GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第七幕 沿岸部研究施設内

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どす黒い雲は更に低く垂れ込めて、頭上でまるで渦を巻いているようだ。何かに引き寄せられそんな動きをしているのは何と無く理解できなくはないが、それが何なのかを一言で説明するのは難しい。遠目にはまるで竜巻が怒る寸前にも見えなくもないが、夜の闇の中そちらに視線を向けている人間がいながったのは、実はその周囲で突然の豪雨が路面を叩きつけ初めていたからだ。誰もが建物の中に籠り雨が通りすぎるのを待っていたが、まるで縫い止められているようにそこから雨雲は動こうとしない。しかもそれは完全に局地的で、花街や普段彼らが生活している地域までは及んでいなかった。つまり沿岸部のこの施設を中心にドーナツのような、奇妙な分布で雨が降り続けている。
それに亜希子は辺りの風を見ながら気がつく。まるで水のカーテンで隠しているように強い雨が降り続け、地表の熱と海の海面との温度差で蒸気になって靄を作り出し始めていた。それが霧になって、更に見える筈の視界を奪っていくのを感じる。

ヒョウ……

思わず本能的に哭き声を溢してしまってから、口元をソッと押さえて辺りの気配を見据えた。

霧が来る

生まれ育った土地のように、海際で暮らした土地のように、境界線を消すために深くて重い霧が生まれ始めている。生まれ育った土地でなら当然でたいしたことのない現象でも、今ここで起こるのはあまり好ましくはない。ここで作為的に起こされて、人間との世界の境界線をぼやかすのは、互いにとってもいいこととは思えないのだ。共生できるなら兎も角元々こちらと向こうは別の世界なのだから、相容れないのは当然。
そんなことを考えながら高校生二人が唖然としている場所に建物の中から駆け出してきた、恐らく同じく土地から来たらしい青年に気がつく。

向こうも……間の子………………嫌だわ、こんなとこでこんなに顔を合わせるなんて

相手も自分を見た瞬間に同じことを考えているのが、ピンとくるのが更に不快ではある。しかも系統が似ていて目敏い種族同士らしく互いが何なのか大体わかってしまう。向こうは経立、こっちは鵺。どちらにしても余り仲の言い訳でもないし、元々種族が違えば仲良くすることは殆どないのが土地の習わしだ。
とはいえ青年が担いで出てきた二人の人間の姿に建物の入り口で鉢合わせた面々にそれぞれが呆気にとられたのはやむを得ない。と言うのも何しろ誰もがこんな場所で顔を会わせる筈がないと、互いに考えている面々という様子なのだ。後から和希と共に出てきた女性ですら、高校生達は顔見知りの知り合いらしい。目の前で間の子の青年が溜め息混じりにその女性に呟く。

「なんで、こんなにここにいんの……?ねぇさん……。」
「やぁねぇ……全員ここに集めてるって言ったでしょ?」
「それは聞いたけどさぁ……。」

確かにここに来る前に探している相手は全部ここにいるに違いないと『ロキ』はふったちに口にしたけれど、こんなにもろに顔を合わせると流石にふったちの方も、なんで自分が目下知り合いの女子高生と小学生を抱えているのか説明に困ってしまう。それに今後の生活がしにくくなると内心考えもする。

「なんで宮井が……?」
「地下にいた。」
「和希!あなたその手!」

そう全員の後ろから告げた姿に一緒にいた亜希子が血相を変えて飛び付いて、しかも手早く肩の関節まで一瞥で確認した上で脱臼してるわとアッサリ診断している。放っておくとここでお説教が始まりそうな気配に、『ロキ』は一先ず敷地からでてほしいんだけどと疲労困憊で呟く。

「敷地から?」
「四神にもし逃げるんなら、地下施設ぶち抜いてでも出ろって言ってあるの。ここも崩壊したら底が抜けるかもしれないから、出来たらさっさと敷地から出て。」
「そうね、不定形のモノは敷地からは出れないみたいだし。」

当然のように彼女らが口にする言葉に、まさにここから地下に向かおうとしていた智美は目を丸くする。

「それに地下は段々と無酸素に近くなるから、普通の人間は残ってられないわよ?式読?」

そう言いながらニッと笑って見せる彼女が誰なのか智美は直ぐに気がついたようで、その名前は忌々しいから東条にくれてやったと智美が不機嫌に呟くと、あの馬鹿じゃ無理でしょと『ロキ』は苦笑いする。

「少なくとも地盤沈下に巻き込まれるくらいなら、霧の方が少しは対応できるかもしれないわ。」

一瞬和やかに変わりかけていた空気の中で気遣わしげに告げた亜希子に、ふったちも周囲の変化に気がついたように辺りに立ち込め始めている濃い霧に視線を向けていた。



※※※



既にざっと駆けながら見てきたが、辺りには死の気配が漂い、実験動物がいたとしても今も生きているような気配もない。
辿り着いたその空間の中は、一際濃いゲートの腐臭と血生臭さに溢れかえっていた。とはいえ何処かに血液が飛び散っている様子はなく、そこはただの空間。広く体育館ほどもある空間に真っ黒な深淵の縁が覗いていて、周囲に蠢く不定形生物は底から吹き出す腐敗臭に酔ったようにモゴモゴと蠢いている。床に点在する不定形生物が人外なのは分かるが、知性もなくただ臭いに酔いながら血の臭いを漂わせていた。

恐らく……人間を食ったってことだろうな……。

知性のない矮小なモノにしては体がどれも大きいから、かなり潤沢に血を飲んだのだけはわかる。だか、やはり立ち尽くした悌順の視界にあるのはそれだけで、そこには人外どころか忠志も義人の姿もない。僅かに浄化された気の気配にここに二人のいた気配を感じはするが、それは確かにゲートに向けて尾をひいて消え去っている。

本気で……引きずり込まれたのか…………?

不定形生物の一部が悌順に気がついて、ノロノロと這い寄ってきているのにも悌順はピクリともしない。今までそんなことが起きたなんて話は聞いたことがないし、あったとしても戻ってきた人間がいるとも聞いたことがない。無意識に飛び掛かってきた不定形を吹き飛ばしながら、悌順はこの事態をどうするべきなのか悩んでいた。助けにいきたい自分と行きたくない自分が確かにいる。

くそ……、どうしたら

助けにいくべきなのは分かっているし、この縁を乗り越えて二人を見つけて戻ってくるだけ。それだけの事なのだと考えるのに、足が進まないのは純粋な恐怖心からだ。覚悟はしていても突きつけられて初めて恐怖に飲まれるのは、心の中に他に浮かぶ相手が出来てしまったからだった。同時にまるで気配を感じ取れない信哉はどうしたんだろうとも考える。

《…………た、……》

不意にその声に我に帰った悌順は自分を囲む不定形生物を見渡す。まるで知性もないと考えていたそれは、何か擦れ合わせるような音をたてて言葉を形成しようとしていた。

《……はら、……がへった……。》

モゴモゴとくぐもった声は嗄れ掠れた憐れな老人の声で、悌順は直ぐ様それが誰の声なのか聞き分けていた。自分達を化け物と蔑み続け、自分達を実験動物のように扱ってきた男。それでも根本的な目的は、人間に何らかの有益な結果をみいだそうとはしていた筈だった。
東条巌。
その結末が不定形の知能のない塊。老いぼれて枯れ果てて脳細胞まで失い始めていた男が、必死に何かに縋りついて辿り着いたのが骨格すら持たないこの姿。憐れな末路の姿に思わず悌順は、呆然と辺りを見渡す。木崎蒼子や雲英は人間の体が変質して空を破るように人外が姿を表したか、東条は同じにはならなかったのだろうかと辺りの不定形生物を見渡した。不定形生物が分裂して増えたのか東条が弾けて飛び散ったのかは分からないが、だがここには別に何かもう一つの気配の元になる何かがいた筈だ。

《はらが……へった……、なにかくわない……と……。》

それは東条の声を持つこれとは別なモノだった筈。でなければ、二人を引きずり込める程の力があるとは思えない。それに信哉は一体何処に消えてしまったのだろう。捕まらずに潜伏したとしたら即このゲートの気配には気がつくだろうし、何より他の二人が捕まるのをみすみす見逃す筈がない。

《なにか……》
《ちえ……が、》
《なにか、くわないと》

ゾロリと周囲が蠢きながら飛びかかってくるかと考えた瞬間、何故かそれらは一塊に集まり始めて互いに絡み付き消化を始める。醜い共食いを始めた姿に呆れながら悌順は、放置するのもと深い溜め息をついた。ところが共食いで集まり始めたそれが、一つの形を形成しようとしているのに気がつく。

もしかして……少しは知能のある人外に変わるか…………。

恐らく何人も人間を食い散らかしているに違いない東条の成の果てが、一つの形を形成しようと共食いを重ねていく。何時までも共食いを見守るのも憐れだと悌順が手を翳した途端、それは不意に悌順の動きを察したように何かの形に急に結び付いた。

《…………玄武。》

一瞬悌順の動きが凍る。どれだけこいつらは人の心を踏みにじれば気がすむのだろう、結局はあの間の子の青年が言う通り人間も人外も大差がないのだと今は痛いほどによく分かってしまった。人間がただ住みやすくした環境に捕食者として存在しただけで、共存すら可能だった土地まである。何故人との間に子供を作ったのかは理解できないが、それでも民話がそれと信じるなら感情を持ち得たものがいたと言うことか。なら、もしかしたら自分達も間の子というものなのか。
哀しく胸を刺すような思考に目の前の成の果てが見せる姿が、自分を真っ直ぐに見つめている。

《……玄武。》

あれは彼ではない。頭ではそう分かっていてもその声は彼を失った時そのままに聞こえて、自分が未熟だったせいで彼を傷つけてしまった過去に心が折れそうになる。それを知っていてわざとその姿を東条の成の果てがとるのだとしたら、人間も人外も大差がないとしか言えなくなってしまう。

「黙れよ……その人の姿で……喋んな…………。」
《…………玄武。》
「これ以上武兄の声で喋んな!!糞爺い!!」

怒鳴り声をあげた瞬間、室内に突然の豪雨が流れ込むように水圧がかかる。何もかも押し流して、焼け残った体を繋ぎ弄ばれた自分達の先代達の死人の体も、自分達を閉じ込めた部屋も通路の何もかもを清廉な水流が満ちて渦を巻く。生き物の気配がなくて何よりだと言うしかない勢いで水が満たされ、通路を逆流していくのに目の前の五代武の形を真似たモノは驚愕に足掻いた。水流は不定形の体を引きちぎり細切れに押し流していく上に、少なくなりつつあった空気自体を飲み込んで水中に沈んでいく。水流が空間に満たされて何処に何があるのかが逆に手に取るように分かり、地下には生きているモノどころかやはり仲間達の存在すらないのが胸に刺さる。

絶対帰ると言えない、あの先にいってどうなるか

分かっている。分かっていても行かなくてはならないということも。ここに信哉がいない理由はまだ分からないが、少なくとも忠志と義人は目の前のゲートに引きずり込まれた。水で完全に地下にある空間を満たしても、目の前のゲートの先には自分の水はまるで通っていかないでいる。だから、悌順にもこの先はどんな状況なのかまるで感じ取れないし、あの向こうはこの世界とはまるで違うのだ。分かっている、分かっているけど行かないと、大事な従弟や仲間を失う。でも、もしかしたら、自分もそのまま帰ってこれない。

香苗

心の中でまるで花のように笑顔が咲くのを感じながら、悌順は決心したように黒く光る瞳でそこに視線を向ける。水流の中を飛ぶようにして近づいたゲートの深淵の縁を見下ろすと、悌順はそのまま闇に向かって身を沈めていた。



※※※



敷地から足を踏み出した途端、鈍い地響きがして唐突に周囲の敷地の色々な場所から清んだ水が溢れだしたのに彼らは息を飲んだ。まるで水道管が破裂でもしたのかという勢いで、場所に寄っては圧力がかかるのか噴水のように水を吹き出している。

「通風口やなにかを逆流してるのね。」

『ロキ』の言葉に智美はあの時院の拝謁の間で溺れかけたのは、あれでも十分に手加減されていたのに気がつく。広大な地下施設全部を水だけで満たして、尚且つ施設の設備を破壊して間で逆流しあっという間に地表に吹き出しているのだ。これで中に入っていたら確実に溺死していたと気がついて、他に人間は居なかったろうかと微かに不安さえ覚える。

「殆ど無人よ、式読。人間や生き物は皆無。」
「式読はやめてくれ、もう僕はただの香坂智美でしかない、ロキ。」
「どうかしらね、名前だけの存在なら、とうにとられてておかしくないでしょ。」

確かに式読の名前は香坂の家にしか与えられないから、何人もの血族がこれを継いできた。でも院の建物もなくなり守るべき組織もなく、残ったのは廃墟と街や社会の騒動だけだ。その責任を負えというのは、余りにも理不尽すぎはしないだろうか。

「ねぇさん、ヤバいかも。」

話を遮るようにふったちが声を潜め話しかけ、何がと視線を向けるとふったちと同じく亜希子も険しい顔で辺りを見渡している。そしてその視界の先にはまるで壁のように、乳白色の霧が音もなく迫り始めていた。


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