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第三部
第二幕 鳥飼邸と都立総合病院救急
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金曜の夕方のニュースの内容にふと信哉は立ち止まり、仁が何気なく見ているテレビの画面に引き寄せられた。それは四月末のこの時期には少し早すぎる気がするが、早いからこそ起きたニュースかもしれない。
『作業現場が山中であったこともあり、現在も捜索及び救出作業は難航しており…。』
運が悪いと言えばそう言えなくもないが、工事現場の休憩所らしきコンテナの壁は脆くも破壊されてブルーシートに包まれている。ニュースでは大型の野性動物にその工事現場が襲われ死亡者と行方不明者がいるというが、冬眠明けの熊に襲われたなんてあまり考えたくない最後の迎えかただと思う。仁が何気なく頬杖をつきながら熊って怖いねというのに本当だなと答えながら、でも熊にしてみても人間は怖いんだろうな等と考える。
少なくとも人が減っている時で良かったと思うべきか。
丁度嵐か何らかの理由で休暇で、当時の現場には普段より格段に人が少なかったという。が、それでも現場の監督なんかを含めた五人程が残っていて、機材の管理のための宿直当番をしていたらしい。交代の要員が翌朝現場に戻って、とんでもない惨劇を跡を発見したという訳だ。しかも同時に前夜の惨劇の直後に降った大雨のせいで現場の状況もかなり悪いというから、未だに行方不明になっている人間を探すのも大変なのだろうと何気なく考える。
野性動物か…………
そんなことを考えながら、信哉はなんでそのニュースがこんなにも気にかかったのかと首を傾げてしまう。野性動物が出てきてもおかしくない山間部での治水工事現場。毎年大雨が降ると土砂崩れか起きている場所だというから、治水工事は急務なのは画面を見るだけでも分かる。画面を通して眺めても見える限りゲートも何もないし、何も気にかける事ではなさそうなのに、何か酷く気にかかる気がした。何が気にかかるかも分からず、何となく画面の光景を眺めてしまう。大型重機があるから完全な無人にはできないのだろうし、治水工事現場ともなれば雪融け水なんかにも注意が必要だろう。だから完全な無人に出来なかったのは、知識がなくとも理解できる。
「信哉、電話~。」
ハッと我に返ると仁が受話器を片手にしていて、自分が電話の着信にも気がつかなかったのに微かに驚いてしまう。どうもここのところ根を詰めすぎているのと、予期せぬ出来事ばかり起きていて少しは疲れがたまっているのかもしれない。何しろまさかここにきて自分の母親の幼馴染みと……しかも三人もだ、顔を合わせるとは思わなかった。それに以前偶然顔をあわせた刑事も、実は母の幼馴染みと知ったわけで。自分には母親としての鳥飼澪しか知らないが、現実には母にだって幼少から過ごしてきた時があったのを改めて気がついた。気がつくとそれがどういうことなのか痛いくらいに自覚できて、尚更自分のこの後の事を考えてしまう。
母は十一年と少しこの役目だった……俺はもう十一年。あと何年、こうして生きられるんだろう……
そんなことを信哉自身が考えているなんて誰も思ってはいない筈だが、役目を継いでからずっとその事は気にかかってきていた。二十年もこの役目を勤めた人間は殆んどいないし、ほぼ十年と少しで死んでいく。どんなに強くとも、どんなに慎重であってもそれは変わらない。
母も武兄も、優輝さんも想さんも……
他の三人よりも多く先代を知っている。それは実は院の者を除けば、今は信哉だけ。四神の果てを知り、自分も同じ道を歩むのだと何処かで信じてもいるのだ。そうなれば自分には残された時間は後何年なのか、何日なのか。他の三人には一言も口にしてはいないが、自分は既にその時期を目の前にしているのかもしれないと心の何処かで考えてしまう。自分はもう何時死んでもおかしくない、一つだけ良しとするのは自分には子供が居ないことだけ。もしこれで信哉が死んでも、自分の子供にだけは同じ道を歩ませなくて済むことだけが救いだ。だが、それは同時に新しく何もかも失うという新しい悲劇を産み出すことなのだとも、分かってはいる。
「信哉?」
仁が訝しげにかけた声に思い出したように、信哉が誰からだ?と問いかけ歩み寄る。少し安堵した様子で孝からだと仁は言いながら、信哉に受話器をもう一度差し出した。受け取ってこんな時間に何なんだと思いながら電話に出た信哉が、異母弟から耳にした話は全く予想しなかった出来事。
土志田悌順が救急車で運ばれたというものだった。
※※※
悌順が今年度に入ってから担任しているクラスは、実は本来は悌順が担任をする筈ではなかった。本来悌順は体育教師の通例で三学年では七組を担任することに決まっていたのに、進学組でもある三年一組の担任に決まった内川俊一が教頭にあのクラスは嫌だと直談判したのだ。勿論そんなことは滅多にというか、ほぼほぼ起きないもので、異常事態と言えなくもない。その今年の三年一組は学力で言えばここ数年では群を抜いて高く、国公立大学受験を軒並み総舐めにしそうな勢い、だが如何せんクラスの生徒の面子が問題だった。
テスト問題で毎回教師泣かせの香坂智美と若瀬透と澤江仁がいるだけでなく、破天荒で扱い辛い生徒会長の木村勇や戦国武将みたいに堅苦しい副会長真見塚孝。女子の方も女版香坂みたいな志賀早紀だけでなく、探偵か情報局みたいな八幡瑠璃や、去年の素行不良問題がまだ記憶に新しい須藤香苗もいる。
三十人中少なくとも八人……内川は職員室で問題になると名前をあげ連ねたのだ。
思わずお前なと襟足を掴んで内川に言ってやりたかったが、何とか衝動を飲み込む事には成功した。表だけ見れば確かにその通りだが、テストの問題に関しては毎年同じ問題の焼き直しの内川が悪いのであって、世界史の越前や英語の櫻井は逆に作りがいがあっていいと言っている。生徒会長長と副会長の二人は上手く互いをフォローできているし、そこには若瀬や近藤や他の生徒が上手く関わりもできているのだ。八幡に関しても家庭環境のためか、情報収集は趣味の様子だが不必要に騒ぎ立てたりし広めたりはしない。
それに須藤。
一瞬言葉が止まったのはやむを得ないが、須藤香苗は確かに昨年度は素行不良が目についていた。繁華街でろくでもない男と歩き回った事はあったが、それはもう半年以上も前で、今は普通の生徒達となにも変わらない。少し口は悪いがちゃんとした可愛い生徒だ。
それを指摘するくらいなら、お前が担任している黒木佑はどうなんだ?ボケ。
黒木は昨年末の騒動から一気に素行が悪くなり、繁華街で女性と歩いていると噂がたち始めている。担任の内川に問いただしてもノラリクラリと時間稼ぎばかりで、埒が明かないのだ。
それでも担任にするなら辞めますと散々駄々を捏ねた内川に、貧乏神という渾名を持つ教頭がうんざりした顔で《お願いだから頼む》という顔で悌順を呼びつけたのだ。しかも渋々うけたら、更に編入テストで三十番以内なんて順位で転入が決定したのが、五十嵐海翔という少年だった。元は北陸方面の高校に自宅から通っていたようだが家族から離れて一人で近郊で知人の元で暮らすのだという。理由は前校での虐めで不登校になったからだと聞いていたのに、まさか理由の一つが芸能活動だとは悌順だって知りもしない。しかも新学期になって前年度末から素行の悪かった黒木は完全に不登校になって繁華街でふらつくわ、今まで繁華街でふらついたことのない二年女子が男に絡まれているのを発見するわ。四神の仕事の他に教師の仕事もして夜回りまでこなす羽目になった悌順に、ゲートキーパーの方は少し休めと行ったのは信哉だった。
そうしてその日に起きたのはその芸能人・五十嵐海翔のファンらしき女性三人が高校の敷地内に入り込み悶着になってしまったのだ。何せ都立第三高校は昨年末のあの爆破テロ事件で敷地内の不審者にはかなり敏感になっているというのに、五十嵐一人のためにこんな騒動が起こるんじゃやってられない。
何やってんだ、だから自重しろって釘さしてるのに
五十嵐海翔は虐めで不登校になっていたせいなのか、中々クラスに溶け込めない様子だった。宮井麻希子には話しかけている風だが、他のクラスメイトとは全く交流を持とうとしない。しかも教師への不信感がかなり強いのが気になって、これは保護者にそろそろ話を聞くべきと考えていた矢先。
その場にいたのは五十嵐海翔とそのファン三人だけだったらまた違ったのに、偶々居合わせたのだろう真見塚孝と志賀早紀、それに宮井麻希子までいる。生徒と部外者の女性の間に入って退去を説明する最中に、女性の一人が不振な動きをしたのに悌順は素早く目を向けていた。目の前で水筒を握った彼女が蓋を手早く回し、手慣れた手つきでそれを自分に向けてぶちまけようとしている。しかも開けた瞬間に湯気がたってるのはハッキリ目に見えていて、
馬鹿か?この女?!
咄嗟にそこから退けようとしたが、背後には孝と志賀早紀と宮井麻希子が困惑したままたちつくしている。自分が避けるのは簡単だったが、孝達三人が立っているのと教師達が駆け寄り始めているのが逆に悌順に障害になった。退ければ自分の背後にいる生徒に熱湯がかかる、それに気がついて舌打ちしたくなる。
本能的にぶちまけられた熱湯に向けて水気を視線だけで僅かに放ち、それが拡散するのを防ぐよう球状に纏めたまでは良かったが、当たらずに払うにも周囲に人が多すぎてそれ以上大きな力を使うことが出来なかった。
そうして悌順は直にそれを顔に被ってしまったのだ。
くそ!やっぱり熱湯か!
実際かけられたものの温度はかなり高温だった。
正直なところ、これが悌順でなければあれは大変なことになっていたのだ。恐らく温度は沸騰まではなくても八十前後で、普通なら完全に失明していた。高温に爛れた肌を咄嗟に手で隠したが、直ぐ傍にいた孝が流水をかけに手を貸してくれた時に爛れた肌を見られていたのだ。まさか水をかけながら直ぐ様目の前で傷を治癒させるわけにもいかず、濡れタオルで隠しながら治癒させていたが結局場を納める前に駆けつけた救急車に乗せられてしまった。それで心配した孝が信哉に電話を寄越したのだ。
義人に仁を再び任せて病院に駆けつけた信哉の前に、ジャージ姿ままの悌順が苦い顔で顔に絆創膏やガーゼを当てた状態で姿を見せた後。ことの顛末を駐車場に停めた車に乗りながら説明する。
「なんでまた、熱湯なんて持ち歩いてんだ?」
「こっちが聞きたい、…………甘ったるい臭いだったから茶かなんかだろ……。」
疲れきった声で言う悌順は傷を治癒させることに、人目につかないように少しずつ力を使い続ける羽目になってグッタリしている。人目さえなければもう少し早い内にさっさと治せたのだが、人目が多かったのと救急車迄呼ばれてしまっては表だって動けなかった。人として暮らしているが故の障害に溜め息が出てしまうが、他の誰にも怪我もさせなかったし何とかバレずに上手くやったとは思う。
「目はどうだ?」
「少し中が痛む…………視野は今のところ問題ないが……。」
「今のうちに治せるまで治しておけよ?」
車を動かし始めた信哉の横で、悌順は深い溜め息をつきながら助手席に凭れかかると目を閉じる。
「全く…………、何だってこんな目に……。」
「災難だったな。」
こんな能力なんかとは思うが、もしなければ今頃大騒ぎの上悌順は入院していて、今後は雪の情報源の外崎のように白木の杖が必要になっていたのだと思えば不幸中の幸いといえなくもないかもしれない。それにしても退去を促しただけで、カッとなってこの有り様。
「何だか、世の中全部がおかしくなってる気分だ……。」
「ん?」
「ここ暫く……突然おかしくなるとか人が変わるなんて事が起こりすぎてる気がするんだよ……生徒もそうだが……世の中全体って感じで…………。」
その言葉に前を向いたままの信哉が微かに眉を寄せて、そうだなと低く同意の言葉を呟く。ここ数ヵ月信哉は刑事になった高校時代の同級生の風間祥太と再会して、色々と話をすることがあった。風間は基本的には詐欺とかを担当する部署にいるというが、竜胆貴理子のことを調べていたり、槙山忠志の幼馴染み三浦和希のことを調べていたりしている。どちらの人間も知っているが、どちらもマトモな生活をしている人間とは言えない。
そう言えば麻希ちゃんもどちらとも顔見知りか。
宮井麻希子は竜胆貴理子ではなく木崎蒼子からの手紙を受け取り、三月には三浦和希に廃墟に監禁されて溺死させられかけている。孝曰く宮井麻希子は天性の巻き込まれ体質で、自分から望まなくても事件が寄ってくるのだという。それにしても近郊で起きているにしては、余りにも物騒な事が多すぎる。
「…………今夜はそのまま休め。疲れもたまってるだろ?」
「そっちこそ…………。」
お前よりは楽なもんだと信哉が呟くように言うと、悌順はもう一度深い溜め息をついていた。
『作業現場が山中であったこともあり、現在も捜索及び救出作業は難航しており…。』
運が悪いと言えばそう言えなくもないが、工事現場の休憩所らしきコンテナの壁は脆くも破壊されてブルーシートに包まれている。ニュースでは大型の野性動物にその工事現場が襲われ死亡者と行方不明者がいるというが、冬眠明けの熊に襲われたなんてあまり考えたくない最後の迎えかただと思う。仁が何気なく頬杖をつきながら熊って怖いねというのに本当だなと答えながら、でも熊にしてみても人間は怖いんだろうな等と考える。
少なくとも人が減っている時で良かったと思うべきか。
丁度嵐か何らかの理由で休暇で、当時の現場には普段より格段に人が少なかったという。が、それでも現場の監督なんかを含めた五人程が残っていて、機材の管理のための宿直当番をしていたらしい。交代の要員が翌朝現場に戻って、とんでもない惨劇を跡を発見したという訳だ。しかも同時に前夜の惨劇の直後に降った大雨のせいで現場の状況もかなり悪いというから、未だに行方不明になっている人間を探すのも大変なのだろうと何気なく考える。
野性動物か…………
そんなことを考えながら、信哉はなんでそのニュースがこんなにも気にかかったのかと首を傾げてしまう。野性動物が出てきてもおかしくない山間部での治水工事現場。毎年大雨が降ると土砂崩れか起きている場所だというから、治水工事は急務なのは画面を見るだけでも分かる。画面を通して眺めても見える限りゲートも何もないし、何も気にかける事ではなさそうなのに、何か酷く気にかかる気がした。何が気にかかるかも分からず、何となく画面の光景を眺めてしまう。大型重機があるから完全な無人にはできないのだろうし、治水工事現場ともなれば雪融け水なんかにも注意が必要だろう。だから完全な無人に出来なかったのは、知識がなくとも理解できる。
「信哉、電話~。」
ハッと我に返ると仁が受話器を片手にしていて、自分が電話の着信にも気がつかなかったのに微かに驚いてしまう。どうもここのところ根を詰めすぎているのと、予期せぬ出来事ばかり起きていて少しは疲れがたまっているのかもしれない。何しろまさかここにきて自分の母親の幼馴染みと……しかも三人もだ、顔を合わせるとは思わなかった。それに以前偶然顔をあわせた刑事も、実は母の幼馴染みと知ったわけで。自分には母親としての鳥飼澪しか知らないが、現実には母にだって幼少から過ごしてきた時があったのを改めて気がついた。気がつくとそれがどういうことなのか痛いくらいに自覚できて、尚更自分のこの後の事を考えてしまう。
母は十一年と少しこの役目だった……俺はもう十一年。あと何年、こうして生きられるんだろう……
そんなことを信哉自身が考えているなんて誰も思ってはいない筈だが、役目を継いでからずっとその事は気にかかってきていた。二十年もこの役目を勤めた人間は殆んどいないし、ほぼ十年と少しで死んでいく。どんなに強くとも、どんなに慎重であってもそれは変わらない。
母も武兄も、優輝さんも想さんも……
他の三人よりも多く先代を知っている。それは実は院の者を除けば、今は信哉だけ。四神の果てを知り、自分も同じ道を歩むのだと何処かで信じてもいるのだ。そうなれば自分には残された時間は後何年なのか、何日なのか。他の三人には一言も口にしてはいないが、自分は既にその時期を目の前にしているのかもしれないと心の何処かで考えてしまう。自分はもう何時死んでもおかしくない、一つだけ良しとするのは自分には子供が居ないことだけ。もしこれで信哉が死んでも、自分の子供にだけは同じ道を歩ませなくて済むことだけが救いだ。だが、それは同時に新しく何もかも失うという新しい悲劇を産み出すことなのだとも、分かってはいる。
「信哉?」
仁が訝しげにかけた声に思い出したように、信哉が誰からだ?と問いかけ歩み寄る。少し安堵した様子で孝からだと仁は言いながら、信哉に受話器をもう一度差し出した。受け取ってこんな時間に何なんだと思いながら電話に出た信哉が、異母弟から耳にした話は全く予想しなかった出来事。
土志田悌順が救急車で運ばれたというものだった。
※※※
悌順が今年度に入ってから担任しているクラスは、実は本来は悌順が担任をする筈ではなかった。本来悌順は体育教師の通例で三学年では七組を担任することに決まっていたのに、進学組でもある三年一組の担任に決まった内川俊一が教頭にあのクラスは嫌だと直談判したのだ。勿論そんなことは滅多にというか、ほぼほぼ起きないもので、異常事態と言えなくもない。その今年の三年一組は学力で言えばここ数年では群を抜いて高く、国公立大学受験を軒並み総舐めにしそうな勢い、だが如何せんクラスの生徒の面子が問題だった。
テスト問題で毎回教師泣かせの香坂智美と若瀬透と澤江仁がいるだけでなく、破天荒で扱い辛い生徒会長の木村勇や戦国武将みたいに堅苦しい副会長真見塚孝。女子の方も女版香坂みたいな志賀早紀だけでなく、探偵か情報局みたいな八幡瑠璃や、去年の素行不良問題がまだ記憶に新しい須藤香苗もいる。
三十人中少なくとも八人……内川は職員室で問題になると名前をあげ連ねたのだ。
思わずお前なと襟足を掴んで内川に言ってやりたかったが、何とか衝動を飲み込む事には成功した。表だけ見れば確かにその通りだが、テストの問題に関しては毎年同じ問題の焼き直しの内川が悪いのであって、世界史の越前や英語の櫻井は逆に作りがいがあっていいと言っている。生徒会長長と副会長の二人は上手く互いをフォローできているし、そこには若瀬や近藤や他の生徒が上手く関わりもできているのだ。八幡に関しても家庭環境のためか、情報収集は趣味の様子だが不必要に騒ぎ立てたりし広めたりはしない。
それに須藤。
一瞬言葉が止まったのはやむを得ないが、須藤香苗は確かに昨年度は素行不良が目についていた。繁華街でろくでもない男と歩き回った事はあったが、それはもう半年以上も前で、今は普通の生徒達となにも変わらない。少し口は悪いがちゃんとした可愛い生徒だ。
それを指摘するくらいなら、お前が担任している黒木佑はどうなんだ?ボケ。
黒木は昨年末の騒動から一気に素行が悪くなり、繁華街で女性と歩いていると噂がたち始めている。担任の内川に問いただしてもノラリクラリと時間稼ぎばかりで、埒が明かないのだ。
それでも担任にするなら辞めますと散々駄々を捏ねた内川に、貧乏神という渾名を持つ教頭がうんざりした顔で《お願いだから頼む》という顔で悌順を呼びつけたのだ。しかも渋々うけたら、更に編入テストで三十番以内なんて順位で転入が決定したのが、五十嵐海翔という少年だった。元は北陸方面の高校に自宅から通っていたようだが家族から離れて一人で近郊で知人の元で暮らすのだという。理由は前校での虐めで不登校になったからだと聞いていたのに、まさか理由の一つが芸能活動だとは悌順だって知りもしない。しかも新学期になって前年度末から素行の悪かった黒木は完全に不登校になって繁華街でふらつくわ、今まで繁華街でふらついたことのない二年女子が男に絡まれているのを発見するわ。四神の仕事の他に教師の仕事もして夜回りまでこなす羽目になった悌順に、ゲートキーパーの方は少し休めと行ったのは信哉だった。
そうしてその日に起きたのはその芸能人・五十嵐海翔のファンらしき女性三人が高校の敷地内に入り込み悶着になってしまったのだ。何せ都立第三高校は昨年末のあの爆破テロ事件で敷地内の不審者にはかなり敏感になっているというのに、五十嵐一人のためにこんな騒動が起こるんじゃやってられない。
何やってんだ、だから自重しろって釘さしてるのに
五十嵐海翔は虐めで不登校になっていたせいなのか、中々クラスに溶け込めない様子だった。宮井麻希子には話しかけている風だが、他のクラスメイトとは全く交流を持とうとしない。しかも教師への不信感がかなり強いのが気になって、これは保護者にそろそろ話を聞くべきと考えていた矢先。
その場にいたのは五十嵐海翔とそのファン三人だけだったらまた違ったのに、偶々居合わせたのだろう真見塚孝と志賀早紀、それに宮井麻希子までいる。生徒と部外者の女性の間に入って退去を説明する最中に、女性の一人が不振な動きをしたのに悌順は素早く目を向けていた。目の前で水筒を握った彼女が蓋を手早く回し、手慣れた手つきでそれを自分に向けてぶちまけようとしている。しかも開けた瞬間に湯気がたってるのはハッキリ目に見えていて、
馬鹿か?この女?!
咄嗟にそこから退けようとしたが、背後には孝と志賀早紀と宮井麻希子が困惑したままたちつくしている。自分が避けるのは簡単だったが、孝達三人が立っているのと教師達が駆け寄り始めているのが逆に悌順に障害になった。退ければ自分の背後にいる生徒に熱湯がかかる、それに気がついて舌打ちしたくなる。
本能的にぶちまけられた熱湯に向けて水気を視線だけで僅かに放ち、それが拡散するのを防ぐよう球状に纏めたまでは良かったが、当たらずに払うにも周囲に人が多すぎてそれ以上大きな力を使うことが出来なかった。
そうして悌順は直にそれを顔に被ってしまったのだ。
くそ!やっぱり熱湯か!
実際かけられたものの温度はかなり高温だった。
正直なところ、これが悌順でなければあれは大変なことになっていたのだ。恐らく温度は沸騰まではなくても八十前後で、普通なら完全に失明していた。高温に爛れた肌を咄嗟に手で隠したが、直ぐ傍にいた孝が流水をかけに手を貸してくれた時に爛れた肌を見られていたのだ。まさか水をかけながら直ぐ様目の前で傷を治癒させるわけにもいかず、濡れタオルで隠しながら治癒させていたが結局場を納める前に駆けつけた救急車に乗せられてしまった。それで心配した孝が信哉に電話を寄越したのだ。
義人に仁を再び任せて病院に駆けつけた信哉の前に、ジャージ姿ままの悌順が苦い顔で顔に絆創膏やガーゼを当てた状態で姿を見せた後。ことの顛末を駐車場に停めた車に乗りながら説明する。
「なんでまた、熱湯なんて持ち歩いてんだ?」
「こっちが聞きたい、…………甘ったるい臭いだったから茶かなんかだろ……。」
疲れきった声で言う悌順は傷を治癒させることに、人目につかないように少しずつ力を使い続ける羽目になってグッタリしている。人目さえなければもう少し早い内にさっさと治せたのだが、人目が多かったのと救急車迄呼ばれてしまっては表だって動けなかった。人として暮らしているが故の障害に溜め息が出てしまうが、他の誰にも怪我もさせなかったし何とかバレずに上手くやったとは思う。
「目はどうだ?」
「少し中が痛む…………視野は今のところ問題ないが……。」
「今のうちに治せるまで治しておけよ?」
車を動かし始めた信哉の横で、悌順は深い溜め息をつきながら助手席に凭れかかると目を閉じる。
「全く…………、何だってこんな目に……。」
「災難だったな。」
こんな能力なんかとは思うが、もしなければ今頃大騒ぎの上悌順は入院していて、今後は雪の情報源の外崎のように白木の杖が必要になっていたのだと思えば不幸中の幸いといえなくもないかもしれない。それにしても退去を促しただけで、カッとなってこの有り様。
「何だか、世の中全部がおかしくなってる気分だ……。」
「ん?」
「ここ暫く……突然おかしくなるとか人が変わるなんて事が起こりすぎてる気がするんだよ……生徒もそうだが……世の中全体って感じで…………。」
その言葉に前を向いたままの信哉が微かに眉を寄せて、そうだなと低く同意の言葉を呟く。ここ数ヵ月信哉は刑事になった高校時代の同級生の風間祥太と再会して、色々と話をすることがあった。風間は基本的には詐欺とかを担当する部署にいるというが、竜胆貴理子のことを調べていたり、槙山忠志の幼馴染み三浦和希のことを調べていたりしている。どちらの人間も知っているが、どちらもマトモな生活をしている人間とは言えない。
そう言えば麻希ちゃんもどちらとも顔見知りか。
宮井麻希子は竜胆貴理子ではなく木崎蒼子からの手紙を受け取り、三月には三浦和希に廃墟に監禁されて溺死させられかけている。孝曰く宮井麻希子は天性の巻き込まれ体質で、自分から望まなくても事件が寄ってくるのだという。それにしても近郊で起きているにしては、余りにも物騒な事が多すぎる。
「…………今夜はそのまま休め。疲れもたまってるだろ?」
「そっちこそ…………。」
お前よりは楽なもんだと信哉が呟くように言うと、悌順はもう一度深い溜め息をついていた。
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