GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第七幕 所在不明

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何かに呼ばれたと感じて振り返った瞬間、ザアッと周囲を囲む霧が意図的に動いたのを確かに智美は見ていた。まるで乳白色の巨大な手が智美の事を握り込もうとするみたいに、いきなり視界が真っ白に変わって襲いかかってくる。隣にいた礼慈が咄嗟に智美の腕をとり、同時に背後にいた多賀亜希子の手を取らなかったら、恐らく智美はそのまま一人で濃い霧に飲み込まれていたに違いない。
霧を纏った風が通り過ぎるのに亜希子が軽く顔をしかめ、自分が左手を握り連れてきていた和希の様子を確認してから溜め息をつく。そして腕をとっていた礼慈が、驚いたように辺りを見渡す。

「……はぐれた…………?」

そう、ほんの一瞬の事なのに目の前を歩いていた筈の、ふったちや『ロキ』、そして真見塚一家も宮井麻希子達ももう今は完全に見えない。咄嗟に腕を掴んだ人間だけを残して、この乳白色の世界にいるのは四人だけになってしまっている。例え霧がどんなに濃いとしても、ほんの数メートルしか離れていない筈の彼らの歩く音すら全く耳に入らないのだ。一瞬気を失っていたんじゃないかと、思うほど完全に一緒にいた筈の気配は掻き消してしまった。そうして一際濃い霧が更にジワジワと地を這うように、忍び寄ってきて間隔を詰め四人を取り巻きだしている。それを眺めた亜希子が辺りを見渡す。

「仕方ないわ……、……道を探すから待って。」

ヒョウと辺りに向かって一哭きした亜希子に、少なくとも道を探せる人間がこちらにもいるのに礼慈が安堵するとそうじゃないと彼女はいう。

「私はどちらも一緒には、出来ないのよ。」

亜希子は溜め息混じりに霧の中で呟く。道を探すか追っ手を散らすだけ、流石にそういない筈の鵺の間の子と言えど全てに万能ではない。しかも霧は更に濃くなって四人を今にも飲み込もうとしているのに、その中を散らすことなく逃げるのは困難にもほどがある。ところが霧の中の道を探すため眼を凝らそうとした亜希子は、何かに気がついたように礼慈の隣の青年に眉を潜めた。それに気がついた礼慈も腕をとったまま、黙り込んで何も言わない智美の顔を覗き込む。

「…………智美さん?」

何気なく覗き込んだ瞳が、見たことのない色に輝いている。普段の色素の薄い紅茶色にも見える知性的に輝くだけだった智美の瞳が黄金の塊のような目映い輝きを渦のように巻いて、その瞳には何故か思考の欠片も見当たらない。まるで眠っているようなその瞳に、礼慈は息をのみ、亜希子は戸惑うように僅かに後退る。手を離してはいけないと分かっているがどうしてもこの気配から逃げ出したくなる自分の中の存在を感じとると、同時に周囲を取り巻いていたモノ達も怯えて引いていく。

「智美さん……は?」
「……その子も…………何かの間の子?」

思わずそうアキコが聞いてしまう、周囲のモノが怯える程の何か。
この濃い霧の中に潜んでいるのは、自分のような間の子ではなく化生。つまりは人の姿形に化けることは可能だが、その根幹は人食いの化け物で、それらは人間にはまるで恐怖を感じない。人間は自分達にとって餌だからだし、間の子ですら餌にされてしまう。それらが恐れるのは基本的に自分より強いものだけで、例えば群れのリーダーや力の強い種族・後は食うと後が面倒臭い種族くらいか。例えば同じ属性でも雪童と雪女では、雪女の方が勝るし、雪女より雪婆の方が恐ろしい。例えば食ったことで障りが出るようなモノは化生達だって、面倒だから食ったりしないものだ。
そんな固められた独自の関係性はルールみたいなもので、本能的にそれを察知する辺りは野性動物と何も変わらないのだ。ところが目の前の青年は、ほんの一寸前までそんな気配は微塵も感じなかった。それなのに気配だけで化生が怯えて散り始めている。霧の中に集まっていた化生の中には鵺の亜希子よりも強いものもいて、だから亜希子では散らしきれなかったのに。

「亜希子。」

亜希子の右手が軽く握られ、青ざめた顔をした和希が低く呻くように呟く。霧は礼慈を始めに亜希子の視界も幾分遮るが、本能的に肌でなにかを感じている和希が辺りの変化に堪えきれず視線を上げたのだ。辺りの霧は乳白色から光を含んだ白さを増し始めている。霧の向こうはどんよりと暗く垂れ込めた夜の空の筈だが、その白さはまるで朝の光をタップリと含んだ霧のように辺りを明るく染め始めていた。 



※※※



プチリと蒔いてあった種が弾けて、そこから蜜のように力が流れ込んでくる。善人の中にすら必ず悪意があって、そこに蒔かれていた種は時間をかけて発芽して花開き最後に弾け飛ぶ。種が芽吹くための肥料は『欲』だった。それらはすべからく欲にまみれていると言うと、大概は少しでも知恵があると自負する種はそんなことはないと反論するのだ。

私はそんな欲望に流されたりはしません

平然とそう口にする人間は何人もいるが、そんな生き物は存在しない。何もかも欲がなければ生きられないのだ。空気を吸う事ですら欲で、何かをしたいと思うことは全て欲であって、他の何ものでもない。食べる・寝る・睦あう、何ものも全て欲の虜で、欲無しには生きられないのだと、何故か認めたがらないのが知恵というもののようだ。そしてその欲が一番の濃い命の気配を放ち血の中に巡るのが、それが自分にとっては最大のご馳走になる。蒔いておいた種がその血潮に浸り、美しい花を咲かせて、やがて弾けていく。そうして自分に罪悪感や苦痛、怨み、そんな冷えて凍るエネルギーになって落ちてくるのだ。

長き時だった

生まれてから数えきれないほどの時間。時間というのすら飽きる程の長い長い時を過ごしていた場所から声もなく嗤いながら、上を見続けて来たのだった。頭上の流れは欲にまみれたモノたちの営みで、次第に緩み始めている。それに気がつかないまま、人間はそれを何時までも止めようとはしなかった。

飽和状態にあれば……気がつきもしないのだろうな……

欲で切り裂かれて塞き止められ、そしてそれをなんとか正そうとするものを隔離して静止した。お陰で幾つもの穴が地上にあき、同時に『とうじょう』というモノが深い穴を穿ち要を一つ呑みこんだ。愚かなものは欲にまみれて力の塊を飲み込んだから、まるで童が蛙の腹を膨らませ破裂させるように無惨に破裂した。力の塊が残った塊と、弾けた身とそれぞれに『とうじょう』が幾分か残ったのは愉快だった。
そして今や頭上の星のような流れはほぼ停滞して、鈍くチカチカと光が瞬くだけ。同時に低く低く天は落ちてきて、時がやって来たのを告げる。それを知ってその中の大きな光に力を伸ばしてみると、それは脆くも包み込んだ雲のような力の中で粉微塵に砕けて辺りに降り注いだ。

ズズズ……

体を構成する形を探してみるが、余りにも長い年月この揺蕩う淀みとなっていたせいか上手く組み上げられない。眼も鼻も口も耳の穴も、どんな風に作り上げられているか思い出せないから、適当にそれらしく見えるようにしておくだけ。それに体には三対も翼と足とを作り上げて、面倒になって諦めてしまった。その体には犬のような毛が一部生え、作り上げた足はまるで爪のない熊のようだ。どうも気に入った形は難しいが、何時かは気に入ったものができるに違いない。今慌てて作るほどのものではないと、それは考え直し体裁をとるのを後回しにしたのだ。
それには知識と知恵があった。それに知能も。不定形に見えるし、中途半端な造形とノンビリした動作で愚鈍に見えかねないが、本質は何よりも狡猾で機知に富んでいるモノ。長い年月積み上げてきたものを刈り取って、それはここから這い出そうと体を動かし始めている。



※※※



「はぐれた?!」

ふったちが呆気に取られた声で言う。
気がついたらその場にいるのはふったち・宮井麻希子・真見塚孝・宇野衛・真見塚夫妻と『ロキ』の七人だけ。その後ろにいた筈の鵺の間の子を含めて四人が煙のように消えたと宇野衛を背負った真見塚孝に言われ、ふったちが何時もの方法で振り返ってみれば確かに言われた通りだった。咄嗟に探しに戻ろうとする血気盛んな高校生を引き留めると、なんでと当然のように食って掛かられてしまう。勿論探しにいきたいのはふったちにだって理解できるが、今は頼むからやめて欲しい。

「正しい道からでないと出れねぇんだって。ここは境界なんだよ、あっちには鵺のねぇさんがいるから任せるしかない。俺だって後一寸しかもたないんだ、早くでないと。」

その言葉に孝が目を丸くする。ふったちは既に普段の何倍も『経立』の力を使ってしまっている。普段なら僅かに闇夜で振り返った相手を喰うぐらいで、こんなに大量にゲテモノとはいえ腹に納めるなんて珍しい。しかも、こんなに大勢にふったちの素性をバラして、今後人間としてのふったちの生活自体危うくて不安なのだ。以前電車一車両分の化生を腹に納めた時には半日以上記憶がぶっ飛んだから、今回は久々に月単位で記憶がなくなる可能性は高い。しかも今は何とか霧の中だからと堪えているものの、本当は腹がくちくて眠たくて仕方がないのだ。勿論流石にふったちといってもこの霧の中で寝たりしたら、流石に二度と町に戻ることが出来ないのは目に見えている。せめてこの霧を抜け出さないと、七人全員路頭に迷わせて、自分も食われておしまいなんてエンドロールになるわけで、流石にそれは御免被りたい。少なくとも霧から抜け出して自分はまた引っ越すとしても、何人かは助けておきたいのが人情ってもので。親戚を大事にする土地に生まれた人間の面もあるふったちとしては、なるべくなら背負っている彼女を含めて顔見知りは助けてやりたい。ここでふったちが寝てしまったら霧からは抜け出す道は普通の人間には見えない筈だし、自分の余力もあまりないのを丁寧に説明すると孝は戸惑うように辺りを見渡す。

「あっちには俺よか目の良い鵺がいるし、鵺のねぇさんはあの感じだと嫌な奴じゃなさそうだから……一先ずここだけは抜けさせてくれないか?ミニハム君もハムちゃんも連れてかなきゃなんないし。」

そう言うと孝は自分が背負っている幼い少年を思い出したように俯く。その姿に友達を思いやるのと同時に背中に背負った少年の命も預かっているのを思い出したようだ。しかも背後には自分の両親もいる訳だし。苦悩する青年に真面目だなぁと染々考えながら、それでも霧の中を再び進み出すと足元の感触が更に変化していくのにふったちは目を細めた。だいぶ離されていると足の裏で感じ取れるのは、自分が間の子だからだ。恐らく他の歩いている四人は変化までは気がつかないに違いない。

どうやら、あの場所に無理矢理繋げられたみたいから、霧の方は逃げたいみたいだ。

恐らく霧が強い陰というか闇の力に惹き付けられて遥々呼ばれたのは事実だが、霧の中のもの達は望んで来たわけではないようでさっきまではウロウロしていた気配は既に遠退き消えていく。というより鵺の方に寄っていた可能性はなくはないが、と密かに考えもする。
実際には『経立』より『鵺』の方がレア度も高ければ力も強い。何せ『経立』は所謂年を重ねた生き物の成の果ててで、種類も多ければ数も多い。ふったちのような古くから続く因縁がある経立家系でもなければ、大概はさほど強い力も持たないものだ。だから霧の中の化生にしてみれば対して人間と変わらないモノなのだ。その点鵺の方は滅多に同類の中にも姿はないし、鵺の間の子なんて尚更いない。何しろ鵺は哭くと人に病をもたらすし、見ると死ぬモノもいるような奴なのだ。
しかも鵺の方にはあの正体が何だか分からない若い兄さんとか、妙な目をもつ黒髪の兄さんとか少し特殊な人間ばかり固まっているから、霧の中のほうも興味津々で、こっちは高々人間と『経立』の間の子と放置されている可能性もなくない。

ザリッ

足の下が砂利混じりの土を踏んだ瞬間、ザアッと霧が左右に流れ始めていく。驚くほどに早いまるで映像のはや回しを見ているかのように、霧が左右に別れて背後に吸い寄せられ地面を走って消えていくのをふったち以外の全員がポカーンとしてみている。はぁーっと深い溜め息をついて辺りを見渡したふったちが、宮井麻希子を背負い直して呆れたように呟く。

「じゃ…………なんたら…………ほずぁねぇなぁ……。」

そして再びの深い溜め息。聞きなれない言葉を呟くふったちは、こっちだと言うと当然のように歩き始めて、目の前に続く道を慣れた風に進み始める。いつの間にか頭上には大きな赤く見える満月が浮かび、周囲は呆れるほどの緑に包まれた夜道に代わり始めていた。

「こ、ここは?」

周囲のあまりの変容に唖然としたように問いかけてくる成孝の声に、ふったちはもう少し下れば里に出ると疲労困憊の声で答えていた。

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