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第三部
第四幕 護法院・日本庭園
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実際に智美は一度も当人と顔をあわせたことはないが、何度か写真では顔を見たことのある。そして智美は一度見れば、見たものを忘れることがない人間だ。そこに立つ女の顔は、木崎蒼子。
五代武の姉・五代紅子と双子の姉妹だった彼女は、二十三年前に交通事故で死亡したとずっと考えられていた。昨年末、竜胆貴理子として十年前から社会に姿を見せていた。竜胆貴理子=木崎蒼子であったことまでは調べられたのだが、その最中に彼女の体に巣食っていたものは彼女を食いつくし命を奪ったのだ。そしてその人外は四神の隙をついて、都市下の深い闇の中に逃げ続けている。
窮奇
そう名乗る人外。それが何故今ここにと思った瞬間、拝謁の間にいた朱雀が矢のようにそれに向かって飛び出して甲高い四方に轟くような嘶きをあげた。その凄まじい嘶きに、全員がその場に足を止めて凍りつく。木崎蒼子の顔が朱雀の出現にあからさまに歪み、舌打ち混じりに風を巻き雨を吹き上げるのがわかった。それに対して朱雀は凄まじい勢いでその口から焔を吐き出し、ここにいる者の退路を阻むように周囲を紅蓮の焔が囲む。まるで豪雨など露程でもないように一瞬の内に日本庭園が火の海になって、これから庭園を逃げ出そうとしていた者達が絶望の呻きをあげた。
「化け物め!」
光景をみて忌々しげに大声で叫んだ東条に、賛同すらする声が方々に上がり智美は鋭く舌打ちした。ここにいる者の殆どは目の前の木崎が人外の仮の姿だと知らない。朱雀はムザムザ人外の目の前に飛び出して、喰われるのを遮り助けようとしているだけなのだ。それをさも一見しただけで、害悪の根元であるかのように扱う院。それを目の前にして何も引き留めることができないのが、香坂智美がこの場所で今までしてきた全ての結果なのだ。
曾祖父・香坂智充から、院を・式読を継いだ時に全てを作り替えると決心した。先代白虎・鳥飼澪が友村礼慈に説いたように、自分には五代武が四神とて人間なのだと笑い、何時かは普通に暮らしたいと願っていたのを知っている。人体実験や忌々しい人外との闘いで、四神だけでなく多くの人が食われたり死んでいくのを何とか引き留めたいと願っていた。
それを変えると誓った筈なのに年単位の時間をかけて変えられたのは、ほんの表層の皮一枚。こんなことなら受け継いで直ぐにさっさと全てを解体して、根本から新しい組織を作り上げた方がきっと早かった。あの時老害達を放逐するのにかまけるより、四神と一緒に別な組織を一から生み出すべきだったのだ。
『青龍!』
自分を詰る声をハッキリ聞いている筈の朱雀の大きな鋭い声に、建物からその身を乗り出した青龍が青い水晶の瞳で口々に罵る者達を一瞥するのに誰もが凍る。どうみても自分達が四神を化け物と蔑んでいるのを、直ぐ間近で青龍が全て聞き続けていたのを今更のように気がついてしまったのだ。
ギロリと怒りを滲ませた青眼で自分達を一瞥した龍が、無言のまま不意に宙に飛びあると鱗を逆立てて風で焔を分けるようにして焔の中に道を作るのが見える。まるで聖書か壮大なファンタジー映画の光景のようにすら感じるが、命懸けの状況の中の者達は感謝どころでなく歓喜の顔で我先にそこを駆け出していく。
「無様だな……、こんな組織を……僕は必死に繕ってきたのか…………。」
思わずそう智美の口から溢れ落ちる言葉は隠しようもない本音で、隣に立つ礼慈も否定はしない。助けられているのに感謝すらされないで、それでも闘うしかない彼らを支えるための組織だと思っていたのに。いつの間にか本来願っていたのとは別の道を自分達で選び歩んで、それを無意味に智美達は必死に取り繕い守り続けていたのだ。
背後で壁を崩す激しい音に振り返ると、廊下から迫る人面の人外の体が白虎の体に突進しながら堅固な壁を豆腐のように切り裂くのが見えた。
『やめろ!!雲英!』
人外の放つ激しい怒号に向かって叫ぶ白虎の声に、サッと智美は青ざめ頭上の青龍を振り仰いだ。怒りに満ちた青龍の青い瞳と智美の視線がかち合い、今の白虎の言葉が本当だと肯定しているのに智美は人面を真っ直ぐに見つめた。
口角から突き出した猪の牙のせいで口角は大きく真横に裂けて、口内も巨大な牙の生え変わり完全に変容している。体の膨張のせいか猪首のようになり、まるで肩から顔が生えているようにも見えた。手足は虎人のように爪が伸び変わり、足の踵は削れたように歪にかわる。だがその人面は歪になり犬の毛に覆われつつあるが、確かに見たことのある青年の顔で智美は愕然とした。
投薬
その言葉が頭に閃き咄嗟に振り返ると、ニヤリと意味ありげに笑みを強いた老人が自分達を一瞥して庭園に降り立ち若者のように素早く駆け出すのを見た。
投薬の副作用は記憶障害と細胞の蘇生。
わざとらしい言葉で告げたのは、自分の功績を自画自賛したのだとは分かる。雲英はここに来たとき既に記憶障害で、何も覚えていないと話していた。それがいつの間にか人格が変わったように暴君のように振る舞っていたのは、裏で東条が何かを吹き込んで操っていたに違いない。投薬されたものの中身は不明だが、もし力の結晶を東条が手に入れてたのだとしたら、薬の中身は力の結晶の可能性がある。そして、それが金気を芽吹かせたのだとしたら、雲英は次第にそれにのまれて変容しつつあったのだろう。その結晶は何処から?
主
自分ではないものを主と呼んだ東条は、まだ人間なんだろうか。自分でも礼慈達に可能性を話したが、既に人間ではない可能性はどれくらいあるのだろう。もしここにいる二体より賢しい人外が、東条すら裏で全てを操っているのだとしたら、組織を東条のように裏から操る人間をあえて準備したりはしないだろうか。
記憶障害と細胞の蘇生という反応が人外が巣くう者にあるのなら、今更だが木崎蒼子が記憶障害と年齢にあわない姿なのもわかる。それにそれなら記憶障害だった雲英にも、同じことが言える。五十一歳になる木崎蒼子が三十代にしか見えないなら、雲英はもしかしたら二十歳代ですらないのかもしれない。それでは幾ら二十代前後の雲英某もしくは某雲英を探しても、見つかる筈がない。それにしたとしてもここに来て雲英も木崎蒼子も捨てゴマにしても構わない程の何かが、進んでいる可能性はどれ程なのだろう。そう考えた瞬間、もう独りの記憶障害を起こしている青年の事が脳裏に浮かぶ。
澤江仁
電話をかけたあと彼がどう行動したかは分からない。でも仁はああ見えて案外勘が鋭いから、一先ずは下手な人間には捕まらない筈だ。だがもし自分が考えている通り四神と人外の根源が等しいとして、澤江仁の中にも何かが……巣くっているのだとしたら。高校生位の澤江仁を探しても捜索願いも出ていないのは、仁も同じだからなのか。何時か仁も、仁という殻を脱ぎ捨てるというのか?そんな馬鹿な話があるのか?澤江仁は香坂智美の大事な友人の
「智美さん!」
思案を引き裂くような礼慈の声に一瞬焔の間を形どる道が途切れるのが分かる。焔の向こうで戦闘を繰り広げている朱雀が、反転しながらモウモウと水蒸気を上げて地面に緋色の異装姿に変化してして着地した。
「ちっ雷が邪魔しやがる!」
見れば雷雲が頭上で渦を巻いていて、紫がかった異様な雷が黒雲の表面を走り回っている。雷は木気の性質があるから火気の朱雀とはそれほど相性は悪くない筈と思った途端、雷が逃げ惑う人間に手を伸ばすのが見えた。チッと舌打ちをした金髪の青年が焔の矢を放ちながらそれを遮ろうとするのを、今度は木崎蒼子の口から放たれた風が棘に変容する。必死に人を逃がそうとしているのにパニックになった者達が紫雷に捕まるのを遮りながら、自分への攻撃を避けるのはこの庭園では至難の技だ。
「東条め、自分は木気で逃げたな。」
青龍の木気も木崎蒼子の姿をしたモノの木気も、上手く使えば独りで目を眩ませて逃げるのは容易い。しかも相剋の金気は背後で雲英を押さえ込んでいて、自分を見向きもしていないのだ。
「礼慈、香木は?」
「この雨じゃ殆ど流れます。」
確かに強い雨風には沈香は無意味だがその使い方ではない使い方もあると、手渡された匂袋を手に智美はチラッと周囲を見渡す。白虎に食らいつこうとしている雲英であったものは、次第に二足歩行すら不可能に変容しつつある。同時に先程見た木崎蒼子の姿は完全な人形で、妖力としては向こうの方が上に違いない。
『雲英!!』
《それはオレではなぃ!オレは檮杌だ!》
既に人間だった自我すらも奪われつつあるモノは、金色に目を光らせて白虎に掴みかかる。周辺の瓦礫を切り裂きながら挑みかかってくる檮杌の動きは好き勝手に暴れているという表現が一番相応しく、計画性の欠片も感じない。智美は雨の中に降り立つと、焔の道を逃げ遅れてしまって絶望に哭き崩れる作務衣の男の襟首を掴んだ。
「立て!!このまま死んでたまるか!」
自分よりも幼く、しかも足の不自由な智美に怒鳴り付けられて、その男は息を詰め智美を見上げる。建物の中に人間が残ってさえいなければ少なくとも白虎の自由度はあがるし、この状況を覆すには方法はこれが一番だ。そう考えた瞬間、礼慈が他のへたりこんでいる者にも渇をいれるのが聞こえた。
「朱雀!白虎!!」
そう声を張り上げた智美の手から中空に向かって投げあげられた匂袋を、一瞬で変化した朱雀の鉤のような足が掴んだ。その瞬間それはまるで火薬でも含まれていたように、瞬時に爆発的に青く燃え上がった。それを視界に入れた白虎がフッと体を低く沈め、次の瞬間その場から白銀の毛並みが掻き消す。目の前にいた筈の姿が一瞬で消えたのに檮杌は、激しい憤りの咆哮を上げて拝謁の間の天井を妖気の刃で突き崩す。
「動け!立て!」
無理矢理襟首を掴みきずるようにして、先程朱雀が作ってくれたのとは逆の方向に男達を追いたてる。奥の間と呼ばれる自分の住居の方向に生き残りを追いたてる背後で、白檀の芳香を漂わせた青い焔の塊が鋭い矢に変わって檮杌の額を撃ち抜いた。
《う、うがぁあ!!うぁあ!》
反転して日本庭園の下火になりつつある焔の中に音を立てて四肢を突き立てた白虎が、咆哮と同時に牙を向く。紫雷を引き寄せていた木崎蒼子の顔が引きつるのを白く銀色に輝く瞳が見据えると、白虎は一瞬にして変化を解き立ちはだかる。そしてまるで見透かしたように、木崎蒼子の操る紫雷をその素手で苦もなく握り潰した。
『くそ……忌々しい。』
最善なのは相剋の相手で対峙することだ。礼慈の沈香は香木から生成された木気の塊で火気の朱雀には相性がよく、相手が元は雲英だった金気の人外なら火剋金(かこくごん)で朱雀の方が相手に適している。しかも自我が奪われた雲英は檮杌の名の通り尊大かつ頑固な性格で好き勝手に暴れ回り、戦う時は退却することを知らずに死ぬまで戦う様相。そのまま白虎が相手でも問題はないだろうが、時間が惜しかった。
東条が何をするか分からない。
早期決着を図るには白虎を木崎蒼子・朱雀を檮杌に対峙させる方が、五行としてもずっと理にかなっている。白虎達だって分かっていたろうが朱雀一人が檮杌相手に一瞬なるのだから白虎が戸惑ったのはわかるし、そう出来るタイミングもなかっただけだ。沈香でほんの少しだけドーピングすることになったのに、顔を射ぬかれた檮杌は大袈裟に見えるほどの咆哮を上げて顔を両手で押さえると真っ直ぐに庭園に向けて突進していく。頭上の青龍が風で壁を作り智美達の姿を朱雀の作り出した水蒸気の靄で覆い隠す中、視界を失った檮杌が拝謁の間の壁に頭から体当たりして木っ端に帰る。必死で歩かせる自分の方が本当は杖をついて歩くのに補助が必要なのだと苦く考えながら、息を切らせて辺りを智美は見渡す。雷雲は去ったが曇天の雲は未だに変わらず、化け物達の咆哮が雷鳴のようにビリビリと建物を震わせている。ここにいる者以外が上手いこと逃げ出せていればいいがと思うが、逃げ遅れたものは殆どが礼慈と同じく感知能力を有する者ばかりだ。
死んでもいい人間ばかり……といいたいわけか。
東条への苛立ちが更に膨らむと胃がチリチリするし、怨み言でもよければ今すぐここで罵詈雑言を口から歌のように垂れ流してしまいそうだ。それを察した礼慈が後にしてくださいと、すかさず口にするものだから智美は軽く舌打ちする。奥の間からは山門に向かう方向の違う道があると作務衣の男に教え、やっと自分で駆け出すように動き出すのに安堵すら感じた。引きずりながらでは流石に体力が続かない。彼らがその道を知らないのはそこを使うのは自分が学校に通う時にしか使われないのと、奥の間には最小限の人間しか入らないからだ。自然とその一団の殿を杖をつき智美は頭上の青龍を見上げ、まだ十分ではない距離を振り返った。
玄武は何処にいるんだ?
今までずっと玄武の姿を見ていない。雨脚の激しいこの状況に玄武がいるといないとでは、戦況は大きく異なる。それを智美の雨に濡れた瞳に見つけたように、青水晶の瞳が自分達を見下ろしカッと口を開き風を操るのが見えた。
五代武の姉・五代紅子と双子の姉妹だった彼女は、二十三年前に交通事故で死亡したとずっと考えられていた。昨年末、竜胆貴理子として十年前から社会に姿を見せていた。竜胆貴理子=木崎蒼子であったことまでは調べられたのだが、その最中に彼女の体に巣食っていたものは彼女を食いつくし命を奪ったのだ。そしてその人外は四神の隙をついて、都市下の深い闇の中に逃げ続けている。
窮奇
そう名乗る人外。それが何故今ここにと思った瞬間、拝謁の間にいた朱雀が矢のようにそれに向かって飛び出して甲高い四方に轟くような嘶きをあげた。その凄まじい嘶きに、全員がその場に足を止めて凍りつく。木崎蒼子の顔が朱雀の出現にあからさまに歪み、舌打ち混じりに風を巻き雨を吹き上げるのがわかった。それに対して朱雀は凄まじい勢いでその口から焔を吐き出し、ここにいる者の退路を阻むように周囲を紅蓮の焔が囲む。まるで豪雨など露程でもないように一瞬の内に日本庭園が火の海になって、これから庭園を逃げ出そうとしていた者達が絶望の呻きをあげた。
「化け物め!」
光景をみて忌々しげに大声で叫んだ東条に、賛同すらする声が方々に上がり智美は鋭く舌打ちした。ここにいる者の殆どは目の前の木崎が人外の仮の姿だと知らない。朱雀はムザムザ人外の目の前に飛び出して、喰われるのを遮り助けようとしているだけなのだ。それをさも一見しただけで、害悪の根元であるかのように扱う院。それを目の前にして何も引き留めることができないのが、香坂智美がこの場所で今までしてきた全ての結果なのだ。
曾祖父・香坂智充から、院を・式読を継いだ時に全てを作り替えると決心した。先代白虎・鳥飼澪が友村礼慈に説いたように、自分には五代武が四神とて人間なのだと笑い、何時かは普通に暮らしたいと願っていたのを知っている。人体実験や忌々しい人外との闘いで、四神だけでなく多くの人が食われたり死んでいくのを何とか引き留めたいと願っていた。
それを変えると誓った筈なのに年単位の時間をかけて変えられたのは、ほんの表層の皮一枚。こんなことなら受け継いで直ぐにさっさと全てを解体して、根本から新しい組織を作り上げた方がきっと早かった。あの時老害達を放逐するのにかまけるより、四神と一緒に別な組織を一から生み出すべきだったのだ。
『青龍!』
自分を詰る声をハッキリ聞いている筈の朱雀の大きな鋭い声に、建物からその身を乗り出した青龍が青い水晶の瞳で口々に罵る者達を一瞥するのに誰もが凍る。どうみても自分達が四神を化け物と蔑んでいるのを、直ぐ間近で青龍が全て聞き続けていたのを今更のように気がついてしまったのだ。
ギロリと怒りを滲ませた青眼で自分達を一瞥した龍が、無言のまま不意に宙に飛びあると鱗を逆立てて風で焔を分けるようにして焔の中に道を作るのが見える。まるで聖書か壮大なファンタジー映画の光景のようにすら感じるが、命懸けの状況の中の者達は感謝どころでなく歓喜の顔で我先にそこを駆け出していく。
「無様だな……、こんな組織を……僕は必死に繕ってきたのか…………。」
思わずそう智美の口から溢れ落ちる言葉は隠しようもない本音で、隣に立つ礼慈も否定はしない。助けられているのに感謝すらされないで、それでも闘うしかない彼らを支えるための組織だと思っていたのに。いつの間にか本来願っていたのとは別の道を自分達で選び歩んで、それを無意味に智美達は必死に取り繕い守り続けていたのだ。
背後で壁を崩す激しい音に振り返ると、廊下から迫る人面の人外の体が白虎の体に突進しながら堅固な壁を豆腐のように切り裂くのが見えた。
『やめろ!!雲英!』
人外の放つ激しい怒号に向かって叫ぶ白虎の声に、サッと智美は青ざめ頭上の青龍を振り仰いだ。怒りに満ちた青龍の青い瞳と智美の視線がかち合い、今の白虎の言葉が本当だと肯定しているのに智美は人面を真っ直ぐに見つめた。
口角から突き出した猪の牙のせいで口角は大きく真横に裂けて、口内も巨大な牙の生え変わり完全に変容している。体の膨張のせいか猪首のようになり、まるで肩から顔が生えているようにも見えた。手足は虎人のように爪が伸び変わり、足の踵は削れたように歪にかわる。だがその人面は歪になり犬の毛に覆われつつあるが、確かに見たことのある青年の顔で智美は愕然とした。
投薬
その言葉が頭に閃き咄嗟に振り返ると、ニヤリと意味ありげに笑みを強いた老人が自分達を一瞥して庭園に降り立ち若者のように素早く駆け出すのを見た。
投薬の副作用は記憶障害と細胞の蘇生。
わざとらしい言葉で告げたのは、自分の功績を自画自賛したのだとは分かる。雲英はここに来たとき既に記憶障害で、何も覚えていないと話していた。それがいつの間にか人格が変わったように暴君のように振る舞っていたのは、裏で東条が何かを吹き込んで操っていたに違いない。投薬されたものの中身は不明だが、もし力の結晶を東条が手に入れてたのだとしたら、薬の中身は力の結晶の可能性がある。そして、それが金気を芽吹かせたのだとしたら、雲英は次第にそれにのまれて変容しつつあったのだろう。その結晶は何処から?
主
自分ではないものを主と呼んだ東条は、まだ人間なんだろうか。自分でも礼慈達に可能性を話したが、既に人間ではない可能性はどれくらいあるのだろう。もしここにいる二体より賢しい人外が、東条すら裏で全てを操っているのだとしたら、組織を東条のように裏から操る人間をあえて準備したりはしないだろうか。
記憶障害と細胞の蘇生という反応が人外が巣くう者にあるのなら、今更だが木崎蒼子が記憶障害と年齢にあわない姿なのもわかる。それにそれなら記憶障害だった雲英にも、同じことが言える。五十一歳になる木崎蒼子が三十代にしか見えないなら、雲英はもしかしたら二十歳代ですらないのかもしれない。それでは幾ら二十代前後の雲英某もしくは某雲英を探しても、見つかる筈がない。それにしたとしてもここに来て雲英も木崎蒼子も捨てゴマにしても構わない程の何かが、進んでいる可能性はどれ程なのだろう。そう考えた瞬間、もう独りの記憶障害を起こしている青年の事が脳裏に浮かぶ。
澤江仁
電話をかけたあと彼がどう行動したかは分からない。でも仁はああ見えて案外勘が鋭いから、一先ずは下手な人間には捕まらない筈だ。だがもし自分が考えている通り四神と人外の根源が等しいとして、澤江仁の中にも何かが……巣くっているのだとしたら。高校生位の澤江仁を探しても捜索願いも出ていないのは、仁も同じだからなのか。何時か仁も、仁という殻を脱ぎ捨てるというのか?そんな馬鹿な話があるのか?澤江仁は香坂智美の大事な友人の
「智美さん!」
思案を引き裂くような礼慈の声に一瞬焔の間を形どる道が途切れるのが分かる。焔の向こうで戦闘を繰り広げている朱雀が、反転しながらモウモウと水蒸気を上げて地面に緋色の異装姿に変化してして着地した。
「ちっ雷が邪魔しやがる!」
見れば雷雲が頭上で渦を巻いていて、紫がかった異様な雷が黒雲の表面を走り回っている。雷は木気の性質があるから火気の朱雀とはそれほど相性は悪くない筈と思った途端、雷が逃げ惑う人間に手を伸ばすのが見えた。チッと舌打ちをした金髪の青年が焔の矢を放ちながらそれを遮ろうとするのを、今度は木崎蒼子の口から放たれた風が棘に変容する。必死に人を逃がそうとしているのにパニックになった者達が紫雷に捕まるのを遮りながら、自分への攻撃を避けるのはこの庭園では至難の技だ。
「東条め、自分は木気で逃げたな。」
青龍の木気も木崎蒼子の姿をしたモノの木気も、上手く使えば独りで目を眩ませて逃げるのは容易い。しかも相剋の金気は背後で雲英を押さえ込んでいて、自分を見向きもしていないのだ。
「礼慈、香木は?」
「この雨じゃ殆ど流れます。」
確かに強い雨風には沈香は無意味だがその使い方ではない使い方もあると、手渡された匂袋を手に智美はチラッと周囲を見渡す。白虎に食らいつこうとしている雲英であったものは、次第に二足歩行すら不可能に変容しつつある。同時に先程見た木崎蒼子の姿は完全な人形で、妖力としては向こうの方が上に違いない。
『雲英!!』
《それはオレではなぃ!オレは檮杌だ!》
既に人間だった自我すらも奪われつつあるモノは、金色に目を光らせて白虎に掴みかかる。周辺の瓦礫を切り裂きながら挑みかかってくる檮杌の動きは好き勝手に暴れているという表現が一番相応しく、計画性の欠片も感じない。智美は雨の中に降り立つと、焔の道を逃げ遅れてしまって絶望に哭き崩れる作務衣の男の襟首を掴んだ。
「立て!!このまま死んでたまるか!」
自分よりも幼く、しかも足の不自由な智美に怒鳴り付けられて、その男は息を詰め智美を見上げる。建物の中に人間が残ってさえいなければ少なくとも白虎の自由度はあがるし、この状況を覆すには方法はこれが一番だ。そう考えた瞬間、礼慈が他のへたりこんでいる者にも渇をいれるのが聞こえた。
「朱雀!白虎!!」
そう声を張り上げた智美の手から中空に向かって投げあげられた匂袋を、一瞬で変化した朱雀の鉤のような足が掴んだ。その瞬間それはまるで火薬でも含まれていたように、瞬時に爆発的に青く燃え上がった。それを視界に入れた白虎がフッと体を低く沈め、次の瞬間その場から白銀の毛並みが掻き消す。目の前にいた筈の姿が一瞬で消えたのに檮杌は、激しい憤りの咆哮を上げて拝謁の間の天井を妖気の刃で突き崩す。
「動け!立て!」
無理矢理襟首を掴みきずるようにして、先程朱雀が作ってくれたのとは逆の方向に男達を追いたてる。奥の間と呼ばれる自分の住居の方向に生き残りを追いたてる背後で、白檀の芳香を漂わせた青い焔の塊が鋭い矢に変わって檮杌の額を撃ち抜いた。
《う、うがぁあ!!うぁあ!》
反転して日本庭園の下火になりつつある焔の中に音を立てて四肢を突き立てた白虎が、咆哮と同時に牙を向く。紫雷を引き寄せていた木崎蒼子の顔が引きつるのを白く銀色に輝く瞳が見据えると、白虎は一瞬にして変化を解き立ちはだかる。そしてまるで見透かしたように、木崎蒼子の操る紫雷をその素手で苦もなく握り潰した。
『くそ……忌々しい。』
最善なのは相剋の相手で対峙することだ。礼慈の沈香は香木から生成された木気の塊で火気の朱雀には相性がよく、相手が元は雲英だった金気の人外なら火剋金(かこくごん)で朱雀の方が相手に適している。しかも自我が奪われた雲英は檮杌の名の通り尊大かつ頑固な性格で好き勝手に暴れ回り、戦う時は退却することを知らずに死ぬまで戦う様相。そのまま白虎が相手でも問題はないだろうが、時間が惜しかった。
東条が何をするか分からない。
早期決着を図るには白虎を木崎蒼子・朱雀を檮杌に対峙させる方が、五行としてもずっと理にかなっている。白虎達だって分かっていたろうが朱雀一人が檮杌相手に一瞬なるのだから白虎が戸惑ったのはわかるし、そう出来るタイミングもなかっただけだ。沈香でほんの少しだけドーピングすることになったのに、顔を射ぬかれた檮杌は大袈裟に見えるほどの咆哮を上げて顔を両手で押さえると真っ直ぐに庭園に向けて突進していく。頭上の青龍が風で壁を作り智美達の姿を朱雀の作り出した水蒸気の靄で覆い隠す中、視界を失った檮杌が拝謁の間の壁に頭から体当たりして木っ端に帰る。必死で歩かせる自分の方が本当は杖をついて歩くのに補助が必要なのだと苦く考えながら、息を切らせて辺りを智美は見渡す。雷雲は去ったが曇天の雲は未だに変わらず、化け物達の咆哮が雷鳴のようにビリビリと建物を震わせている。ここにいる者以外が上手いこと逃げ出せていればいいがと思うが、逃げ遅れたものは殆どが礼慈と同じく感知能力を有する者ばかりだ。
死んでもいい人間ばかり……といいたいわけか。
東条への苛立ちが更に膨らむと胃がチリチリするし、怨み言でもよければ今すぐここで罵詈雑言を口から歌のように垂れ流してしまいそうだ。それを察した礼慈が後にしてくださいと、すかさず口にするものだから智美は軽く舌打ちする。奥の間からは山門に向かう方向の違う道があると作務衣の男に教え、やっと自分で駆け出すように動き出すのに安堵すら感じた。引きずりながらでは流石に体力が続かない。彼らがその道を知らないのはそこを使うのは自分が学校に通う時にしか使われないのと、奥の間には最小限の人間しか入らないからだ。自然とその一団の殿を杖をつき智美は頭上の青龍を見上げ、まだ十分ではない距離を振り返った。
玄武は何処にいるんだ?
今までずっと玄武の姿を見ていない。雨脚の激しいこの状況に玄武がいるといないとでは、戦況は大きく異なる。それを智美の雨に濡れた瞳に見つけたように、青水晶の瞳が自分達を見下ろしカッと口を開き風を操るのが見えた。
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