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第三部
第六幕 都市下・花街
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街中は酷い騒動になっていて、既に何人かが倒れて救急車で運ばれる事態に陥っていた。どう考えてもマトモではない状況に、地獄絵図だろ、これはと唖然とするしかない。派出所勤務だけではもうどうにもならないと駆り出されて来たものの、風間祥太が花街と呼ばれる通りで見たのはそんな光景だった。まるで次々とウィルスでも感染しているように次々と暴れだす人間が店から飛び出してきて、それを周囲で一先ずはマトモな人間が数人係りで必死で取り押さえている。
狂乱して喚声をあげて突然見ず知らずの人間を殴り倒したり車道に突き飛ばしたりする若い青年。強ばった指を鉤爪のように宙に向けて、泡を吹いて地面で空を見て痙攣する中年の男。奇声をあげて突然駆け出したかと思うと、自分の頭よりは硬い筈のアスファルトに思い切り額を打ち付け始める若い女。
「な、なんなんですか、これ。」
一緒に駆り出された相棒の庄司陸斗もあまりの光景に呆気にとられている。頭がおかしくなるガスでも撒いたんじゃなきゃこんなに一気に多人数がおかしくなるとは思えない。しかも唖然としてしまうのは、その暴れる人間の統一感のなさも大きい。何しろ四人で飲み歩いているサラリーマンの一人が突然泡を吹いて倒れたり、寸前までイチャイチャしていた恋人同士が掴み合い殴り出していたり、かと思えば突然コンビニの中で店員が暴れ始めたり。ガスで一区画全員が錯乱とか、一つのテーブルを囲んでいた全員とかなら分かるが、四人のうちの一人とか多人数が一緒にいる店内の一人とか訳がわからなすぎる。
何なんだこれは。
呆気にとられてしまうが、その人混みの中にまだ病み上がりといっても良い筈の宮直行の姿を見つけて駆け寄る。宮直行は四ヶ月ほど前に店長をしていたカラオケボックス・エコーの店内で三浦和希に昏倒させられ重傷を負って手術まで受けていたが、奇跡的に後遺症もなく復活して今は社長に転身・カラオケボックスとカフェを経営している男だ。一見するとヒョロッとした弱々しそうに見える男だが、実は格闘技をやっていてここ近辺のチーマーを叩きのめして従えていて、情報網を形成するなんて手腕の持ち主でもある。
「宮さん。」
「あー風間さん、参ったね、これは。」
いとも呑気に聞こえるがその腕は若い男性の首に回されて締め上げていて、申し訳ないが暴れさせないために落としてるけどこれは正当防衛だよねぇと宮から問い返される。見れば何人かその類いの心得があると思われる人間が幾人かいて、同じようにして暴れる人間を取り押さえている風だ。
「これの原因は?」
「進藤の置き土産らしいよー、なんかほら、半年くらい前にクラブで警察で摘発したっしょ?あの薬飲んでた奴らみたいよ?」
確かに昨年末に一斉摘発でナイトクラブで流通していた合成系の薬剤ルートを潰していたし、その販売元もその何ヵ月か後に事務所にあった薬剤は押収されていた。だか、その押収したヒート入りの一見健康食品の薬は、中身は殆どがカフェインで水増しされたもので、それほど重要視されていないまま大本の進藤の死で操作はしりすぼみになっている。それがどう作用すると、何ヵ月も経ってこんな狂乱に変わるんだろうか。
「こんな……まだ流通しているのか?」
「いやぁ栄養剤だって売ってたから、知らないで飲んだやつもいたらしいから、もっといるでしょ。」
その言葉に愕然とする。今はここだけですんでいるが、ここから更に被害が拡大するかもと言われているのだ。
「トノに何処まで被害が出そうか炙り出してもらってるけど、今んとこここら辺だけで、その理由も調べてもらってんの。駅の向こうは何ともなさそうだし。」
確かに今のところ狂乱は花街だけだ。咄嗟に庄司も暴れている女を取り押さえるように指示して、トノと呼ばれた外崎に電話をかけると向こうも混乱している風で、最近の流通はないといいだす始末だ。最近飲んだものでないなら何時飲んでるんだと怒鳴りたくなるが、実際に流通網は四ヶ月以上も前に潰している。つまりそれ以上前に服用したものが潜伏して今更この状況を引き起こしたというのに、何でか諦観の微笑みを浮かべていた進藤隆平の顔が浮かぶ。
あいつ……
この狂乱は外崎曰く第二世代の薬だと言うが、第一世代の薬を飲んでいる三浦がこの状態になったら手のつけようがない。信哉なら三浦和希を止められるだろうが、その信哉を目下探している最中なのだ。腹立たしさに舌打ちが溢れたのと殆ど同時に、背後で新たな声が上がるのに気がついた。
「恭平?!」
思わず振り返った時一瞬信哉かと思ったが、その青年は信哉よりは華奢な黒髪の青年なのに気がつく。ただ似ていると思った後にもどうも見覚えがあるのは、それが昔自分が高校の生徒会で生徒会長なんてものをしていた時に一年の書記として関わった過去のある榊恭平だとすぐ気がついたからだ。
「榊……?」
『あ?榊って榊恭平か?!』
グラリと身体を揺らす榊恭平に、背の高い茶髪の青年が驚いたように手をかけているのが見える。片手で顔を覆った榊は眩暈でもしているみたいにグラグラと身体を揺らしながら、その青年の手を振り払おうともがいていた。
まさか、あいつも薬を飲んだことがある人間なのか?
なにか言おうとする外崎に電話口に後で電話すると叫んだ後で傍に駆け寄ると、その様子は何かを必死に堪えて内面で激しく戦っているみたいにも見える。
「榊?!お前榊恭平か?!」
「あ、…………?うっ…………。」
「恭平!!」
片手を握り離そうとしない青年に、榊の顔が困惑に歪んで冷や汗が滲む。まるで何かをしないように必死で堪えているみたいに見えるその様子に、思わず肩に手をかけた瞬間顔を覆っていた片手が意図も容易く風間の手首を捻った。
「ぐぅ!?」
「恭平!!駄目っ!離して!!」
メキメキと手首の間接が音をたてているのに、もう片方の手を掴んでいた青年が叫ぶ。その手際はまるで鳥飼信哉みたいに一瞬のことで手首の骨を砕かれそうになっていて、風間は激痛に思わずその場に崩れ落ちてしまう。何か武道をやってたのか?いや、この動きはどうみても信哉が高校の時にして見せたのと同じで、高校の時そういえば榊は次期鳥飼といわれていたような記憶がある。
合気道か……、ヤバイ、ここで暴れられたら、取り押さえられないぞ……
一瞬でこの技の威力では目の前の青年だってただでは済まない筈だが、手を掴んで離さない彼のお陰で榊自身もは必死に何かを押さえ込もうとしている。つまり他の人間が手を出したら自分のように一瞬で骨が砕かれるのを、何とか押さえ込んでいるのは茶髪の青年だということだ。これでもし榊がここで暴れだしたら、誰なら止められるか分かったもんじゃない。
「ううっう…………。」
「恭平!俺のこと分かんないの?!恭平!」
「風間さん?!こら!お前!!おとなしくっ……」
再び頭を押さえ込み俯く榊に背後から駆け寄ってきた庄司が、何気なく手を伸ばそうとしているのに、風間が気がついたのはその時だった。
※※※
電話の向こうの騒動と情報に、外崎宏太はみる間に青ざめていた。
摘発された薬。
クラブでの摘発。
そういうものにはまるで縁がない筈の榊恭平に、一度だけ薬を飲ませた事のある人間を外崎は知っている。しかも当人の方も摘発の時に酩酊していて自分も服用したと警察に口にしたのもちゃんと知っていて、それ以降は常習性がなかったのかそういう類いのものを飲んでいないのもちゃんと分かっていた。分かっていたが、それが当の薬だとしたら常用していたかどうかは関係ない。
咄嗟に何度か電話をかけるが、留守電にばかりなって全く反応がないのに外崎は更に青ざめる。帰ってこないのをおかしいと思うべきだった、今日に限って帰ってこないのを放置してしまったのを悔やむ。何処にいるのか咄嗟にパソコンで調べて、端末に送りながら外崎は慌てて立ち上がる。
「雪、悪い、花街迄出てくる。」
「え?!」
盲目で足の不自由な外崎が狂乱の現場に行こうなんて、ハッキリ言えば虎穴に入らずんば虎子を得ずとか言う問題ではない、ただの自殺行為だ。そう言われても外崎にはここで待つことの方がキツい。
「あいつも榊と同じだ、薬を飲んだことがある。」
その理由を告げる言葉に、宇野智雪は目を見開いていた。
※※※
花街で溢れる狂乱の中で、その女性は一人静かに呆れたように目を細めた。
艶やかな恐ろしい程に美しい黒髪、抜群のプロポーション。鮮やかに人目を惹く容姿のその女性は、辺りの暴れる人間とつい寸前まで自分の連れだった人間がヒクヒク痙攣しながらアスファルトに倒れ込んでいるのを冷ややかに眺める。
彼女はサクラという。
名字でも名前でもない、ただのサクラ、だ。
辺りに漂う夜の空気はまだ湿度を保ったまま、それどころか狂乱の熱気で蒸し暑いほど。そして辺りは強い腐臭に包み込まれているが、実際にはこの臭いは人間には感じ取れないものだと知っている。恐らくは何かに混ぜてほんの少しだけ体内に紛れ込んだ不純物みたいなものが、体に作用してこの臭いを生じさせているに違いない。人により量はまちまち、暴れるものの方が量は少ないように思えるが、全部が全部そうとは言えないようだ。それにしても偶然とは言えこんなことに巻き込まれるとは、本当に運が悪かった。どうやらこれは今のところはここだけで起きている事件で、他の地区では起きていない。
これに強く反応しているのは人の欲求というもののようなのだ、そう特殊な彼女には見えている。何しろ自分が密かに餌にする最たるモノが欲だから見えない筈がないが、それがまるで化学反応を起こして暴れたり倒れたりしている人間には濃い靄のようにまとわりついていた。それが見えているからには、彼女としても正直なところ深い溜め息をつくしかない。
嫌だわ…………上手く生きてきたのに、こんなことが出来るものがあるなんて随分物騒よね、世の中。
それは自然に起こったことではなくて、意図的に引き起こされていた。一番最初に起きたのは花街の近くの廃墟ビルで、まるで破裂して飛散するような気配が上がったのだ。それが傍にいたものに反応して、次の爆発がおこり、それが連鎖していくのを彼女は見ていた。しかもその連鎖が起こる前までは、誰にもそんなことが仕込まれている気配は感じていなかった。
そんなことが出来るのは、神様くらいよねぇ
神様という表現が正しいとは思わないが、邪悪でも力を持つものは神は神なのだ。それは彼女には変えようもないこの社会のルールのようなものだと思う。生まれ落ちてから上手いこと周囲の人間に紛れ込んで生きてきたのに、今やその素晴らしい形状をした胸の少し下のど真ん中には深々と有り得ないものが突き刺さっている。つい今しがたまで睦あってきた連れだった男が、当然の狂乱に飲まれて彼女の胸に突き刺したのは、なんと道端の幟旗の旗竿だった。人間はこの狂乱状態になるとリミッターが外れたみたいな火事場の馬鹿力のような腕力を発揮するらしく、旗竿は合成樹脂のパイプではあるが途中で無理矢理に折られている。その尖った先端が、彼女の胸の真ん中を貫いて背中にまで先端を覗かせていた。
「あ、あの…………それ、痛くないの?」
まだマトモそうな人間が心配そうに震えながら指をさす。それが突き刺さっている旗竿を言っているのは言わなくてもわかるし、何人かが動かない方がいいとオロオロしている。流血していないのは貫通しているからとか上手く勝手に説明してくれているが、普通の人間のこの位置を貫通したら心臓が串刺しよねと冷ややかに考えはする。それにしても彼女にしても、これは想定外の自体でこんな筈ではなかったのだ。しかしこれでは上手く人間のふりで生きてきたのに、何人にこれを見られたかもわからない。死んだふりをするには流石に遅すぎるし、何しろこれを突き刺した男は刺した瞬間に一気に生気を抜いて足元に痙攣している。
「う、動いちゃ駄目だよ?今、救急車呼ぶから。」
優しいこと。そう彼女は溜め息混じりでふと視線をあげる。
微かだが狂乱の中に流れ込んでくる足元を這うような音。まるで故郷の谷川のせせらぎのように聞こえるが、それがここで聞こえる筈がない。
波間のように揺らめき音が伝って広がってきたのに、サクラはその場に凍りついた。
全身が縛り付けられたようにすくんで身動きが取れないのは、その音を放つものが自分なんて一瞬で消し飛ばせる程の者だと本能的に感じ取れるからだ。それがこちらにこの音と共に一緒に向かってきている。ここから逃げなきゃとは思うが完全に足がすくんで動けないサクラの目には、騒乱の中にある道の端からその音に飲まれた人間が糸が切れたように次々とその場に崩れ落ちて倒れていくのが見えた。
そうしてその音の背後からサクラには、それがやって来るのが見えている。
狂乱して喚声をあげて突然見ず知らずの人間を殴り倒したり車道に突き飛ばしたりする若い青年。強ばった指を鉤爪のように宙に向けて、泡を吹いて地面で空を見て痙攣する中年の男。奇声をあげて突然駆け出したかと思うと、自分の頭よりは硬い筈のアスファルトに思い切り額を打ち付け始める若い女。
「な、なんなんですか、これ。」
一緒に駆り出された相棒の庄司陸斗もあまりの光景に呆気にとられている。頭がおかしくなるガスでも撒いたんじゃなきゃこんなに一気に多人数がおかしくなるとは思えない。しかも唖然としてしまうのは、その暴れる人間の統一感のなさも大きい。何しろ四人で飲み歩いているサラリーマンの一人が突然泡を吹いて倒れたり、寸前までイチャイチャしていた恋人同士が掴み合い殴り出していたり、かと思えば突然コンビニの中で店員が暴れ始めたり。ガスで一区画全員が錯乱とか、一つのテーブルを囲んでいた全員とかなら分かるが、四人のうちの一人とか多人数が一緒にいる店内の一人とか訳がわからなすぎる。
何なんだこれは。
呆気にとられてしまうが、その人混みの中にまだ病み上がりといっても良い筈の宮直行の姿を見つけて駆け寄る。宮直行は四ヶ月ほど前に店長をしていたカラオケボックス・エコーの店内で三浦和希に昏倒させられ重傷を負って手術まで受けていたが、奇跡的に後遺症もなく復活して今は社長に転身・カラオケボックスとカフェを経営している男だ。一見するとヒョロッとした弱々しそうに見える男だが、実は格闘技をやっていてここ近辺のチーマーを叩きのめして従えていて、情報網を形成するなんて手腕の持ち主でもある。
「宮さん。」
「あー風間さん、参ったね、これは。」
いとも呑気に聞こえるがその腕は若い男性の首に回されて締め上げていて、申し訳ないが暴れさせないために落としてるけどこれは正当防衛だよねぇと宮から問い返される。見れば何人かその類いの心得があると思われる人間が幾人かいて、同じようにして暴れる人間を取り押さえている風だ。
「これの原因は?」
「進藤の置き土産らしいよー、なんかほら、半年くらい前にクラブで警察で摘発したっしょ?あの薬飲んでた奴らみたいよ?」
確かに昨年末に一斉摘発でナイトクラブで流通していた合成系の薬剤ルートを潰していたし、その販売元もその何ヵ月か後に事務所にあった薬剤は押収されていた。だか、その押収したヒート入りの一見健康食品の薬は、中身は殆どがカフェインで水増しされたもので、それほど重要視されていないまま大本の進藤の死で操作はしりすぼみになっている。それがどう作用すると、何ヵ月も経ってこんな狂乱に変わるんだろうか。
「こんな……まだ流通しているのか?」
「いやぁ栄養剤だって売ってたから、知らないで飲んだやつもいたらしいから、もっといるでしょ。」
その言葉に愕然とする。今はここだけですんでいるが、ここから更に被害が拡大するかもと言われているのだ。
「トノに何処まで被害が出そうか炙り出してもらってるけど、今んとこここら辺だけで、その理由も調べてもらってんの。駅の向こうは何ともなさそうだし。」
確かに今のところ狂乱は花街だけだ。咄嗟に庄司も暴れている女を取り押さえるように指示して、トノと呼ばれた外崎に電話をかけると向こうも混乱している風で、最近の流通はないといいだす始末だ。最近飲んだものでないなら何時飲んでるんだと怒鳴りたくなるが、実際に流通網は四ヶ月以上も前に潰している。つまりそれ以上前に服用したものが潜伏して今更この状況を引き起こしたというのに、何でか諦観の微笑みを浮かべていた進藤隆平の顔が浮かぶ。
あいつ……
この狂乱は外崎曰く第二世代の薬だと言うが、第一世代の薬を飲んでいる三浦がこの状態になったら手のつけようがない。信哉なら三浦和希を止められるだろうが、その信哉を目下探している最中なのだ。腹立たしさに舌打ちが溢れたのと殆ど同時に、背後で新たな声が上がるのに気がついた。
「恭平?!」
思わず振り返った時一瞬信哉かと思ったが、その青年は信哉よりは華奢な黒髪の青年なのに気がつく。ただ似ていると思った後にもどうも見覚えがあるのは、それが昔自分が高校の生徒会で生徒会長なんてものをしていた時に一年の書記として関わった過去のある榊恭平だとすぐ気がついたからだ。
「榊……?」
『あ?榊って榊恭平か?!』
グラリと身体を揺らす榊恭平に、背の高い茶髪の青年が驚いたように手をかけているのが見える。片手で顔を覆った榊は眩暈でもしているみたいにグラグラと身体を揺らしながら、その青年の手を振り払おうともがいていた。
まさか、あいつも薬を飲んだことがある人間なのか?
なにか言おうとする外崎に電話口に後で電話すると叫んだ後で傍に駆け寄ると、その様子は何かを必死に堪えて内面で激しく戦っているみたいにも見える。
「榊?!お前榊恭平か?!」
「あ、…………?うっ…………。」
「恭平!!」
片手を握り離そうとしない青年に、榊の顔が困惑に歪んで冷や汗が滲む。まるで何かをしないように必死で堪えているみたいに見えるその様子に、思わず肩に手をかけた瞬間顔を覆っていた片手が意図も容易く風間の手首を捻った。
「ぐぅ!?」
「恭平!!駄目っ!離して!!」
メキメキと手首の間接が音をたてているのに、もう片方の手を掴んでいた青年が叫ぶ。その手際はまるで鳥飼信哉みたいに一瞬のことで手首の骨を砕かれそうになっていて、風間は激痛に思わずその場に崩れ落ちてしまう。何か武道をやってたのか?いや、この動きはどうみても信哉が高校の時にして見せたのと同じで、高校の時そういえば榊は次期鳥飼といわれていたような記憶がある。
合気道か……、ヤバイ、ここで暴れられたら、取り押さえられないぞ……
一瞬でこの技の威力では目の前の青年だってただでは済まない筈だが、手を掴んで離さない彼のお陰で榊自身もは必死に何かを押さえ込もうとしている。つまり他の人間が手を出したら自分のように一瞬で骨が砕かれるのを、何とか押さえ込んでいるのは茶髪の青年だということだ。これでもし榊がここで暴れだしたら、誰なら止められるか分かったもんじゃない。
「ううっう…………。」
「恭平!俺のこと分かんないの?!恭平!」
「風間さん?!こら!お前!!おとなしくっ……」
再び頭を押さえ込み俯く榊に背後から駆け寄ってきた庄司が、何気なく手を伸ばそうとしているのに、風間が気がついたのはその時だった。
※※※
電話の向こうの騒動と情報に、外崎宏太はみる間に青ざめていた。
摘発された薬。
クラブでの摘発。
そういうものにはまるで縁がない筈の榊恭平に、一度だけ薬を飲ませた事のある人間を外崎は知っている。しかも当人の方も摘発の時に酩酊していて自分も服用したと警察に口にしたのもちゃんと知っていて、それ以降は常習性がなかったのかそういう類いのものを飲んでいないのもちゃんと分かっていた。分かっていたが、それが当の薬だとしたら常用していたかどうかは関係ない。
咄嗟に何度か電話をかけるが、留守電にばかりなって全く反応がないのに外崎は更に青ざめる。帰ってこないのをおかしいと思うべきだった、今日に限って帰ってこないのを放置してしまったのを悔やむ。何処にいるのか咄嗟にパソコンで調べて、端末に送りながら外崎は慌てて立ち上がる。
「雪、悪い、花街迄出てくる。」
「え?!」
盲目で足の不自由な外崎が狂乱の現場に行こうなんて、ハッキリ言えば虎穴に入らずんば虎子を得ずとか言う問題ではない、ただの自殺行為だ。そう言われても外崎にはここで待つことの方がキツい。
「あいつも榊と同じだ、薬を飲んだことがある。」
その理由を告げる言葉に、宇野智雪は目を見開いていた。
※※※
花街で溢れる狂乱の中で、その女性は一人静かに呆れたように目を細めた。
艶やかな恐ろしい程に美しい黒髪、抜群のプロポーション。鮮やかに人目を惹く容姿のその女性は、辺りの暴れる人間とつい寸前まで自分の連れだった人間がヒクヒク痙攣しながらアスファルトに倒れ込んでいるのを冷ややかに眺める。
彼女はサクラという。
名字でも名前でもない、ただのサクラ、だ。
辺りに漂う夜の空気はまだ湿度を保ったまま、それどころか狂乱の熱気で蒸し暑いほど。そして辺りは強い腐臭に包み込まれているが、実際にはこの臭いは人間には感じ取れないものだと知っている。恐らくは何かに混ぜてほんの少しだけ体内に紛れ込んだ不純物みたいなものが、体に作用してこの臭いを生じさせているに違いない。人により量はまちまち、暴れるものの方が量は少ないように思えるが、全部が全部そうとは言えないようだ。それにしても偶然とは言えこんなことに巻き込まれるとは、本当に運が悪かった。どうやらこれは今のところはここだけで起きている事件で、他の地区では起きていない。
これに強く反応しているのは人の欲求というもののようなのだ、そう特殊な彼女には見えている。何しろ自分が密かに餌にする最たるモノが欲だから見えない筈がないが、それがまるで化学反応を起こして暴れたり倒れたりしている人間には濃い靄のようにまとわりついていた。それが見えているからには、彼女としても正直なところ深い溜め息をつくしかない。
嫌だわ…………上手く生きてきたのに、こんなことが出来るものがあるなんて随分物騒よね、世の中。
それは自然に起こったことではなくて、意図的に引き起こされていた。一番最初に起きたのは花街の近くの廃墟ビルで、まるで破裂して飛散するような気配が上がったのだ。それが傍にいたものに反応して、次の爆発がおこり、それが連鎖していくのを彼女は見ていた。しかもその連鎖が起こる前までは、誰にもそんなことが仕込まれている気配は感じていなかった。
そんなことが出来るのは、神様くらいよねぇ
神様という表現が正しいとは思わないが、邪悪でも力を持つものは神は神なのだ。それは彼女には変えようもないこの社会のルールのようなものだと思う。生まれ落ちてから上手いこと周囲の人間に紛れ込んで生きてきたのに、今やその素晴らしい形状をした胸の少し下のど真ん中には深々と有り得ないものが突き刺さっている。つい今しがたまで睦あってきた連れだった男が、当然の狂乱に飲まれて彼女の胸に突き刺したのは、なんと道端の幟旗の旗竿だった。人間はこの狂乱状態になるとリミッターが外れたみたいな火事場の馬鹿力のような腕力を発揮するらしく、旗竿は合成樹脂のパイプではあるが途中で無理矢理に折られている。その尖った先端が、彼女の胸の真ん中を貫いて背中にまで先端を覗かせていた。
「あ、あの…………それ、痛くないの?」
まだマトモそうな人間が心配そうに震えながら指をさす。それが突き刺さっている旗竿を言っているのは言わなくてもわかるし、何人かが動かない方がいいとオロオロしている。流血していないのは貫通しているからとか上手く勝手に説明してくれているが、普通の人間のこの位置を貫通したら心臓が串刺しよねと冷ややかに考えはする。それにしても彼女にしても、これは想定外の自体でこんな筈ではなかったのだ。しかしこれでは上手く人間のふりで生きてきたのに、何人にこれを見られたかもわからない。死んだふりをするには流石に遅すぎるし、何しろこれを突き刺した男は刺した瞬間に一気に生気を抜いて足元に痙攣している。
「う、動いちゃ駄目だよ?今、救急車呼ぶから。」
優しいこと。そう彼女は溜め息混じりでふと視線をあげる。
微かだが狂乱の中に流れ込んでくる足元を這うような音。まるで故郷の谷川のせせらぎのように聞こえるが、それがここで聞こえる筈がない。
波間のように揺らめき音が伝って広がってきたのに、サクラはその場に凍りついた。
全身が縛り付けられたようにすくんで身動きが取れないのは、その音を放つものが自分なんて一瞬で消し飛ばせる程の者だと本能的に感じ取れるからだ。それがこちらにこの音と共に一緒に向かってきている。ここから逃げなきゃとは思うが完全に足がすくんで動けないサクラの目には、騒乱の中にある道の端からその音に飲まれた人間が糸が切れたように次々とその場に崩れ落ちて倒れていくのが見えた。
そうしてその音の背後からサクラには、それがやって来るのが見えている。
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