GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第二幕 病棟

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宇野智雪が意識を取り戻したのは、手術から数日後のこと。それ以降の回復は目覚ましく、目を覚まして五日後面会に行った時には既に歩き回れる程に回復していたのには流石に驚く。鎮痛のための薬を自動で注入できるシリンジポンプも前日に外れ、一番苦痛の種だった尿道に入れられていた尿道カテーテルというのも抜いて貰えて清々したと病室のベットで話す。目を覚ましたと聞いて直ぐ来なかったのは正直なところ、信哉自身が気持ちの整理ができなかったから。それでも何とか勇気を奮い起こしてやって来たら、予想と違って病室の中でベットの上で普通に座って恋人を横に呑気に笑っている雪がいたのだ。

「信じらんねぇよ?分かる?この苦痛。」

元々雪は口が悪い人間だった。高校時代は余りにも口が悪すぎて、見た目とのギャップに誰か別な人間が話してるなんて訳のわからない噂があったくらいだ。まあそれはさておき、社会人になってからは麻希子の前では猫を被って丁寧な言葉を使っていた。ところが命をとりとめた衝撃からなのか目の前に麻希子がいても、自分といつもの口調で話しているのに気がついているのかいないのか。

「分からん。なんだ傷よりそっちか?」
「傷云々よりカテーテルだよ、恥辱だね。一生もんの汚点だ。」

目下雪は尿道カテーテルの苦痛に関して、自分の経験談を熱弁中だ。ただでさえ違和感が強くて苦痛だというのに、尿道カテーテルを入れている最中は採尿バックを持ち歩かなければならないのを忘れて一度歩いてしまったらしく。

「一回忘れかけてさ、立った瞬間に激痛。」
「はは、そりゃ災難。」

男性としては逸物が引きちぎれるかという激痛と聞くと、その苦痛はとんでもなかっただろうとは思う。それにしても腎臓を片方駄目にされるほどの重傷だったのたが、随分と元気なのには驚いてしまう。こうして雪の話に呑気に笑っているものの、隣で座ってニコニコしながら聞いている麻希子はこれをどう聞いているかと少し心配になってしまうのは、あんまりにもシモの話なので。流石に女子高生にはなぁなどと思うが、一ヶ月ほど前に遂に一線を越えて結ばれた様子の二人には関係ないのかもしれない。

「もう自由に動けるのか?」
「筋肉痛みたいになってるけど、まあ大丈夫だな。」
「そうか、よかった。悌も心配してる。」

その言葉にふと雪の表情が曇り、申し訳なさそうに呟く。

「悪かったな、助けて貰ってて。余計な心配かけて。」

そんなことはない、自分の方が悪かったと内心では思うが、そう上手く説明もできない信哉はそれでももう少しなんとか出来ていればと呟く。その気持ちを十分に見透かしたような瞳をした雪は、思い出したふりをして話の矛先を変えたのに気がつく。

「そう言えば外崎さんも倒れかけたんだろ?大丈夫だったか?」

外崎宏太はあの後自力で、なんとか近くの喫茶店のマスターで外崎の友人の久保田という人に助けてもらって自宅まで帰った。後で聞いたら実はあの失明の発端になった事故でPTSDを患っていて、あまり興奮すると貧血を起こすことがあるんだと話していた。それにしても外崎が何らかの情報から三浦和希の事を知っていたのは三月にあった宮井麻希子の失踪事件に知っていたが、まさか三浦和希当人のことをあんなに詳しく知っているとは思わなかった。しかもあの時外崎が大声をあげて一瞬気を引かなければ、三浦は麻希子を知らないうちに傷つけていたのだ。外崎の功績は大きいがあの距離で、本当に足音で聞き分けるとは正直言うと人間離れし過ぎだ。

「麻希子?どうしたの?」

自分達の話に可愛く小首を傾げている仕草が、まだ小学校に入る前に雪の足元にまとわりついていた頃と全く変わらない。当時子ウサギみたいだと悌順が言いながら、脇を抱えられてブランと雪に差し出されていた麻希子の姿が脳裏を掠める。ずっと忌々しそうにチビと呼んでいた雪が、突然態度を変えて麻希子を可愛がり始め呼び方も変えたのに信哉も悌順も目を丸くしたのを思い出して、思わず笑ってしまう。

「それにしても久々に雪のまーちゃんが聞けたな。」

最近は麻希子と呼んでいるようだから、懐かしい呼び方も久しぶりだった。こうして何も変わらないようでいて、雪も麻希子も昔とは大きく変わっている。それが当然で変わらないでいるのは自分だけ。一人過去に取り残されてしまっているようだと苦く思ったのに、突然雪が瞳を光らせたのに気がつく。

「いつの間に看護師さんと付き合ってるんだよ。」

突然の言葉に唖然とするのは雪にはまだこの話はしていないし、確かにこの病棟の主任は梨央だが職場でそんな話を梨央が吹聴するはずもない。ここで今二人が付き合ってるのを事前に知っていたのは、病院の玄関ホールで二人でいるのに鉢合わせた麻希子だけで

「ま、麻希ちゃん……秘密にしておいてくれって。」

麻希子がフニャッと笑いながら話したのは意識がない間だったんですけど、何でか全部聞いててなんて事を言う。秘密にしておきたいのは勿論自分の方の理由だが、同時に麻希子が孝と同級生でもあるから。何しろ何故かここ暫く真見塚家から大量の見合い写真が届けられるようになって、その気はないと伝えても中々諦めようとしないのだ。恐らくは恋人の気配もない自分に身を固めて、家族をと成孝と杜幾子が考えているのだろうが。そんな話題の最中、何でか勤務中の筈の梨央が背後に立っていて、平然と何でもかんでも話すものだから信哉は思わず頭を抱えたくなってしまっていた。



※※※



問われなければ、相応の事は何一つ答えない。
それは何時の頃からか、自分の中に生まれたルールだった。何故なら過分なお喋りは計画の綻びを作るものだと、進藤隆平という男は本能的に知っているからだ。人は自分を極悪非道な悪の権化のように捉えているが、進藤隆平にしてみれば自分はたいした悪ではないと思う。自分を産み出した人間がいるのだから、そっちの方が遥かに悪意の塊ではないだろうか。
悪意の塊、まるで種のように、それを他人に仕込み、自分を造り出した両親。進藤が平然と一番最初に手をかけたのは父親で、しかもそれをしろと命令したのも当の父親だったのだ。流石に産まれて初めての殺人は上手くいかず、その後三十年も植物状態で父が生き延びたのは笑うしかない。

お陰で息子が何をしたか、殆どを聞かされて楽しかったろうな。

そこから進藤は母親を殺して次々と人を殺してきたが、これまで後悔も罪悪感も何も感じない。そうして我が子にまで自分と同じ道を歩ませても何も一つも感じないまま、ここに至る。逮捕の直前に折った足の骨は頼んでもいないのに手術され、ギプスで固定されて、罪を全て認めて死刑になるのを待つだけだというのにリハビリをしろなどと言う。そんな無駄な話は聞いたことがない。だから全て拒否してベットの上で待ち構えているというのに、これまた予想外に世の中は善人ぶった奴等で溢れているようだ。

我が子に麻薬なんか投薬して何にも感じないのか?

刑事の遠坂喜一に密かにそう問いかけられたが、何も感じないとしか答えられなかった。なにしろ質問の根本が既に間違っている上に、質問が主観的過ぎる。遠坂はまあまあ勘のいい刑事だが、少し本能的に勘に頼りすぎるのが珠に傷だ。客観的に問いかければ、もっと本質に近づいた質問ができそうなものなのなのに。その方向の質問を進藤にしたいのなら、遠坂はこう問うべきなのだ。

三浦和希に投薬した薬はなにか?
何故、それを投薬したのか?

その方がずっと明確な返答ができる。そう問われれば進藤は素直にこう答えたのだ。

和希に投薬したのは未知の生命体から取り出したモノを政府の何処かで精製した特殊な薬で、麻薬ではないし、薬効は分からないが人間ではなくなる可能性があるらしい。つまりアメコミ紛いのモンスターを産み出す可能性がある薬の人体実験だ。和希にそれを投薬したのは、あのままただ死ぬだけじゃあまりにも退屈だから。別に息子を助けようなんて慈悲なんかかけるわけがない。あれはジョーカーだ。自由に動き勝手に行動するから、ゲームが楽しめるかと思っただけ。

ヴィランになるかヒーローになるかは兎も角、殺人鬼が人間ではないモンスターになって外に出るなんて有り得ない世界の話みたいで面白いじゃないか。自分が何故飲まなかったのかって?そんなもの飲んだら、自分は早く死にたいのに死ねなくなるからに決まっている。自分はずっとこの世の中に飽きて早く死にたいと考えていたのに、どうしても自殺できなかった人間擬きなのだ。
母子家庭で生まれそだった進藤隆平は知能も高く運動神経もよく、表立っては非の打ち所のない青年だった。だがその裏では日々呪詛の言葉を流し込まれながら、世の中の全てを怨めしく眺めながら育てられた人間でもある。自分は復讐のための道具と認知されはした父親から怨み言を注ぎ込まれて、一番最初に手をかけようとしたのは本当は自分自身だった。なのに父親を殺しかけ、母親を手にかけて、これならと自分に試しても自分だけは傷ひとつつけられない。

おかしなものだ、首を括れば紐の方が朽ちる、農薬を飲んでも全く効かない、車の前に飛び出しても車の方が逸れて大破する。

呆れるほどに何度か試しても自分だけは傷つかない。試しに高層ビルから飛び降りてみたら、何でか下に人がいてそっちが死んで自分は全くの無傷だったのには流石に呆れ果てた。自分では死ねないから他人に殺してもらう、そう遠坂喜一や外崎宏太に話したのは嘘ではなく進藤の本音だ。悪人になりたかった訳じゃなく、本当は父親と母親を殺した後には死のうと思っていた。

ただ死ねないだけで……

そうしてここまで来て初めて骨折なんて経験をした。今まで銃で打たれても傷ひとつなく生きてこれたのに、めくらのインポの足の悪い男にアッサリと利き足をへし折られたのだ。なるほどこれが痛みかと思ったら、おかしくて仕方がなかった。

なんて馬鹿げた話だ、こんなに足一本が痛いなんて知らなかった。

おかしくて大笑いしながら自分の中で何かが燃え尽きていくのを、どんよりと垂れ込めた雲から落ちる夜の雨の中で感じたのだ。それが花のように散り落ちて、自分から抜けて何処かに吸いとられていく。まるで自分の中に生まれ持っていた悪意が、咲き終わったようだった。それで、これで終わりなんだと進藤は全てを諦め、後始末がつくのを待っているだけなのだ。
話が随分とずれたが三浦和希への投薬は短い期間だけで、隔離室を出た時には既に終わっていた。後は効果を確認するだけだが、それは進藤自身はよく分からない。確かに何でも一目見ただけで身に付けられるのは特殊だが、何分人の顔を覚えていられないのだ。

……あんたは?

三浦にそう問いかけられお前の父親と答えるが、自分の父親は他にいたと話すし、何度説明しても自分との関連については記憶されない。しかも次第に育ての親の顔も忘れて、覚えているのはほんの数人になってしまったのには呆れてしまう。身体的にはモンスターでも、人の顔は覚えられないのだ。それでも記憶に残った人間は三浦和希にとって人間らしさ保つために必要な人間らしく、その人間に対しては三浦は決して攻撃的にはならない。

隆平さんにも攻撃的じゃないわ。

その中の一人が進藤にそう言ったが、覚えてもいないのにと鼻で笑ってしまった。写真を渡し何度も確認しないと何もかも忘れてしまいそうな、可哀想なモンスターだ。顔を覚えられないから二度と人を愛することもできないし、記憶にある人間だって何時忘れるか分からない。しかも僅かに覚えていたらしい俺の言葉に律儀に宇野智雪を襲ったらしいが、宇野は重傷でも生き残ったし和希は写真を取り上げられたという。
一週間もすれば写真で記憶を繰り返していた効果も消え去って、何も覚えていない可哀想なただの拘束された脱け殻になるだろう。

可哀想にな……こんな父親のせいで、

言葉ではそういえるが、何もかも諦めきった自分には別にこれ以上何も感じない。足は当に萎えて一人では立てなくなり、歩くことも出来ず最後の日が来るのを待つだけの脱け殻。息子も同じ道を辿るだけで、何も感じないのは当然だ。

コツリ

その足音は不意に鮮明に聞こえて、やって来たと心の中で安堵する。向かってくる者の暗く澱むような冷気を感じとりながら、知らず知らずに微笑みが顔に浮かび上がった。そうしてまるで滑るように扉が開いて、思っていた通りの人間が足を踏み入れてくる。

「……遠坂ならつい今出ていったぞ?」

穏やかにそう告げるが、相手が遠坂喜一を目的にして来たのではないのは分かっていた。体から仄かな血の臭いを漂わせた草臥れたスーツ姿の男は、凍りついたような瞳でベットの上の自分を感情もなく見つめる。遠坂喜一を探しに来た訳ではないが、進藤と仲良く茶を飲みに来たわけでもない。

「くく、泡を食って出てったよ。あいつも中々いい線いってるが、一つに集中すると周りが見えてない。」

そう言いながら進藤は冷ややかに視線を向け皮肉な笑みを浮かべて見せると、一体何を話したんだと問いかけてくるが進藤は意味深に低く笑い窓の外を眺めた。

「何処から何処までが悪人で、何処から何処までが正義の味方なんだかな?その区切りは誰が決めるんだ?おたくか?俺にしてみれば世の中のほぼ全てが悪人で抹殺されても仕方がない存在だが、おたくは違うんだろう?」

何時になく饒舌に語ってしまうのは、念願が叶おうとしているのを肌に刺さる程の相手の殺気から感じるからだ。何度も死のうとしたのにどうやっても傷も負えなかったが、骨も折れて歩くことも出来なくなった。しかもこの男は自分を殺すつもりでやって来たのだ。

「世の中全てを抹殺なんてそんな馬鹿なことを考えている事自体がおかしい。」

正義の味方気取りの言葉に、また笑いが込み上げてくる。もっと早く死なせてくれていたら、三百もの命は死ななかった。進藤を生かしておくから進藤は自分を殺してくれるのを待つために、世の中の人間を殺していただけなのだ。思わず愉快になって正義の味方に向かって問い返す。

「親から望まれず産まれて、片親からは物として扱われ、もう片方からは忌み嫌われ殺されかけた。それをやり返した子供は悪か?」

唐突な言葉に相手が目を丸くする。親だけを殺して死なせてくれれば、ここまで人は殺さずに済んだのに、何かが進藤を邪魔して死なせなかった。悪意の神が存在するな自分はそれに望まないのに守られ、贄を捧げ続けひたすらに自分の死を乞い続けただけ。

「世の中は悪でしかない。悪意、悪事、そんなものしか俺は知らない。正義の味方なんてものは存在しないし、神も仏もない。あるんなら、少しは慈悲を与えてもらいたいもんだね。」

慈悲?戸惑うように見せかけて正義の味方はそう口にする。自殺ができないのは悪意の神は悔いて死ぬのを許さないから殺されるしかないと囁いて、正義の味方のふりをした目の前の同胞をそそのかす。どんなやつにもこの種子は植え付けられていて、芽吹けば一度に成長する。それを知っているのはそれが花を咲かせて、散って実を成した後の枯れるだけの脱け殻のみ。
そうして、その種は別な人間を苗床に、更に別な花を咲かせていく。
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