、戦い続けるのが生け贄だから当然なのだと。
そんな馬鹿げた話があるか
生きているのにそれを耐えろと、そしてこれからも繰り返せというのだ。何度も何度も焔の中で生まれ落ちる朱雀の苦痛。それを自分以外にもまだ繰り返せというのだ。そして太極が反転したら、自分達の存在は人外になるのか、そんなの御免だと怒りに満ちた紅蓮の瞳で、忠志は迷うことなく大きな声で叫んだ。
「ふざけんな!!こんな何かを犠牲にして、残されるもんなんか屑だ!!」
そう怒りに叫んだ忠志に向かって、赤ん坊は焼けただれた眼窩をギョロリと向けて唐突に伸び上がって両手を伸ばす。そして、その手が近づくのを忠志はまるで避けるつもりもなく見据えていた。
『忠志!!!』
『くそおぉ!!穿てぇえ!!!』
巨大な手が忠志の体を握り潰すのと、悌順が絶叫と共にその両手で今まで隠されていた渾沌の唇の間に水の巨大な槍を捩じ込み頭を貫くのは殆ど同時。そして胎児の体を形成していた渾沌が全てを飲み込むように破裂したのは、ほんの一瞬の間のことだった。
※※※
麒麟の毛並みを撫でている智美に、白銀の毛並みの索冥は微かに頭を下げた。その動きにつられ、振り返るとそこには真紅の毛並みの炎駒に青い毛並みの聳孤が音もなく立ち尽くしている。そうして視界には黒い毛並みの角端がいつの間にか姿を見せていた。菜の花が風に揺れて散り始める中で、彼らは当然のように智美に頭を垂れて足を折る。
「…………何…………?」
違和感もなく金の色に染まる瞳で彼ら四体の麒麟達を見渡すと、美しい毛並みをした四頭の獣は恭しく同時に口を開く。遂に時が来たと。その言葉に鮮明に浮かぶのは智美が見たことのない筈の、過去の世界でそれは彼らが何を目指しているのかを伝える。
麒麟は神聖な幻の動物と考えられており、千年を生きる。動物を捕らえるための罠にかけることはできないし、麒麟を傷つけたり、死骸に出くわしたりするのは不吉なこととされる。
また『礼記』によれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称されている。このことから、幼少から秀でた才を示す子どものことを、麒麟児や、天上の石麒麟などと称するのだ。孔子によって纏められたとされる古代中国の歴史書『春秋』では誤って麒麟が捕えられ、恐れおののいた人々によって捨てられてしまうという、いわゆる「獲麟」の記事をもって記述が打ち切られている。
そして何故こうして四体が自分に頭を下げているのか。
背後にその気配を感じて振り返る。
「…………どういう、ことなんだ?」
その言葉は既に真実を感じとりながら、同時に苦痛に満ちていて酷く悲しい。
頭を下げられているのは智美一人ではなく、彼の背後にいつの間にか姿を表して立つ澤江仁と名乗り続けて来た青年も同一だった。仁が無言で首を巡らせると四体の麒麟は何かを命令されたように、それぞれ立ち上がりあっという間に菜の花をけたてて姿を消す。
「やっぱり……お前が麒麟だったのか?」
互いに金色に瞳を輝かせながら、まるで双子のよう見える容貌で二人は立ち尽くす。
そうだ。
口を動かすのではない特殊な声だが、その声は聞き覚えのある仁のものだった。そして同時にその声は、智美自身のものでもある。流れ込んでくる記憶は麒麟が見続けてきた長い長い年月のもので、麒麟は今まさに新しい命を得ようとしていた。そのために仁はここにやって来たのだが、同時に仁は光を求める中で人間というものに強い興味を持ったのだ。
楽しかった……色々なことをして、笑って……泣いて……怒って……
その気持ちは智美にもよく理解できた。隔離され院で一生を過ごす筈だった智美は、五代達や礼慈や敷島の必死の努力で高校に通うことができて多くのかけがえのない友人を得てきたし、その中には仁も当然含まれている。
人間は……不思議な生き物だ……弱く脆く、その癖強い。
金に輝く瞳はまるで記憶を辿っているようにキラキラと楽しげに輝いていて、その言葉には裏がないのは眼瞳を見れば一目瞭然だった。楽しかった、友人と一緒に沢山のことをして、これからももっと沢山楽しいことがあるよと麻希子なら力説する。それに思わずお互いが心の中で笑うと、互いの事が結び付くように理解がで来た。自分が異界の存在だと分かっても仁に手を差し出され、迷わず手を握り返してくれる彼等に仁は静かに微笑む。それぞれに久しぶりに会ったとか元気そうだとか沢山の事を互いにを感じているのが分かっていながら、仁は四神と同じ力を僅かずつ秘めた友人達にその欠片を借りたのだ。
「何故?」
全てを決められた者にだけに返してもらったら、恐らくは命まで奪うから。だから、そのために他に五人の力を借りたんだ。僅かに今はまでより変わったと彼らも感じるだろうが、ここから生活していくのにあからさまに衰えは感じない。それに約束をしてしまった。貸すってことなら何時か変えしに来るんだよな?また何時か戻ってくるんだよな?また何時か遊んでくれるんだよね?また何時か、そう友人から繰り返される。
また、いつか
だけどそう誰よりも一番に約束したいのは実は仁自身で、彼も決して別れて旅立ちたい訳ではないのだと知ったら酷く寂しくなった。また会う約束、また一緒に何かをする約束、また一緒に、そう約束しておきたいのは、何よりも仁の方なのだ。
またいつか一緒に
そう約束して、麻希子や孝や透、それに衛も和希も彼にそれを貸す。和希だけは友人とはいえないのだけれど、炎は稀少で貸して貰える程なのは彼しかいなくて彼が願うのは親友を生きて取り戻すことだから彼も直ぐに理解してくれた。仁は本当ならば借りなくとも全て返して貰えば良いだけだと知っているけれど、そうできなくなってしまったのだ。
本当は、もっとここにいたかった……
一緒に海に遊びにいこう。一緒に甘いものを食べにいこう。一緒にお祭りに行こう。一緒に花火を見よう、一緒にあれをしよう、一緒に一緒に…………沢山の約束をしながら、そう考えると涙が自然と溢れだしていた。このままここで暮らしていくことをずっと考えていた、だけど時間がなくて。それにちゃんと生まれて彼らを連れ帰る約束を何人もとしている。
「仁。」
悲しい。本当は、こうしたくない。ずっと澤江仁のままで、ここで皆と暮らしていたかった。
智美、俺の記憶を返して欲しい。
そう幾つもに分けられ預けられた力の塊。他の妖異が互いの戦闘で撥ね飛ばしたのとは全く違う、遥か過去に麒麟自身から頼まれ預かった麒麟の記憶。同時にそれは血に託された最後の約束を果たす時でもあった。これを渡したら自分はどんな風になるのだろうと不安に感じもするが、仁はそれにおかしそうに笑うと智美の手を握る。
変わらないよ、智美は智美だ。
握られた手から金色の閃光が溢れて激しく空を照らしたかと思うと、その光は唐突に終息して仁の手に全て吸い込まれていく。そうしてやがて糸が切れたようにその場に倒れ込む智美に仁は悲しげに微笑みかけてからユックリと視線をあげていた。
※※※
七孔を開けられた渾沌が、突然に爆発したのは理解していた。それに飲み込まれる前に身を翻せたのは中空に義人が舞っていたからで、目の前で起きたのは最悪の事態だ。弾けて四方に飛び散りながら全てを飲み込んでいくのに、咄嗟に人の体に戻り中空に飛び上がった義人だけがその場に残されてしまう。
「忠志ぃ!!!悌さん!!信哉さぁん!!!」
何が起きたか一言ては説明できない。弾けたものが三人を全て飲み込んで、しかも完全に地面も何もかもを失った状況で宙に浮いたままの義人ですら、上下乃感覚がわからなくなり始めている。避けたと思っていてもさっきの菜の花畑と同じでもしかしたら、渾沌の中に取り込まれていてもおかしくない。
忠志はわざと渾沌の怒りを誘って渾沌の口を隠す手を外させたのは分かっていた、分かっているけど義人はそんなやり方は本当は嫌だ。
目の前で握り潰されるようなことするなよ!
そう考えながら義人は漆黒の闇の中で必死に当たりを見渡している。
ここまで辺りが漆黒の闇にならなければキラキラと降り落ちる光を、義人だって気にしなかったかもしれない。実際に寸前の赤い空の時にはここまで大量に落ちてきていると全く気がつかなかったし、こんな奇妙な世界の現象に理由を結びつける精神的な余裕も義人にはなかった。それにもし降り落ちる光に気がついたとしても、その前に悌順や信哉の話を聞いていなかったら光を結びつけもしなかった筈だ。
人外と自分達の力の根源は同じ。
弾けて散る力の結晶。
循環する力と地脈。
そして、密かに長く息づく間の子達という存在。
知らずに来たのは自分達が情報を遮断する成り立ちを作り上げてしまったからで、全てはよかれと思いつつも誤った道を進んできた結果。
全てを知ってから視線をあげれば網目上の流れに、天球に奇妙な空白の部分かチラホラと存在するという事実。その場所は北海道や北東北、関東や近畿、四国、九州にもあるのだ。子供なら一度は聞いたことがあるだろう怪異譚や異界の話。そんなものと綺麗に符合する空白地からは、ほんの僅かにしか光が落ちてこないのは何故か。これが力の結晶が上の世界から溢れて落ちてきているのなら、間の子が多く潜み、人間が数多く傷つくことも死も身近な都会の地脈からは大量に光は降り落ちる。それが循環し力の源に変わり、新たな人外を産み落とす。
この光が地の底にまで降り落ちて、お前の力になるんだろう?!
全てではないにせよ風で光の粒を弾き飛ばし、微細な力を粉砕して光を渾沌に与えないようにする。義人の意図に気がついた信哉は迷うことなく、光を得られなくなった渾沌を改めてその白影を残す牙をふるい一本の足を薙ぎ払っていた。すると先程までの再成速度とはあからさまに遅い傷口の再成に、渾沌は体を揺らめかせ片足を崩れ落として湖面に膝をついたのだ。無尽蔵ではなく有限を無限に見せかけ、天を見上げニタニタと笑うように見える渾沌が苦悩に満ちた声をあげる。
《何でだ…………ぁ!ちえを、残すのは、しゅの、…………種のそんぞくぅううう!!!》
その声はひび割れて年老いた声に塗り変わるのに、四人は息をのむ。溢れて盛り上がるような苦悩に満ちる老人の顔が、新生児の額にボコリと浮き出して明らかな形を作りあげていた。それは信哉と悌順はよく見知った老人の顔で、そして同時に赤ん坊は両手でまだ穿たれていない口をガッチリと塞いだ。
《しゅ…………の、えいちぃぃ!叡知をぉ、このえいちを残すのがぁ、私のやくうううぅヴめぇぇえ!》
何をもって叡知と言うのかと残っていた鼻腔の片方を穿ちながら、悌順は忌々しく東条の声を聞く。人間を守るためにこの役目を延々と受け継ぎ、時には人体実験すら耐えて足掻き続けたのに、何一つ自分達の特異性を証明できなかったのを叡知と呼べるのか。
それに人間を守るために力を得ようとしていたものが、対極の存在にまで変容してまで何を残そうと言うのか。この姿では渾沌が元々東条を操っていたのか、それとも東条が渾沌をのっとっているのか分からないが、ただ知識というものにひたすらに強欲で全てを飲み込み太極を反転させたい人間の皮を被った化け物だ。
《ぎぎぎせぇええは、と、当然だ……、高尚な、……にえぇえええが、》
その呻き声に鋭い舌打ちと同時に、中空の忠志はその体から朱雀の変化を解いた。闇の中にまるで明星のように鮮烈な真紅の光を放ち、人の姿で緋色の異装をはためかせて忠志は渾沌を真っ直ぐに見下ろす。牧山忠志は楽しく笑いながら家族と暮らして居ただけだったのに、それを家族も親戚も一度に奪われて沢山の思い出も全て一夜で奪われた。あの焔の中で感じた苦く骨が軋むような心を切り裂かれるような痛みを、生け贄だから当然だと言えという。
鳥飼信哉は母と同じ道を選んだわけでもなく無理矢理生かされ、母だけでなく兄のように過ごしてきた三人を奪われて、母親すらも奪われ戦い続けるのを生け贄だから当然と。土志田悌順は自分の贈り物で両親を失い、将来の夢ごと放棄するのが生け贄だから当然だ。宇佐川義人はまだ遺体すら見つからない父の死と医学の道を諦めて、戦い続けるのが生け贄だから当然なのだと。
そんな馬鹿げた話があるか
生きているのにそれを耐えろと、そしてこれからも繰り返せというのだ。何度も何度も焔の中で生まれ落ちる朱雀の苦痛。それを自分以外にもまだ繰り返せというのだ。そして太極が反転したら、自分達の存在は人外になるのか、そんなの御免だと怒りに満ちた紅蓮の瞳で、忠志は迷うことなく大きな声で叫んだ。
「ふざけんな!!こんな何かを犠牲にして、残されるもんなんか屑だ!!」
そう怒りに叫んだ忠志に向かって、赤ん坊は焼けただれた眼窩をギョロリと向けて唐突に伸び上がって両手を伸ばす。そして、その手が近づくのを忠志はまるで避けるつもりもなく見据えていた。
『忠志!!!』
『くそおぉ!!穿てぇえ!!!』
巨大な手が忠志の体を握り潰すのと、悌順が絶叫と共にその両手で今まで隠されていた渾沌の唇の間に水の巨大な槍を捩じ込み頭を貫くのは殆ど同時。そして胎児の体を形成していた渾沌が全てを飲み込むように破裂したのは、ほんの一瞬の間のことだった。
※※※
麒麟の毛並みを撫でている智美に、白銀の毛並みの索冥は微かに頭を下げた。その動きにつられ、振り返るとそこには真紅の毛並みの炎駒に青い毛並みの聳孤が音もなく立ち尽くしている。そうして視界には黒い毛並みの角端がいつの間にか姿を見せていた。菜の花が風に揺れて散り始める中で、彼らは当然のように智美に頭を垂れて足を折る。
「…………何…………?」
違和感もなく金の色に染まる瞳で彼ら四体の麒麟達を見渡すと、美しい毛並みをした四頭の獣は恭しく同時に口を開く。遂に時が来たと。その言葉に鮮明に浮かぶのは智美が見たことのない筈の、過去の世界でそれは彼らが何を目指しているのかを伝える。
麒麟は神聖な幻の動物と考えられており、千年を生きる。動物を捕らえるための罠にかけることはできないし、麒麟を傷つけたり、死骸に出くわしたりするのは不吉なこととされる。
また『礼記』によれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称されている。このことから、幼少から秀でた才を示す子どものことを、麒麟児や、天上の石麒麟などと称するのだ。孔子によって纏められたとされる古代中国の歴史書『春秋』では誤って麒麟が捕えられ、恐れおののいた人々によって捨てられてしまうという、いわゆる「獲麟」の記事をもって記述が打ち切られている。
そして何故こうして四体が自分に頭を下げているのか。
背後にその気配を感じて振り返る。
「…………どういう、ことなんだ?」
その言葉は既に真実を感じとりながら、同時に苦痛に満ちていて酷く悲しい。
頭を下げられているのは智美一人ではなく、彼の背後にいつの間にか姿を表して立つ澤江仁と名乗り続けて来た青年も同一だった。仁が無言で首を巡らせると四体の麒麟は何かを命令されたように、それぞれ立ち上がりあっという間に菜の花をけたてて姿を消す。
「やっぱり……お前が麒麟だったのか?」
互いに金色に瞳を輝かせながら、まるで双子のよう見える容貌で二人は立ち尽くす。
そうだ。
口を動かすのではない特殊な声だが、その声は聞き覚えのある仁のものだった。そして同時にその声は、智美自身のものでもある。流れ込んでくる記憶は麒麟が見続けてきた長い長い年月のもので、麒麟は今まさに新しい命を得ようとしていた。そのために仁はここにやって来たのだが、同時に仁は光を求める中で人間というものに強い興味を持ったのだ。
楽しかった……色々なことをして、笑って……泣いて……怒って……
その気持ちは智美にもよく理解できた。隔離され院で一生を過ごす筈だった智美は、五代達や礼慈や敷島の必死の努力で高校に通うことができて多くのかけがえのない友人を得てきたし、その中には仁も当然含まれている。
人間は……不思議な生き物だ……弱く脆く、その癖強い。
金に輝く瞳はまるで記憶を辿っているようにキラキラと楽しげに輝いていて、その言葉には裏がないのは眼瞳を見れば一目瞭然だった。楽しかった、友人と一緒に沢山のことをして、これからももっと沢山楽しいことがあるよと麻希子なら力説する。それに思わずお互いが心の中で笑うと、互いの事が結び付くように理解がで来た。自分が異界の存在だと分かっても仁に手を差し出され、迷わず手を握り返してくれる彼等に仁は静かに微笑む。それぞれに久しぶりに会ったとか元気そうだとか沢山の事を互いにを感じているのが分かっていながら、仁は四神と同じ力を僅かずつ秘めた友人達にその欠片を借りたのだ。
「何故?」
全てを決められた者にだけに返してもらったら、恐らくは命まで奪うから。だから、そのために他に五人の力を借りたんだ。僅かに今はまでより変わったと彼らも感じるだろうが、ここから生活していくのにあからさまに衰えは感じない。それに約束をしてしまった。貸すってことなら何時か変えしに来るんだよな?また何時か戻ってくるんだよな?また何時か遊んでくれるんだよね?また何時か、そう友人から繰り返される。
また、いつか
だけどそう誰よりも一番に約束したいのは実は仁自身で、彼も決して別れて旅立ちたい訳ではないのだと知ったら酷く寂しくなった。また会う約束、また一緒に何かをする約束、また一緒に、そう約束しておきたいのは、何よりも仁の方なのだ。
またいつか一緒に
そう約束して、麻希子や孝や透、それに衛も和希も彼にそれを貸す。和希だけは友人とはいえないのだけれど、炎は稀少で貸して貰える程なのは彼しかいなくて彼が願うのは親友を生きて取り戻すことだから彼も直ぐに理解してくれた。仁は本当ならば借りなくとも全て返して貰えば良いだけだと知っているけれど、そうできなくなってしまったのだ。
本当は、もっとここにいたかった……
一緒に海に遊びにいこう。一緒に甘いものを食べにいこう。一緒にお祭りに行こう。一緒に花火を見よう、一緒にあれをしよう、一緒に一緒に…………沢山の約束をしながら、そう考えると涙が自然と溢れだしていた。このままここで暮らしていくことをずっと考えていた、だけど時間がなくて。それにちゃんと生まれて彼らを連れ帰る約束を何人もとしている。
「仁。」
悲しい。本当は、こうしたくない。ずっと澤江仁のままで、ここで皆と暮らしていたかった。
智美、俺の記憶を返して欲しい。
そう幾つもに分けられ預けられた力の塊。他の妖異が互いの戦闘で撥ね飛ばしたのとは全く違う、遥か過去に麒麟自身から頼まれ預かった麒麟の記憶。同時にそれは血に託された最後の約束を果たす時でもあった。これを渡したら自分はどんな風になるのだろうと不安に感じもするが、仁はそれにおかしそうに笑うと智美の手を握る。
変わらないよ、智美は智美だ。
握られた手から金色の閃光が溢れて激しく空を照らしたかと思うと、その光は唐突に終息して仁の手に全て吸い込まれていく。そうしてやがて糸が切れたようにその場に倒れ込む智美に仁は悲しげに微笑みかけてからユックリと視線をあげていた。
※※※
七孔を開けられた渾沌が、突然に爆発したのは理解していた。それに飲み込まれる前に身を翻せたのは中空に義人が舞っていたからで、目の前で起きたのは最悪の事態だ。弾けて四方に飛び散りながら全てを飲み込んでいくのに、咄嗟に人の体に戻り中空に飛び上がった義人だけがその場に残されてしまう。
「忠志ぃ!!!悌さん!!信哉さぁん!!!」
何が起きたか一言ては説明できない。弾けたものが三人を全て飲み込んで、しかも完全に地面も何もかもを失った状況で宙に浮いたままの義人ですら、上下乃感覚がわからなくなり始めている。避けたと思っていてもさっきの菜の花畑と同じでもしかしたら、渾沌の中に取り込まれていてもおかしくない。
忠志はわざと渾沌の怒りを誘って渾沌の口を隠す手を外させたのは分かっていた、分かっているけど義人はそんなやり方は本当は嫌だ。
目の前で握り潰されるようなことするなよ!
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