GATEKEEPERS  四神奇譚

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第三部

第二幕 所在不明

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芽吹く。

そう不意にそこにある思考が考えていた。
遥か昔、自分はここにポカリと存在する。まだその時は何も分からずにこの底を漂うだけで何も纏まりすらしていなかったと思うのだが、その時には既にこの知性を持った自分の片鱗があったのだ。時折降り落ちるものを無意識に飲み込みながら、次第に形をなしていく内に、その片鱗はジワジワと育ち続けていく。やがて、唐突に自分は名前を得た。それはまるで天啓とでもいえる突然の閃きで、それを得た瞬間に自分はここに生まれ落ちたといえる。
それからじっとここで思案していた。身動きもせず、ここでひたすらに思案してきたのだ。何故なのか、それだけをずっと考えて過ごす永劫のような時間。
何故こんなにも別れているのか?
何故こんなにも違うのか?
対極とは何か?
光と闇とは?天と地とは?善と悪とは?
そんな風に様々なものを一つ一つじっくりと思案し、少しずつ答えを求める術を求め始める。それは知性を得たからには必然なのだと、やがて自分は理解することができた。疑問を感じるのは、それは答えを得る必要があるからだ。知性を得たのは疑問を感じるからで、答えを得るためには何かをしないと何時までも疑問だけに押し潰される。だから疑問を生じた後に、それを解決するための手段を構築する。それが何時からかはもう忘れてしまったのだが、手段を自分は種と呼んだ。

種を撒こう

それは何度も何度も失敗を繰り返してきた。何度も撒いたが種のまま腐り果てることもあったし、芽吹きかけて押し流されてしまうこともある。自分がすることを下らないと嘲笑う同胞もいたが、やっとその手段が上達して種子は芽吹いたのだ。蒔いておいたものが今になってやっと芽吹き始め、それは熱を感じとり風を受けて急激に成長し始めた。

やっと芽吹いた。

これが成長せずに朽ちたとしても、また同じことを繰り返すだけなのだが、種子は思わぬ効果を自分に与えてくれた。次第に自分にとって心地よいモノを次々と産み出していくようになり始めたのだ。最初は偶然かとも思ったが、繰り返すうちそうではないと気がついた。
種子は自分のためだけに芽吹き、自分に恩賞を与える。
お陰で同朋達に邪魔されることもなく、誰もかれも一つも気がつかない。その成果で次第に自分が肥え成長していくのに、ただ同朋は目を丸くしてかしづくだけになっていく。こんな愉快な話があるだろうか?自分はただ種を蒔いて待っているだけで何もしていないのに、同胞ですらそれに全く気がつかないのに笑わずにいられようか。
種子は次第に大きくなっているが、誰も気がつかない。
向こうの世界でも、こちらの世界でも。
やがて自分の根本の疑問を解き明かす糧になるために、芽吹き新しい別な種子を生むのだ。時には大きく立派な種子であったり、時には大きさは変わらずとも多数の種子であったり。そうして次の種子が芽吹き、新しい実を成して自分を肥えさせ、新しい種子を残す。それを繰り返し続けてどれくらいが経つのだろう。
今どれくらいの種子があるかすら、もう自分には分からないほどなのだ。
それにしてと長く続く種子としての期間を終えて、蓄え続けた栄養を糧に芽吹く様をこうして眺められるのが楽しくて仕方がない。トロリと淀み停滞している空間の中で、こうして声のない笑いを溢しながら芽吹くのを覗くのは愉快だ。
本来なら自分には見ることも聞くことも出ないし、嗅ぐことも出来ないが、種子が豊富なお陰で自分は様々な力を得た。お陰で見ることも聞くことも、嗅ぐ事も可能なのだ。

種子のお陰で見えるのは目にも眩い光を宝飾のように放つ世界と、その中でまるで我がもののように世界を支配するモノ達。そこに密かに種子が芽吹いているとは何も気がつかず、安穏と暮らして種子の胞子に当てられ時には愉快な饗宴を演じて見せる。
だからこうして耳から聞くのも楽しくて仕方がない。聞こえるのはさざめく会話や様々な物が立てる大小の音。雨の音、雷の音、風の音、自然のたてる音の他にも車や電車がたてる音すら面白い。あれはどのような仕組みで動きこの音をたてているのか興味深いが、同朋はそんな馬鹿なことに興味を持つ意味がないと自分を笑ったものだ。だが、考えてもみろ、自分の足でないものを、どうやって動かし移動するのか仕組みを知りたいものじゃないか。何故あんな大きな音をたてられるのか、しかも時には中に乗る者を虫のように踏み潰したりするのだ。
それに臭い。この臭いというものは、何時嗅いでも素晴らしい。様々な食物の臭い、腐り落ち、やがて死滅するものの放つ臭い。生き物の呼吸が止まった途端に、死滅の臭いが支配し始めるあの辺かの急激な進行。それは生きている証明だし、逆に死の証明でもある。それを放ち続けられるということがどういうことか、同朋達は考えもしないのだ。
それを知っている訳もない矮小な存在が、至るところに溢れている。そんなくだらないことかと思うかもしれないが、全てはここから変化していく。それに気がつけば時間なんてたいしたモノではないとは思わないか?

種子が芽吹いて、埋め尽くしたら……どうなる?

多くの種子が芽吹いたのに気がついた時には、既に遅すぎるに違いない。遅すぎるとしても気がつかないのだから、もう少しここで眺めているのも悪くない。何しろ自分はここにいればいいだけで、勝手に同胞の手で全ての準備は整い始めているのだ。何しろ種子が芽吹くための風を無意識に送り続けている。

浅はかだが、手駒としては十分な成果だな……

名を与えてやっただけで随分と馳せたものだと頭上を眺め、星空に見える天にむかって自分はただニヤニヤと笑い続けるだけ。ここから見る頭上は煌めく川のような流れが細かく四方に網の目のように広がり、人が生み出した精密な工芸品か宝石を散りばめた首飾りのようにキラキラと美しいのだ。その中でも一等星のように大きく煌めくモノが砕ける度に天がグッと近くなり、手があればグッと頭上に伸ばせば届くようになるのではないかとすら思う。

もう少し、後ほんの少し。

自分には腕はないがやがて、そんなものなくても這い出せるほど天は降りてくるに違いない。そう楽しげに思考しながら静かに地上の上を声もなく眺め、聞き、そして嗅いで、楽しげに声もなくニヤニヤと笑い続けているのだ。



※※※



ふと微かな意識の底に、何かが揺らぐ。
ユラユラと揺らめき、まるでその底に鏡面のような空間が広がっていく。水面の底のように、水盆の鏡のように、その底は写真のように世界を広げていくのが分かる。何時しかその鏡面が辺り一面に広がって、自分は空中に浮かんでポカーンと辺りの光景に目を細める。それは広く雄大な一枚絵のような光景だった。ここは何処で、これはなんだろうと思案する事もなく、目にしたこれが自分のものと本能は知ってもいるし、意識は知らなくもあるのだ。

広い…………

緩やかに空中から山野の中に向かって降りていく。
広がる光景は眩い陽射しの中に色鮮やかな種々の緑が広がり、長閑な風が吹き、渓谷には冷たい雪解けの水が染みだし白く飛沫を上げて勢いよく清流となって裾野に音をたてて流れていく。降り立った足の下には年を経て分解された枯れ葉の混じった土の甘い湿った匂いと、そこから芽吹いた緑の放つ新鮮な命の匂い。周囲に溢れる湿度に息づく苔の香り、梢に沸き上がる新芽の弾けていく音、それに芳しく風に乗る花の甘酸っぱい薫り。それに気配を探ると辺りは満ち溢れ、それを糧に更に生き物の息吹きが空気に漂う。
空を眺めれば掌ほどしかない小鳥の軽やかな囀ずりと、大きく翼を広げて雄大に風を切りよく通る鷹か何かの勇猛に高く一声鳴く声が響く。

ああ………………ここは…………

無意識に心の中が呟くのを聞きながら、辺りには山の中を駆けていく鹿のトットッと軽やかな跳ねる足音が響く。それに何か大きな動物の嘶きが木立の合間から、遠く近くに流れてくるのだ。

ああ…………そうだ………………

それを確かに知っているのに、知らない。それでもここを理解している。この思考が矛盾しているのは知っているが、それでもここはと心の中が思う。足元を見下ろせばその理由が分かって、自分は足を見下ろすのが怖くなって視線を辺りに向けたまま。
何処か遠くで雨の降った匂いがするのに視線を向けると、遥か遠くには木を切り倒し土を掘り返す匂いがしている。土地を切り開き少しずつ広がる新しい空気の中には、野生のものではなく何か違う存在の匂いも漂う。
それに向かって歩き出しても足音一つ立たない。
それは自分が自分だからなのか、これが現実ではないからなのかは今は理解しがたいのだが、どちらも真実なのだとも考える。やがて木立が減り、そこは切り開かれた土を世界に変わる。
木を板にして囲い、風雨に耐えるための場所を工夫して住む。
やがてそこには幾つもの気配が大小取り混ぜて、賑やかに変わっていくのだ。そんな風にあるのだろう住居から漂う煮炊きの匂いがするが、そこに自分は含まれていないのも分かる。これをどう考えるべきなのか、考えないべきなのか……、それすら思考の中にはないのに、何故か無性に懐かしく悲しくなるのに気がつく。背後から微かに何かの嘶く声が漏れ聞こえ、自分は無意識にに振り返りそれが何を意味しているかを考える。

ああ…………呼んでいる

それに気がついてもそれに自分から近づくべきなのか、ここに残るべきか、それも今は分からないままだ。何故ならこの大きな疑問に答えが出てしまったら、自分は嫌でもどちらかを選ばないとならない。そう考えたら唐突に悲しみがとても重く、のし掛かるのに気がついてしまった。

もう……近くに来ていて、その時が迫っているのも感じる。

それが自分のところに来てしまったら、自分は選ぶしかなくなるとも分かっていて、それがこの光景とあいまってとても辛く悲しい。それは自分が本当は答えを選びたくないからだと、実はちゃんと知っているからだった。
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