GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第八幕 異界

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鮮やかな黄色の花弁をけたてて駆けながら、それを信哉は見逃さなかった。一度目を潰した大蛇が奇妙な動きを見せたのだ。その大蛇が他の大蛇との間隔を測ることが出来ずに仲間に横腹を擦り、地面を這う瞬間に他のものより深く土を抉り込んでいく。それが自分が異装の裾で目を潰した一体だと気がついて、異常な程の再生能力でも眼球のような繊細な臓器を完全に再生するには僅かにタイムラグを生じるらしいといち早く気がつく。しかもよくあることだが再生能力が高すぎることと自分の感覚にほんの少しだがタイムラグがあるのに、東条はまだ幸いなことに気がついていない。それはほんの数秒から数十秒ていどの話だが、八十年以上も普通の人間の感覚で過ごして来てしかも一度は完全な老いまで経験している東条だ。新しい細胞がつくりあげられて蠢くのと自分の知覚神経が繋がるのに時差があるなんてまだ思いもよらないのだろうし、それがこの後もずっと続くなんて楽観視は信哉だってしない。それくらいの経験は重ねて当然の時間を生きてもいる信哉は、鋭く四肢を振るい八本の内の五本の首の眼球を含めて肉を虎の爪で抉り削る。

「はははは!何のつもりだ?白虎ぉ!皮一枚かぁ?!」

高らかに嗤う東条の声を無視して、向かってくる首の一つを骨ごと叩き折り他の一つの眼球を深々と腕まで食い込む程に貫く。引き抜いた腕にまとわりつく黒い血を一瞬で振り払い、自分の頭よりも二まわりも巨大な蛇の頭を力づくで蹴りつける。ところが息を微かに上げた信哉が残りの一つに躍りかかった瞬間、流石に最後の狙いを予期していた他の頭がその体をまるで車のバンパーのように音をたてて勢いよく撥ね飛ばした。ボコボコと泡立ちながら再生していく眼球の様子を睨みながら、地面に叩きつけられ転がるようにして信哉が唇から血を唾液と一緒に吐き出す。

「ふふ、ふはは、四神の体も案外脆いな。後、何度叩き付けられて生きていられるかな?」

口の中を切っただけと言ってやりたいところだが、実際には既に肋が折れて内蔵に刺さっているのはわかっている。しかも東条から距離を取りたくても、自分だけが狙いなのでは視界を落としても体力が尽きれば一貫の終わりなのもわかっていた。ただし眼球を悉く潰したお陰で、一つ分かったこともある。八本の首は眼があればそれぞれの動きをすることが可能でも、眼球と視力の再生の間は一つの司令塔が全ての首を操作してる。人生経験の長さとしては東条の八十年何年には叶わないだろうが、信哉は十一年もの間ずっと四神だった。四神として日々命懸けで生きてきたのだ。

梨央。

不意に頭の中に名前が浮かんだのに、信哉は思わず微かに微笑む。彼女はきっと自分が死んだら泣く。母が死んだのを知った時のように、彼女は自分のために声をあげて泣くに違いない。そうさせたくはないから梨央のために必ず生きて帰らなきゃと思うと同時に、これが大事な女に何時か害をなすものなら今ここで自分がこれを殲滅しておかないとならないとも思う。東条が自分の母と自分に固執してきたように、梨央と自分の関係を知れば東条は必ず梨央を傷つける。

大事な誰かを傷つけられたり奪われる位なら、自分の命をかけても構わない。

母や武や、優輝や想がそうしてきたように、自分だって四神になったあの日から何時かこうなると覚悟はしてきた筈だ。ただ違うのは今までは誰かのためではなかったけれど、母が自分のためと考えたように、武が母のためと考えたように、今の自分には梨央がいる。梨央を守るためなら自分は何でもする、そうひたすらに願う。

『俺は、お前はのような結末は許さない!』

白銀の異装が一際強く発光して、その全身がまるで白熱灯のように光を放ち、うねるような繊細な毛並みを揺らす。人間の体の四神は何度も見続けていただろうが、顕現した瑞獣の神々しい姿の四神を東条は始めてみた。常に研究所のガラス越しに、しかも常に押さえ込まれた人間の姿だけ。彼らの戦う姿すら見たことの無かった東条は息をのんで、その美しい毛並みを目に焼き付ける。

神々しい……

頭に浮かぶその言葉に何故か神経が一気にささくれだって八本のまだ目を取り戻しかねている蛇の頭が、一斉に同じ方向を向いて威嚇の嘶きをあげ牙を剥く。勢いをつけて八本の頭が襲いかかってくるのを銀色の光彩は、怯むことなく睨み据えていた。



※※※



不意に誰かに呼ばれたような気がして、孝は背後を振り返った。背後には既に暗く沈んだ森が鬱蒼と繁るだけで霧の影はどこにもないし、先を歩くふったちは既に足元が覚束なくて宮井麻希子は今は孝が、父・成孝が宇野衛を背負っている。自分の背には宮井がスヤスヤ眠っているが、呼ばれたのはその声ではなかった。周囲は灯り一つなく未だに電波圏外だと、『ロキ』と今は名乗っている孝の幼馴染みの実の叔母が深い溜め息をついている。不意に強くガサガサと梢が風にたなびき湿った水の臭いが流れてきて、立ち止まる孝の足元を撫でる。だが背後を見ている孝には、誰もまだ気がついていない。

「うう、ねぇさん……ヤバい……俺もう…………限界…………とびそう……。」
「せめて電波圏内まで頑張ってちょうだい、ここで倒れたら私じゃ運べないわよ……圏内に入ったら直ぐ惣一君呼ぶから。」
「ううう…………道、真っ直ぐ……歩いて…………あの坂降りれば、圏内…………。」

何でかこの灯りのない暗闇の中、ここが何処で何処に繋がっているのか完璧に理解できている様子のふったちが道のりの先を指差す。酔っているのか眠気が強すぎるのかという様相のふったちは、もう歩くことすら覚束ないとフラフラしていて母・杜幾子が心配して腕を支えてあげている。

「孝。」

不意に耳許で聞きなれた声がした気がして、孝はもう一度暗闇に目を凝らす。背に背負った麻希子の声ではない。その声は宇野衛や宇野智雪と顔立ちはよく似ているが、孝と同じ年で同じ高校に通い、同じ時間を過ごしている香坂智美の声。それに気がついて孝は思わず立ち止まり振り返っていた。

「孝。」

同時にその声はもう一人の同級生の声に聞こえて、孝は息を飲んだ。今更だが二人の声はよく似ていたんだと気がついた孝は、智美は兎も角何で澤江仁の声が聞こえるんだと戸惑う。暗い闇の中に響く風の強いざわめきと、水の気配、そして何処か遠くに感じる何か。そして友人の自分を呼ぶ声。

「え。」

ふったちが眠気に負けそうな意識の中で、孝の方に振り返る気配。だけどその時には既にその姿は闇の中に溶けるように、背に背負った宮井麻希子ごと掻き消していた。

「嘘だろ!待て!ハムちゃん!!」



※※※



コチコチとキーを叩く音が規則正しく続いていて室内には誰も一言も発しないし、それ以外の音は存在していない。構築された新しいプログラムで網目をはって、自分が捜している人間の該当者を検索。出来なければ新しいプログラムを構築、再度検索。それを何十回と繰り返しているのは、高校三年の青年にすぎない若瀬透だった。高校生に出来る事なんかたかが知れている、そんなことは充分理解しているが、世の中には時にはそれを乗り越えるような事も起きる。それを知ったのは彼が親友と出会って、不思議な現象を経験したからだ。

《やぁ、トール。ロキは音信不通なのかい?》

その言葉は友人のロキが打ち込んだものではない。ロキはAIのふりをして交流をしている歴とした人間なのは実は既に知っているが、世の中には公にしない方がいいこともあるからあえて追求していないだけだった。今会話しているのはロキとは違う、トールが産み出した完全な架空世界の産物。プログラムを何度も構築するには、トール一人では時間が足りないから彼の力を借りるしかなかった。それでも智美は中々見つけ出せないで、こんなに時間がすぎてしまったのだ。

「ロキの居場所はわかる?」
《端末位置情報が圏外ギリギリにいる。随分遠いな。予想と反対だ。》

ロキとの交流のようにトールは話しかけているが、実際にはロキとは違う。今話している彼はロキのように、キータッチで会話をしている訳ではないのだ。それにしても想定では端末が切れてから移動しても半径十キロ単位で想定していたのに、ロキの端末はどうやら数百キロ単位で北に移動したという。端末の位置移動だけだとしても数時間では、例え車を使っても移動するのが無理な範疇。でも現実にそれが起こっているのは明らかで、ロキの端末は唐突に二時間もかけずに移動した。

「最短だと何時間?」
《日中なら四時間。今からだと始発待ちか自家用車で七時間》
「それを二時間で移動する方法はある?」
《ヘリコプターとか飛行機なら可能性はあるけど、天候的に無理ゲー》

ロキが最後に端末を起動していた地区は集中豪雨と雷、しかも濃霧が発生して飛行は不可能だったのは既に確認済みだ。場所どころかロキが何を調べていたかも承知の上だとトールが答えたら、ロキはトールと二度と会話してくれないかもしれない。それでも何かが起きてロキが困っているかもしれないから、トールはロキの仲間にその情報を意図してリークするように彼に頼む。

《リークしても、辿り着くまで最短で七時間はかかる。》
「それでも頼むよ、友達だから。」
《了解。》

彼が手慣れた方法で網の目を掻い潜るのを眺めながら、透は溜め息をつく。辺鄙な組織があって、そこに智美が関わっているのは分かったし、現状世の中までそれに関連した騒ぎで大騒動になっていた。智美が管理していた組織が内部崩壊して、頭が代わった途端崩壊は外に向かって広がりだしていく。しかも関係していた政治家は暴れだすし、それに関連した暴動まで透の幼馴染みの実家の辺りで起きている。

「透。」

考え込んでいた意識が不意にその声に引き寄せられた。電話ではないし、直に聞いた訳ではない。だけどその声は透にとっては大事な友人の声で、しかも目の前のモニターの中から聞こえていた。

「透。」

探し回ってどうやらロキが見つけた施設に軟禁されているところまでは突き止めた透の友人。方法?簡単だ、プログラムを構築して年代・容姿・身長、後は歩行に障害を持つなんて限定しやすい対象者を探した。勿論それだけでは対象は万単位でいるが、そこに更に性別、体重、髪の色、眼鏡とドンドン条件を足していく。区域、期間、出没時期、移動手段、同伴者、耳を澄まして沢山の情報を構築していくのだ。智美が普段乗ることのある車、智美の家が分かればそこからでた車、その車から降りたり乗ったりした人間の顔。どうやって?それは彼が全てを照合してくれる。その彼が今予期せぬ事態にフリーズしている。

《……る、はっく……さ、……しゃ……うん……》
「透。…………力を貸してくれないか?」

突然彼の声を断ち切って、もう一人の大事な友人の声が室内に響く。智美と同時期に連絡を断ったままの透の友人の声。まるで目の前で話しているように鮮明に澤江仁は透に話しかけ、そして不思議なことにモニター越しに手を伸ばしてきた。透は思わずその友人の事を見つめて、今まで何やってたんだよと問いかけながら差し出された手を握り返す。今度は何処に遊びにいこうか?今度は何処のチャレンジメニューにいく?まだ、ラーメン屋の次のチャレンジも残してるしと透が言うと、仁は楽しそうに分かってるよと答える。でも、その前に力を貸して欲しいんだと仁は暢気に何時ものように笑う。僕の力ると問い返すとそう、後、麻希子と孝と和希にも力を借りるんだと言う。こんな風に素直に何でも言えるのは仁が仁だからで……それにしても、和希って誰?と問い返すと、仁は説明出来ないみたいに首を傾げる。説明出来ない相手じゃなく出来る相手にしたらいいのにと言うと、そうだよなぁなんて仁は暢気に笑って歩き出す。

「透ちゃん?」

物音に気がついた母親がドアをノックして恐る恐るドアを開く。
ここ最近息子は急激に学力が高くなったが、同時にあまり以前のように素直には母親の言葉を聞かなくなっていた。時には正論で完全に言い返されてやり込められて、夫や義理の父、それに長女からも透はそういう時期だよと言われてしまう。

反抗期だよ、遅いくらいじゃないか。
今のうちに少し位反抗しないと、後が大変よ?母さん。
大人しすぎる位だったから、良かったじゃないか。

次女にも散々振り回されているのに、いい子だった息子にまで反抗されて、しかも他の身内はそれでいいと言う。渋々少し干渉を控えているが母親としては何が起こっているかわからないでいるのだ。とは言え開いたドアの先には真っ暗な室内があるだけで、パソコンどころか当に眠っているらしく電気の一つもついてない。暗がりのベットには眠っているような影が盛り上がっていて返事もないのに、母親は物音が気のせいだったのかと首を傾げながらそっとドアを閉じる。もし近寄ればそれがただの寝具の盛り上がりだと気がついただろうが、母親はそこまではしないままやがて遠ざかっていった。
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