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第三部
第六幕 都市下及び沿岸部研究施設地下
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目覚めた角端はその不快な気配に気がついて、徐にそこに足を向けていた。
生き物の気配は濃厚で、そこには同時に生きるだけではない欲の気配もある。
生き物というものは欲がないと生きてもいけないから、別段欲の気配が嫌いなわけではない。ただ、角端はその欲の気配は好まなかった。
それは狂乱という言葉の相応しい奇妙な欲で、意図して生き物が放っているわけではない。奇妙に捻じ曲げられて本来は繋がらない欲に他の意図で結びつけられている。例えば恋慕を捻じ曲げて性欲に、思慕を捻じ曲げて怒りに、まるで関係ないものに結びつけて繋げられては生き物は混乱してしまう。生きるための欲を自身を傷つける衝動に結びつけられて、悲鳴をあげる生き物の声は角端には酷くおぞましく腹立たしい。
しかもそこから放たれた湿った腐りつく空気は更に広がろうとしていて、水が高いところから低いところへ流れようとするみたいに移動しようとしている。それに触れても何ともない生き物と、そうでない生き物がいるのが不思議な位だ。空気に放たれる腐臭は連鎖的に破裂していく。弾けるような気配は、まるで鳳仙花やカタバミの種子が弾ける時のようだ。ただ違うのはそれが弾けると波紋のように周囲に狂気が連鎖する。
気持ち悪いな……
放っておけば更に広範囲に広がるだろうその気配に、角端は不快感を隠せない。それが目的としているのは、更なる混乱とそれで生き物が傷つけ合うことだ。
恐らくは血の臭いが欲しくて、それをそこかしこからあげさせるつもりなのだろうと心の何処かで知っていた。たまにそんなものを求める生き物がいるのは、生き物の中には闘争という本能を持つ種族もいるからなのは知っている。
それでも望んで求めているなら兎も角、捻じ曲げて他のものにそれをさせるのは気持ちが悪い
だからその波紋を沈めるために、そこに向かっていく。周りからせせらぐように包み込んでその狂気の種を洗い流して行くことが可能なのは自分が水に近いからだと理解できる。
炎駒や聳孤と同じで、ただ自分は沢や河に近いだけ
こうして洗い流してしまえばそれまでの生命が勢いを取り戻すか、新しいものが芽吹くだけなのだろう。生き物というものはそういものだと、角端は考える。気に入らない不快さを全て洗い流すと、そこに凍りついたままの少しだけ他のものと違う息吹に気がついて視線を向けていた。視線があった途端、それは怯えたように深く頭を垂れている。他の野山の生き物と何も変わらず、角端へ頭を垂れて慈悲をこう。
殺さないで…………なにもしない、私は、ただ生きてるだけ…………狂乱は私じゃない……。
最低限の餌をとりルールの中で生きるだけだからと大人しく頭を垂れる。そういう生き物を、角端は決して殺さない。角端を始めとして花でも虫でも等しく命を奪わないのは、それが自分というものの存在だからだ。
血を流さずただ生きるだけ。
頭を垂れるほど自分を理解するものに、意図して害を与えるつもりもない。それを示すようにフイと視線をはずすと、その弱く小さなものはホッと安堵の吐息を溢してソッとその場を離れて闇の中に姿を消していく。これは別に特別のことではなく、生まれた時からこうだから別に気にするでもないことだった。
そろそろ、か。
フイと辺りを見渡して四つの光を探して耳を済ますが、何時ものような直ぐ傍には感じないのに気がついた。思ってたのとは少し違うと角端は考えながら炎駒や聳孤にも聞いてみないと呟く。直ぐ傍にあれらがいると思っていたのに、実際には少し遠い。
それでもそろそろ炎駒や聳孤と共に索冥を起こさないとならない。
そう心の中で考えながら角端はまたユックリと歩き出していた。
都市下の花街で起きた狂乱は、暴れたり自傷行為をしていた人間が糸が切れたように倒れて気を失ったことで急激に終息を迎えつつある。それでも倒れるまでに出た怪我人は多数で、一晩中救急車がひっきりなしに街中を走り回った。
ところが倒れて気を失った大多数が順番に目を覚ますと、狂乱の最中の記憶は完全に消失していて何が起こったか思い出せない状態。しかも、血中や諸検査では何も違法な薬物は見つからず、原因もハッキリしない。実際には原因である薬は密かに存在していて、それぞれにとある健康食品や興奮しやすい薬なんて触れ書きでそれ飲んでいた過去はあるが、大概一年や半年も前のことで殆どの人間はそれに気がつかない。世の中でその薬の存在を知っていて、それが原因と気がついている人間はほんの一握りしかいなかった。そうして何故これほど迄に一瞬で狂乱の拡大が終息したか真実を知っているのは、密かに人間の姿を模倣して生きるもの一体だけだったのだ。
※※※
巨大な空間に駆け込んだ忠志は緋色の服を翻して、咄嗟に中空に飛ぶとその全体像を見下ろして呆れたように舌打ちした。
そこには巨大化した片目、もう片方はそれに押し潰されて完全にひしゃげてしまっている。巨大な眼球も既にそれは眼球として本来の動きはしていないように、白く濁って無意味にギョロギョロと奇怪に上下左右に動く。顔という場所も既にわからないし、その下に口があるようにも見えない。
僅かに一部は人間を模倣した形をしてはいるが、それは既に人間とは言えない。
おぞましいホラー映画のワンカットが紅玉の瞳には映るだけで、空間に澱む血の臭いは強く不快感が増すばかりだった。天井の空調は動いているが、そんなものでは対応しきれない程の血液の臭いと、腐臭。その中にはまさに肉塊と呼ぶのが相応しい色合いの巨大な塊が直径五メートルにもなって蠢いている。その背後には同じ規模の地脈の穴がポッカリと開いて、更に湿った腐臭を吹き上げて垂れ流していた。
それが本当の望みかよ。
四神を解明するとかって大義名分で院を乗っとりたかったとか聞いてたような気がするのに、結局は多数の人間を一気に生け贄にして饕餮や窮奇のように地脈をねじ曲げ抉じ開けただけ。しかもこの膿み腐った空気は、また要とかいう石が知らないうちに転がり出てきて、目の前の肉塊が砕いたかなんかとしか思えない。そして人間だった筈の外側を辞めて、最終的に生肉の塊に成り下がる。
一体何がしたくて、そんなことしてんだよ?
玄武や白虎のように研究のための実験なんて、忠志は一度もされたことがない。だから相手の言い分を言葉だけ聞いていると、東条とかってのが昔の国のために四神の力を解明して国のために使いたかったんだろうなんてのは感じる。社会がそうだったんだから、ずっとそれが正しいとは決して言えないが理解は少しできなくはない。あの男はそういう社会で生まれて、そういう社会のために自分なりに貢献したかったんだろうってくらいだが。でも、時代が変われば新しい見方ができるんだ。それにあわせられないから、駄目だと言われたんだろう。だからといって、駄目と言われたからといって、そこから真逆のことに走っていいなんては絶対に思えない。空間に弾丸のように打ち出された火球が膨れ上がる眼球を撃ち抜いても悲鳴すら上がらず、モゴモゴと盛り上がった肉が傷を飲み込む。それは完全に人間ではなくなっているのに、忠志は心の底から苛立って叫ぶ。
「ばっかじゃねぇの?!人を沢山殺して!!しかも、結果が化けもんかよ!!」
思わず苛立ちに叫びながら全身から激しい炎を吹き上げて、腐った空気ごと肉塊を一気に燃やす。地下の閉塞した空間でそんなことをしたらどうなるかなんて分かっているが、ここには既に生きている人間も仲間の気配もない。あるのは目の前の人間の成れの果ての巨大な肉塊、手が何本も突きだし足もムカデのように何十本もある人間を模倣しようとして失敗した肉の塊の化け物だ。
そんなものになるために、院の人間を殺したのか?ここにいた看護師さん達も?!
隔離室に何人か同じ人が来たと気がつくこともあった。余計な口は聞かないように言われているだろうから、忠志も口は聞かないようにしてたけど開いても仕事とはいえこんな場所で宇宙飛行士みたいな格好はキツいだろうと思う。何しろ自分の部屋は恐らくかなり温度が高い筈で、下手すると熱帯とか砂漠とかより熱いかもしれない。
「ごめん、熱いよな、俺の部屋。」
思わず一度そう口にしたら看護師は少し驚いたように自分を見る。人相が悪いからきっとヤンキーだと思われてるとはわかっているけど、それと自分が苛立ちで放ってしまう熱気は別物だ。きっとその宇宙服だと余計熱いだろうと思ったから口にしてしまった。そうしたらその人はきっとこれくらいならバレないだろうって小さな声で
『これ、冷風が入ってくるから、平気よ。』
と内緒話みたいに笑ったのだ。東条はどうか知らないが、全部が全部自分に不快感とか嫌な感情を持ってる訳じゃない。それはどこにいってもどこでも変わらない事実だった。
子供の頃からこの髪と人相で大分損をしてきたが、どこにも自分を認めてくれる相手が必ずいる。そう考えられるようにしてくれたのは、他でもない三浦和希だった。
忠志は良い奴だよ、友達だ。
最初に手を伸ばしてくれたのは和希の方だ。そんな風な何時でも手を差しのべてくれて、助けてくれてだからあの時自分は手を伸ばした。和希を助けたくて、咄嗟にナイフを掴んで和希を助けたのに。
そんなことを考えながらここに駆けつけるまで幾つかの部屋を覗きはしたけど、どこにも人の気配は見つけられなかった。そうして辿り着いたこの空間の床も壁も金気臭い血が、そこら中でバケツでぶっかけたみたいになっている。
つまり殆どの人間がここに集められた。
多分全部ではなくても殆ど。
四神を研究したければすればいい。それ以外の人間を傷つけないで、すればいいだけじゃないかと忠志は心底腹立たしく感じながら業火にその肉塊を完全に飲み込む。体育館程はあると思われる空間でも業火に空気が減り続けて、ミシミシと厚い隔壁に囲まれた室内が軋みだす。ところが燃やし尽くされて浄化されていく気配に、肉塊は気がついたようにモゾモゾと身を動かして空を掻く。目も見えずただの不定形になりつつあるそれは、驚いたことに焼けて縮んでいく表面の肉を自分自身で再び消化し吸収して成長し始めていた。
気味が悪い……何なんだ…………
今までの人外みたいに喋りもしなければ攻撃もしないただの肉塊。蠢いて自分を食って更に増えて大きくなるのは下なり不快な光景だった。思わずこいつは何なんだと気を抜いた瞬間、それは唐突にその体の中から手を伸ばして、忠志の腕を巻き込む。
「なっ!!?」
咄嗟に腕から激しく炎をあげると一瞬怯んだのかそれは手を引っ込めるが、ゾロゾロと体を動かして唐突に大量の手を突き出してきていた。
「忠志!!」
聞きなれた声がそれを風で凪ぎ払うのと忠志が業火で薙ぐのは殆ど同時だったが、肉塊は対して痛みを感じた風でもなく。更に刻まれた自身を食いつくして新しく自分を再生していくのに、駆け寄った義人も驚きに目を見開いた。
「何なのあれ?」
「知らね、腹の傷は?義人。」
「平気、気持ち悪いね、あれは。」
どうやらロキとふったちが二人目で解放してくれたのが義人だったようで、同じように真っ直ぐにここに向かってきたのが分かる。風が巻いて空気の血の臭いが振り払われるのに、思わず忠志が微笑んでしまうと、その視線で幼馴染み程の付き合いではないが義人は眉を潜めて空気清浄機じゃないんだけどと言い放った。
「一先ずあれ、木気かな?東条だろ?あれ。」
「やっぱり、東条なの?あれ。」
二人になれただけで重く垂れ込めていた気分が晴れる。忠志はそんな風に感じながら、改めて肉塊に紅玉の瞳を向けた。その横では同じように青く瞳を輝かせた義人が、目の前の肉塊が一体何なのか見定めようと目を細めている。
※※※
花街迄外崎宏太を送った宇野智雪が外崎にここからは一人で良いと建物の入り口で言われたのは、外崎がタクシーの車内で探している開いての場所を特定してその建物がなんだか分かったからだった。というのも外崎は盲目でも、実はかなり腕がたつ。合気道とカポエラを身に付けた犯罪者相手に、杖一本で足の骨を叩き折るという荒業を見せたのはほんの二ヶ月もたたない程度のこと。しかも、見えないから逆に手加減できなかったから、足の骨を折ったという始末だ。
それに通りに辿り着いた時点で、人が倒れ始めていてそれが通りの端から中心に向かっているのが見ていて分かって、不思議なことに事態が沈静化し始めているのに気がついたのもある。残念ながら外崎の目的の建物は通りのど真ん中でまだ狂乱は続いていたが、それでも何も格闘技はしらない相手一人なら外崎が遅れを取ることもないだろう。同時に大分離れてはいたが、反対側の通りの入り口に知り合いの顔を見つけて宇野がそっちに駆け寄ったからでもある。
踞っているのは風間祥太で駆け寄ってみると手首を押さえて青ざめていて、横には同じく青ざめて気を失っている榊恭平とそれを抱き止めている源川仁聖がいた。
「手どうした?風間。」
「ああ、少し捻った。」
既に手首はかなり腫れ上がっていて痛みも強そうだ。言うとおりに捻ったたけとはちっとも思えないし、この状況からすると合気道をやっていた榊が暴れる方だったということだろうと宇野は考える。そうなってくると同じ合気道をやってる榊恭平でこのありさまじゃ、信哉を実験台にするのは本気で止めた方が人類の為だと宇野は染々と思う。
絶対手におえない。
生き物の気配は濃厚で、そこには同時に生きるだけではない欲の気配もある。
生き物というものは欲がないと生きてもいけないから、別段欲の気配が嫌いなわけではない。ただ、角端はその欲の気配は好まなかった。
それは狂乱という言葉の相応しい奇妙な欲で、意図して生き物が放っているわけではない。奇妙に捻じ曲げられて本来は繋がらない欲に他の意図で結びつけられている。例えば恋慕を捻じ曲げて性欲に、思慕を捻じ曲げて怒りに、まるで関係ないものに結びつけて繋げられては生き物は混乱してしまう。生きるための欲を自身を傷つける衝動に結びつけられて、悲鳴をあげる生き物の声は角端には酷くおぞましく腹立たしい。
しかもそこから放たれた湿った腐りつく空気は更に広がろうとしていて、水が高いところから低いところへ流れようとするみたいに移動しようとしている。それに触れても何ともない生き物と、そうでない生き物がいるのが不思議な位だ。空気に放たれる腐臭は連鎖的に破裂していく。弾けるような気配は、まるで鳳仙花やカタバミの種子が弾ける時のようだ。ただ違うのはそれが弾けると波紋のように周囲に狂気が連鎖する。
気持ち悪いな……
放っておけば更に広範囲に広がるだろうその気配に、角端は不快感を隠せない。それが目的としているのは、更なる混乱とそれで生き物が傷つけ合うことだ。
恐らくは血の臭いが欲しくて、それをそこかしこからあげさせるつもりなのだろうと心の何処かで知っていた。たまにそんなものを求める生き物がいるのは、生き物の中には闘争という本能を持つ種族もいるからなのは知っている。
それでも望んで求めているなら兎も角、捻じ曲げて他のものにそれをさせるのは気持ちが悪い
だからその波紋を沈めるために、そこに向かっていく。周りからせせらぐように包み込んでその狂気の種を洗い流して行くことが可能なのは自分が水に近いからだと理解できる。
炎駒や聳孤と同じで、ただ自分は沢や河に近いだけ
こうして洗い流してしまえばそれまでの生命が勢いを取り戻すか、新しいものが芽吹くだけなのだろう。生き物というものはそういものだと、角端は考える。気に入らない不快さを全て洗い流すと、そこに凍りついたままの少しだけ他のものと違う息吹に気がついて視線を向けていた。視線があった途端、それは怯えたように深く頭を垂れている。他の野山の生き物と何も変わらず、角端へ頭を垂れて慈悲をこう。
殺さないで…………なにもしない、私は、ただ生きてるだけ…………狂乱は私じゃない……。
最低限の餌をとりルールの中で生きるだけだからと大人しく頭を垂れる。そういう生き物を、角端は決して殺さない。角端を始めとして花でも虫でも等しく命を奪わないのは、それが自分というものの存在だからだ。
血を流さずただ生きるだけ。
頭を垂れるほど自分を理解するものに、意図して害を与えるつもりもない。それを示すようにフイと視線をはずすと、その弱く小さなものはホッと安堵の吐息を溢してソッとその場を離れて闇の中に姿を消していく。これは別に特別のことではなく、生まれた時からこうだから別に気にするでもないことだった。
そろそろ、か。
フイと辺りを見渡して四つの光を探して耳を済ますが、何時ものような直ぐ傍には感じないのに気がついた。思ってたのとは少し違うと角端は考えながら炎駒や聳孤にも聞いてみないと呟く。直ぐ傍にあれらがいると思っていたのに、実際には少し遠い。
それでもそろそろ炎駒や聳孤と共に索冥を起こさないとならない。
そう心の中で考えながら角端はまたユックリと歩き出していた。
都市下の花街で起きた狂乱は、暴れたり自傷行為をしていた人間が糸が切れたように倒れて気を失ったことで急激に終息を迎えつつある。それでも倒れるまでに出た怪我人は多数で、一晩中救急車がひっきりなしに街中を走り回った。
ところが倒れて気を失った大多数が順番に目を覚ますと、狂乱の最中の記憶は完全に消失していて何が起こったか思い出せない状態。しかも、血中や諸検査では何も違法な薬物は見つからず、原因もハッキリしない。実際には原因である薬は密かに存在していて、それぞれにとある健康食品や興奮しやすい薬なんて触れ書きでそれ飲んでいた過去はあるが、大概一年や半年も前のことで殆どの人間はそれに気がつかない。世の中でその薬の存在を知っていて、それが原因と気がついている人間はほんの一握りしかいなかった。そうして何故これほど迄に一瞬で狂乱の拡大が終息したか真実を知っているのは、密かに人間の姿を模倣して生きるもの一体だけだったのだ。
※※※
巨大な空間に駆け込んだ忠志は緋色の服を翻して、咄嗟に中空に飛ぶとその全体像を見下ろして呆れたように舌打ちした。
そこには巨大化した片目、もう片方はそれに押し潰されて完全にひしゃげてしまっている。巨大な眼球も既にそれは眼球として本来の動きはしていないように、白く濁って無意味にギョロギョロと奇怪に上下左右に動く。顔という場所も既にわからないし、その下に口があるようにも見えない。
僅かに一部は人間を模倣した形をしてはいるが、それは既に人間とは言えない。
おぞましいホラー映画のワンカットが紅玉の瞳には映るだけで、空間に澱む血の臭いは強く不快感が増すばかりだった。天井の空調は動いているが、そんなものでは対応しきれない程の血液の臭いと、腐臭。その中にはまさに肉塊と呼ぶのが相応しい色合いの巨大な塊が直径五メートルにもなって蠢いている。その背後には同じ規模の地脈の穴がポッカリと開いて、更に湿った腐臭を吹き上げて垂れ流していた。
それが本当の望みかよ。
四神を解明するとかって大義名分で院を乗っとりたかったとか聞いてたような気がするのに、結局は多数の人間を一気に生け贄にして饕餮や窮奇のように地脈をねじ曲げ抉じ開けただけ。しかもこの膿み腐った空気は、また要とかいう石が知らないうちに転がり出てきて、目の前の肉塊が砕いたかなんかとしか思えない。そして人間だった筈の外側を辞めて、最終的に生肉の塊に成り下がる。
一体何がしたくて、そんなことしてんだよ?
玄武や白虎のように研究のための実験なんて、忠志は一度もされたことがない。だから相手の言い分を言葉だけ聞いていると、東条とかってのが昔の国のために四神の力を解明して国のために使いたかったんだろうなんてのは感じる。社会がそうだったんだから、ずっとそれが正しいとは決して言えないが理解は少しできなくはない。あの男はそういう社会で生まれて、そういう社会のために自分なりに貢献したかったんだろうってくらいだが。でも、時代が変われば新しい見方ができるんだ。それにあわせられないから、駄目だと言われたんだろう。だからといって、駄目と言われたからといって、そこから真逆のことに走っていいなんては絶対に思えない。空間に弾丸のように打ち出された火球が膨れ上がる眼球を撃ち抜いても悲鳴すら上がらず、モゴモゴと盛り上がった肉が傷を飲み込む。それは完全に人間ではなくなっているのに、忠志は心の底から苛立って叫ぶ。
「ばっかじゃねぇの?!人を沢山殺して!!しかも、結果が化けもんかよ!!」
思わず苛立ちに叫びながら全身から激しい炎を吹き上げて、腐った空気ごと肉塊を一気に燃やす。地下の閉塞した空間でそんなことをしたらどうなるかなんて分かっているが、ここには既に生きている人間も仲間の気配もない。あるのは目の前の人間の成れの果ての巨大な肉塊、手が何本も突きだし足もムカデのように何十本もある人間を模倣しようとして失敗した肉の塊の化け物だ。
そんなものになるために、院の人間を殺したのか?ここにいた看護師さん達も?!
隔離室に何人か同じ人が来たと気がつくこともあった。余計な口は聞かないように言われているだろうから、忠志も口は聞かないようにしてたけど開いても仕事とはいえこんな場所で宇宙飛行士みたいな格好はキツいだろうと思う。何しろ自分の部屋は恐らくかなり温度が高い筈で、下手すると熱帯とか砂漠とかより熱いかもしれない。
「ごめん、熱いよな、俺の部屋。」
思わず一度そう口にしたら看護師は少し驚いたように自分を見る。人相が悪いからきっとヤンキーだと思われてるとはわかっているけど、それと自分が苛立ちで放ってしまう熱気は別物だ。きっとその宇宙服だと余計熱いだろうと思ったから口にしてしまった。そうしたらその人はきっとこれくらいならバレないだろうって小さな声で
『これ、冷風が入ってくるから、平気よ。』
と内緒話みたいに笑ったのだ。東条はどうか知らないが、全部が全部自分に不快感とか嫌な感情を持ってる訳じゃない。それはどこにいってもどこでも変わらない事実だった。
子供の頃からこの髪と人相で大分損をしてきたが、どこにも自分を認めてくれる相手が必ずいる。そう考えられるようにしてくれたのは、他でもない三浦和希だった。
忠志は良い奴だよ、友達だ。
最初に手を伸ばしてくれたのは和希の方だ。そんな風な何時でも手を差しのべてくれて、助けてくれてだからあの時自分は手を伸ばした。和希を助けたくて、咄嗟にナイフを掴んで和希を助けたのに。
そんなことを考えながらここに駆けつけるまで幾つかの部屋を覗きはしたけど、どこにも人の気配は見つけられなかった。そうして辿り着いたこの空間の床も壁も金気臭い血が、そこら中でバケツでぶっかけたみたいになっている。
つまり殆どの人間がここに集められた。
多分全部ではなくても殆ど。
四神を研究したければすればいい。それ以外の人間を傷つけないで、すればいいだけじゃないかと忠志は心底腹立たしく感じながら業火にその肉塊を完全に飲み込む。体育館程はあると思われる空間でも業火に空気が減り続けて、ミシミシと厚い隔壁に囲まれた室内が軋みだす。ところが燃やし尽くされて浄化されていく気配に、肉塊は気がついたようにモゾモゾと身を動かして空を掻く。目も見えずただの不定形になりつつあるそれは、驚いたことに焼けて縮んでいく表面の肉を自分自身で再び消化し吸収して成長し始めていた。
気味が悪い……何なんだ…………
今までの人外みたいに喋りもしなければ攻撃もしないただの肉塊。蠢いて自分を食って更に増えて大きくなるのは下なり不快な光景だった。思わずこいつは何なんだと気を抜いた瞬間、それは唐突にその体の中から手を伸ばして、忠志の腕を巻き込む。
「なっ!!?」
咄嗟に腕から激しく炎をあげると一瞬怯んだのかそれは手を引っ込めるが、ゾロゾロと体を動かして唐突に大量の手を突き出してきていた。
「忠志!!」
聞きなれた声がそれを風で凪ぎ払うのと忠志が業火で薙ぐのは殆ど同時だったが、肉塊は対して痛みを感じた風でもなく。更に刻まれた自身を食いつくして新しく自分を再生していくのに、駆け寄った義人も驚きに目を見開いた。
「何なのあれ?」
「知らね、腹の傷は?義人。」
「平気、気持ち悪いね、あれは。」
どうやらロキとふったちが二人目で解放してくれたのが義人だったようで、同じように真っ直ぐにここに向かってきたのが分かる。風が巻いて空気の血の臭いが振り払われるのに、思わず忠志が微笑んでしまうと、その視線で幼馴染み程の付き合いではないが義人は眉を潜めて空気清浄機じゃないんだけどと言い放った。
「一先ずあれ、木気かな?東条だろ?あれ。」
「やっぱり、東条なの?あれ。」
二人になれただけで重く垂れ込めていた気分が晴れる。忠志はそんな風に感じながら、改めて肉塊に紅玉の瞳を向けた。その横では同じように青く瞳を輝かせた義人が、目の前の肉塊が一体何なのか見定めようと目を細めている。
※※※
花街迄外崎宏太を送った宇野智雪が外崎にここからは一人で良いと建物の入り口で言われたのは、外崎がタクシーの車内で探している開いての場所を特定してその建物がなんだか分かったからだった。というのも外崎は盲目でも、実はかなり腕がたつ。合気道とカポエラを身に付けた犯罪者相手に、杖一本で足の骨を叩き折るという荒業を見せたのはほんの二ヶ月もたたない程度のこと。しかも、見えないから逆に手加減できなかったから、足の骨を折ったという始末だ。
それに通りに辿り着いた時点で、人が倒れ始めていてそれが通りの端から中心に向かっているのが見ていて分かって、不思議なことに事態が沈静化し始めているのに気がついたのもある。残念ながら外崎の目的の建物は通りのど真ん中でまだ狂乱は続いていたが、それでも何も格闘技はしらない相手一人なら外崎が遅れを取ることもないだろう。同時に大分離れてはいたが、反対側の通りの入り口に知り合いの顔を見つけて宇野がそっちに駆け寄ったからでもある。
踞っているのは風間祥太で駆け寄ってみると手首を押さえて青ざめていて、横には同じく青ざめて気を失っている榊恭平とそれを抱き止めている源川仁聖がいた。
「手どうした?風間。」
「ああ、少し捻った。」
既に手首はかなり腫れ上がっていて痛みも強そうだ。言うとおりに捻ったたけとはちっとも思えないし、この状況からすると合気道をやっていた榊が暴れる方だったということだろうと宇野は考える。そうなってくると同じ合気道をやってる榊恭平でこのありさまじゃ、信哉を実験台にするのは本気で止めた方が人類の為だと宇野は染々と思う。
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