GATEKEEPERS  四神奇譚

文字の大きさ
上 下
152 / 206
第三部

第四幕 護法院奥の院

しおりを挟む
雨脚は更に強さを増しているように感じていた。雷雲がギッチリと頭上で縫い止められたように、上空からビクともせず激しい落雷と豪雨が続く。白虎が姿を消すと同時に礼慈に状況を見ながら院に居る者の待避を指示して、智美は何時ものようにモニターを全て起動させていた。式読が何とか状況を見定めようとして間もなく、唐突な来訪者が現れたのに式読はあからさまな嫌悪の顔でその男を睨み付けた。
男は東条巖。
隠居にでもなっていた筈の老害が、以前より若々しくなったようにも見える姿で奥の院まで乗り込んできたのだ。恐らく竜胆貴理子と接触し四神について漏らしていたのはこの男だと智美は踏んでいるが、今更それをどうこうしようとは思わない。だがこの男の一番の問題は、四神を一片も人とみなしていないことにある。他の人間とは違い、この男は能力は何も持たない。それなのに院にいたのは戦時中の院と政府の関係の中で、政府の研究員として研究所に若くして配属されたのだ。最初はもしかしたらちゃんと四神を人間として接していたかもしれないが、何十年と研究所にいるうちにこの男は狂った科学者に変わっていった。
現在の四神は知らないことだが、先代の青龍・二藤久を出血死させたのはこの男だ。弱い人外だったとはいえ戦闘の直後に三リットル以上もの血液を抜き取るなんて、マトモな行為じゃないのに、当時誰も研究という名の拷問を止められなかった。
まだ青龍になったばかりで一年も経っておらず、しかも二十歳にすらなってもいなかった二藤久。
彼がそのまま死んだことで、当時の四神玄武・氷室優輝と朱雀・五代武が院との関係を絶とうと密かに計画し始めたのは想像に難しくはない。しかもこの男は当時二藤久が交際していた女性が妊娠したと知って、死産だったとはいえ胎児を奪いとりすらしたのだ。
その後五代武が研究所自体を故意に全焼させ、智美がこの男を失脚させるまで十年以上も時間がかかった。そうして追いやった筈の男が今更ここに姿を現し、式読の顔を爬虫類の眼で見つめている。

「何のようだ?」
「お久しぶりですな……式読様。」

このくそ忙しい時にと心の中で悪態をつくが、どうみてもこの男が意図して今来た気がしてならない。あえてこの騒動が起こりかけている現状を見越して、ここまでやって来た老害。その代名詞のような男はニヤリと口角をあげて、式読の顔をまるで盗み見るように見上げる。歳は研究所が閉鎖されてから十年近いから、既に八十過ぎの筈だが手足も矍鑠として動きも悪くはない。というよりまだ式読になったばかりの幼い智美に、研究所の閉鎖を告げられ意気消沈していた姿より若々しい程だ。

「一つ、大きな研究の成果がありましてな、式読様。」

発見にアドレナリンがでているのか張りのある声で、瓦を打つ雨音にも雷鳴にも負けずに東条が言葉を放つのに式読は内心愕然としていた。研究所を失火で失って歴代の四神の保存された遺体や細胞は焼失し、そこまでの研究のデータも失ったこの男は研究の術を断たれた筈だった。しかも式読から直に研究自体を止める指示の元で隠居させていた筈なのに、目の前の男は平然と研究の成果と口にしたのだ。眉を潜めた式読に、男は更に口を歪め声高に笑う。

「どう言うことだ?研究は終了している筈だが。」
「いつかご理解頂けると思って密かに続けておりました。同じ思いで私に協力する者も、院には多いのです。」

腹立たしいがこの男を失脚させるまで、式読としてもかなり手間がかかったのだ。この男の大義名分は人間のために四神の能力の詳細を解き明かすで、可能なら複製を作り国力とするなんて恐ろしい話だった。研究者らしい視点ではあるし、戦時中の方向性をそのままにしているのは言わなくてもわかる。何しろ四神を国力になんて時点で、つまりは兵器として利用なんてことでマトモな神経じゃない。
遺伝性ではない四神を遺伝させる方法を探るためという名分で、堂々と彼らを瀕死にするような実験を繰り返し彼らに尊厳すらも与えないのだ。何しろこの男ときたら、四神にモルモット扱いで目の前で性行為を強要するのも平気な有り様で、聞いた時には香坂智美として吐き気を催した。
やめさせた筈の行為を密かに続けているのも腹立たしいが、それを全くこちらに感づかせないほど院内にまだ多数の協力者がいるということでもある。

「それで?」
「……四神……と近い能力者を生み出す方法です。」

ピクリとその言葉に式読の表情が変わった。今までと同じく何も知らなければ、それはもしかしたら朗報に聞こえたかもしれない。だが寸前にもたらされた情報が式読の認識を大きく変えていて、それは最悪の知らせにも聞こえた。何しろ四神達ですら、その力を分け与えたものはいるが、力の根元は実際は人外。人外と戦える力はそれを相殺できるのなら、同種の力の可能性は薄々考えてはいたのだ。それでも改めて白虎自身の言葉を聞くと、異質で歪な存在に陥れられたと感じても仕方がない。しかも東条のいう、それと近いとなると

雲英や三浦和希のような人間

ただの人間なのに金気や火気をもった人間は、院に今集められた見えたり封じたり出来る人間とも違う。下手をすれば感情に任せて人を簡単に殺せてしまう能力を、簡単に人に与えることが出来る。そんなことが可能になったら世界は大きくひっくり返るようなもので、人間が暮らしていくのは難しい世界に変わってしまう。何しろ手を使わなくても人を焼死させたり窒息させたり、溺死させられるし、凶器もないのにズタズタに切り裂くことが可能な人間が身近にいる世の中を考えられるか?アメコミの世界ですらそんな能力を持つ人間と何も持たない人間とは対峙しているのに、現実になったら迫害は必須だ。

「どうやって?」
「投薬です。」

投薬?と思わず聞き返してしまう。投薬する中身は一体なんなのだ。四神の力は遺伝性でもないしウイルスや何かでもないのに、飲ませるものは、なんだというのか。そう考えた瞬間、男は懐から袋を取り出しカプセルを手にのせて見せた。

「投薬は僅か十八日間。日に三回の投薬で、劇的に変化が見られます。」

それほどの量がある様子ではないが、そのカプセルは何故か忌まわしくおぞましい気配を含んでいるように見える。飲み込むには苦痛を感じそうな気配を滲ませる東条のツルリとした掌に、式読は目を細めた。

「劇的?」
「体力、運動能力の向上、状況に応じて知能の向上。」

その言葉は既に目の前の男が動物だけではなく人体に投薬して試しているのを臭わせていて、式読は息を飲んだ。目の前の男は四神だけでなく人間すらモルモットにして、それが当然だと考えている完全な狂人だった。

失敗だ……失脚だけで済ましておくんじゃなかった……。

幽閉でもして何もかも奪っておくべきだったと今更ながらに舌打ちしたくなる。研究材料と場所さえ奪っておけば、誰もこの男に追随することもないだろうなんて子供の考えだったのだ。

「…………何人に飲ませた?」
「目下、三人ですな。」

三人も試したのかと唖然とすると同時にここで引き止めておかないとと咄嗟に思案を巡らせたが、目の前の男の視線に違和感があって式読は目を細めた。もしかして四神達が街で感じたというのは、その投薬後の人間なのだろうか。

三人。

東条が自分に報告に来たのは何故だ?量産化が出来ると自信があるからか?それにしてはその効果を示した人間を一人もつれずに、それに最初にワザワザこの忙しい時にと自分でも考えた筈だ。

「副作用は?」
「たいしたことはありません、健忘、それに……まあ、一言で言えば細胞の蘇生でしょうな。」

蘇生。
甦る。
それは既に人間の範疇を越えてそれが可能なのは、既に人間とは言えないのではないだろうか。それをワザワザ報告に最も憎んでいる筈の自分に、この時に顔を見せに来た東条。その顔は智美の記憶より遥かに若々しく、以前より健康そうにみえる。もしかして、その言葉が頭を過ると、東条は目を細めて再び笑う。

「健忘は一過性のようです。」
「その薬の原料はなんだ?」

男はその言葉には答えずに糸のように目を細めて、久々に訪れる拝謁の間を興味深そうに眺め回す。

「ここがこんな部屋だったとは、以前は気がつきませんでしたな。」

ボンヤリと部屋の壁が微かに光りを放ち始めたのに、式読は微かに眉を寄せて手元の杖を握る。その様子に東条は賑やかといえる微笑みを浮かべながら、式読を見つめ口を開く。

「原料はもう手に入らないので量産は無理なのです、新たに素材を与えてもらわないことには。」
「誰から受け取った?」
「お答えしかねます。あなたは私の主ではない。」

主。その言葉に呼応するように、四方の壁は金ではなく銀色に光を放ったのに智美は目を見張った。金ではなく銀色に浮かんだものは、金の時とはまるで異なる。そこには鮮やかな四神の姿が、今にも壁から抜け出して来るように浮き上がった。その光景に東条も驚きに感嘆の声をあげる。

反応しているのは東条の放っているもの

しかもこれは以前玄武が放った水気に反応した金の光の中で見たものとは、絵柄も内容も全く違う。目の前の東条はそれは知らないが、智美の頭脳には金の絵柄も内容も完全に記憶してある。

「四神の絵姿とは随分美しい……。」

扉の向こうで騒ぐ声が聞こえて、この状況を察知した人間が現れ始めたのに東条は笑みを強いた。四方の壁の青龍・白虎・朱雀・玄武の姿と天井には神々しい様相の胎児の姿。四神と胎児の繋がりは分からないが、文面はもう一つのモノとは違い、それほど多くはない。四神が何かを行うと胎児に何かが起こると言いたいのだろうが、文字は部分的に掠れて読み解けないのだ。
まるで質の違う東条の気に反応している銀の光。
そして廊下の騒ぎは更に大きくなって、雨音すら遠くに聞こえる程だ。何人かは既に移動したかと思っていたのに、予想外に人が残っていたらしい。

「そういえば……式読様は色々とシモジモの我らには秘密が多いんですな。」
「どういう意味だ。」
「以前から四神と繋がっていらっしゃったとは、随分ですな。」

その言葉に式読は目を細める。院に白虎と玄武以外の情報が入らなくなって、既に七年近く。その間に青龍と朱雀が現れたが、白虎と玄武が秘匿していて院には情報を隠蔽しているとなっていた。聞き出そうにも白虎達は仲間の詮索をするなら、以降の四神としての活動を放棄する宣言したのだ。その言葉に古老達は舌打ち混じりに、化け物の癖にと吐き捨ててきた。式読自身は最初の内は何も知らない子供のふりをしていたが、やがて実権を握ると四神の調査ではなく老害の古老達の排除に向かったのだ。

「何のことだかな。」
「はは、今更誤魔化しはないでしょう?私にも今は見えるのです。」

つまり密かに奥の間の窓辺で密談しているのも把握したということ。礼慈が視える者達の視界を遮るよう密かに細工をしてある居住のための奥の間も、東条の投薬には勝てなかったということだ。そして、今の言葉で確信に変わったのは三人のうちの一人は東条巖自身で、東条は何人目かに自分を実験に使った。蘇生といったのは気のせいではなく、事実若返っているのかもしれない。

「院の主たるものが四神のような獣と戯れるとは、嘆かわしいですな。麒麟もご存知なのでしょう?何故捕獲しないのです。」

獣と口にした男を睨み付け、お前こそ獣以下だろうと心の中で呟く。麒麟の事まで情報が筒抜けということは、下手すると現状何か同時に動き回っている可能性があるのに気がつく。

仁。

鳥飼信哉の家で預かられている澤江仁の存在は、まだ何も分かっていないといった方が正しい。麒麟の出現が仁の存在と結び付いているのは白虎から聞いても、普段の澤江仁はただの記憶喪失の高校生にしか過ぎないのだ。何が切っ掛けで麒麟が表に出てくるのかも分からなければ、その対価として記憶が消えるのかどうかすら分からない。その状況で東条に澤江仁を与えたら、二藤久の二の舞だ。
それにこの男がここに来た狙いはなんなのか、この室内の絵を見たくてワザワザこんな時間に訪れたとは思えないのに狙いが未だに掴めないでいる。
そう感じた瞬間、不意に背筋に悪寒が走るのを感じていた。
雨はまだ激しく瓦を叩き続けて、地響きのような爆音の落雷が響きわたる。
それなのに何故か足元から這い昇る悪寒にかわって背筋を震わせ、見る間に全身を粟立たせた。次の瞬間、扉の向こうでつんざくような悲鳴が上がったのに東条が戸惑いながら振り返り、智美は咄嗟にスマホを片手に机を盾に回り込んで性急な仕草で通話を始めている。

「智美さん!!」

扉が弾ける音と一緒に騒ぎの声に室内がのまれ、東条が不満の声をあげている。

『もしもし?智美?』
「仁!今すぐそこを出ろ!早く!逃げろ!」

それを言うだけで精一杯で、ブツンと手の中のスマホがブラックアウトしたのと同時に、使いなれたパソコンのモニター全ても同じく光を失う。聞き取れていればいいがと思いながら、ポケットにそれを捩じ込んだ式読が立ち上がってみたのは予想外の光景だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

未明の駅

ゆずさくら
ホラー
Webサイトに記事をアップしている俺は、趣味の小説ばかり書いて仕事が進んでいなかった。サイト主催者から炊きつけられ、ネットで見つけたネタを記事する為、夜中の地下鉄の取材を始めるのだが、そこで思わぬトラブルが発生して、地下の闇を彷徨うことになってしまう。俺は闇の中、先に見えてきた謎のホームへと向かうのだが……

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

僕が見た怪物たち1997-2018

サトウ・レン
ホラー
初めて先生と会ったのは、1997年の秋頃のことで、僕は田舎の寂れた村に住む少年だった。 怪物を探す先生と、行動を共にしてきた僕が見てきた世界はどこまでも――。 ※作品内の一部エピソードは元々「死を招く写真の話」「或るホラー作家の死」「二流には分からない」として他のサイトに載せていたものを、大幅にリライトしたものになります。 〈参考〉 「廃屋等の取り壊しに係る積極的な行政の関与」 https://www.soumu.go.jp/jitidai/image/pdf/2-160-16hann.pdf

不労の家

千年砂漠
ホラー
高校を卒業したばかりの隆志は母を急な病で亡くした数日後、訳も分からず母に連れられて夜逃げして以来八年間全く会わなかった父も亡くし、父の実家の世久家を継ぐことになった。  世久家はかなりの資産家で、古くから続く名家だったが、当主には絶対守らなければならない奇妙なしきたりがあった。  それは「一生働かないこと」。  世久の家には富をもたらす神が住んでおり、その神との約束で代々の世久家の当主は働かずに暮らしていた。  初めは戸惑っていた隆志も裕福に暮らせる楽しさを覚え、昔一年だけこの土地に住んでいたときの同級生と遊び回っていたが、やがて恐ろしい出来事が隆志の周りで起こり始める。  経済的に豊かであっても、心まで満たされるとは限らない。  望んでもいないのに生まれたときから背負わされた宿命に、流されるか。抗うか。  彼の最後の選択を見て欲しい。

世の中にはモノがたくさんいる【マカシリーズ・11】

hosimure
ホラー
摩訶不思議な店でバイトをしているハズミとマミヤ。 彼等はソウマに頼まれ、街に買い物に行きました。 そこにはたくさんのモノがいて…。

処理中です...