GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第六幕 都市下・沿岸部国有地

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風が潮の香りを含んで湿っているのを感じながら、青年は肌につく風が持つ塩気を無意識に舐める。
名前は、三浦和希。
世の中では稀代の殺人鬼として、いつの間にか有名人になってしまっていた。でも、実のところ当の本人には、自分が何をしたのか全く記憶がない。ネットで調べて見たが都市伝説みたいな話ばかりで、結局最低限分かったのは少なくとも五人くらいは殺したんだろうということだけ。

今時情報が出てこないのもなぁ

舌で唇を舐めると微かな塩の味がする。
湿度はあまり得意ではないのは、湿度が何か嫌な記憶に繋がる気がするからだ。思い出せもしないのに不快感だけが、神経をささくれさせるのが好きではない。湿った熱を持った吹き掛けられる風、潮風に似たものに曝される感覚が、時々和希を無性に苛立たせる。
自分の父と告げた男は、乾いた目をした男だった。
体の中に底知れないほどの憤怒の焔を溜め込んで、湿度なんて何一つ感じさせない程乾いた目をしている男で、和希を生んだのもその憤怒の炎のせいだと言う。理解は出来なかったが、少なくとも何かにつけて和希のことを気にかけていたようだ。なんでか男は和希に、これから生きていくための方法をみっちりと教え込んだ。それは格闘技や技術、そして身を隠す術、そのための豊富な資金まで与えて。

お前は殺人鬼になったから、上手く隠れないと生きていけない。

殺人鬼。和希にはマトモに記憶がないから、そう告げられてもそうなのかとしか思えない。不思議な話だが、気がついたら自分の名前と何人かのことしか覚えていなかった。その男が保護して暮れなかったら実はどうなっていたか、和希自身分からないくらいだ。男が和希の世話をする人間に預けてくれなかったら、和希はマトモに食事をすることも出来なくなっていたに違いない。

こうなってからの自分は人間とかけ離れつつあるのは分かっている。

自分は、確かに人を殺してもなんとも思わなかった。一度人が話してるのに邪魔をした男に腹をたてて、目一杯殴り付け蹴り飛ばしたら相手の頭が玉子の殻みたいにグシャッと潰れてしまったのだ。でもまるで罪悪感なんか感じない上に、あ、潰しちゃった程度にしか思えなかった。確かにこれはおかしいなとは感じたけれど、だからといって何か対応しなきゃならないとまでは思えなかった。
そんな自分に食事を食べさせ、風呂に入ったり着替えたり、買い物をしたり、そんな普通の行動を丁寧に教えてくれる。そんな内に父と彼女には普通に接しているとは思えるようになった。でも、そうなると自分が確かにマトモでないし、普通には暮らせないのもわかってしまう。

何しろ人の顔が分からない。

記憶していられるのはほんの数日。しかもカッとなると簡単に人の頭が潰せる上に、時々頭が真っ白になって気がつくと体が怠く死体に裸で跨がっている事がある。多分自分が殺したんだろうと思うけど、何で裸になって、しかも男に跨がってるんだろう。ボンヤリかんがえても答えはでないし、死体が増えていくのに、自分が変わりに死ぬ気にもなれなかった。それを考えると何故か頭にはこう浮かぶ。

殺して貰うなら、かおるに殺して欲しい。

真名かおる。父親はそんな女は作り物で架空の女だと言ったが、顔は思い出せなくても自分は確かに記憶を失う前に真名かおるをこの手で刺した。だけど自分がこうして元気で生きているくらいだから、かおるもきっと生きているに違いない。密かに真名かおるは自分の中にあった、人間らしい心と記憶を根こそぎ全部持っていってしまったんだと思ってるんだ。

彼女は天使で悪魔だから、それくらいしてもおかしくない。

そう自分が話をしたら、亜希子はそれじゃその人に会わないとねと暢気に笑った。
亜希子はおかしな人で和希の世話をしてくれた人だ。人に話をさせるのが上手い上に、何でも見透かしたような目をして笑う。しかも殺人鬼という自分を全く怖がりもしなかった。

俺があんたを殺そうとしたらどうするの?亜希子

問いかけてみたら、もう一度死んでるからそれならそれで良いわと笑う。青く澄んだ空に吹く風みたいに亜希子は暢気にそういって、身の回りの世話をしたり食事を作って食べさせてくれた。亜希子にだけは父も勝てないと言って、あれは変な女だけど困ったら頼るといいとまで言ったくらいだ。
こうなってからの自分はドンドン人間とかけ離れつつあるのは分かっている。
そうじゃなきゃ親友だった運動神経抜群の体操選手だった槙山忠志と違って、完璧なインドア派だった自分が格闘技を数日で身に付けられる筈がない。パソコンもあつかったことのない自分が、ハッカー紛いの情報収集を数日で身に付けてしまう訳がないんだ。そして、幾ら利津に似て笑顔がクオッカみたいに癒されるからって女子高生の言葉を鵜呑みにして、こんな無謀な場所に侵入しようなんて考え付く筈がない。国の土地の割に古めかしいフェンスで囲まれてて、高圧電流ですと表示もされていて、内部は医療関係の施設とかいう敷地。フェンスから建物迄は数十メートル程の間隔があるが、セキュリティが各所フンダンに盛り込まれているからか内部を人が歩く気配は今のところない。

高圧電流ね、今時古風だよな。潮風で漏電したりしないのかね?

ワザワザ表示をして貰っててそう考えながら辺りを見渡すが、嫌な空気がチリチリと肌に障る気配がする。滑って淀んで停滞してて不快な空気が、何処かから流れてきていて思わず眉を潜めてしまう。

血生臭いなぁ……

自分が殺人鬼だからなのか、和希は血の臭いはほんの少しでも嗅ぎ分けられる。ここに淀んでいる空気には僅かだけど血の臭いが混じっているのに、頼むから彼女が怪我をしてなきゃいいけどと思う。
ここに辿り着いたのは起点が、彼女・亜希子だからだ。
今現在亜希子は元夫に襲われて行方不明になっているが、その捜索は警察に手が回ってて打ち切られている。でも最初の時点でニュースでも殺されたとか言われていたが、和希はそうは思っていない。実のところタイミングよく誰かが助けに入って、その後に何でか拉致されていると考えている。その理由は

まだ使ってたのか、あの傘。

それほどたいしたものではないが、見慣れた槙山忠志の傘が現場にあって、残された男はそれで殴られたような痕が頭にあるとか。ニュースでは亜希子が襲われて殴ったと考えられてもいたが、自分の知っている亜希子は殴られても殴ることはない。それにおかしくなっているらしい矢根尾とか言う男の、情報はネット上で氾濫炎上していて、ある意味和希とどっこいどっこいな人間のようだ。
そういうわけで、想像はしにくいが亜希子と忠志が一緒に拉致されたと仮定して、
そこからクオッカ……クオッカってなにかって?クオッカワラビーってググってくれ、あれはかなり癒される。話しはずれたが癒し系女子高生が忠志も行方不明と教えてくれなきゃ、和希はこの件は知らなかった。兎も角、クオッカが言う全員を、先生とか同級生とか忠志や亜希子が、全部バラバラの事件としたら世も末だなと思うわけだ。少なくともクオッカやクオッカの回りは、亜希子以外の全員を関連性があると考えてて、和希もそれは納得する。なら、一緒に拉致られた可能性がある亜希子も関連してると踏んでいるわけだ。
その人数は少なくても十人。それ、バラバラな施設に収監するか?ついでに言うと一人の人間を二十四時間監視するのには一人につき最低として五人は必要になる。これが監視だけであって身の回りの世話をしたり、例えば医療施設にとすれば医師や看護師が必要。となるとバラバラな場所に収監するのは、コストがばかにならない上に情報漏洩の危険性が上がる。となれば同じ理由で収監するなら同じ場所になる。
そして、そんな多人数を一気に収監すると、何が起きるか。
カサリと足音がして建物から人の気配がかけてくるのに気がついた。青ざめて血の気の失せた顔で足音も殺すこともなく、必死の形相で駆けていく。途中で来ていた白衣を脱ぎ捨てて、真っ直ぐに駆けていくからこっちも、足音を殺して並走する。

「…………だ、……そ、だ……、う…………、うそ……だ、嘘だ……。」

近づくと次第にそいつが呪文のように繰り返しているのに気がつく。怯えきった声は必死にそれだけを繰り返していて、何かから逃げている様子で気配を殺している自分には気がつく気配がない。そして唐突にそいつは地面に倒れ付して悲鳴を上げていた。何かに足をとられたみたいな倒れかた、そう思ったら男は悲鳴をあげ始める。

「あええあぁあ!!あし、あしいいぃ!!あ、あしいいいいぃいい!!!」

足?木陰から覗くとそいつは這いずって逃げ初めていたが、確かにそう叫びたくなるのがわかる状況だった。つい先程まで足音を立てていた筈の膝から下がそこには忽然と消え去っていて、男は悲鳴をあげながら更に這いずっていく。傷痕はまるで煮溶かして接合したようにも見え、たいして出血はしていない風だ。

出血死しないようにってことかな?それはそれで

そんなことを冷淡に考えながら眺めていると、痛みがあるのかないのか更に男は激しく絶叫しながら這いずる。

「いやだぁ!!いやだ!やだああぁああ!あああぁああ!!誰かぁあああああ!」

そう言えば消えた足はどこに行ったんだと視線を僅かに動かすと、そこには不定形の黒い小山がモコモコと膨れ上がっていてその中に千切れ落ちた足首が沈んでいくのが見えた。よくあるファンタジーのスライムとかいうのが分かりやすい表現だが、生で見ると中々グロい光景ではある。そいつの悲鳴に反応してるから耳は見えないが聴力はあるらしく、こうして悲鳴をあげる限りは向かってくるに違いない。でもそいつに、音をたてないなんて判断はもう無理だろう。

「だ、誰かあああぁあああ!!と、東条ぉおおおおおおっ、たすけてえええええええええ!!」

血の臭いはその不定形生物から漂っていて、それはブルブルと身を震わせて不意に大きく広がると飛びかかっていた。一瞬こっちの気配まで察しているのかと思ったが、ただ単に和希の目の前で叫ぶ男に体を広げ飛びかかってきたに過ぎない。覆い被さったものに爪を立てようとして目を見開く男の声が、不定形に阻まれて水中みたいに聞こえる。

『おぶっうぶおおぉがぼぉおおおおおお、やげるううううう!あががががっ』

顔の皮が捲れ出し飲まれた指先が既に骨になり初めているのは壮観。和希は音もたてずに、特等席で生ホラー映画だなと眺める。たしかずいぶん昔のB級ホラーに、ピンク色の不定形生物が人を喰うってのがあったきがする。それにしても世の中には人を襲う不定形生物が本当にいるものなのかと感心すらしてしまうし、ここで叫んでいるこいつは完全な死亡フラグだよなと思う。

『だだずげで、だ、れがぁあああ、だ、だずげ、』

やっぱり一気には殺さないんだなと感心しながら悲鳴も出さずに眺めていられるのは、ある意味幸運なのかもしれない。叫んだ東条というのが誰かは分からないが、少なくとも出てきてこいつを助ける気は無さそうだし、今更助けようにも無理なのは分かりきっていた。だがその様子にふと思い付いたように和希は音をたてないように足元から小石を拾うと、自分からは少し離れたフェンスに向かって投げつける。

カシャン!

その音に過敏に反応した不定形生物は溶けてグズグズになり始めたそいつの体ごと引き摺りながら、フェンスに向かって突進してくる。次の瞬間火花が飛び散って辺りに金気臭い強い臭気と強い湿度が飛散して、和希は思わず不快そうに眉を潜めた。暫しそのまま様子を見ると地面には溶け残った人間の残骸と、溶け落ちたフェンスだけが音もなく闇の中に残されている。

どうやら不定形だけあって水分多めだったみたいだな。

お陰で高圧電流のフェンスは溶けるしショートするし不定形生物は蒸発するしで、溶かされてしまった男には悪いが和希としては一石二鳥だ。冷静にそんなことを考えながら、和希は当然のように足音を殺してフェンスの隙間に体をすり抜けさせて敷地の中に足を踏み入れていた。



※※※



接続されたUSBから流入するプログラムが一台目のハードディスクを汚染して、次の機械へのルートを汚染し始める。それを離れた高台から端末を片手に眺めているロキの目の前で、次第に広がる感染に施設内の照明が微かにチラツクのが見えていた。内部にいれば微かな電圧の変化くらいにしか感じない程度の微細な点滅だが、こうして解る者には目に見えて感染が広がっているのを眺められるのは愉快だ。

「ねぇさん、まだすか?」
「その呼び方やぁね、ふったち。」
「俺もその呼び方嫌ですよ。」

宵闇の中に暢気な口調でそんなことを互いに口にしながら、横にしゃがんでいる青年を見もせずに『ロキ』は広大な土地を眺めている。視界で確認できる建物は全部で三棟に別れて一本ずつ渡り廊下で繋がっているが、その癖地下に降りれるのは棟の中ではたった一ヶ所だけ。しかも上の建物より地下の方が広大で、地下は潜水艦のように特殊な作りになっている場所がある。こんな作りに力を入れているなんて、資金の無駄使いだと思うが、随分長い年月をかけて少しずつ改造された国有の施設。元は感染症対策のための保養施設として始まったことになっているが、最初からその目的ではなかったようだ。

「秘密基地よねぇ、これって。」
「あ、そうですね、ハルさんがいたら滅茶苦茶喜びそう。」

暢気な会話の内に内部の三割のハードディスクが早速感染終了している。ここに辿り着いたのは、ロキが横取りした組織のプログラムの対象らしきものがここに集中しているのと、この施設がここ数日で異様な電力消費を始めたからだ。隠す気があるのかないのかと思うが、何せ政府が密かに公認なのだから隠す気がないの方だと『ロキ』は思う。
そして奇妙な活動をする人間も現れて、ここに出入りする人間もいる
ロキが横取りしてしまったプログラムで見ると、端末の中の風景は奇妙な色合いで熱源は二種類だ。明らかに黒いのと白いのと。

「白と黒ねぇ。正義の味方ならどっちかな?ふったち。」
「決まってるでしょ?ねぇさん、白でしょ?」
「うわぁ、グレーに言われると面白くないわぁ。」

長閑に聞こえる会話の先で、『ロキ』が仕掛けた悪戯という感染は凄まじい勢いで枝葉を広げ、施設の中の見えない部分で全体を飲み込もうとしていた。

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