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第三部
第六幕 沿岸部研究施設・地下
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忠志と義人の二人がかりで表面を幾ら切り裂き焼き付くしても、それは傷つけられた部分を自分自身で食い付くして更に膨らむ。元が東条巌だとして木気から生まれて人外になったという想定ではあるが、二人が相剋の金気でないのは事実としてもこれ程までに攻撃を無効化されているのには唖然としてしまう。しかも時々まるでこちらを取り込もうとするみたいに、手を伸ばして来る行動には知性の欠片も見当たらない。
「くっそ!燃えてんだろぉ!!」
しかも義人の目でもこれの中心の核ようなものがあるかも分からないから、悪戯に消耗し続けている気がする。苛立ちながら二人で咄嗟にグルリと回り込み肉塊の背後のゲートから閉じるように方向性を変更した途端、肉塊はブルリと全体を震わせた。
「あ?!」
「くそっ!」
知性はないと踏んでいたのに肉塊は二人の動きに反応して、その体を滑らせるとゲート自体の真上に乗り出す。どうせならそのままその巨大な体でゲートを塞いでしまえばいいのに、忌々しいことにその肉塊を透過して吹き上げる空気は溢れ続ける。呆れ返るような状況でそれでも二人に手を伸ばして、引き込もうとするように蠢く姿はまるで攻撃を感じてないとしか思えない。
「あーっ!もうっ!なんなんだ!こいつっ!!腹立つ!」
火焔で焼いてもどうしようもないのに気がついた忠志が汚泥めいた悪臭を炎で散らしながら叫ぶのに、義人も困惑の表情で青い瞳を凝らして相手のことを見定めようとする。生々しく蠢く肉塊はモゴモゴと蠢きながら辺りの血を舐めとり、ゲートからの空気を浴びて歓喜に震えているように見えた。どんなに見透かしても弱点になりそうな核のように力の集中する機関や血管のように走る力の流れが一つも見えない肉塊に、義人はこれはなんと表現するべきなのかと小さく舌打ちしてしまう。
常識で表現できるモノではないのは分かっているが、それでも今までの人外なら僅かでも力の流れのような物が感じられた。でも目の前の肉塊はまるでそれが感じられない、まるでこれで一つ、そういいたげな状態なのだ。
これで一つ、細胞が一つ、まだ分岐もしていない、最初。
頭で何気なくそう考えた瞬間、背筋に悪寒が走る。これが最初の一つ目の細胞だとしたら、これが内包しているのはもしかして自分達より遥かに上の力と言えなくはないだろうか。もし、これを卵のような卵子のようなものだとしたら。
これが孵化したら自分達は駄目かもしれない。
僅かな絶望が忍び寄るのを無理矢理振り払って、義人は肉塊の奥を見定めようと意識を集中し直していた。
※※※
室内にあるのは簡易なパイプベットだけで、テレビもなにもおかれていない。冷蔵庫一つおかない上に、書籍もなし。その癖遮蔽され空調は一定の間隔で動いてはいるものの、温度調整もされない。別段温度調整の必要な体ではないとはいえ、最低限の人間扱い位しろと言いたくなるのは当然だ。
隔壁の間の汚泥が流れる様を読みといてみたものの、かなりの圧力がかかっていて流動性が高い。水分を操れば何とか土には変えられるだろうが、分離している間に気がつかれては最悪だ。
…………信哉はどうしてるか……
義人と忠志の情報は幾らか親切な看護師が教えてくれたが、自分を含めて三人しかいないと思われている。つまり信哉に何か起きているのは事実で、東条の糞爺は信哉に異常な執着があるのも知っていた。人体実験なんか気にもせずにやりかねない、変態の糞爺の姿はまだ見ていないが、似た顔の若い男はいるからあの爺もきっと何処かにいるに違いない。
それにしても、採血がこないな…………
定期的な検査が今日はまだ来ていないし、奇妙なほど辺りが静まり返っている。
自分達が隔離され院が本来の活動を停止してからは約一週間。大小のゲートを放置して地脈がどこまで乱れているかは、この部屋の中では簡単には見定められない。少なくとも一週間前は至急性は感じなかったが、この室内でここまでチリチリと感じるところを見ると糞爺が訳のわからないことをしたと何故か確信してしまう。
何せ武さんが代々の四神の遺体を密かに燃やした時、燃え残りを探させたようなキチガイだからな。
研究材料の焼失がかなりショックだったらしく、東条巌はそこから急激にアルツハイマー認知症を発症して病状は急激に進行していった。一年ほど前には遺伝子と言いながらDNAも説明できなくなって、口にするのは四神は化け物の繰り返しだったという。憐れだとは思うが、それでも固執されるこちらとしたら老害としかいえない。
そこまで考えた瞬間不意に自分を取り巻いていた不快な壁の蠢く感覚が止まり、一気に不快感の強いいつもの身の内を炙る感覚に肌が強張るのを感じていた。
それでも隔壁の動く感覚がなくなるということは、少なくともここは脱出しても構わない。
壁に触れても確かめても汚泥の流れが止まり始めているのが読み取れて、しかもガチンと扉の鍵が独りでに開く大きな音がする。悌順は迷わず黒衣を顕現させて身に纏うと、戸惑うこともなく扉を引き開け足を踏み出した。もう一つの扉も迷わず潜り抜けた先に、もしかして待ち構えているかと思っていた人の気配が何一つないのに眉を潜めながら黒衣を翻し歩き出す。通路の先の小規模な看護師達の更衣する部屋を通り抜け悌順が大きな通路に出た瞬間、左側に繋がる通路を走りよる足音が響き渡った。視線を向けると何処かで見たことのある気がする青年が、誰か人一人を肩に抱えて上げ駆け寄ってくるのが視界に飛び込んでくる。ところが青年の方は悌順の顔を見た瞬間に、全身の毛を逆立てるように飛び上がったのだ。
「ひぃいっ!!ヤッパリこっちも怖いじゃん!!溺れそう!!」
なんだその言いぐさはと思うが、その青年はとても奇妙な気配を放っていて、しかも自分が水気を操ることまで一目で見ぬいている。まるで義人のような勘の鋭さだが、違うのは自分の力に怯えるというところか。
「ふったち、あと五メートル。」
「マジでっ!おにーさん、助けに来たんだからあれ何とかしてっ!!」
担がれた肩の女性が振り返った瞬間その見覚えのある顔に唖然とすると、自分の教え子そっくりの顔をした女性が両手で何かのパッドのようなものを手に悌順を眺めた。しかも二人の先に漆黒の闇がジワジワと迫って、まるで通路が暗闇に飲まれていくように暗く沈んで見える。
音もなくまるで地の底に沈んでいくような、濃密な闇の気配。
少なくともその闇は深く底知れない悪意があって、どう感じても悌順にも友好的でないのだけは理解できる。駆けてくる青年と教え子そっくりな女性の横をすり抜けるように、悌順は迷うことなくその手を掲げた。中空に掲げられたその掌の前に、突然現れた水滴が珠に変わり渦が凝縮していく。未だに悌順の背後に生き残っている蛍光灯の光が、その水球に反射してまるでミラーボール見たいに四方に光をサーチライトのように輝かせる。それはまるで音もなく放たれた光の玉のように、通路の闇を切り裂いた。
「ひゃーっ!すっげー。どうやってんの、あれ?」
「屈折率を使ってんのね。ふったちには分かんない範疇よね~。」
背後に身を隠すようにしてそんなことを言う青年が、肩に担いでいた教え子そっくりの女性を下ろす。水球の中で何千と屈折させられ増幅された光に一瞬で闇が打ち払われ、その中に潜んで追いかけてきていたもの達の姿が浮かび上がる。それはかなり不快で奇妙な光景だった。そこに立って覚束ない足取りで二人を追いかけていたのは、異様な継ぎ接ぎだらけの体をした人間の姿だったのだ。
「なんだありゃ?」
「ふひゃあ!ゾンビ?!フランケン?!何あの接ぎかた?!気持ち悪っ!」
全身のパーツの歪さ。長さも繋ぐ部位も歪で顔すらマトモに体裁を保たない、肩から接ぐのに、二の腕がなく肘からだったり、足の長さが左右違ったり。マトモに人間の体裁すら保とうとしていない、その奇妙な体に唖然としている悌順とふったちの横で息を詰めたのは『ロキ』だった。
「嘘…………。」
「ロキねぇさん?」
戸惑いと共に溢れ落ちる絶望の声に、ふったちと悌順が訝しげに彼女と死人の集団を見渡す。
「嘘よ!!藤久っ!!どうして?!」
唐突に駆け出そうとした『ロキ』を咄嗟にふったちが抱き止めて引き留めなければ、彼女は死人の一人に向かって真っ直ぐに駆け出していた。藤久と呼ばれた死人は奇妙に繋ぎ上げられた半分焼け焦げたドンヨリした濁った瞳は、『ロキ』の声にはまるで反応もしないで三人に向かって片足を引きずり歩みより始めている。
「なんだ?!知り合いでもいんの?!ねぇさん!駄目だよ!あれは悪いのだよっ!」
「悪い?!藤久なのよ?!藤久!!」
「あれはもう生きてないよ!ねぇさん?!あれは器だよ!!」
「嘘よ!!藤久!藤久っ!!」
死人の姿に混乱し始めた叫びに目を細めた悌順は、その継ぎ接ぎの体に奇妙な気配を感じとる。自分達とにている気配が弱く混濁して、その体から膿のように毒が漏れるように滴り落ちて床にポタポタと跡を残す。
「にぃさん!あれ浄化して!!ねぇさんは俺が抑えてるから!あれ俺には手が出せないんだよ!!」
ふったちと呼ばれる青年には目の前のものを相手にする方法がないらしい。確かにそれはまた闇を纏おうとしていて膿んで腐り果てているし、同時に生きているものとは思えない成りで歩きよってくる。
もしここにいたのが土志田悌順ではなく鳥飼信哉だったら、死人の一人が『氷室優輝』の顔をしているのに気がついた筈だ。何しろ悌順が四神になってからは、長月想も五代武も遺体は普通に荼毘に付されてきていた。だから、悌順は以前の四神の遺体を研究所が保管していたというのは知っていても、その遺体を見たこともないし、それすら五代武が火を放ったのだ。そう言われれば目の前の死人達の体は焼け焦げた部分もあり、それが何を意味するか知った悌順は舌打ちする。
何を思ったか拾い集めた四神の遺体を、東条巌は適当に繋ぎあわせて人の形に近いところまでにはした。それがこうしてここで何らかの方法の結果、歪な闇の巣食う器に変わって、この建物の内部を闊歩しているのだ。これが人に触れると何が起きるのかは、正直見たいとも思わない。
「拾い集めた遺体で遊んでんじゃねぇ……糞爺が。」
忌々しそうに低く怒りに満ちた声で悌順が呟くと、死人達が反応して悌順に体を向ける。少くとも横にいる彼女は知り合いの体を弄ばれて半狂乱だが、自分には見知った顔がないのは何より。ここに信哉がいて知り合いの顔を見つけようものなら、信哉がキレてもおかしくない。少くとも信哉が居なくて幸いだと密かに考えながら、悌順は容赦なく死人の体を自分で産み出した水に飲み込んでいた。
「藤久っ!!」
どここらともなく生まれて、一気に死人を飲み込み渦を巻く大量の水。繋ぎあわされた部分が最も脆いからなのか、激しい水圧に負け縫い目がほどけ流れに負けて肉が崩れ始める。燃えて黒ずんでいた指先や足の先が、清廉な水に削り取られるのに『ロキ』は苦痛に悲鳴を上げて見ないようにと両手で顔を覆った。
二藤久は死んだ、もう二十二年も前に確かに彼は死んだ。
その遺体の一部が他の体と繋ぎあわせられ闇を引きずり歩き回ったからと言って、それはただの化物の器。『ロキ』の知っている二藤久だったら、そんなことは決して喜ばない。
そんなことは分かっている、分かっているけど、最後の時にも一緒に居られなかった
その彼の遺体。遺体すら見ていない別れ、でも氷室優輝の顔を見て真実なのだと知ったし、彼がソッと『ロキ』に渡してくれたのは藤久が密かにずっと身に付けていた指輪で、それを贈ったのは『ロキ』自身だったからだ。死んだ筈の藤久の遺体を弄んで、他人の体と繋いで化物のように闇にしてしまった。
涼しげな風のような穏やかな藤久。
彼女は悲痛にも自分に言い聞かせて、両手で顔を覆ったまま泣き崩れる。それを抱き止めている腕から感じ取ったみたいに、ふったちはまるで清流に洗われていくようなその不思議な光景に目を細めていた。
清廉な水が周囲を洗い流して、その中で砕けて散っていく闇に飲まれてた体は、まるで清流に流れていく木の葉のようだ。揺られて激しい水に飲まれて、いつの間にか消え去っていく古い故郷で見たことのある懐かしい景色。
「…………悪い……、何も残せなくて……。」
洗い流してしまった青年が呟くようにそう言った時には、死人が歩いていたことすらなくなってしまったように洗われた通路だけが残っている。『ロキ』は青ざめた顔のまま、涙を隠すように拭って最初から私には何も残ってないわと疲れた声で呟いていた。
「くっそ!燃えてんだろぉ!!」
しかも義人の目でもこれの中心の核ようなものがあるかも分からないから、悪戯に消耗し続けている気がする。苛立ちながら二人で咄嗟にグルリと回り込み肉塊の背後のゲートから閉じるように方向性を変更した途端、肉塊はブルリと全体を震わせた。
「あ?!」
「くそっ!」
知性はないと踏んでいたのに肉塊は二人の動きに反応して、その体を滑らせるとゲート自体の真上に乗り出す。どうせならそのままその巨大な体でゲートを塞いでしまえばいいのに、忌々しいことにその肉塊を透過して吹き上げる空気は溢れ続ける。呆れ返るような状況でそれでも二人に手を伸ばして、引き込もうとするように蠢く姿はまるで攻撃を感じてないとしか思えない。
「あーっ!もうっ!なんなんだ!こいつっ!!腹立つ!」
火焔で焼いてもどうしようもないのに気がついた忠志が汚泥めいた悪臭を炎で散らしながら叫ぶのに、義人も困惑の表情で青い瞳を凝らして相手のことを見定めようとする。生々しく蠢く肉塊はモゴモゴと蠢きながら辺りの血を舐めとり、ゲートからの空気を浴びて歓喜に震えているように見えた。どんなに見透かしても弱点になりそうな核のように力の集中する機関や血管のように走る力の流れが一つも見えない肉塊に、義人はこれはなんと表現するべきなのかと小さく舌打ちしてしまう。
常識で表現できるモノではないのは分かっているが、それでも今までの人外なら僅かでも力の流れのような物が感じられた。でも目の前の肉塊はまるでそれが感じられない、まるでこれで一つ、そういいたげな状態なのだ。
これで一つ、細胞が一つ、まだ分岐もしていない、最初。
頭で何気なくそう考えた瞬間、背筋に悪寒が走る。これが最初の一つ目の細胞だとしたら、これが内包しているのはもしかして自分達より遥かに上の力と言えなくはないだろうか。もし、これを卵のような卵子のようなものだとしたら。
これが孵化したら自分達は駄目かもしれない。
僅かな絶望が忍び寄るのを無理矢理振り払って、義人は肉塊の奥を見定めようと意識を集中し直していた。
※※※
室内にあるのは簡易なパイプベットだけで、テレビもなにもおかれていない。冷蔵庫一つおかない上に、書籍もなし。その癖遮蔽され空調は一定の間隔で動いてはいるものの、温度調整もされない。別段温度調整の必要な体ではないとはいえ、最低限の人間扱い位しろと言いたくなるのは当然だ。
隔壁の間の汚泥が流れる様を読みといてみたものの、かなりの圧力がかかっていて流動性が高い。水分を操れば何とか土には変えられるだろうが、分離している間に気がつかれては最悪だ。
…………信哉はどうしてるか……
義人と忠志の情報は幾らか親切な看護師が教えてくれたが、自分を含めて三人しかいないと思われている。つまり信哉に何か起きているのは事実で、東条の糞爺は信哉に異常な執着があるのも知っていた。人体実験なんか気にもせずにやりかねない、変態の糞爺の姿はまだ見ていないが、似た顔の若い男はいるからあの爺もきっと何処かにいるに違いない。
それにしても、採血がこないな…………
定期的な検査が今日はまだ来ていないし、奇妙なほど辺りが静まり返っている。
自分達が隔離され院が本来の活動を停止してからは約一週間。大小のゲートを放置して地脈がどこまで乱れているかは、この部屋の中では簡単には見定められない。少なくとも一週間前は至急性は感じなかったが、この室内でここまでチリチリと感じるところを見ると糞爺が訳のわからないことをしたと何故か確信してしまう。
何せ武さんが代々の四神の遺体を密かに燃やした時、燃え残りを探させたようなキチガイだからな。
研究材料の焼失がかなりショックだったらしく、東条巌はそこから急激にアルツハイマー認知症を発症して病状は急激に進行していった。一年ほど前には遺伝子と言いながらDNAも説明できなくなって、口にするのは四神は化け物の繰り返しだったという。憐れだとは思うが、それでも固執されるこちらとしたら老害としかいえない。
そこまで考えた瞬間不意に自分を取り巻いていた不快な壁の蠢く感覚が止まり、一気に不快感の強いいつもの身の内を炙る感覚に肌が強張るのを感じていた。
それでも隔壁の動く感覚がなくなるということは、少なくともここは脱出しても構わない。
壁に触れても確かめても汚泥の流れが止まり始めているのが読み取れて、しかもガチンと扉の鍵が独りでに開く大きな音がする。悌順は迷わず黒衣を顕現させて身に纏うと、戸惑うこともなく扉を引き開け足を踏み出した。もう一つの扉も迷わず潜り抜けた先に、もしかして待ち構えているかと思っていた人の気配が何一つないのに眉を潜めながら黒衣を翻し歩き出す。通路の先の小規模な看護師達の更衣する部屋を通り抜け悌順が大きな通路に出た瞬間、左側に繋がる通路を走りよる足音が響き渡った。視線を向けると何処かで見たことのある気がする青年が、誰か人一人を肩に抱えて上げ駆け寄ってくるのが視界に飛び込んでくる。ところが青年の方は悌順の顔を見た瞬間に、全身の毛を逆立てるように飛び上がったのだ。
「ひぃいっ!!ヤッパリこっちも怖いじゃん!!溺れそう!!」
なんだその言いぐさはと思うが、その青年はとても奇妙な気配を放っていて、しかも自分が水気を操ることまで一目で見ぬいている。まるで義人のような勘の鋭さだが、違うのは自分の力に怯えるというところか。
「ふったち、あと五メートル。」
「マジでっ!おにーさん、助けに来たんだからあれ何とかしてっ!!」
担がれた肩の女性が振り返った瞬間その見覚えのある顔に唖然とすると、自分の教え子そっくりの顔をした女性が両手で何かのパッドのようなものを手に悌順を眺めた。しかも二人の先に漆黒の闇がジワジワと迫って、まるで通路が暗闇に飲まれていくように暗く沈んで見える。
音もなくまるで地の底に沈んでいくような、濃密な闇の気配。
少なくともその闇は深く底知れない悪意があって、どう感じても悌順にも友好的でないのだけは理解できる。駆けてくる青年と教え子そっくりな女性の横をすり抜けるように、悌順は迷うことなくその手を掲げた。中空に掲げられたその掌の前に、突然現れた水滴が珠に変わり渦が凝縮していく。未だに悌順の背後に生き残っている蛍光灯の光が、その水球に反射してまるでミラーボール見たいに四方に光をサーチライトのように輝かせる。それはまるで音もなく放たれた光の玉のように、通路の闇を切り裂いた。
「ひゃーっ!すっげー。どうやってんの、あれ?」
「屈折率を使ってんのね。ふったちには分かんない範疇よね~。」
背後に身を隠すようにしてそんなことを言う青年が、肩に担いでいた教え子そっくりの女性を下ろす。水球の中で何千と屈折させられ増幅された光に一瞬で闇が打ち払われ、その中に潜んで追いかけてきていたもの達の姿が浮かび上がる。それはかなり不快で奇妙な光景だった。そこに立って覚束ない足取りで二人を追いかけていたのは、異様な継ぎ接ぎだらけの体をした人間の姿だったのだ。
「なんだありゃ?」
「ふひゃあ!ゾンビ?!フランケン?!何あの接ぎかた?!気持ち悪っ!」
全身のパーツの歪さ。長さも繋ぐ部位も歪で顔すらマトモに体裁を保たない、肩から接ぐのに、二の腕がなく肘からだったり、足の長さが左右違ったり。マトモに人間の体裁すら保とうとしていない、その奇妙な体に唖然としている悌順とふったちの横で息を詰めたのは『ロキ』だった。
「嘘…………。」
「ロキねぇさん?」
戸惑いと共に溢れ落ちる絶望の声に、ふったちと悌順が訝しげに彼女と死人の集団を見渡す。
「嘘よ!!藤久っ!!どうして?!」
唐突に駆け出そうとした『ロキ』を咄嗟にふったちが抱き止めて引き留めなければ、彼女は死人の一人に向かって真っ直ぐに駆け出していた。藤久と呼ばれた死人は奇妙に繋ぎ上げられた半分焼け焦げたドンヨリした濁った瞳は、『ロキ』の声にはまるで反応もしないで三人に向かって片足を引きずり歩みより始めている。
「なんだ?!知り合いでもいんの?!ねぇさん!駄目だよ!あれは悪いのだよっ!」
「悪い?!藤久なのよ?!藤久!!」
「あれはもう生きてないよ!ねぇさん?!あれは器だよ!!」
「嘘よ!!藤久!藤久っ!!」
死人の姿に混乱し始めた叫びに目を細めた悌順は、その継ぎ接ぎの体に奇妙な気配を感じとる。自分達とにている気配が弱く混濁して、その体から膿のように毒が漏れるように滴り落ちて床にポタポタと跡を残す。
「にぃさん!あれ浄化して!!ねぇさんは俺が抑えてるから!あれ俺には手が出せないんだよ!!」
ふったちと呼ばれる青年には目の前のものを相手にする方法がないらしい。確かにそれはまた闇を纏おうとしていて膿んで腐り果てているし、同時に生きているものとは思えない成りで歩きよってくる。
もしここにいたのが土志田悌順ではなく鳥飼信哉だったら、死人の一人が『氷室優輝』の顔をしているのに気がついた筈だ。何しろ悌順が四神になってからは、長月想も五代武も遺体は普通に荼毘に付されてきていた。だから、悌順は以前の四神の遺体を研究所が保管していたというのは知っていても、その遺体を見たこともないし、それすら五代武が火を放ったのだ。そう言われれば目の前の死人達の体は焼け焦げた部分もあり、それが何を意味するか知った悌順は舌打ちする。
何を思ったか拾い集めた四神の遺体を、東条巌は適当に繋ぎあわせて人の形に近いところまでにはした。それがこうしてここで何らかの方法の結果、歪な闇の巣食う器に変わって、この建物の内部を闊歩しているのだ。これが人に触れると何が起きるのかは、正直見たいとも思わない。
「拾い集めた遺体で遊んでんじゃねぇ……糞爺が。」
忌々しそうに低く怒りに満ちた声で悌順が呟くと、死人達が反応して悌順に体を向ける。少くとも横にいる彼女は知り合いの体を弄ばれて半狂乱だが、自分には見知った顔がないのは何より。ここに信哉がいて知り合いの顔を見つけようものなら、信哉がキレてもおかしくない。少くとも信哉が居なくて幸いだと密かに考えながら、悌順は容赦なく死人の体を自分で産み出した水に飲み込んでいた。
「藤久っ!!」
どここらともなく生まれて、一気に死人を飲み込み渦を巻く大量の水。繋ぎあわされた部分が最も脆いからなのか、激しい水圧に負け縫い目がほどけ流れに負けて肉が崩れ始める。燃えて黒ずんでいた指先や足の先が、清廉な水に削り取られるのに『ロキ』は苦痛に悲鳴を上げて見ないようにと両手で顔を覆った。
二藤久は死んだ、もう二十二年も前に確かに彼は死んだ。
その遺体の一部が他の体と繋ぎあわせられ闇を引きずり歩き回ったからと言って、それはただの化物の器。『ロキ』の知っている二藤久だったら、そんなことは決して喜ばない。
そんなことは分かっている、分かっているけど、最後の時にも一緒に居られなかった
その彼の遺体。遺体すら見ていない別れ、でも氷室優輝の顔を見て真実なのだと知ったし、彼がソッと『ロキ』に渡してくれたのは藤久が密かにずっと身に付けていた指輪で、それを贈ったのは『ロキ』自身だったからだ。死んだ筈の藤久の遺体を弄んで、他人の体と繋いで化物のように闇にしてしまった。
涼しげな風のような穏やかな藤久。
彼女は悲痛にも自分に言い聞かせて、両手で顔を覆ったまま泣き崩れる。それを抱き止めている腕から感じ取ったみたいに、ふったちはまるで清流に洗われていくようなその不思議な光景に目を細めていた。
清廉な水が周囲を洗い流して、その中で砕けて散っていく闇に飲まれてた体は、まるで清流に流れていく木の葉のようだ。揺られて激しい水に飲まれて、いつの間にか消え去っていく古い故郷で見たことのある懐かしい景色。
「…………悪い……、何も残せなくて……。」
洗い流してしまった青年が呟くようにそう言った時には、死人が歩いていたことすらなくなってしまったように洗われた通路だけが残っている。『ロキ』は青ざめた顔のまま、涙を隠すように拭って最初から私には何も残ってないわと疲れた声で呟いていた。
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