GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第三幕 護法院奥の院

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月明かりが僅かに窓から差し込む薄暗い居室の中でカタカタと続くキーボードの音がふと音をとめた。フワリと室内の空気の動く気配がほんの微かにしたのに、香坂智美はパソコンの前で気がついたのだ。勿論扉が開いた音はしていないし、誰かの来る予定も今夜はない。モニターは殆どが沈黙していて、彼らも院も活動の必要性がないのは既に承知している。
クルリと椅子を回すとそこには既に人影が立っていて、薄暗い部屋の隅から踏み出したその姿に智美は眉を潜めた。
艶のある黒の異装。
四神の中でも一番の長身で、尚且最も筋肉質で体格のしっかりした玄武。
ブルーライトカットの眼鏡越しに、その見慣れた伸びやかな上背をした青年を見上げる。ところが闇から姿を覗かせた玄武の顔は、今までに一度も見たこともないほど険しく強張っている。陽射しの中で見慣れた穏やかな様子でもなく、笑顔でもなく、ピリピリと空気が張り詰めるような気配。勿論ここで昔から知っている彼は、こんな様子を見せたことが無いわけではない。しかし、ここ最近では密かに彼らと智美の関係だけは友好に向いていて、滅多に彼がこんな風な様子を浮かべることはなかった。

何かあったか……

足音も立てず室内に足を踏み入れた玄武は、静かに低くそれでもハッキリと響く怒りの滲む声を放つ。

「院の管理はどうなってる?式読。」

名前ではなくあえて院での名前を告げる玄武が、これを密かに盗み聞きしているものにも聞こえるようにわざと話し出したのに気がつく。玄武は智美だけに怒っているのではなく、院に対してこの怒りを向けているのだと智美は目を細めた。こんな風に組織自体に向けて彼が怒るのは、何年ぶりだろう。

「どう……とは?」

薄々何が起こったのかはわかる気がした。彼一人が怒りのままやって来るということは、つまりは白虎になにかが起きたのだ。これが例えば何かあったのが朱雀であれば白虎と二人でやって来るし、青龍か玄武であれば白虎だけがやって来るに違いないと智美は最近の交流でわかっている。つい一ヶ月もない間に智美の修学旅行に関して自室の窓辺で和やかに智美と四人が会話を交わしたことがあるなんて、夢にも思えないような冷えた凍りつくような怒気。

「俺達は今まで自分達の立場を最低限の範囲で守る事以外はしていなかった。」

その口調のあまりにも冷ややかな響きに、一瞬智美はその人物が初めて会った者の様な感覚をうけ息を飲んだ。機械的な微振動だけが唸る室内で、その冷ややかな気配はまるでその場に水を打った様に冷え冷えと響き渡リ、まるで空気が凍りつくかのような気配をあからさまに放つ。

「それは、院との関係も必要だとは思っていたからだ。」

目の前の玄武はこの室内にあるもう一つに耳に向かっても静かに語る様に低くはっきりとした声音を向ける。戸惑いを隠せない智美に向かって玄武は、怒りに凍りつく瞳をハッキリと向けていた。最低限自分達が人間として生きるための線引きはしていたが、玄武と白虎が定期的に報告や進言のために院を訪れていたのは事実だ。そうでなければゲートの塞ぎ方が悪影響を及ぼしているなんて院では気がつかなかった事だろうし、軟化した四神の様子に院に来た暴君のような青年より四神の方を信頼する人間も増えていた。変わりつつあると気を抜いたのが間違いだったと、智美は心の中で舌打ちして『何』かを起こしたのは暴君だろうと想定した。

「聞かせて貰おうか?式読。院の配下の者が俺達を攻撃した訳を。」
「攻撃?」

思わず腰を浮かしかけて、思い直し座りなおした智美の表情を見下ろしながらも玄武はあえて言葉を繋いだ。院を束ねる者には相応の責任がある、命を預かるという重要な責任おうと同時にその者たちを掌握しておかなければならないとも言える。それをすり抜けたとしても、全ての責任は残酷だが年若くとも彼が負う。四神とされる彼等が彼等で背負う責任と同じく、それは確かに存在している。
玄武がこう告げるということは又聞きではなく、確実に自分の目で見たことで智美を・院という組織を糾弾しているのだ。

「返答如何によっては、こちらにも考えがある。」

ざわりと空気が揺れてその室内に急に湿度が増すのを確かに感じていた。
目の前の黒衣の裾がまるで風にはためく様に揺れるのに室内の湿度がどんどん増して息苦しいほどに感じる。呼吸困難を覚えながらも智美は微かに深く息をついて、今まで間近に見た事のないその姿を目を細めて見つめる。

「先に攻撃したのはこちらか?」
「どういう意味だ?俺達が、けしかけたとでも?」
「確認だ。」

勿論彼らが異能を翳す筈がないことはよく理解している。それでも、事実は確認しないと先に進めない。進めないのだが普段ならそれくらいのことは言わなくても実行に向かう筈の玄武の様子が何時もと違っているのに、今更になって智美は気がついた。ビリビリと空気が振動して凍りいているように感じる。
過去この部屋は四神との会合のために建てられて、仕組みは分からないが四神の力を緩和する事ができたという。パソコンを設置する時に設計図を丹念に見たが、図面上に特殊なものは見つからなかった。それでもこうして四神の誰かが力を放つと、四方の壁は微細に金の紋様を浮かばせる。今まで見たことのない程に鮮明で鮮やかな紋様が初めて全体像を浮かばせて、それが文章と絵柄であるのがハッキリと智美の視界に映り込む。同時に今まででにない程、目の前の玄武があからさまな異能を全身から放って溺れてしまいそうに感じているのは間違いではないのかもしれない。

異能。

何もない場所から水を生じ、それを自在に操る玄武。水に浸かっても溺れることもなく、その気であれば滑るように水面を走ることも出来る。そしてやる気になれば生体の内の水分すら操る事が可能な筈だ。恐らく四神内での怪我の治癒の促進は玄武のその能力を応用しているのだろうと、薄々考えてきた。でもこんなに間近に敵意として向けられると、力のない人間ではあっという間に死に絶えてしまうに違いない。

「智美さん?!!」

大きな声を上げて扉を開けた礼慈の声に、一瞬玄武の気を削がれた様子でフワリと風が巻き込み息苦しさが消し飛ぶ。扉の向こうからざわめきが聞こえ、後ろ手に扉を閉じた礼慈が戸惑うように玄武の背中を見つめた。

「どういう事ですか?これは?玄武。」
「四神が院の人間に傷を負わされたそうだ……。」

パチパチと背後でコンピューターのショーとする様な音が聞こえ始め、智美は我に返り式読としての表情に変わる。危なく溺死仕掛けていたが、こんな風に怒りを露にしている玄武に対応はしないわけにはいかない。ここで玄武が部屋では押し込めない程の力を示してしまったから、感知能力が高いもの達が反応して院内にも騒ぎが起こり始めている。背後の怒声に我に返ったように礼慈が扉から滑るように出るのが見えた。

「…………金気以外の能力者を隠してるんだろ?少なくとも水気。」

予想外の言葉に智美は初めて息を詰めた。玄武の暗く怒りに満ちた瞳が、真っ直ぐに自分を見据えて告げた言葉。

「水……気………………?他に?」

呆気にとられるような発言だった。今まで四神以外の存在が能力を持った記録はなかったし、雲英の存在だって実際にはイレギュラーで対応に苦慮している。そんな中で雲英の暴君への変化は、雲英のような戦う能力のない式読の抑止力を削いでいた。それなのに玄武が口にした言葉は、どこかで自分以外の水気と出会ったといっているも同然だ。その反応に玄武の方も違和感に気がついたのが分かる。

「院の者の行為を把握できなかったことは、私の手落ち。それは確かに甘んじて叱責を受けましょう…………でも、その話しは初耳だ。」

他に水気を持った人間が街を彷徨いているとしたら、その人間は目の前の彼のように怒りに任せて人を溺死させることが出来るのではないか。その疑問が背筋を悪寒に変わって走り抜けていく。

「それこそ、我らにも共有すべき情報ではないのですか?玄武。」

自分達の組織は同時に小規模な穴を閉じることも、四神のバックアップだってしてきた。確かに多くの事を四神に背負わせているが、彼らが活動しやすいように場を整えもしてきた筈だ。それにその水気が人間ではなく人外のモノが僅かに残した痕跡だとしたら?饕餮や窮奇のようなモノがまだいるのだとしたら。

「その情報はこちらにも流すべきでしょう?我々も多くの点であなた方に譲歩している筈です。」

凛とした声にフワリとさらに湿度が緩み、黒衣の裾が静かに音もなく体に纏わりつく。それでもほんの何時間か前に学校で話した筈の柔らかく暖かい瞳は、未だに冷淡に凍りついたまま智美を見つめる。

「……水気は、まだ何から発されているか分かっていない。人間なのか人外なのか調べていた。」

淡々とした口調に智美は更に違和感を感じとる。玄武は水気はと言った、それに違和感がある理由は他に一つしか考えられない。

「他に気を持つ人間も水気以外に見つけているということを……隠しているのか?」

問い詰めるような声に玄武は否定もせず口も開かない。雲英だけでなく他の気を持つ人間がいるのだとしたら、それは即確保すべきで静観していていいものじゃない筈だ。四神程ではないとしても雲英の金気ですら、正直に言えば人間にとっては完全な凶器。火気は言うまでもないし、水気は今まさに智美が体験した、それに木気が操るのは風だ。つまりその気になればどれを宿しても簡単に人を殺すことの出来る能力者が街をさ迷っている。

「何故だ!」
「…………見つけたら、そいつにも俺達のような実験をするのか?」

その言葉でこれ以上理由を玄武が話す可能性は殆どないのは分かっていた。これ程の威圧をしに来た玄武は、元々は院に対しての不信感が強い人間だったのだ。日常的に接することが増えたためにそれを忘れがちになっていたが、彼にとって院の存在は常に邪魔で目障りなものだった。死なないからと自分は水に沈められて、兄弟のように育った白虎にも散々な事を進んで行わせていた院という組織を憎んでいたと言っても過言ではない。それを再び思い出させるようなことを雲英が仕出かしてしまったのは事実だが、それと他の気を持つ人間の存在はまた別だ。

「それとこれとは話が違う。その人間が訳もわからず人を殺したらどうする?」
「それはこちらが言いたい。お前達が確保している者は能力を振りかざして、間接的にとは言え三人の人間を殺した。」

智美は冷淡な言葉に目を丸くした。それを見据えて玄武が口にしたのは、夜半前にニュースにもなった西側の山岳部での雪崩を引き起こしたのは雲英だというのだ。ゲートを閉じ帰途についていた白虎と鉢合わせた雲英が、雨で緩んだ残雪を崩したのだという。それでも何とか朱雀が二人は助けたというが、三人は深く飲まれてしまい既に助けられなかったのだ。
玄武が嘘をつく必要がないのはわかりきっているし、事実なのも分かっている。情報を隠匿されたことは問題だが、それを問うにも配下の者の管理ができない人間に新しく管理できない者を与えるのかと言われてしまえば答えにできない。

「……院の者の不始末は私の責任です。」

暫く無言で式読の表情を見つめていた玄武は微かに「そうだな」とだけ呟くように吐き捨てると踵を返す。これ以上は言っても仕方がないのは十分に理解しているのだろうが、責任を取るにも亡くなってしまった命は取り戻しようがない。そして玄武の不信感を再び甦らせ、しかも自分の責任を追求するかわりに雲英を立てようとする人間は必ず出てくる。

「玄武。」

思わずかけた声に、それでも彼は全く溶ける事のない冷淡な氷の様な光だけを浮かべた瞳で肩越しに智美のの少女の様にも見える顔を見据えたかと思うと、酷く冷やかな声で言葉を投げつけた。

「ここの奴等は何時もそうだ。人を人だと思わない。」

そこにある黒衣の青年の激しい怒りの姿に、智美は再び息を飲む。玄武がこうして怒っているのは、目の前の智美に対してではなく院という組織に対してなのだ。長い時間堪えて他の仲間を守るために必死に変えてきた筈の状況、それに智美と礼慈も賛同して変えようと足掻き続けてきた。それなのに結局答えは何も変わらない。それに対する激しい哀しみが、凍りついた瞳の奥底にあるのに気がついてしまう。

「仲間は家族だ、家族を傷つけた奴を俺はけして許さない。」

そう吐き捨てるように言葉を残して玄武は止める間もなく姿を消す。幾つかのブラックアウトしたモニターを横目に溜息をついた智美は暫し目を伏せていたが、気を取り直して騒ぎを納めようと廊下に出た礼慈の声を耳にしながら先程みた物を頭に思い浮かべた。

初めて全てを見た。

壁に浮き上がった金の紋様は、今までは薄く金に発行するだけで文字なのか絵なのかもわからなかった。あんなにも鮮やかに金色に浮き上がるモノのだと知らなかったのは、恐らく殆どの式読はあれを見ないで来たからに違いない。四神達があからさまにここで力を使わないようにしていたからでもあり、同時にそのせいで語り継がれなかったもの。まさか四方の壁と天井、しかも床にまで一面にあんなものがあるなんてと、智美は頭を切り替えて壁に浮かんだモノを思い浮かべていく。

四方の壁には四神ではないものの姿があった……

本来なら四神相応なら青龍、朱雀、白虎、玄武の姿が現れる筈だ。だが、そこにあったのは全く別な姿で、一番強く発光したのは北側の絵だ。恐らくは北が玄武の相応であって、描かれたものが異なってもその面が相応なのは変わらない。北側には牛の角と猪の牙、それに鼠のような尾を持った立派な体駆の僧兵姿が浮かんでいた。裹頭(かとう)や、高下駄、見たことのある僧兵の特徴だが、それに牛や猪や鼠の特徴と一緒に描かれていたのは体を貫く何本もの矢。そして、そこから滴る水の飛沫まで。金色に輝く紋様は波打ち、まるで今も矢の突き刺さった場所から水を滴らせているように見えた。

それに、あれは何なんだ……?

記憶の中でもう一度反芻しながら、何故四神ではないのかと智美は黙ったまま考え込み始める。四方は四神としても残りの天井と床。天井はあの姿は恐らく麒麟と思えるが、床にまで書かれた大量の文面を読みとくにはかなりの時間がかかりそうだった。
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