GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第八幕 異界

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唐突に自分の手が紅蓮の焔に包まれたのを不思議な気分で和希は見つめていた。熱くはない、まるで投影されているような鮮やかな真紅の焔。それはどちらかと言えば自分の手から吹き出したように見える焔で、音もなく一瞬で吹き出したのだった。握られた指先も暑さを感じていないのが分かるし、何故かこの焔が自分の体から吹き出しているのだと気がつく。

「これ……。」

思わず炎越しに金色の瞳を見つめると、その瞳に吸い込まれてしまいそうだ。強く激しく深い何かがそこにあって、それに無意識に引き込まれていく。
金色の瞳の向こうには一時では済まないほど長く続く時の流れがあって、それが勢いよく頭に流れ込む感覚に和希は目眩を感じた。自分が生まれてこれまれでの数十なんなんて、瞬き程度にしかならない程の長い時間。焔に投影されるようなそれが、勢いよく吹き出したかと思うと一瞬で目の前の青年の体に溶けて消えていく。

そうか借りたいのはこの焔なのか…………

すると突然全身が重く力が抜けて、眠気が襲ってくるのが分かった。そういえば肩の骨も外れていた筈なのに、この青年と話しているうちにその痛みも掻き消していて全身を包む疲労感だけが頭を支配していく。力を貸す必要があるのだろうかとボンヤリと考えると、彼等から全て受け取ったら彼等を返せないんだと聞こえるのに気がつく。

………………駄目だ……眠い、

意識を保てない程の強い眠気。約束は自分出迎えに行って帰ってくるなのにと、和希が眠気に抗いながら頭の中で言う。青年はそれを静かに金色の瞳で見つめていて、ここに来て騙されたのかと思考が微かに過ると、彼は静かに違うよと苦笑いして口を開く。

ちゃんと、返してあげるから、ここまで連れてきてあげるから待ってて。じゃないと…………

青年の言葉を聞き取ろうとするのに、そこで意識は限界と言いたげに途切れ和希はその場に崩れ落ちていたのだった。それを見つめながら、青年は深い悲し気な溜め息をつく。
誰もがそうだった。
触れてきた誰もが、誰かを取り戻せるなら自分の力を貸すことをまるで厭わない。それに返して、帰ってきてと必死に願い、真摯にそれぞれが思う。生粋の人間の中に根をはった、それ以外のものの人間とは別の力。それなのに互いの中にあるそれは大きく膨らんでも、時にそれに毒されることもなく純粋に人間らしさを失わない。勿論毒されて別人に変わるものもいるし、苗床になって朽ち果てるものもいる。苗床になり沢山の絶望を振り撒いて、沢山の苗床を新たに産み出した人間もいた。

人間の力に驚く。

力に振り回され飲まれていても、子供のために手を伸ばす男がいる。自分が貶めてその道を歩ませはしても誰にも殺させはしないと、息子を引き上げ生きる術を与えて逃がした。それなのに自分はもういいと枯れ果てて死んだ男がいたのを、今目の前で倒れている当の息子は殆んど忘れてしまっている。目の前の彼にしてみても力に振り回され飲み込まれて他人を傷つけるのに躊躇いもないのに、たった数人の人間を助けるために命を落としても構わないとこうして考えている。

人間は不思議だ。

見るつもりになればいくらでも見える。
奇妙なほどに人を惹き付け癒すことが出来る白虎の少女何時でも笑って大丈夫といい、麒麟児の家の子供を癒し無意識に人間に引き留めていた。青龍の妻になった女は青龍の復讐を計画してきたけれど、間の子達と接するうちに、復讐を辞めるよう間の子達に引き留められつつある。人間の部分が死んで完全な間の子として生まれ変わった女は、同じような境遇の人間と新たな縁を結びつつあった。
人間以外のものとは相容れないような顔をして、その癖人間という存在は何処までも柔軟に戸惑いもなく世界を広げていく。

自分やあれのように表か裏だけではない。人間は、強くて不思議だ。

それに命を惜しいとおもう生き物で、死にたがらないし、その癖大概が死にたがりだ。何度も死にたがるかと思えば死から必死に逃げ惑う人間もいるし、同じ人間でも同じことをして同じ答えを出すとも言えない。それに奇妙なほどに誰かの傍にいるために、生きることを見いだすものもいるのだ。性別や年も関係なく、種別すら越えて誰かと一緒にいようと願う。それを何故か自分は羨ましいとおもうし、どんなものかと経験をしてみたかった。そうして芽生えたものは互いに順集まり、新しい繋がりを産んでいく。

そうしたら、…………少しだけだが、自分にも理解できるようになった

楽しさや辛さや、様々な感情。欲望、恐れ、嫉妬、孤独、本当に言葉では言い表せない程の感情を人間はこの小さな体という殻の中に押し込めて生きている。それに驚くし同時に理解したら、以前と同じにはできなくなってしまった。

…………でも、全てを返してもらわないと、……自分は自分に生まれない…………

運命は皮肉で渡していたものを、全て受け取らないと自分の目的は果たされない。同時に果たされないからと自分の中に芽生えたものを捨て去ることも、今の自分には出来なくなってしまった。彼等の命を守りたいのは、彼等が自分に与えて作り出した感情だ。そして、運命をねじ曲げるためには、和希達のような僅かな破片を大きく育てているものが必要だった。

「…………行っちゃうの?」

不意にかけられたその声に青年は躊躇いがちに振り返る。そこにいるのは白銀の光を僅かに放つ友人の少女で、戸惑いながら泣きそうな瞳で自分を見つめて立ち尽くしていた。他の友人は眠りについたけれど、どうしても彼女は勘がよすぎて自分の思う通りにならない。

麻希子だもんな

思わずそう呟くと彼女は不満そうに約束覚えてる?と問いかける。本当はこの体はずっと過去に朽ち果てた麒麟児の肉体で、中にいるのは人間ではない自分だった。遥かに長い年に一度生まれ直して、新たに自分になる前の殻。それと約束を交わそうというおかしな少女、だけどその思いが暖かく自分を包むから自分は思わず笑う。

「約束ね?」
分かってる、この体じゃないけど、いつか必ず。

そういうと宮井麻希子は綺麗な瞳から大粒の涙を溢しながら、絶対大丈夫だよ、待ってるからと柔らかに微笑み手を降ったのだ。



※※※



ズズズ…………と、湖面から突き出た巨大な新生児の上半身。肌は奇妙に滑らかで色は黒い藍色がかっているし、その顔面には目鼻の窪みや唇の形はあるが穴は何一つ開いていない。しかもその背中には三対の翼が飛べないまでも、羽ばたき風を巻いている。腕は既に全容を表していて地面に突っ張り、体を持ち上げようとしている風に見えていた。顔だけで既にメートル単位の巨大な新生児がまるで辺りを見渡すようにグルリと頭を巡らせたかと思うと、突然ニィと唇を真横に引いて広角をあげる様はホラー映画さながらのおぞましさだ。

『わ、らってる?』

腔がないのに笑みを形作る唇にブルブルとその新生児の体が震えて、それに地響きが伴う。意図して笑うのか新生児の筋肉の動きでそう見えるものと同じなのかは、義人ですら判断がつかない。あからさまな攻撃行動がないから、身を捩り避けているものの対処に困る。

新生児…………。

何かが生まれ落ちる様を見ているのかと、異形の姿で後ろにジリジリと下がりながら信哉と悌順はそれを見上げていた。何故こんな形のとも思うが、強大すぎるそれは既に人外というには破格すぎる力の塊で四神といえども簡単には手の出しようがない。

これが地の底の主…………か?。

窮奇が暴露していた地の底の主がいると言う言葉。確かに今は知識の片鱗も見えず愚鈍に動いているが、これが自由な意思を持って頭上の自分達の暮らす世界に這い出てくるのだとしたら、モンスター映画なんてものじゃない。足掻き這い出すうちに既に腰骨が見え始めていて、後少ししたら尻の辺りが浮かび出しそうだ。戸惑いは信哉だけではなく、忠志も悌順も、勿論頭上を舞う義人も同じ。

『ど、どうする?』
『…………わ、からん。これに、何が…………。』

効果を示すかも分からないと呟く玄武に、不意にその新生児がクルーリと首を巡らせて顔を正面から向けた。カパと音をたて口を開くような窪みの動きに咄嗟に障壁を産み出したのは、それが音波のような絶叫を穴のない口から放ったと同時だった。

《ウアあアァアァアあぁ!!》

ビリビリと空間の空気が全て振動して暮明が深まり、手を出そうにもどうにも力が巨大すぎて自分達の力なんて消し飛んでしまいそうだ。逃げ出そうにもこの世界から逃げる手も浮かばない四人は呆然と、その雄叫びを聞きながらそれが何をしようとしているか見つめるしかない。

……こんな…………巨大な…………

今ここに香坂智美がいたとしたら、この光景が護法院の奥の間・拝謁の間に描かれていた銀光の絵そのままだと一目で理解できた筈だ。金の光しか見たことのない信哉や悌順、あの部屋にそう入る機会のなかった二人ではそれに気がつくこともない。ビリビリ震える空気に四方を囲む四神、そして巨大な新生児。しかもその新生児は手を振り上げて、更にもがき体を引き抜こうとしている。新生児の体が何の気を放っているかまるで読み解けないのは、あまりにも巨大で強すぎる力に何もかもが乱れ始めて義人の視界ですら
判別できない。

『これじゃまるで、混沌ですよ…………気がぐちゃぐちゃで目が眩む……見えないっ。』

《アあァア!!》

手が突然玩具でも見つけたように、宙を舞う龍の尾と朱雀の尾羽に延びる。咄嗟に飛び退きながらも眼球のないその目が自分達を認識し始めているのに、四人は背筋に冷たいものが走った。体を形成し始めて愚鈍だと思ったそれは、見る間に成熟し始めている気配がする。全てあの湖面から這い出した時には、自分達を玩具程度に扱える何かが生まれるかもしれない。それなのに何の手だてもないのが分かりきっていて、逃げる手だてもないのだ。この歪な体では何が弱点かも分からないし、弱点が分かったからといって攻撃できるかどうかもわからない。そう考えた瞬間、頭に何かが閃く感覚に信哉は低く呻きながらジリジリと後退る。

何が頭に引っ掛かった?

そう、自分の中に問いかけながら新生児の様子を見渡す。藍色がかった光に照らされるツルンとした肌、目鼻立ちは分かるが窩のない顔、三対の翼。ズブズブと音をたてて片方の足が出てきたのに、朱雀がつかみかかる手を避けながら足が出たと叫ぶ。

『信哉?!ボーッとするな!!』

足元が揺らぎ湖面が地面を引き込むのに、悌順が蛇の尾で虎の体を数メートル後ろに下がらせる。
四……
四神………
いくつも重なる四の文字。

『悌!四凶は何々だ?!』

唐突に張り上げた声に玄武の亀の黒々とした瞳が訳がわからんと言いたげに見開かれる。四凶、何故唐突にその問いかけなのか。

『ああ?!ええと、饕餮……窮奇……檮杌……。』

体育教師のわりに非常に読書家で中国史等も読んでいる悌順が慌てて思い浮かべながら答えるのに、義人が目を丸くし信哉はそれだと頭の中で繰り返す。この異様な怪異が起こり始めた時、随分仰々しい字を名乗ると思っていたが、それまで聞いたことのある八握脛や様々な名前とは違うと感じもした。全てがこれに集束するための、前段階なだけだとしたら。

『あとは、渾沌!』
《ぅああぁアアァア!!!》

まるで返事をするような雄叫びを挙げながら、二本目の足がまるで真逆の方向に地面にズボッと抜きあげられる。その足はまるで尻から逆向きに生えているかのように、背中に爪先を向けていて膝も背中に向いていた。
渾沌または混沌は、中国神話に登場する怪物で四凶の一つ。その名の通り、混沌(カオス)を司る。一説には犬のような姿で長い毛が生えており、爪の無い脚は熊に似ているともいう。目があるが見えず、耳もあるが聞こえない。脚はあるのだが、いつも自分の尻尾を咥えてグルグル回っているだけで前に進むことは無く、空を見ては笑っていたとされる。善人を忌み嫌い、悪人に媚びるという。
また他の一説では、頭に目、鼻、耳、口の七孔が無く、脚が六本と六枚の翼が生えた姿で現される場合もある。道教の世界においては、「鴻鈞道人(こうきんどうじん)」という名で擬人化され、明代の神怪小説封神演義ではこの名で登場した。
五行が生まれる前の根源の状態も等しく混沌と呼ばれる。つまりこの新生児の姿をしたものは、『渾沌』

《ふはぁあアぁあぁぁ。》

不意にそれが雄叫びではない声をあげたのに四人は目を見開き、空気が凍るのを感じ取った。


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