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第三部
第四幕 都市下・西部竹林
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闇の中でずるりと地を這いながらそのものは忌々しげに自分の体から流れ出す妖気に群がる矮小なものを見やる。正確には同じ種別の存在、しかもこうして同じ闇に群がる姿は共食いとしか言いようのないものだが、それを構っていられる状況でもなかった。上手く凌いで雷光に隙をつくつもりだったのに、質は違えど金気に貫かれたのは痛い。即消滅しなかったのは自分を貫いた金気が、純粋ではなく汚れていたからだ。敵意は強かったが血の臭いがする金気で自分の気を刈りきれなかったのは不幸中の幸いだし、気の扱いも雑で気自体が弱い。ただ、金気を持つような人間直ぐ傍にいるなんて知りもしなかった。
≪おのれ…あいつめ……。≫
忌々しげにそう呻く。
これが何故起きているのか、薄々と感じ始めていた。闇の底の主は自分に手駒を作っていく手段を幾つも与えたし、八握脛や饕餮という名前を自分のように仲間に与えた。
名前はそのモノを存在させる
そう主は口にして名前を与え闇の底から、餌にまみれた世界を教えてきた。だが、それ自体が主の計画なのだとしたら。何年もかけて作り上げられ、幾つも人外が四神の手で人間の世界で散ってきた。そして再び地の底で散り堕ちてくるカスが集まり、一際ズル賢いものが産声を上げているのだと主は言う。
だが、それは本当か?
あれを蔑んだように見てきたが、あれ自体がどんな姿なのか、どんな力を持っているのか知っている仲間はいたか?まだ矮小で弱く、共食いをしながらあれを見ていたが、あれは人を食うわけでもなくあの場で淀み続けている。そして、自分が地の底へ戻ろうとするのを遮る壁を生んだのは、あの地の底の主ではないのだろうか。強固な壁は下から抜け出るのは容易くても、逆は出来ない。つまり出たが最後自分達は死ぬまで、こちらで四神に狩られるのみ。
それは何故だ?
狩られて力を吹き出すことが必要なのではないだろうかと、今更気がつかされた。策に溺れるといわれるが、窮奇が三十年も生き延びたのはこのズル賢さのお陰だ。自分が一番最初に潜んだのは盲目の人間だった。目が虚になっていて潜り込みやすかっただけだが、次第に異常な執着と悪意に塗り変得られていく人間の内側は心地好かったのだ。その人間が他の人間に見えないものが見えたのは自分が入り込んだからで、やがてその男は宗教というものを傘に暴君に生まれ変わった。最後には何人かを道連れにして自決したが、人間には大概心に隙がある。それを上手く使って生き抜いて来たが、それは自分達にも同じだったのかもしれない。
策は主が与えた知識で組み上げられた、つまりはあの主はもっと大きな策を練っているのだろう。そうして自分達がその一片なのだとしたら、もしかして自分達が得た力は主のものになるのではないか。そして、自分を追い出して戻らせなくしたのは、自分が果実として熟れはじめているからか。
囮で、しかも贄。
四神と同じ。そう気がついた瞬間、何としても生き残らなければと考えた。自分が消滅するわけにはいかないと、浅い闇を這いながら一端腹に納めようとした男を竹林に吐き出した。食っても構わないが、一緒にいた女の方が旨そうだったのが悔やまれる。何処か歪な歪みかたをして、先程の金気に似た汚れかたをし始めている男は食欲はそそらない。それよりは四神が戯れている間に、直ぐ傍の群れを食った方がよさそうだ。そう考えて動き出そうとしたのだが、何故かふと思い出したように窮奇は這うのを止めた。
※※※
腕の中でグッタリしたままの女性を抱きかかえたままでいた玄武が、その言葉に息を飲む。人間が四神の能力を得るために人間を喰う、そんな話は今まで一度も聞いたことがない。朱雀も青龍もおぞましいその言葉に青ざめて、抑え込まれた雲英の愕然とした顔を見下ろす。
「誰がそんなことを教えた?」
「それは…………。」
戸惑いに満ちた雲英の瞳は、今更のように周囲の四人の姿を見上げ、雨の中仄かな光を纏う異装を見つめる。同じ金気を得ても雲英には、何もない空間から顕現させることの出来ないもの。記憶を失う前に自分が何をしていたのかも知らないし何処で暮らしていたかも思い出せないが、ほんの僅かな切っ掛けで思い出したのは手に乗せて差し出された一つのカプセルだった。
飲むか、このままか。
そう問われてあの時の自分はそれを飲むことを選んだ。選ぶしかなかったから、選んだら何かから逃れられると囁かれて。あの時の自分は飲んでも飲まなくてもお仕舞いだから、自分はカプセルを受け取り飲むしかなかった。それを朧気ながらに思い出すと、いてもたってもいられなくなったのだ。あのカプセルは四神の力を得るために与えられたのだと、気がついてしまった。
四神にならないと自分は終わり。
何故そう感じるかは分からないが、終わってしまうのだと怯えるしかない。記憶は戻らないのに何故か力を更に得ないと、選ぶ前の自分に堕ちてしまう。
もっと力を得ないと、終わりだ。
何が終わりなのかは分からない。分からないがそのための方法は喰うことだと、頭の中で囁くものがいるのに気がつく。頭の中に何かが住み着いていて、四神に成るために必要なものを囁く。喰うしかない、四神の力は血の中に混じるから、それを強めるにはあいつらと同じで喰うしかない。
「喰うしかない……。」
「そんなのは嘘だ。」
鋭く言い放たれた言葉は胸を抉るように冷たく、清廉で淀みもない。自分とは桁の違う金気はどうやって与えられるのだと、雨の滴を滴らせながら雲英は地面を目を剥いて見据える。
人を食わずに与えられる?
その瞬間意識を取り戻した怯えた鋭い悲鳴に一瞬腕を捉えた力が緩み、雲英は滑るようにその手から逃れると忌々しげに白虎を見上げた。白銀に光を放つ異彩で言葉のないままに見透かすような視線を向ける青年にそのままでは敵うはずもない事を知り尽くしたようにジリと間合いをとる。その姿に白虎は僅かに躊躇うような表情を浮かべていた。自分達の気が女性に干渉しないようにと中空に離れた朱雀・青龍は訝しげにその姿を見下ろす。
「青龍…アレ………信哉だよな?」
あまりにも今までとは違う質を見せる強い気を放つ青年の姿に戸惑うように眉を寄せる朱雀の声に、横を舞う青龍も不安げに瞳を揺らす。今までとは異なる強大に膨れ上がる気を放ちながらも、白虎が遥かに気の扱いに長けていることを示すように、その金気の気配はより合わされた様に帯のように地表を揺らめき女性を抱えた玄武には近寄ろうともしない。その姿に長く彼を知っている玄武ですらも女性を庇いながらも驚きを隠せない風に眼を見張っている。
「お前と戦う気はないし、お前が勝てるとも思えない。」
「だから?貴様がそういったからといって俺が何もかも放棄するとでも?」
嘲るように言い放つ雲英の姿を静かに見つめながら、再び手刃を向けようとしたもう一つの金気の腕を白虎は全く避けもしないで正面から手で受けた。
「白虎!」
切り裂かれる懸念に叫んだ朱雀の声の向こうで、全く動じた様子もない白虎の手は傷つく事もなくその腕を握り、ただ無表情にその場に佇んで雲英を見下ろした。驚きに眼を見張るその青年の目の前で同じ質を持つ気で相殺された腕がわざと放されて、雲英は音を立てて数歩下がり威圧感を感じたように蒼ざめながら白虎を見上げる。
「無駄だ、同質のものなら波長を重ねれば相殺するのは難しくない。」
静かな声は諭すように穏やかに呟き、その場に降り仕切る雨に吸い込まれるように響き渡る。今までならそんな方法は仕組みは理解できても、咄嗟には行えなかった筈の桁外れの力だ。まるで一段階上に急に突き抜けてしまったような白虎に、雲英は戸惑い顔を歪めた。
「貴様は………普通じゃない…。」
そう呟くように零す雲英の声に白虎は微かに苦悩に満ちた瞳を浮かべ、周囲の仲間の驚く様子も眼に止めてから溜息をついた。
「そんなこと………言われなくても……分かってる。」
異端・異質・異例。そんな言葉に何度も傷つけられて来た。それでも生き残らないとこの先が何も見えなくなるし、生き残らないとならない理由もある。もう何時死んでもいいとは、絶対に言えなくなった。そして自分達の力が元はなんなのか理解もしてしまったら、今まで奥底に押し込めていたものを押し込められなくなったのだ。白虎を選んだのは過去の自分達で、長い年月をかけて自分達は預かったものをユックリと育て続けてきた。知らずに受け入れ育て、次の自分に引き継いでいたのだ。
女性を庇って一端離れる玄武を背後に感じながら、躍りかかる金気をいなす白虎はまるで揺るぎもしない。
駄目だ!これでは足りない!力が!
駄目だと繰り返し呟く口が、次第に歪に歪み始めている。既にその姿は人とはかけ離れはじめて、醜い異形に変質しかけていた。
「戻れなくなるぞ、そのままでは。」
低い白虎の諭す声に等の昔に自分は終わっていたのだと、何故か雲英は瞬時に思い出していた。
既に遅すぎる。
※※※
元は何処かの寺の血筋だと聞いて育った。
だが残念なことに産まれた時には既に親はなく、親戚をたらい回しにされるうちマトモな人間では無くなってしまって最後には放逐される。お前は家の家系の汚点だと、棄てられたのだ。それを半分は自分の行いのせいで、半分は家畜のように育てた親戚のせいだと雲英宗嗣は思った。だから祖父母と伯父夫婦とその子供を殺したのに何も罪悪感はないし、それで死刑になったからと言って気にもしない。
だが、刑の執行までの時間が恐ろしかった。
次第に自分が死に近づいているのが、恐ろしい。人を殺した罪悪感は何もないのに、自分が死ぬのは嫌で怯え続けていた。死んだらどうなるのか?地獄に落ちるのか?地獄には殺した奴等はいるのか?産まれてから大事にされたことがないのが、今の自分を産み出した理由なのに。その理由を作り出した人間は罰を受けないで、自分だけが地獄に落ちる。そんな理不尽な話があってたまるかと雲英は考えたのだ。殺されて当然の人間しか殺してないのに、自分だけが悪人とされるこの世の中の仕組みの方が間違っている。
一人そう何年も苦悩し続ける自分に、見ず知らずの男が不可能な筈の面会をしてきたのはそんなときだった。諦めがつく頃に死刑が執行されるのだろうかとすら考えていた自分の前に、唐突に姿を現した男は無表情で告げる。
「死刑にどうせなるんだから、試してみないか?」
冷淡にどうせ死刑になるんだからと自分に言った年老いた男の瞳は、爬虫類のように熱が感じられない。感じられないが苦しむわけでもないというその薬が効果を現したら、雲英は殺されずに逆に国の宝になるというのだ。
「効かない確率もある。効かなければ、ただ死刑になるだけだ。」
薬が効けば死刑にはならない。効かなければ死刑、飲まなくても死刑。そう言われて死刑で死にたくなかった雲英が飛び付かない筈がない。カプセルを飲み下し、どうか効いてくれと必死で願い続けたが、最後の一個を口に含むまで実際には何も変化はなかった。十八日間ジリジリと絶望だけが体の中で育っていくのを感じながら、必死に祈り続けて最後の一つを飲み下した夜まで変化は訪れず、雲英は効かなかったと心の底から絶望していたのだ。
※※※
そうしてその時何かが芽吹いて、全ては闇に飲まれた。そして、気がついた時にはそこから何故かお前が得たのは何者にもかえがたい宝だと信じて、それを更に高めて何時か白虎に選ばれると疑わない。目の前の男が死ねば次は自分だと信じきっていて、そのためには人を喰うのだと疑いもしなかった。それが自分の体内に別な何かを育てているのだとも思わず、自分の体が……
ブツリと不快な音が響いて何かが裂けるのを聞く。
奥底からザワザワと膨れ上がって頭の中にしかなかった声が表に咆哮をあげるのが、雷鳴に重なりあう。目の前の白銀の男の事は意識から消し飛び、空腹を脳髄が訴える。目の前の男を喰うよりも、もっと大量にか弱く群れる気配が竹林を縫って漂っているのに更に大きな咆哮を上げた。
「雲英!!」
その名前は既に過去のもので、新たな力は奥から自分の名を告げる。遥か昔に地の底で与えられた名前は、そんな軟弱な名前ではないと更に激しく吠えた。避けた口角からは猪の牙が音をたてて生え、顔を歪ませて異形に膨れ上がっていく。
檮杌
その自分の名前を告げるよりも空腹を満たす欲が勝り、その体は突然竹林を薙ぎ倒しながら一直線に東に向けて突進し始めていた。激しい雨脚と突然倒れかかってくる孟宗竹に、白虎達が一瞬の隙を作ったのだ。そう三人が気がついた時には、既に雨をけたてて檮杌はその建物を視界にいれていた。
≪おのれ…あいつめ……。≫
忌々しげにそう呻く。
これが何故起きているのか、薄々と感じ始めていた。闇の底の主は自分に手駒を作っていく手段を幾つも与えたし、八握脛や饕餮という名前を自分のように仲間に与えた。
名前はそのモノを存在させる
そう主は口にして名前を与え闇の底から、餌にまみれた世界を教えてきた。だが、それ自体が主の計画なのだとしたら。何年もかけて作り上げられ、幾つも人外が四神の手で人間の世界で散ってきた。そして再び地の底で散り堕ちてくるカスが集まり、一際ズル賢いものが産声を上げているのだと主は言う。
だが、それは本当か?
あれを蔑んだように見てきたが、あれ自体がどんな姿なのか、どんな力を持っているのか知っている仲間はいたか?まだ矮小で弱く、共食いをしながらあれを見ていたが、あれは人を食うわけでもなくあの場で淀み続けている。そして、自分が地の底へ戻ろうとするのを遮る壁を生んだのは、あの地の底の主ではないのだろうか。強固な壁は下から抜け出るのは容易くても、逆は出来ない。つまり出たが最後自分達は死ぬまで、こちらで四神に狩られるのみ。
それは何故だ?
狩られて力を吹き出すことが必要なのではないだろうかと、今更気がつかされた。策に溺れるといわれるが、窮奇が三十年も生き延びたのはこのズル賢さのお陰だ。自分が一番最初に潜んだのは盲目の人間だった。目が虚になっていて潜り込みやすかっただけだが、次第に異常な執着と悪意に塗り変得られていく人間の内側は心地好かったのだ。その人間が他の人間に見えないものが見えたのは自分が入り込んだからで、やがてその男は宗教というものを傘に暴君に生まれ変わった。最後には何人かを道連れにして自決したが、人間には大概心に隙がある。それを上手く使って生き抜いて来たが、それは自分達にも同じだったのかもしれない。
策は主が与えた知識で組み上げられた、つまりはあの主はもっと大きな策を練っているのだろう。そうして自分達がその一片なのだとしたら、もしかして自分達が得た力は主のものになるのではないか。そして、自分を追い出して戻らせなくしたのは、自分が果実として熟れはじめているからか。
囮で、しかも贄。
四神と同じ。そう気がついた瞬間、何としても生き残らなければと考えた。自分が消滅するわけにはいかないと、浅い闇を這いながら一端腹に納めようとした男を竹林に吐き出した。食っても構わないが、一緒にいた女の方が旨そうだったのが悔やまれる。何処か歪な歪みかたをして、先程の金気に似た汚れかたをし始めている男は食欲はそそらない。それよりは四神が戯れている間に、直ぐ傍の群れを食った方がよさそうだ。そう考えて動き出そうとしたのだが、何故かふと思い出したように窮奇は這うのを止めた。
※※※
腕の中でグッタリしたままの女性を抱きかかえたままでいた玄武が、その言葉に息を飲む。人間が四神の能力を得るために人間を喰う、そんな話は今まで一度も聞いたことがない。朱雀も青龍もおぞましいその言葉に青ざめて、抑え込まれた雲英の愕然とした顔を見下ろす。
「誰がそんなことを教えた?」
「それは…………。」
戸惑いに満ちた雲英の瞳は、今更のように周囲の四人の姿を見上げ、雨の中仄かな光を纏う異装を見つめる。同じ金気を得ても雲英には、何もない空間から顕現させることの出来ないもの。記憶を失う前に自分が何をしていたのかも知らないし何処で暮らしていたかも思い出せないが、ほんの僅かな切っ掛けで思い出したのは手に乗せて差し出された一つのカプセルだった。
飲むか、このままか。
そう問われてあの時の自分はそれを飲むことを選んだ。選ぶしかなかったから、選んだら何かから逃れられると囁かれて。あの時の自分は飲んでも飲まなくてもお仕舞いだから、自分はカプセルを受け取り飲むしかなかった。それを朧気ながらに思い出すと、いてもたってもいられなくなったのだ。あのカプセルは四神の力を得るために与えられたのだと、気がついてしまった。
四神にならないと自分は終わり。
何故そう感じるかは分からないが、終わってしまうのだと怯えるしかない。記憶は戻らないのに何故か力を更に得ないと、選ぶ前の自分に堕ちてしまう。
もっと力を得ないと、終わりだ。
何が終わりなのかは分からない。分からないがそのための方法は喰うことだと、頭の中で囁くものがいるのに気がつく。頭の中に何かが住み着いていて、四神に成るために必要なものを囁く。喰うしかない、四神の力は血の中に混じるから、それを強めるにはあいつらと同じで喰うしかない。
「喰うしかない……。」
「そんなのは嘘だ。」
鋭く言い放たれた言葉は胸を抉るように冷たく、清廉で淀みもない。自分とは桁の違う金気はどうやって与えられるのだと、雨の滴を滴らせながら雲英は地面を目を剥いて見据える。
人を食わずに与えられる?
その瞬間意識を取り戻した怯えた鋭い悲鳴に一瞬腕を捉えた力が緩み、雲英は滑るようにその手から逃れると忌々しげに白虎を見上げた。白銀に光を放つ異彩で言葉のないままに見透かすような視線を向ける青年にそのままでは敵うはずもない事を知り尽くしたようにジリと間合いをとる。その姿に白虎は僅かに躊躇うような表情を浮かべていた。自分達の気が女性に干渉しないようにと中空に離れた朱雀・青龍は訝しげにその姿を見下ろす。
「青龍…アレ………信哉だよな?」
あまりにも今までとは違う質を見せる強い気を放つ青年の姿に戸惑うように眉を寄せる朱雀の声に、横を舞う青龍も不安げに瞳を揺らす。今までとは異なる強大に膨れ上がる気を放ちながらも、白虎が遥かに気の扱いに長けていることを示すように、その金気の気配はより合わされた様に帯のように地表を揺らめき女性を抱えた玄武には近寄ろうともしない。その姿に長く彼を知っている玄武ですらも女性を庇いながらも驚きを隠せない風に眼を見張っている。
「お前と戦う気はないし、お前が勝てるとも思えない。」
「だから?貴様がそういったからといって俺が何もかも放棄するとでも?」
嘲るように言い放つ雲英の姿を静かに見つめながら、再び手刃を向けようとしたもう一つの金気の腕を白虎は全く避けもしないで正面から手で受けた。
「白虎!」
切り裂かれる懸念に叫んだ朱雀の声の向こうで、全く動じた様子もない白虎の手は傷つく事もなくその腕を握り、ただ無表情にその場に佇んで雲英を見下ろした。驚きに眼を見張るその青年の目の前で同じ質を持つ気で相殺された腕がわざと放されて、雲英は音を立てて数歩下がり威圧感を感じたように蒼ざめながら白虎を見上げる。
「無駄だ、同質のものなら波長を重ねれば相殺するのは難しくない。」
静かな声は諭すように穏やかに呟き、その場に降り仕切る雨に吸い込まれるように響き渡る。今までならそんな方法は仕組みは理解できても、咄嗟には行えなかった筈の桁外れの力だ。まるで一段階上に急に突き抜けてしまったような白虎に、雲英は戸惑い顔を歪めた。
「貴様は………普通じゃない…。」
そう呟くように零す雲英の声に白虎は微かに苦悩に満ちた瞳を浮かべ、周囲の仲間の驚く様子も眼に止めてから溜息をついた。
「そんなこと………言われなくても……分かってる。」
異端・異質・異例。そんな言葉に何度も傷つけられて来た。それでも生き残らないとこの先が何も見えなくなるし、生き残らないとならない理由もある。もう何時死んでもいいとは、絶対に言えなくなった。そして自分達の力が元はなんなのか理解もしてしまったら、今まで奥底に押し込めていたものを押し込められなくなったのだ。白虎を選んだのは過去の自分達で、長い年月をかけて自分達は預かったものをユックリと育て続けてきた。知らずに受け入れ育て、次の自分に引き継いでいたのだ。
女性を庇って一端離れる玄武を背後に感じながら、躍りかかる金気をいなす白虎はまるで揺るぎもしない。
駄目だ!これでは足りない!力が!
駄目だと繰り返し呟く口が、次第に歪に歪み始めている。既にその姿は人とはかけ離れはじめて、醜い異形に変質しかけていた。
「戻れなくなるぞ、そのままでは。」
低い白虎の諭す声に等の昔に自分は終わっていたのだと、何故か雲英は瞬時に思い出していた。
既に遅すぎる。
※※※
元は何処かの寺の血筋だと聞いて育った。
だが残念なことに産まれた時には既に親はなく、親戚をたらい回しにされるうちマトモな人間では無くなってしまって最後には放逐される。お前は家の家系の汚点だと、棄てられたのだ。それを半分は自分の行いのせいで、半分は家畜のように育てた親戚のせいだと雲英宗嗣は思った。だから祖父母と伯父夫婦とその子供を殺したのに何も罪悪感はないし、それで死刑になったからと言って気にもしない。
だが、刑の執行までの時間が恐ろしかった。
次第に自分が死に近づいているのが、恐ろしい。人を殺した罪悪感は何もないのに、自分が死ぬのは嫌で怯え続けていた。死んだらどうなるのか?地獄に落ちるのか?地獄には殺した奴等はいるのか?産まれてから大事にされたことがないのが、今の自分を産み出した理由なのに。その理由を作り出した人間は罰を受けないで、自分だけが地獄に落ちる。そんな理不尽な話があってたまるかと雲英は考えたのだ。殺されて当然の人間しか殺してないのに、自分だけが悪人とされるこの世の中の仕組みの方が間違っている。
一人そう何年も苦悩し続ける自分に、見ず知らずの男が不可能な筈の面会をしてきたのはそんなときだった。諦めがつく頃に死刑が執行されるのだろうかとすら考えていた自分の前に、唐突に姿を現した男は無表情で告げる。
「死刑にどうせなるんだから、試してみないか?」
冷淡にどうせ死刑になるんだからと自分に言った年老いた男の瞳は、爬虫類のように熱が感じられない。感じられないが苦しむわけでもないというその薬が効果を現したら、雲英は殺されずに逆に国の宝になるというのだ。
「効かない確率もある。効かなければ、ただ死刑になるだけだ。」
薬が効けば死刑にはならない。効かなければ死刑、飲まなくても死刑。そう言われて死刑で死にたくなかった雲英が飛び付かない筈がない。カプセルを飲み下し、どうか効いてくれと必死で願い続けたが、最後の一個を口に含むまで実際には何も変化はなかった。十八日間ジリジリと絶望だけが体の中で育っていくのを感じながら、必死に祈り続けて最後の一つを飲み下した夜まで変化は訪れず、雲英は効かなかったと心の底から絶望していたのだ。
※※※
そうしてその時何かが芽吹いて、全ては闇に飲まれた。そして、気がついた時にはそこから何故かお前が得たのは何者にもかえがたい宝だと信じて、それを更に高めて何時か白虎に選ばれると疑わない。目の前の男が死ねば次は自分だと信じきっていて、そのためには人を喰うのだと疑いもしなかった。それが自分の体内に別な何かを育てているのだとも思わず、自分の体が……
ブツリと不快な音が響いて何かが裂けるのを聞く。
奥底からザワザワと膨れ上がって頭の中にしかなかった声が表に咆哮をあげるのが、雷鳴に重なりあう。目の前の白銀の男の事は意識から消し飛び、空腹を脳髄が訴える。目の前の男を喰うよりも、もっと大量にか弱く群れる気配が竹林を縫って漂っているのに更に大きな咆哮を上げた。
「雲英!!」
その名前は既に過去のもので、新たな力は奥から自分の名を告げる。遥か昔に地の底で与えられた名前は、そんな軟弱な名前ではないと更に激しく吠えた。避けた口角からは猪の牙が音をたてて生え、顔を歪ませて異形に膨れ上がっていく。
檮杌
その自分の名前を告げるよりも空腹を満たす欲が勝り、その体は突然竹林を薙ぎ倒しながら一直線に東に向けて突進し始めていた。激しい雨脚と突然倒れかかってくる孟宗竹に、白虎達が一瞬の隙を作ったのだ。そう三人が気がついた時には、既に雨をけたてて檮杌はその建物を視界にいれていた。
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